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火の子供(ひのこども)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-23 14:05:51  点击:  切换到繁體中文



 僕はこの部屋の窓のすぐ下で、大勢の子供が声を揃へて、

ウオ
ウオ ウオ
ウオ ウオ ウオ
 と火事の唸りを真似てゐるのを、ぼんやり聴いてゐた。夕闇のおりてゐる寒々とした路上で、子供たちは自分たちで煽りだした自分たちの声に興奮して、まるで一人一人が焔のやうに振舞つてゐるのだ。ほんたうに子供たちは燃え狂ひ、何かに憑かれてゐるのではないか。これは凄惨な空襲の夜の記憶が彼等の眼に甦り、子供らは今、火炎の反射のなかで遊んでゐるのだらうか、だが、
燃える 燃える わあ わあ わあ
 子供らの声はだんだん上の方を振上ぐ調子を帯び、みんなが今、同じ一つの幻を凝視してゐるやうだ。そしてそれはもう哀愁を乗越えて、歓喜の頂点に達したもののやうだつた。

 僕は殆ど絶え間なしに雑音にとりまかれて揺さぶられてゐる。道路を隔ててこの窓はすぐ向側の家並と向きあつてゐるが、絶えず窓から飛込んでくる音響は、まるでこの部屋のなかに街や道路が勝手に割込んでくるやうだ。つくづく僕は僕を今仮りに容れてくれてゐる、この部屋を気の毒なおもひで見渡す。だが、見捨てられてゐるのはやはり僕の方らしいのだ。僕はどうかすると窓の外の騒ぎに揺さぶられながら、夕闇につつまれた部屋で電燈も点けないで、ぼんやりしてゐることがある。さういふとき、この部屋の窓の外に下駄の音が近づいて来る。と、窓の外にある街燈の柱からぶらさがつてゐる紐を誰かが引張る。軽い音とともに、そこには灯がつくのだ。と、僕は置き去りにされてゐた自分に気がつく。子供たちはあの街燈のスヰツチの紐を引張ることに、そんな些細な単純なことに歓びを見出してゐるのだらうか。道路のほかに遊び場を持たない、この附近の子供たちは、どういふ訳か好んで僕の窓のすぐ前にある街燈のところに集るのだが、彼等のなかには何か互に感染しあふ弾みが潜んでゐるのだらう、一人が喚きだすと、忽ち騒ぎは道路一めんに拡つて行く。僕は彼等のなかで絶えず喚きのきつかけを作り出す男の子と女の子の声を覚えてしまつた。が、一たん騒ぎが拡つてしまふと、後から後から喚きは湧上つて回転する。……僕はふと走り喚く子供の頭に映るイメージの色彩を憶ひ出した。体が火照つて頭の上に揺らぐ温かいものが絶えず僕の上にあつた。僕は筒のなかを走りつづけてゐた。だが、ふと、さうして走り廻ることの虚しさが僕を把へた。僕は立どまつてしまつた。急に何も彼も冷んやりとしてゐた。その頃から僕は置き去りにされた子供だつた。
 僕は夕方、外食へ出掛けて行く途中のごたごたした路上で、「一番星みつけた」といふ優しい単純な声を聞いた。すると僕のなかで、ごつた返してゐる思念がふと水を打つたやうに静まつて来た。星はいつの世にも夕ぐれ現れ、子供はいつの日にもそれを見つけて悦ぶのだらうか。それから僕は路ばたの莚の上に坐つて遊んでゐる女の子のほとりを何気なく通りすぎた。そのあたりはまだ明るかつた。と、何か美しいものがチラと僕の眼を掠めたやうだ。見ると筵の紙の上には小さく引裂かれた蜜柑の皮が釦か何かのやうに綺麗に並べてあるのだつた。(だが、こんなものを見てすぎて行く僕は空漠たる旅人なのだらうか。)

 僕がはじめて郷里の家を離れて旅に出たのは、もう遠い昔の春のことだつた。東京の裏街の下宿の狭い部屋で、僕ははじめて、たつた一人になつたやうな気がしたものだ。だが、その部屋の窓から見える隣の黒い板塀に春の陽ざしは柔かく降灑いでゐて、狭い庭の面には青い草が萌えてゐた。僕は柔かい優しい空気につつまれて、あやされてゐるやうな気持がした。たつた一人にはなつたが、郷里の家には母や妹が僕のことを思つてゐてくれた。僕はその頃やさしいものに支へられて、のびのびと呼吸づいてゐるのが分つた。だが、何か感じ易い心がやがて遠くから訪れてくる激変をひそかに描いてはゐた。その予感とても僕は挫きはしなかつた。僕は運命を素直に受け入れて人生を味ひたかつた。それほどまだ体験に憧れてゐる少年だつたのだ。
 僕はその下宿の部屋の電燈の下でバルビユスの「地獄」を読んだ。生温かい静かな晩だつた。僕は柔かい壁にとり囲まれてゐるやうだつた。だが、その物語の人物は巴里の荒涼とした下宿の一室で独り深淵を視つめてゐるのだつた。そのひとり暮しの全く孤独の彼には子供が無かつた。だから、もし彼が死んでしまへば、人類の生存以来続いて来た一つの点線が彼のところで、ぱたりと杜切れてしまふことになる。この空白の想定は彼を何か慄然とさすのだつた。体験に憧れてゐる少年の僕もそこから底なしの風穴が覗き込むやうな気がしたものだ。

 学生の僕はその頃、不思議な男と友達になつてしまつた。(これは今でも遠くから僕を揺さぶる不思議な人間像なのだが、……)はじめて僕が彼と知りあひになつた頃、既にその人は家が没落して殆ど無一文で巷に投出されてゐた。倒産とともに死んだ父親は実は叔父で、ほんとの父親は夙に死亡してゐた。それから今迄生みの母だと思つてゐた母親は養母だつたのだ。こんなことがその時漸く彼にはわかつたのだ。
「だから、こんなこともあつたのだ。子供の僕は悪戯をして刑罰に父親に両手を紐で括られて、押入の中に押込まれる。暫くすると、僕は押入の中で泣喚いてゐるのだ。括られてゐた紐がひとりでに解けた。紐が解けたからもう一度括つてくれと云つて泣喚いてゐるのだよ。こんな悲しい子供があるだらうか」
 だが、僕がその頃、漠然とその友に惹きつけられてゐたのは、やはり彼のなかにある人並はづれて悲しい人間の姿だつたのかもしれない。巷に投出された彼は公園のベンチで夜を明したり、十日目にありついた一杯の飯に涙ぐむこともあつた。さういふ悲惨な境遇はまだ僕にとつては未知の世界だつたが、僕の友人の顔には力一杯何か踏ん張つてゐるものの表情があつた。どうかすると僕は彼のなかに潜む根かぎり明るい不思議な力を振り仰ぐやうな気持だつた。彼は僕と遇へば、絶えず詩のことを話しかけた。その話振りは、何かもどかしく僕には通じないところもあつたが、烈しい火照りは疼くやうに僕の方にも伝はつて来た、二人は街を歩きながら、まるで遠い世界のはてを視てゐるやうだつた。宇宙も歴史も人類の流れも一切がごつちやになつて、くらくらと僕たちのなかに飛込んでくるやうな気がした。それから、彼は人間の生存を剥ぎ奪らうとする怪物に対して、いつも怒りの眼を燃やしてゐた。貧窮と闘ひながら、彼は少しづつ生活の道を切拓いて行つた。ある不幸な女と知遇つて結婚すると、やがて自分の力で小さな家まで建てた。その小さな家にはいくたびも怪物の手は伸びようとしたが……。さうして、とにかく時が流れて行つたのだ。
 その友人の家屋は戦火を免れてともかく地上に残されてゐた。住所を失つた僕は友人の家を頼つてそこに一時身を置いた。だが、久し振りに逢うた友の顔はひどく暗鬱な顔つきに変つてしまつてゐた。それは何か重苦しいものに押拉がれてしまつた人間のやうであつた。それはまだ何ものかを根かぎり堪へようとしてゐる姿でもあつた。そして、囚人のやうに重苦しい表情の底にひどく優しげなものが微かに揺れてゐた。こんな悲しい人間があつたのだらうか、僕はひそかに驚かされてしまつた。だが、重苦しさは、その小さな家屋全体に漲つてゐて、もうどうにもならないことが僕にも分つてきた。怕しい顔つきをして押黙つてゐる、この家の細君はいつも何か烈しい苛立ちを身うちに潜めてゐた。時とすると、この小さな家は地割れの呻吟のただなかにあるやうな感じがした。ほんの微かな瞬一つからでも、この家屋は崩壊しさうだつた。その友人はまだ詩を書きつづけてゐた。僕は一度そのノートを見せてもらつたことがある。それには人間の無数の陰惨と破滅に瀕した地上の無数の傷口がぎりぎりの姿で歌ひあげられてゐた。そして、誰かが一すぢの光(それは真黒な雲の裂け目から洩れてくる飴色の太陽の光のやうだ)を微かに手をあげて求めてゐるやうだつた。殆ど彼はすべての人間の不幸を想像の上でも体験の上でも背負ひきれないほど背負はされて、精神の海の暗い深底部の岩礁に獅噛みついてゐるのではないか。ある日、その友人は黙つて旅に出掛けてしまつた。それから暫くして僕もその窒息しさうな家を飛出したのだつた。
 その友人は旅に出たまま遂に戻つて来なかつた。だが、そのうち手紙は頻繁に僕のところへ届くやうになつた。それを読むたびに僕は何か烈しいものに揺さぶられる気持がした。彼は遠い北国で一人の愛人を得て、そのままそこへ住みついてしまつたのだ。
「私がこの数年来の絶望の脱走の自殺のてまへに植ゑつけられた傷心の生活については殆どまだ誰にも云はなかつたが、私の自殺の手まへは今了つた。今ひとりの女人像が立つた。私はそのまなざしの光のなかをのぼり、底へ底へと深淵をくぐる。ここにはじめて私は底をきはめうるはずの光を見た。私の救済は吹雪のうちに見た雪女から始つた。この女は愚かさを知つて甘んじて身を捨てて清らかに母を養ふ処女。私はその裸身を抱きながら、まだいつまでも処女でありうるといふ交流を行ふ。私はもうここを去らない。この眼ざしの光のなかでなくては、私は何も考へられない。私は甦る。私ははじめて真実に立ちむかふ。私は生き甲斐といふものを、生の均衡といふものを知つた……」
 これはその手紙の一節なのだが、彼は雪と氷柱の土地で新しい愛人を得て、みごとな人生を踏みだしたのだらうか。だが、それは裏街の貧民窟の狭い家屋に母親と姉とそれから彼の愛人との混み入つた雑居生活らしかつた。彼は殆ど絶え間なしに僕に手紙をくれるやうになつた。物凄い勢で絶えず詩を書き、心はつねに陋屋で昂ぶつてゐることが分つた。僕はこの友がこの地上で受けた一切の傷がこの地上で癒やされることを祈つてゐた。だが、そのうちに友の手紙はだんだん絶望に近い調子を帯びて来るのだつた。
「奈落だ、奈落だ、――どこを見廻しても奈落ばかりなのだ。僕はあの牢獄で独房にゐたときが一番幸福だつたとおもふ」
「明日の光に欺されて、人間に絶望できない絶望が苦しい。人類で正しいのは被害者だけだ。しかも殆ど全部が加害者なのだ」
 これは裏街の貧民窟の狭い家屋で、老いた母親と意地のわるい姉とそれから彼の愛人との雑居生活から生れる軋きであり呻きのやうであつた。……友は暗黒の壁で頭を叩き割つてしまつたのであらうか。無数の魂の傷手を蒙り人間に絶望しながら、友は遂にこんなことを叫ぶ。
「惨めなものだ。生殖のほかに目的のない人生といふもののなかでは、女と子供だけが光だ。他はみなまやかしだ」
 この言葉を僕は驚異なしには受けとれないのだつた。……だが、友は燃料も乏しい住居で、雑草で飢を凌ぎながら、遂にこの友は惨めさの底に、今新しい一人の子供を得たのだ。新しい人間の子供を……。

風景は僕を噛む 僕は風景を噛む
ああ 噛みあふ二つの お前と僕

 僕は日没前の時刻が僕をここへ誘ひだすのを知つてゐる。この濠端の舗道まで来れば、冷え冷えしたものが何か却つて僕を温めてくれるのだ。僕のすぐ側を自動車はひききりなしに流れてゆくが、僕の頭上の空はひつそりとして少しづつ光線が薄らいでゆく。僕の眼は今はじめて見るやうに洋館の上の煙突を見上げる。黒い煙の塊りが黙々として浮いて動いてゐるのだ。そのすぐ側にはまだ色のつかない三日月が見えてゐる。僕はあの三日月が僕が向うの橋のところまで歩いて行くうちに光を帯びてくるのを知つてゐる。濠の水を隔てて石崖の上に枝葉を展げて乱舞してゐるやうな一本の樹木……。その緑色の葉は消えてゆく最後の灯のやうに僕の眼に残る。僕はこのあたりの樹木が真夏の光線にくらくら燃え立つてゐたのをまだ憶えてゐる。だが、今、僕の歩いて行く前に見えてくる木々は薄すらと空気に溶け入つてしまひさうだ。空気はそのやうに顫へてゐるのだらうか。顫へてゐるのは僕なのだらうか。それとも死んだお前だらうか。この踵のすり減つてしまつた靴、この着古して紙のやうに脆くなつたオーバー、僕は僕が生き残つて、かうして歩いてゐるのを知つてゐる。お前は知つてゐるだらうか、僕がかうして歩いてゐるのを……。光線はすつかり仄暗くなつて、向側の広い道路は茫としてゐる。誰か一人の少女がその茫とした光線の方に歩いてゆく。その影は少しづつ消えうせてゆく。





底本:「日本の原爆文学1」ほるぷ出版
   1983(昭和58)年8月1日初版第一刷発行
初出:「群像」
   1950(昭和25)年11月号
※連作「原爆以後」の8作目。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:ジェラスガイ
校正:大野晋
2002年9月20日作成
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