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書簡(しょかん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-23 13:55:32  点击:  切换到繁體中文

●昭和十一年四月三十日 千葉市登戸より 村岡敏(末弟・当時明治大学ホッケー部に在籍し、ベルリンオリンピックに代表として派遣された)宛
今朝早くから女房が起すのである それから一日中オリンピツクのことを云つて女房は浮かれ たうたう我慢が出来ないと云ふので速達を出すといふのである 大変芽出度いこととワシも思ふのである この上は身躰に注意し晴れの榮冠を擔つてかへつて來い 原家一同それを望んでやまないのである
四月丗日
 村岡敏君万才



●昭和十一年六月三十日 千葉市登戸より ベルリン在 村岡敏宛
拜啓 シベリア鉄道は長い長い蛇体じやたいでしたか 日本では「忘れちやいやよ」といふレコードが發賣禁止になり 男お定が出沒して居ります 千葉は梅雨で眼の赤い氣球がゆらゆら搖れて居ります 柳町の叔父さんはこの間下関まで君を見送り帰りに秋吉の鐘乳洞を見物したさうです 善次郎君はこの夏は北海道旅行をする由です 北海道もビイルはうまいといふ話だがドイツのビイルはどんなにかうまいことかと想像します ドイツで飲むからうまいらしい さて代表軍の元氣は盛ですか この間東京出發の際は少し痩れて居たやうだが 長の旅路のこと故 勢と自愛が肝要ですぞ デエトリツヒのやうな女どもが右往左往して居る伯林 ナチスのナスビ鬚 それから柳町ではまた遠からず芽出度いことがあるさうです 草々
杞憂
六月丗日
村岡敏君
追伸 千葉の小犬は大分娘らしくなりました 今年の暮頃には子を産むかもしれないといふ噂です



●昭和十一年七月十五日 千葉市登戸より ベルリン在 村岡敏宛
拜啓 先日はドイツ軍と試合して勝つた由 芽出度い どしどし勝つて全勝して帰り給へ そうすると大変都合がいいから是非お願ひしておく 今日はうらぼんで籔入りで松竹少女歌劇も勝てオリンピツクとかいふオペラをやつて居る やつと梅雨が晴れて千葉も暑くなり蚊がブンブンブンブンブンブン啼く ベルリンには蚊が居るかしらん身躰を大事にして元気で暮し給へ
 七月十五日
杞憂
 村岡敏君※[#判読不可。「尓(に)」あるいは「与(よ)」か?]



●昭和十一年七月二十四日 千葉市登戸より ベルリン在 村岡敏宛
暑中御伺申上候サテサテ日本軍は勝ちましたか 城谷では十一月に赤ん坊が生れるそうです 伯林でもう少しはサインして貰ひましたか 伯林の女學生がサインしておくんねえと強請りはしまへんか 今日は颱風が吹いて居て昨日長崎沖で軍艦が搖れて沈みかけた アア防空演習で東京はマツクロケノケだそうだ アルプス登山の四勇士はあへなく倒れたそうですね 千葉の小犬には近所の不良犬がぞろぞろと押しかけて來ます それこそ選りどりみどりだと申し居り候
御健勝を祈る
草々
村岡敏君
七月廿四日



●昭和十三年頃 旅先の箱根から 千葉市登戸二の一〇七 妻の原貞恵宛
 さつきまで霧だつたが、今は雨が音をたててゐる。鶯が啼いたりききなれぬ鳥の声がする。昨夜は廊下の燈が眩しく、それに夜どほし咳をする人や赤ん坊の声で睡れなかつた。どこへ行つても理想的な場所はないらしい。そんな愚痴を自分でもをかしく思ひながら、神経は絶えずいらだつて居る。千葉の方も心配だし比較的早く帰るかもしれない。強羅は蠅が物凄かつた。世間の人の平気でゐることを苦労にする自分は一体どうかしてゐるのだらうか。今日部屋をとりかへた。
 既に世界は二つの種族に分かたれてしまふ。極端に野蛮人とまた極端に非生活的人と。
 その中間はすべて穏かなるロボツトのみ。



●昭和十八年?頃 発信所不明(千葉市登戸二の一〇七の自宅からか)深川恭子(妹)宛
 千葉へ帰つて会社へも出たが疲れが出たのか熱が出て一日寝た。どうも気候が定まらず今日もまた変な雨が降つてゐる。
 扨て別便で小包を送つたから受取られたい。セビロはいつの間にか少し虫が食つてゐたので余り切れを入れておいた。
 麻布はあれで開襟を拵へて欲しい。半袖でいい。カラーサイズは十五。
 白い布はカラーを作つて貰いたい。なるべく尖のところが細長い型にしてもらひたい。
 つまり下図の如き型。
 開襟の方は来年の夏までに作つてもらへばよい。



●昭和二十一年四月四日 東京都大森区馬込東二ノ八九九末田方より 倉敷市元町四二七 深川恭子宛
 卅日に上京した。
 なかなか東京もよく焼かれてをるのに感心するが焼残つてをるところもあり広島とは違つたものを感じることもたしかだ。
 末田からスタイルブツクもらつたから今度美樹でもことづけよう。
 和木氏は上海に居るさうだから近く帰つて来るだらう。
四月三日



●昭和二十一年五月十八日 東京都大森区馬込東二ノ八九九末田方より 広島市古田町字高須二三六 前田恭子宛
 端書を有難う。高須の新居穏やかに緑葉のゆらいでゐることであらう。今年は五月が梅雨のやうに寒冷で、おまけに近頃は米の配給はなく東京の電車に笑顔を湛えてゐる人間を見かけなくなつた。和木さんを訪ねたら二人とも頗る元気さうだつた。先頃千葉へ行つてみた。もとの家は無事に残つてゐたので損したやうな気がした。昨日美樹が来た。一緒に映画見た。



●昭和二十一年六月二十一日 大森区馬込末田方より 広島市古田町字高須二三六 前田恭子宛
 前略
 前便で無理な御願い申込んだが、その後こちらで何とか打開の途がつきさうになつたからあの件は放念してくれ給へ。
 昨日からすつかり夏めいて来た。美樹君が昨日来たのでスタイルブツク渡しておいた。僕は来月十四日から休暇。
 御健勝を祈る。



●昭和二十一年七月三十一日 大森区馬込末田方より 広島市古田町 前田恭子宛
 暑中見舞有難う。今年の暑さは非常であつたがこの二三日凉しく今日は雨。明日から又暑くなるさうだ。食糧困難に変りはないが近頃は休暇なのでまあ昼寝などしてゐる。八月六日もすぐだが、その日広島では復興祭があり、録音を巴里に放送するさうだね。一寸行つてみたいやうだ。去年の今日は浜松艦砲射撃、去年のこの頃は元気で饒津へ逃げて行つたものだね。
 開業も近いさうだが御発展を祈つておく。皆様によろしく。美樹君はよく遊びに来るかしら。江波ダンゴだつて今から思へば御馳走だよ。
七月三十日



●昭和二十一年四月 大森区馬込末田方より 広島県佐伯郡平良村 原信嗣(長兄)宛
 先日はいろいろ御世話になりました。七時二十五分広島発の列車は大竹から、復員列車として変更されてゐたので、大変な混み方でしたが、とにかく無事で東京へ参りました。来てみれば東京はうんざりさすものと何か新しく期待さすものとに満ちてゐるやうです。荷物も全部無事で届きました。転入は転出証明だけでは駄目なので、一寸暇どるやうです。とりあへず第一報まで。美樹君によろしく。早くやつて来いと云つて下さい。



●昭和二十一年五月七日 大森区馬込末田方より 広島県佐伯郡平良村 原信嗣宛
 その後お変りございませんか。今年はいつまでも寒いやうですね。今日は結構なもの有難うございました。五、六月の食糧危機を切抜ければあとは少しは楽になるだらうと観測されて居ります。近所で発疹チブスが出たのでDDT(殺虫剤)を振りかけられ部屋中粉だらけになりました。注射もしました。
五月七日



●昭和二十一年七月 大森区馬込末田方より 広島県佐伯郡平良村 原信嗣宛
 拝啓 その後は御無沙汰致して居りましたが御元気のことゝ存じます。
 美樹君も帰省してゐるので、こちらの様子も御聞のことゝ思ひますが、何分先月は全く餓死の一歩手前まで追ひつめられ心身ともに衰弱してゐました。それでつい恭子に無心なぞしましたが、すぐ後でいけなかつたと思ひました。
 こんどの小切手有難くいただいておきます。
 ズツクと蚊帳はたしかに受取りました、あの際すぐ礼状差出したのですがハガキだつたので届かなかつたのでせう、出したハガキが途中で紛失する例は再三ならずあるのです。
 東京は盆で電車はもの凄いばかりです。それでは暑さの折から御大切に。
   兄上様
民喜



●昭和二十一年十月十三日 大森区馬込末田方より 広島県佐伯郡平良村 原信嗣宛
 毎日よく雨が降つてじめじめした天気がつづいて居ます。廿日市の秋はどうですか。もう松茸も出る頃でせう。松茸どころかこちらは一ヶ月以上も米の味を忘れて居ます。最低生活をしながら金は矢鱈にかかり困つたものです。今年は豊作で増配の見込などと云はれてゐますが、ほんとか、どうか疑はしくなる程です。美樹君ももう来るかしらと思つて居ましたがなかなか出て来ませんね。
 先日は小切手有難う御座いました。第一封鎖に受つけてくれました。特殊預金など今後どうなるのでせうか、財産税などの手続で御存知のことがあったらその都度御教へ下さいませんか。扨て話は別ですがヘンリー・クボ君は大阪へ転勤になりました。そのヘンリー君の紹介で増岡登三郎といふ伯父を知ることが出来ました。先日牛込の家へはじめて訪ねて行きました。七十二歳といふことですが、なかなか元気さうな人です。古いことをいろいろ聞かされました。そこの家は戦禍を免れ息子は九州の方に居て今は夫妻きりの暮しです。で、もし御上京の折など宿にお困りでしたら、米を御持参になれば宿位は貸してあげるから、さう伝へておいてくれとのことでした。
 牛込弁天町 一三五    増岡登三郎
 もつともまだ東京見物は陰惨の域を出ないでせう。有楽町駅のコンクリの上にも上野公園の石段の上にも赤ん坊を抱へた女がぽかんとした顔でねそべつて居ります。銀座は綺麗になつたやうですが全体としてまだまだ焼跡のままのところが多いやうです。
 それではみなさんによろしく。
十月十三日

 

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