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秋日記(あきにっき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-23 13:35:17  点击:  切换到繁體中文

緑色の衝立ついたてが病室の内部をふさいでいたが、入口の壁際かべぎわにある手洗の鏡に映る姿で、妻はベッドに寝たまま、彼のやって来るのを知るのだった。一号室の扉のところまで来ると、奥にいる妻の気配や、そちらへ近づいて行こうとするかすかに改まった気分を意識しながら、衝立をめぐって、ベッドのところへ彼がやって来ると、妻はいたずらっぽい微笑で彼を迎える。すると彼には一昨日ここを訪れた時からの隔りがたちまち消えてしまう。小さな卓の花瓶かびんにコスモスの花が、あかい小さなボンボンダリアと一緒にしてあるのが眼に留ると、彼は一昨日は見なかったダリアの花に、ささやかな変化を見出みいだすのではあったが、午後の明るい光線と澄んだ空気は窓の外から、今もこちら側をのぞいている。……
 ベッドのわきの椅子に腰をおろした彼は、かえって病人のような気持がするのだった。午後になると微熱が出て、眼にうつる世界がかすかに消耗されてゆく、そうすると、彼には外界もそれを映すものもえて美しくなった。彼のんでいる世界はいま奇妙な結晶体であった。彼はその限られた世界の中をすべり歩いていたし、そうして、妻の病室へやって来る時、その世界はいちばん透きとおっていた。
 白いカバアの掛った掛蒲団かけぶとんの上に、小豆色あずきいろの派手な鹿子絞かのこしぼりの羽織がふわりと脱捨ててあるのが、雪の上の落葉のようにあざやかに眼にうつるが、まくらに顔を沈めている妻は、その顔には何かえしたものがあった。二日まえのことだが、彼はこの部屋が薄暗くなり廊下の方がざわつく頃まで、じっと妻の言葉をきいていた。そして、結局しょんぼりと廊下の外へ出て行った。すると翌日、病院へ使いに行った女中が妻の手紙を持って戻り彼に手渡した。小さく折畳んだ便箋びんせんに鉛筆で細かに、こまかな心づかいが満たされていた。(あなたがしょんぼりと廊下の方へ出てゆかれた後姿を見送って、おもわず涙が浮びました。体の方は大丈夫なのでしょうね、余計な心配をかけて済みませんでした、……)努めて無表情に読過そうとしたが、彼は底の方でうずくようなものを感じた。
 こうした手紙をもらうようになったのか――それは彼にとっては、やはり新鮮なおどろきであった。妻は入院の費用にあてるため、郷里に置いてある箪笥たんすを本家で買いとってもらうことを相談した。彼がさびしく同意すると、妻は寝たままで、一頻ひとしきり彼の無能を云うのであった。十年前嫁入道具の一つとして郷里の土蔵に持込まれたまま、一度も使用されず、その箪笥がひと手に渡るのは彼にとっても身をがれるような気持だった。だが、身の落目をとりかえすため奮然としてたたかうてだてが今あるのだろうか。彼は妻の言葉を聞きながら、薄暗くなってゆく窓の外をぼんやりながめていた。おぼろな空のむこうに、はるかな暗い海のはてに、火を吐いて沈んでゆく艨艟もうどうや、熱い砂地にさらされている白骨の姿が、――それは、はっきりした映像としてではなく、何かてついた暗雲のようにいつも心をかげらせている。それから、何気ない日々のくらしも、彼の周囲はまだ穏かではあったが、見えない大きい力によって、刻々にこわされているのではないか。どうにもならない転落の中間に、ぽつんと放り出された二人ではないか。そうおもいながら、あのとき彼は妻にかえす言葉をうしなっていたのだが……。書斎の椅子にぐったりとして、彼は女中が持って帰った妻の手紙を、その小さな紙片をもとどおりに折畳んだ。悲壮がはじまっていた。そしてそれは、ひっそりとしているのであった。
 その年の秋も、いらだたしい光線のなかに雨雲が引裂かれていた。そうした、ある落着かない気分の夕刻近く、彼は妻に附添ってその大きな病院の門をくぐった。二階の廊下をいく曲りして静かな廊下に出たところに一号室があった。その部屋の窓からは、遙かに稲田や人家が展望された。前にいた人が残して行ったらしい大きな古びた財布さいふ片隅かたすみにあった。一わたり部屋を見まわすと、すぐに妻はベッドにさった。はじめて落着く場所にかえったような安らかさと、これから始ろうとする試煉しれんにうちとうとする初々ういういしさが、せた妻の身振りのなかにぱっと呼吸いきづいていた。だが、彼はひとり置去りにされたように、とぼとぼと日が暮れて家に戻って来たのだった。
 この時から、二つにたち割られた場所のなかで、彼の逍遥しょうようがはじまった。隔日に学校へ通勤している彼は、休みの日を午後から病院へ出掛けて行くのだったが、どうかすると、学校の帰りをそのまま立寄ることもあった。ちまたで運よく見つけた電熱器を病室の片隅に取つけると、それで紅茶も沸かせた。ベッド脇に据えつけられている小さな戸棚とだなには、林檎りんごやバタがあった。いつのまにか、そこは居心地いごこちのいい場所になっていたのだ。
 いく日も雨が降りつづいた。粗末な学校の廊下も窓もびっしりと湿り、れにしかやって来ない電車は、これも雨に痛めつけられていたし、電車の窓の外に見える野づらや海もぼうとして色彩を失っていた。だが、高台の上に立つ、大きな病院の建物は、牢固ろうこな壁や整った窓が下界の雨をすっかりさえぎっていた。
「あなたが学校まで歩いてゆくみちと、家からこの病院まで来る道とどちらが遠いの」と妻はたずねた。「同じ位だね」と彼がこたえると「まあ、そんなに遠い路をこれまで歩いていたのですか」と妻は彼がこの二年間通っていた路の長さがはじめて分ったような顔つきであった。その路の話なら、これまで寝ている妻に何度も語っていたし、彼にとってはもう慣れていて左程苦痛ではなかった。妻はもっといろんなことをたずねたいような顔つきで、留守にした家のこまごました事柄が絶えず眼さきにちらついているようであった。だが、彼はそうした妻の顔を眺めながら、つきつめた想いで、何かはてしないものを考えていた。いつも二人は相対したまま、相手のなかにとらえどころのない解答を求めあっているのであった。そうして時間はすぐに過ぎて行った。夕ぐれが近づいて、立去る時刻が迫ると、彼は静かなざわめきにき立てられるような気がした。窓の外に雨はまだ絶望的に降りつのっていた。
「バスでお帰りなさい、バスの時間表がここにあるから、も少し待っていればいいでしょう」と妻は雨にれて行こうとする彼をひき留めた。
 停車場とその病院の間を往来するバスが、病院の玄関に横づけにされた。すると、折鞄おりかばんかかえた若い医師が二人、彼の座席のすぐそばに乗込んで腰を下ろした。雨はバスの屋根を洗うように流れ、窓の隙間すきまからしぶきが吹込んだ。「よく降りますね、今年は雨の豊年でしょうか」と医師たちは身を縮めて話し合っていた。やがて、バスは揺れて、真暗な坂路を走って行った。
 銀行の角でバスを降りると、彼はずぶ濡れの鋪道ほどうを電車駅の方へ歩いた。雨に痛めつけられた人々がホームにぼんやり立並んでいた。次の停留場で電車を降りると、袋路の方は真暗であった。彼はその真暗な奥の方へとっとと歩いて行った。
 さきほどから、何か真暗な長いもののなかをくぐり抜けて行くような気持が引続いていた。よく降りますね、今年は雨の豊年でしょうか、――そういう言葉がふと非力な人間のつぶやきとしてよみがえって来るのであった。そういえばバスや電車の席にぐったりと凭掛よりかかっている人間の姿も、何か空漠くうばくとしたものに身をゆだねているようである。日々のいとなみや、動作まですべて、眼には見えない一本の糸によってあやつられているのであろうか。彼は書斎のスタンドをひねり、椅子に凭掛ったまま、屋根の上を流れる雨の音をきいていた。病室の妻や、病院の姿が、真暗な雨のなかにともなつかしい小さな灯のようにおもえた。

 ながい間、書斎の壁にりつけていた火口湖の写真が、いつ、どこへ仕舞込んでしまったものか、もう見あたらなかった。が彼はよく、その火口湖の姿をおもい浮べながら、過ぎ去った日のことを考えた。それは彼が妻とはじめてその湖水のほとりを訪れた時、何気なくい求めた写真であった。毎朝その写真の湖水のところに、窓からし込む柔かな陽光がもつれ、それをぼんやり甘えた気持で眺める彼であった。……彼は山の中ほどで、息が切なくなっていた。すると妻が彼の肩を軽くたたいてくれた。それから、ふと思いがけぬところに、バスの乗場があり、バスはなめらかに山霧のなかを走った。――それはまだ昨日の出来事のようにあざやかであった。だが、二度目にひとりで、その同じ場所を訪れた時の記憶もヒリヒリと眼のまえに彷徨さまよっていた。みじめな、孤独な、心呆こころほうけした旅であった。優しいはずの湖水の眺めが、まっ暗な幻影でおおわれていた。ほとんど自殺未遂者のような顔つきで、彼はそのひとり旅から戻って来た。すると、間もなく彼の妻が喀血かっけつしたのだった。四年前の秋のことであった。妻の病気によって、あのとき、彼は自らの命をつなぎとめたのかもしれなかった。

 久し振りにさわやかな光線が庭さきにちらついていたが、彼は重苦しい予想で、ぐったりとしていた。再検査の紙が彼のところにも送附されて来たのだった。それは、ただ医師の診断を受けて、書込んでもらえばよかったのだが、そういうものが舞込んで来ることに、彼は容易ならぬものを感じた。彼は昨日も訪れたばかりの妻のところへ、また出掛けて行きたくなった。
 街は日の光でひどくまぶしかった。それはたちまあえぐように彼を疲らせてしまった。だが、病院の玄関に辿たどり着くと、朝の廊下は水のように澄んでいた。ひっそりとした扉をあけて、彼が病室の方へ這入はいって行くと、妻は思いがけない時刻にやって来た彼の姿を珍しげに眺め、ひどくうれしそうにするのであった。その紙片を見せると、妻はしばらく黙って考えていた。
「診察なら、津軽先生にしてもらえばいいでしょう」と、妻はすぐにまた晴れやかな調子にかえった。
「お天気がいいのでたずねて来てくれたのかと思ったら、そんなことの相談でしたの」と妻は軽く諧謔かいぎゃくをまじえだした。「御飯を食べてお帰りなさい、久し振りに旦那だんなさんと一緒に御飯なりと頂きましょうよ」
 妻は努めて、そして無造作に、いま重苦しい考を追払おうとしていた。……赤いジャケツを着た、はち切れそうな娘が、運搬車を押して昼食を持って来た。糖尿試験食の皿と普通の皿と、ベッド・テーブルの上に並べられると、御馳走ごちそうのある試験食の方の皿から、普通食の皿へ、妻ははしでとって彼にわかつのだった。

 翌日、約束の時間に出掛けて行くと、妻のところに立寄った津軽先生は、軽く彼に会釈して、廊下の外へ彼を伴なって行った。医局の前を通りすぎて、広い部屋に入ると、彼は上衣うわぎのボタンをはずした。妻のひどく信頼している津軽先生は、指さきから、ものごしにいたるまで、静かにととのった気品があった。一度は軍医として出征したこともあるのだが、荒々しいものの、まるで感じられない人柄であった。その、いつも妻の体を調べている指さきが、いま彼の背を綿密に打診していた。すると、かすかに甘えたいような魔術が読みとられた。津軽先生はペンを執って、再検査の用紙の胸部疾患の欄に二三行書込んで行った。「脚気かっけの気味もあるようですね」と先生は呟いた。
 診察がすむと、彼はぐったりして、廊下の方へ出て行ったが、眼のまえの空間が茫と疼く疲労感で一杯になっていた。それから、妻の病室へ戻って来ると、パッと何か渦巻く色彩があった。いま妻のベッドのわきには、近所の細君が二人づれで見舞に来ていた。テーブルの上に菊の花が乱れたままになっていた。いつもくすんだ身なりをしている隣組の女たちの、こうした、たまの盛装が、この部屋の空気を落着かなくしているのだろうか。……「ひどい南風ですね」と細君のひとりは窓の方を眺めながら云った。そういえば、リノリウムの廊下まで、べとべとと湿気ていたし、ガラス窓の外は茫と白くふくれ上って揺れかえしているのであった。見舞客が帰って行くと、妻はぐったりした顔つきで、枕に頭を沈めた。そのほおはかすかに火照っているようであった。

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