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平凡(へいぼん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-25 15:12:33  点击:  切换到繁體中文


          三十三

 午後はいつも私が学校へ行った留守に、雪江さんが帰って来るので、掛違って逢わないが、雪江さんは帰ると、直ぐ琴のお稽古に近所のお師匠さんの処へ行く。私は一度何かで学校が早く終った時、態々わざわざ廻道まわりみちをして其前を通って見た事がある。三味線さみせんのお師匠さんと違って、琴のお師匠さんのうちは格子戸作りでも、履脱くつぬぎに石もあって、何処か上品だ。入口に琴曲指南山勢やませ門人何とかの何枝と優しい書風で書いた札が掛けてあった。そッと格子戸のうちを覗いて見ると、赤い鼻緒や海老茶の鼻緒のすがった奇麗な駒下駄が三四足行儀よく並んだ中に、一足紫紺しこんの鼻緒の可愛らしいのが片隅に遠慮して小さく脱棄ぬぎすててある。之を見違えてなるものか、雪江さんのだ。大方おおかた駒下駄のぬしも奥の座敷に取繕とりつくろってチンと澄しているに違ないと思うと、そのチンと澄している処が一目なりと見たくなったが、生憎あいにく障子が閉切たてきってあるので、外からは見えない。唯琴のがするばかりだ。稽古琴だから騒々しいばかりでおもむきは無いけれど、それでも琴は何処か床しい。雪江さんは近頃大分上手になったけれど、雪江さんではないようだ。大方まだ済ないンだろう、なぞと思いながら、うッかり覗いていたが、ふッと気が附くと、先刻さっきからそばで何処かの八ツばかりの男の児が、青洟あおばなすすり啜り、不思議そうに私のかお瞻上みあげている。子供でもきまりが悪くなって、※(「勹/夕」、第3水準1-14-76)そこそこに其処の門口を離れて帰って来た事も有ったっけが……
 夕方は何だか混雑ごたごたして落着かぬうちにも、一寸ちょっとい事が一つある。ランプ掃除は下女の役だが、夕方之に火をけて座敷々々へ配るのは私の役だ。其時だけは私は公然雪江さんの部屋へ入る権利がある。雪江さんの部屋は奥の四畳半で、便所のそばだけれど、一寸ちょっと小奇麗ない部屋だ。本箱だの、机だの、ガラス戸の箱へいれた大きな人形だの、袋入りの琴だの、写真挟みだの、何だのだの体裁よくならべてあって、留守のうち整然きちんと片附いているけれど、帰って来ると、書物を出放だしばなしにしたり、毛糸の球を転がしたりして引散ひっちらかす。何かに紛れてランプ配りがおそくなった時などは、もう夕闇が隅々へ行渡って薄暗くなった此の部屋の中に、机に茫然ぼんやり頬杖をいてる雪江さんの眼鼻の定かならぬ顔が、唯円々まるまる微白ほのじろく見える。何となく詩的だ。
おそくなりました。」
 とぶっきらぼうの私も雪江さんだけには言いつけぬお世辞も不覚つい出て、机の上の毛糸のランプじきそっとランプを載せると
「いいえ、まだ要らないわ。」
 雪江さんは屹度きっと斯ういう。これが伯父さんの先生でも有ろうものなら、口をとんがらかして、「もッと手廻てまわしして早うせにゃ不好いかん!」と来る所だ。大した相違だ。だから、うちで人間らしいのは雪江さんばかりだと言うのだ。
 其儘出て来るのが、何だか飽気あっけなくて、
「今日貴嬢あなたの琴のお師匠さんの前を通りました。一寸ちょっとうちですね。」
「あら、そう」、と雪江さんがいう。心持首をかしげて、「何時頃?」
「そうさなあ……四時ごろでしたか。」
「じゃ、あたしの行ってた時だわねえ。」
「ええ」、と私は何だかきまりが悪くなって俯向うつむいて了う。
 此話が発展したら、如何どんな面白い話になるのだか分らんのだけれど、其様そんな時に限って生憎あいにくと、茶の間あたりで伯母さんの奥さんの意地悪が私を呼ぶ、
「古屋さん! 早くランプを……何を愚図々々してるンだろうねえ。」
 残惜しいけれど、仕方がない。其切りで私は雪江さんの部屋を出て了う。

          三十四

 一番楽しみなのは日曜だ。それも天気だと、朝から客が立込んで私は目がまわる程忙しいし、雪江さんもお友達が遊びに来たり、お友達の処へ遊びに行ったりして、私の事なんぞ忘れているから、天気は糞だ。雨降りに限る。就中なかんずく伯父さんの先生は何か余儀ない用事があって朝から留守、雪江さんは一日うち、という雨降の日が一番い。
 其様そんな日には雪江さんは屹度きっと思切て朝寝坊をして、私なんぞは徐々そろそろ昼飯が恋しくなる時分に、漸う起きて来る。顔を洗って、御飯を喰べて、其から長いこと掛って髪を結う。結い了う頃は最う午砲ドンだけれど、お昼はおなかくちくて食べられない。「あたししてよ」、という。
 部屋で机の前で今日の新聞を一寸ちょっと読む。大抵続物だけだ。それから編棒と毛糸の球を持出して、暫くは黙って切々せッせッと編物をしている。私が用が有って部屋の前でも通ると、「古屋さん、これ何になると思って?」と編掛けをかざして見せる。私が見たんじゃ、何だか円い変なお猪口ちょくのような物で、何になるのだか見当が附かないから、分らないというと、でも、まあ、当てて見ろという。熟考の上、「巾着でしょう?」というと、「いいえ」、と頭振かぶりを振る。巾着でないとすると、手袋には小さし、靴下でもなさそうだし、「ああ、分った! 匂袋においぶくろだ」、と図星を言ったつもりでいうと、雪江さんは吃驚びっくりして、「まあ、可厭いやだ! 匂袋においぶくろだなんぞッて……其様そんな物は編物にゃなくッてよ。」匂袋においぶくろでもないとすると、もう私には分らない。降参して了うと、雪江さんは莞爾にっこりともしないで、「これ、人形の手袋。」
 雪江さんは一つ事を何時迄いつまでもしているのは大嫌いだから、私がまだ自分の部屋の長四畳へ帰るか帰らぬうちに、もう編物を止めて琴をさらっている。近頃では最うポコンのベコンでも無くなった。斯うして聴いていると、如何どうしても琴に違いないと、感心して聴惚ききほれていると、十分とたぬうちに、ジャカジャカジャンと引掻廻ひっかきまわすような音がして、其切それぎりパタリと、琴のは止む……ともう茶の間で若いにぎやかな雪江さんの声が聞える。
 忽ちドタドタドタと椽側を駈けて来る音がする。下女の松に違いない。あとからパタパタと追蒐おっかけて来るのは、雪江さんにきまってる。玄関で追付おっついて、何を如何どうするのだか、キャッキャッと騒ぐ。松がかなわなくなって、私の部屋の前を駈脱かけぬけて台所へ逃込む。雪江さんがあとから追蒐おっかけて行って、また台所で一騒動やるうちに、ガラガラガチャンと何かがこわれる。阿母かあさんが茶の間から大きな声で叱ると、台所は急に火の消えたように闃寂ひっそりとなる。
 私は、国に居る時分は、お向うのおよっちゃん――子供の時分に飯事ままごとをして遊んだ、あのおよっちゃんが好きだった。およっちゃんは小さい時には活溌な児だったが、大きくなるにれて、大層落着いて品のい娘になって、私は其様子が何となく好きだったが、雪江さんはおよっちゃんとは正反対だ。が、雪江さんも悪くない、なぞと思いながら、茫然ぼんやり机に頬杖を突ている脊中を、誰だかワッといってドンとく。吃驚びっくりして振返ふりかえると、雪江さんがキャッキャッといいながら、逃げて行くしどけない後姿が見える。私は思わず莞爾にっことなる。
 莞爾にっことなった儘で、尚お雪江さんの事を思続けて、果は思う事が人に知れぬから、いようなものの、怪しからん事を内々思っていると、茶の間の椽側あたりで、オーという例のつやのあるい声が聞える。初は地声の少し大きい位の処から、段々に甲高かんだか競上せりあげて行って、糸のように細くなって、何かを突脱けて、遠い遠い何処かへ消えて行きそうになって、又段々競下せりさがって来て、果はパッと拡げたような太い声になって、余念がない。雪江さんが肉声の練習をしているのだ。

          三十五

 私は其時分吉田松陰崇拝であった。将来の自由党の名士を以って自任しているのなら、グラッドストンかコブデン、ブライトあたりに傾倒すべきだが、何如どうしたはずみだったか、松陰先生に心酔して了って、書風までつとめて其人に似せ、ひそかに何回猛士とかせんして喜んでいた迄は罪がないが、困った事には、斯うなると世間に余り偉い人が無くなる。たれを見ても、先ず松陰先生を差向けて見ると、一人として手応てごたえのある人物はない。皆一溜ひとたまりもなく敗亡はいもうする。それを松陰先生のうしろに隠れて見ていると、相手は松陰先生に負るので、私に負るのではないが、何となく私が勝ったような気がして、大臣が何だ、みんな門下生じゃないか。自由党の名士だって左程偉くもない。いわんや学校の先生なんぞは只の学者だ、みんな降らない、なぞと鼻息を荒くして、独りで威張っていた。私なぞの理想はいつも人に迷惑を懸ける許りで、一向自分のたしになった事がないが、はたから見たらさぞ苦々しい事であったろう。兎も角もこうして松陰先生大の崇拝で、留魂録りゅうこんろく暗誦あんしょうしていた程だったが、しかし此松陰崇拝が、不思議な事には、ちっとも雪江さんを想う邪魔にならなかったから、其時分私の眼中は天下唯松陰先生と雪江さんと有るのみだった。
 で、いつも学校の帰りには此二人の事を考え考え帰るのだが、或日――たしか土曜日だったかと思う、土曜日は学校も早仕舞なので、三時頃にそうして二人の事を考えながら帰って見ると、主人夫婦はいつも茶の間だのに、其日は茶の間に居ない。書斎かと思って書斎へ行こうとすると、椽側の尽頭はずれの雪江さんの部屋で、雪江さんの声で、
「誰?」
 という。私は思わず立止って、
わたくしです。」
「古屋さん?」
 という声と共に、部屋の障子がさッいて、雪江さんがかおだけ出して、
「今日はみんな留守よ。」
「え?」と私は耳が信ぜられなかった。
阿父とうさんも阿母かあさんもね、先刻さっき出懸けてよ。」
「そうですか」、と何気なく言ったが、内々ないないは何だか急に嬉しくなって来て、
「松は?」
「松はおゆうへ行って未だ帰って来ないの。」
「じゃ、貴嬢あなたお一人?」
「ええ……一寸ちょっとらッしゃいよ、此処へ。い物があるから。」
 と手招てまねぎをする。斯うなると、松陰先生崇拝の私もガタガタと震い出した。

          三十六

 前にも断って置いた通り、私は曾て真劒に雪江さんを如何どうかしようと思った事はない。それは決して無い。度々怪しからん事を想って、人知れず其を楽しんで居たのは事実だけれど、勧業債券を買った人が当籤とうせんせぬ先から胸算用をする格で、ほんの妄想ぼうそうだ。が、誰も居ぬ留守に、一寸ちょっとらッしゃいよ、と手招ぎされて、驚破すわこそと思う拍子に、自然と体の震い出したのは、即ち武者震いだ。千載一遇の好機会、はずしてなるものか、というような気になって、必死になって武者震いを喰止めて、何喰わぬ顔をして、呼ばれる儘に雪江さんの部屋の前へ行くと、こごんでいた雪江さんが、其時勃然むっくりかおを挙げた。見ると、何だか口一杯頬張っていて、私のかおを見て何だか言う。言う事はく解らなかったが、そばに焼芋が山程盆に載っていたから、夫で察して、礼を言って、一寸ちょっと躊躇したが、思切ってうちへ入って了った。
 雪江さんはおさつが大好物だった。私は好物ではないが、何故だか年中空腹を感じているから、食後だって十切位ときれぐらいはしてやる男だが、此時ばかりは芋どころでなかった。しきりに勧められるけれど、難有ありがとう難有うとばかり言ってて、手を出さなかった。何だかもうかっとなって、夢中で、何だか霧にでも包まれたような心持で、是から先は如何どうなる事やら、方角が分らなくなったから、彷徨うろうろしていると、
貴方あなたは遠慮深いのねえ。男ッて然う遠慮するもンじゃなくッてよ。」
 と何にも知らぬ雪江さんが焼芋の盆を突付ける。私は今其処そこどころじゃないのだが、手を出さぬ訳にも行かなくなって手を出すと、生憎あいにく手先がぶるぶると震えやがる。
如何どうして其様そんなに震えるの?」
 と雪江さんが不審そうにかおを視る。私はいよいよ狼狽して、又真紅まっかになって、何だか訳の分らぬ事を口のうちで言って、周章あわてて頬張ると、
「あら、皮ごと喰べて……皮は取った方がいわ。」
「なに、構わんです」、と仕方が無いから、皮ぐるみムシャムシャりながら、「何は……何処へらしッたンです?」
「吉田さんへ」、と雪江さんは皮をく手をめて、「あたしちっとも知らなかったけど、今晩が春子さんのお輿入こしいれなんですって。そら、媒人なこうどでしょううちは? だから、阿父とうさんも阿母かあさんも早めに行ってないと不好いけないって、先刻さっき出て行ったのよ。」
 これで漸く合点が行ったが、それよりもここ一寸ちょっと吹聴ふいちょうして置かなきゃならん事がある。私は是より先春色梅暦しゅんしょくうめごよみという書物を読んだ。一体小説が好きで、国に居る時分から軍記物や仇討物は耽読たんどくしていたが、まだ人情本という面白い物の有ることを知らなかった。これの知り初めが即ち此春色梅暦しゅんしょくうめごよみで、神田に下宿している友達の処から、松陰伝と一緒に借りて来て始て読んだが、非常に面白かった。此梅暦にると、斯ういう場合に男の言うべき文句がある。何でも貴嬢あなた浦山敷うらやましく思わないかとか、何とか、ヒョイと軽く戯談じょうだんを言って水を向けるのだ。思切って私も一つ言って見ようか知ら……と思ったが、何だか、どうも……ソノきまりが悪い。
「大変立派なお支度よ。何でもね、箪笥が四棹よさおくンですって。それからね、まだ長持だの、挟箱はさみばこだの……」
 ああ、もう駄目だ。長持や挟箱はさみばこの話になっちゃ大事去った、と後悔しても最う追付おッつかない。雪江さんは、何処が面白いのだか、その長持や挟箱の話に夢中になって了って、其から其と話し続けて、盛返したくも盛返す隙がない。仕方が無いから、今に又機会おりも有ろうと、雪江さんの話は浮の空に聞いて、只管ひたすら機会おりを待っていると、忽ちガラッと障子がいて、
「あら、おたのしみ! ……」
 吃驚びっくりして振反ふりかえると、下女の松めが何時いつ戻ったのか、ともないつら罅裂えみわれそうに莞爾にこつかせて立ってやがる。私は余程よっぽど飛蒐とびかかって横面をグワンと殴曲はりまげてやろうかと思った。腹が立って腹が立って……

          三十七

 千載一遇の好機会も松に邪魔を入れられて滅茶々々になって了ったが、松が交って二つ三つ話をしているうちに、間もなく夕方になった。夕方は用が有るから、三人ばらばらになって、私はランプ配りやら、戸締りやら、一切ひとしきり立働いて、例の通り部屋で晩飯を済すと、また身体にひまが出来た。雪江さんは一番先に御飯を食べて、部屋へこもった儘音沙汰おとさたがない。唯松ばかり後仕舞あとじまいで忙しそうで、台所で器物を洗う水の音がボシャボシャと私の部屋へ迄聞える。
 私は部屋で独りランプを眺めて徒然つくねんとしているようで、心は中々忙しかった。婚礼に呼ばれて行ったとすると、主人夫婦の帰るのには未だが有る。帰らぬうちに今一度雪江さんと差向いになりたい。差向いになって何をするのだか、それは私にも未だきまらないが、兎に角差向いになりたい、是非なりたい、何か雪江さんの部屋へ行く口実はないか、口実は……と藻掻もがくけれど、生憎あいにく口実が看附みつからない。うずうずして独りで焦心じれていると、ふと椽側にバタリバタリと足音がする。其足音が玄関へ来る。確かに雪江さんだ。部屋の前を通越とおりこして台所へ行くか、それとも万一ひょっと障子がくかと、成行なりゆきを待つの一ぷんに心の臓を縮めていると、驚破すわ、障子がガタガタと……きかけて、グッとつかえたのを其儘にして、雪江さんが隙間から覗込みながら、
「勉強?」
 と一寸ちょっと首を傾げた。これが何を聞く時でも雪江さんのる癖で、看慣みなれては居るけれど、私はいつも可愛らしいと思う。不断着だけれど、荒い縞の着物に飛白かすりの羽織を着て、華美はでな帯を締めて、障子につかまってはすに立った姿も何となく目にまる。
 ああ求むる者に与えられたのだ。神よ……といいたいような気になって、無論莞爾々々にこにことなって、
「いいえ……まあ、お入ンなさい。」
「じゃ、あたし話してくわ。奥は一人で淋しいから。」
 珍客々々! 之を優待せん法はない。よ、よ、と雪江さんが掛声をして障子を明けようとするけれど、かないのを、私は飛んで行って力任せにウンと引開けた。何だか領元えりもとからぞくぞくする程嬉しい。
 生憎あいにくと火鉢は私の部屋には無かったけれど、今迄敷いていた赤ゲットを、四ツに畳んだのを中央まんなかへ持出して、其でも裏反うらがえしにして勧めると、遠慮するのか、それとも小汚こぎたないと思ったのか、敷いて呉れないから、私は黙って部屋を飛出した。雪江さんはあとで定めて吃驚びっくりしていたろうが、私は雪江さんの部屋へ座布団を取りに行ったので、是だけは我ながら一生の出来だったと思う。
 席が出来ると、雪江さんが、
貴方あなた、御飯が食べられて? あたし何ぼ何でも喰べられなかったわ、あんま先刻さッき詰込んだもんだから。」
 と微笑にッこりする。何時いつ見ても奇麗な歯並はなみだ。
 私も矢張やっぱ莞爾にっこりして、
「私も食べられませんでした……」
 大嘘おおうそ! 実は平生いつもの通り五杯喰べたので。
 雪江さんは国産れでも東京育ちだから、
「……にもお芋があって?」
「有りますとも。」
「じゃ、帰っても不自由はないわねえ。」
 と又微笑にっこりする。
 私も高笑いをした。雪江さんの言草が可笑おかしかったばかりじゃない。実は胸に余る嬉しさやら、何やらやら取交とりまぜて高笑いしたのだ。
 それから国の話になって、国の女学生は如何どんな風をしているの、英語は何位どのくらいの程度だの、洋楽は流行はやるかのと、雪江さんは其様そんな事ばかり気にして聞く。私は大事の用を控えているのだ。其処それどころじゃないけれど、仕方がないから相手になっていると、チョッ、また松の畜生ちくしょうが邪魔に来やがった。

          三十八

 松が来て私はうんざりして了ったが、雪江さんはかえって差向さしむかいの時よりはずみ出して、果は松の方へ膝を向けて了って、松ばかりを相手に話をする。私は居るか居ないか分らんようになって了った。初は少からず不平に思ったが、しかし雪江さんを観ているのには、反て此方が都合がい。で、母屋おもやを貸切って、ひさしで満足して、雪江さんの白いふッくりしたかおを飽かず眺めて、二人の話を聴いていると、松も饒舌しゃべるが、雪江さんも中々負ていない。話は詰らん事ばかりで、今度開店した小間物屋は安売だけれどしなが悪いの、お湯屋ゆうやのお神さんのお腹がまた大きくなって来月が臨月だの、八百屋の猫が児を五疋生んで二疋喰べて了ったそうだのと、要するに愚にも附かん話ばかりだが、しかし雪江さんの様子がい。物を言う時には絶えず首をうごかす、其度にリボンが飄々ひらひらと一緒にうごく。時々は手真似もする。今朝った束髪がもう大分乱れて、後毛おくれげが頬をでるのを蒼蠅うるさそうに掻上かきあげる手附もい。其様そんな時にはあれは友禅メリンスというものだか、縮緬ちりめんだか、私には分らないが、何でも赤い模様や黄ろいかた雑然ごちゃごちゃと附いた華美はで襦袢じゅばんの袖口から、少し紅味あかみを帯びた、白い、すべっこそうな、柔かそうな腕が、時とすると二の腕まであらわれて、も少し持上もちゃげたら腋の下が見えそうだと、気を揉んでいるうちに、又もとの位置に戻って了う。雪江さんは処女むすめだけれど、乳の処がふッくりと持上っている。大方乳首なんぞは薄赤くなってるばかりで、有るか無いか分るまい……なぞと思いながら、雪江さんのかおばかり見ていると、いつしか私は現実を離れて、恍惚うっとりとなって、雪江さんが何だか私の……さいでもない、情人ラヴでもない……何だか斯う其様そんなような者に思われて、兎に角私の物のように思われて、今は斯うして松という他人をぜて話をしているけれど、今に時刻が来れば、二人一緒に斯う奥まった座敷へ行く。と、もう其処に床がってある。夜具も郡内ぐんないなにかだ。私が着物を脱ぐと、雪江さんがうしろからフワリと寝衣ねまきを着せて呉れる。今晩は寒いわねえとか雪江さんがいう。む、む、寒いなあとか私も言って、急いで帯をグルグルと巻いて床へ潜り込む。雪江さんが私の脱棄ぬぎすてを畳んでいる。其様そんな事は好加減いいかげんにして早く来て寝なと私がいう。あいといって雪江さんが私のかおを見て微笑にッこりする……
「ねえ、古屋さん、然うだわねえ?」
 と雪江さんが此方こっちを向いたので、私は吃驚びっくりして眼の覚めたような心持になった。何でも何か私の同意を求めているのに違いないから、何だか仔細は分らないけれど、
「そうですとも……」
 とばつを合わせる。
「そら、御覧な。」
 と雪江さんは又松の方を向いて、又話に夢中になる。
 私はホッと溜息をする。今の続きを其儘にして了うのは惜しい。もう一度幻想でも何でも構わんから、もう一度、今の続きを考えて見たいと思うけれど、もう気が散って其心持になれない。仕方がないから、黙って話を聴いているうちに、又いつしか恍惚うッとりと腑が脱けたようになって、雪江さんのかおが右を向けば、私のかおも右を向く。雪江さんのかおが左を向けば、私のかおも左を向く。上を向けば、上を向く、下を向けば下を向く……

          三十九

 パタリと話がんだ。雪江さんも黙って了う、松も黙って了う。何処でか遠方で犬の啼声が聞える。所謂いわゆる天使が通ったのだ。雪江さんはあくびをしながら、ついでのびもして、
「もう何時だろう?」
「まだ早いです、まだ……」
 と私が狼狽あわてて無理に早い事にして了う心を松は察しないで、
「もう九時過ぎたでしょうよ。」
阿父とうさんも阿母かあさんも遅いのねえ。何をてるンだろう?」
 と又あくびをして、「ああああ、古屋さんの勉強の邪魔しちゃッた。あたしもう奥へくわ。」
 私がちッとも邪魔な事はないといって止めたけれど、最う斯うなってはとまらない、雪江さんは出て行って了う。松も出てく。私一人になって了った。詰らない……
 ふと雪江さんの座蒲団が眼にる……之れを見ると、何だか捜していた物が看附みつかったような気がして、卒然いきなり引浚ひっさらって、急いで起上たちあがって雪江さんの跡を追った。
 茶の間の先の暗い処で雪江さんに追付おッついた。
「なあに? ……」
 と雪江さんの吃驚びッくりしたような声がして、大方おおかた振向いたのだろう、かおの輪廓だけが微白ほのじろ暗中あんちゅうに見えた。
貴嬢あなたの座布団を持って来たのです。」
「あ、そうだッけ。忘れちゃッた。ここ頂戴ちょうだい」、と手を出したようだった。
 私は狼狽あわてて座布団をうしろかくして、
いです、私が持ってくから。」
「あら、何故?」
「何故でも……いです……」
「そう……」
 と何だか変に思った様子だったが、雪江さんは又暗中を動き出す。暗黒くらやみくは分らないけれど、其姿が見えるようだ。私も跡から探足さぐりあしで行く。何だか気があせる。今だ、今だ、と頭の何処かでわめく声がする。如何どうなきゃならんような気がして、むずむずするけれど、何だか可怕こわくて如何どうも出来ない。咽喉のどかわいて引付ひッつきそうで、思わずグビリと堅唾かたずを呑んだ……と、段々明るくなって、雪江さんの姿が瞭然はっきり明るみに浮出す。もう雪江さんの部屋の前へ来て、雪江さんの姿はついと障子のうちへ入って了った。
 其を見ると、私は萎靡がっかりした。惜しいような気のする一方で、何故だか、まず好かったと安心した気味もあった。で、続いて中へ入って、持って来た座布団を机の前に敷いて、其処を退くと、雪江さんは礼を言いながら、入替いりかわって机の前に坐って、
あすんでらっしゃいな。」
 と私のかお瞻上みあげた。ええとか、何とかいって※(「足へん+厨」、第3水準1-92-39)もじもじしている私の姿を、雪江さんはジロジロ視ていたが、
「まあ、貴方あなた此地こっちへ来てから、余程よっぽど大きくなったのねえ。今じゃあたしとは屹度きっと一尺から違ってよ。」
「まさか……」
「あら……屹度きっと違うわ。一寸ちょッと然うしてらッしゃいよ……」
 といいながら、ついったから、何をるのかと思ったら、ツカツカと私の前へ来てひたと向合った。前髪があごに触れそうだ。ぷんにおいが鼻を衝く。
「ね、ほら、一尺は違うでしょう?」と愛度気あどけない白いかおが何気なく下から瞻上みあげる。
 私はわなわなと震い出した。目が見えなくなった。胸の鼓動は脳へまで響く。息がはずんで、足がすくんで、もうじッとして居られない。抱付くか、逃出すか、二つ一つだ。で、私はのちの方針をって、物をも言わず卒然いきなり雪江さんの部屋を逃出して了った……

          四十

 何故彼時あのとき私は雪江さんの部屋を逃出したのだというと、非常におそろしかったからだ。何がおそろしかったのか分らないが、唯何がなしに非常におそろしかったのだ。
 生死のあいだに一線を劃して、人は之を越えるのをおそれる。必ずしも死をむからではない。死は止むを得ぬと観念しても、唯此一線がおそろしくて越えられんのだ。私の逃出したのが矢張やッぱりそれだ。女を知らぬ前と知ったのちとの分界線を俗に皮切りという。私は性慾に駆られて此線の手前迄来て、これさえ越えれば望む所の性慾の満足を得られると思いながら、此線がおそろしくて越えられなかったのだ。越えたくなくて越えなかったのではなくて、越えたくても越えられなかったのだ。其後そのご幾年いくねんって再び之を越えんとした時にも矢張やッぱりおそろしかったが、其時は酒の力をりて、半狂気はんきちがいになって、漸く此おそろしい線を踏越した。踏越してから酔が醒めると何とも言えぬ厭な心持になったから、又酒の力をりて強いてわずかに其不愉快を忘れていた。此様こんな厭な想いをして迄も性慾を満足させたかったのだ。是は相手が正当でなかったから、即ち売女ばいじょであったからかというに、そうでない。相手は正当の新婦と相知る場合にも、人は大抵皆然うだと云う。殊に婦人が然うだという。何故だろう?
 之と縁のある事で今一つ分らぬ事がある。人は皆かくれてエデンのこのみくらって、人前では是を語ることさえはずる。私の様に斯うして之を筆にして憚らぬのは余程力むから出来るのだ。何故だろう? 人に言われんような事なら、んがいじゃないか? 敢てするなら、たれの前も憚らず言うがいじゃないか? 敢てしながらはずるとは矛盾でないか? 矛盾だけれど、矛盾と思う者も無いではないか? 如何どういう訳だ?
 之を霊肉の衝突というか? しからば、霊肉一致したら、如何どうなる? 男女相知るのをおそろしいとも恥かしいとも思わなくなるのか? 畜生ちくしょうと同じ心持になるのか?
 トルストイは北方の哲人だと云う。此哲人は如何どんな事を言っている。クロイツェル、ソナタの跋に、理想の完全に実行し得べきは真の理想でない。完全に実行し得られねばこそ理想だ。不犯ふぼん基督教キリストきょうの理想である。故に完全に実行の出来ぬは止むを得ぬ、唯基督教徒キリストきょうとは之を理想として終生追求すべきである、と言って、世間の夫婦には成るべく兄妹けいまいの如く暮らせと勧めている。
 何の事だ? ちッとも分らん。完全を求めて得られんなら、悶死すべきでないか? 不犯ふぼんが理想で、女房を貰って、子を生ませていたら、普通の堕落に輪を掛た堕落だ。加之しかも一旦貰った女房は去るなと言うでないか? 女房を持つのが堕落なら、何故一念発起して赤の他人になッちまえといわぬ。一生離れるなとは如何どういう理由わけだ? 分らんじゃないか?
 今食う米が無くて、ひもじい腹をかかえて考え込む私達だ。そんな伊勢屋いせやの隠居が心学に凝り固まったような、そんな暢気のんきな事を言って生きちゃいられん!

          四十一

 其後そのご間もなく雪江さんのお婿さんがきまった。お婿さんがきまると、私は何だか雪江さんにあざむかれたような心持がして、口惜くやしくてたまらなかったから、国では大不承知であったけれど、口実を設けて体よく小狐おぎつねうちを出て下宿して了った。
 馬鹿な事には下宿してから、雪江さんが万一ひょッとふさいでいぬかと思って、態々わざわざ様子を見に行った事が二三度ある。が、雪江さんはいつも一向ふさいで居なかった。反ッてお婿さんがきまって怡々いそいそしているようだった。それで私もいよいよ忌々いまいましくなって、もう余り小狐へも足踏あしぶみせぬうちに、伯父さんが去る地方の郡長に転じて、家族を引纏めて赴任して了ったので、私もついに雪江さんの事を忘れて了った。これでお終局しまいだ。
 余り平凡だ下らない。こんなのは単純な性慾の発動というもので、恋ではない、恋はもちッと高尚な精神的の物だと、高尚な精神的の人は言うかも知れん。然うかも知れん。唯私のような平凡な者の恋はいつも斯うだ。先ず無意識或は有意識ゆういしきに性慾が動いて満足を求めるから、理性や趣味性が動いて其相手を定めて、始めて其処に恋が成立する。初から性慾の動かぬ場合に恋はない。異性でも親兄弟に恋をせぬのは其為だ。青年の時分には、性慾が猛烈に動くから、往々理性や趣味性の手を待たんで、自分と盲動して撞着ぶつかった者をすぐ相手にする。私の雪江さんに於けるが、即ち殆ど其だ。私共の恋の本体はいつも性慾だ。性慾は高尚な物ではない、が、下劣な物とも思えん。中性だ、インヂフェレントの物だ。私共の恋の下劣に見えるのは、下劣な人格が反映するので、本体の性慾が下劣であるのではない。
 で、私の性慾は雪江さんに恋せぬ前から動いていた。から、ちッとも不思議でも何でもないが、雪江さんという相手を失ったのちも、私の恋は依然として胸に残っていた。唯相手のない恋で、相手を失って彷徨うろうろしている恋で、其本体は矢張やッぱり満足を求めて得ぬ性慾だ。露骨に言って了えば、誠に愛想あいその尽きた話だが、此猛烈な性慾の満足を求むるのは、其時分の私の生存の目的の――全部とはいわぬが、過半であった。
 これは私ばかりでない、私の友人は大抵皆然うであったから、皆此頃からポツポツ所謂いわゆる「遊び」を始めた。私も若し学資に余裕が有ったら、矢張やッぱり「遊」んだかも知れん。唯学資に余裕がなかったのと、神経質で思切った乱暴が出来なかったのとで、遊びたくも遊び得なかった。
 友人達はさかんに「遊」ぶ、乱暴に無分別に「遊」ぶ。其を観ていると、うらやましい。が、弱い性質の癖に極めて負惜しみだったから、私は一向うらやましそうな顔もしなかった。年長の友人が誘っても私が応ぜぬので、調戯からかいに、私は一人で堕落して居るのだろうというような事を言った。恥かしい次第だが、推測通りであったので、私はかっとなった。血相けっそうを変えて、激論を始めて、果は殴合なぐりあいまでして、遂に其友人とは絶交して了った。
 斯うして友人と喧嘩迄して見れば、意地としても最う「遊」ばれない。で、不本意ながら謹直家きんちょくかになって、そうして何ともえたいの知れぬ、いわれのない煩悶にとらわれていた。

          四十二

 ああ、今日は又頭がふらふらする。此様こんな日にゃ碌な物は書けまいが、一日抜くも残念だ。向鉢巻むこうはちまきでやッつけろ!
 で、私は性慾の満足を求めても得られなかったので、煩悶していた。何となく世の中が悲観されてならん。友人等は「遊」ぶ時にはおおいに「遊」んで、勉強する時にはおおいに勉強して、何の苦もなく、面白そうに、元気よく日を送っている。それを観ていると、私はしゃくに触ってたまらない。私の煩悶して苦むのは何となく友人等の所為せいのように思われる。で、責めてもの腹慰はらいせに、薄志の弱行のと口を極めて友人等の公然の堕落をののしって、そうして私は独り超然として、内々ないないで堕落していた。若し友人等の堕落が陽性なら、私の堕落は陰性だった。友人等の堕落が露骨で、率直で、男らしいなら、私の堕落は……ああ、何と言おう? 人間の言葉で言いようがない。私は畜生ちくしょうだった……
 が、こっそり一人で堕落するのは余り没趣味で、どうもそれでは趣味性が満足せぬ。どうも矢張やっぱり異性の相手が欲しい。が、其相手は一寸ちょっと得られぬので、止むを得ず当分文学で其不足を補っていた。文学ならば人聴ひとぎきい。これなら左程ぜにらぬ。私は文学を女の代りにして、文学を以って堕落を潤色じゅんしょくしていたのだ。
 私の謂う文学は無論美文学の事だ、殊に小説だ。小説は一体如何どういうものだか、知らん、唯私の眼に映ずる小説は人間の堕落を潤色じゅんしょくするものだ。通人の話に、道楽の初は唯いろぎょする、膏肓こうこうると、段々贅沢になって、唯いろぎょするのでは面白くなくなる、惚れたとかれたとか、情合じょうあいで異性とからんで、唯の漁色ぎょしょくおもむきを添えたくなると云う。其処だ、其処が即ち文学の需要の起る所以ゆえんだ。少くも私は然うであった。で、此目的で、最初は小狐おぎつねに居た頃喰付いた人情本を引続き耽読たんどくしてみたが、数をかさねると、段々贅沢になって、もう人情本も鼻に附く。同じ性慾の発展の描写でも、も少し趣味のある描写を味わってみたい。そこで、種々いろいろと小説本を渉猟しょうりょうして、ついに当代の大家の作に及んで見ると、流石さすがは明治の小説家だ、性慾の発展の描写がたくみに人生観などで潤色じゅんしょくされてあって、趣味がある、面白い。斯ういう順序で私の想像で堕落するやまいますます膏肓こうこうって、ついには西洋へ迄手を出して、ヂッケンスだ、サッカレーだ、ゾラだ、ユゴーだ、ツルゲーネフだ、トルストイだ、という人達の手をりて、人並にしていれば、中性のインヂフェレントの性慾を無理に不自然な病的の物にして、クラフトエービングやフォレールの著書中に散見するような色情狂に想像で成済なりすまして、そうして独り高尚がっていた。
 いや、独り高尚がっていたのでない。それには同気相求めて友が幾人いくたりも出来た。同県人で予備門からのち文科へった男が有ったが、私は殊に其感化を受けた。ああ、皆自分が悪かったので、人を怨んでは済まないが、私は今でも此男に逢うと、何とも言えぬ厭な心持になる。儘になるなら刺違さしちがえて死で了いたく思う事もある。

          四十三

 私が感化を受けた友というのは私より一つ二つ年上であった。文学が専門だから、文学書は私より余計読でいたという丈で、何でもない事だが、それを私は大層偉いように思っていた。まだファウストを読まぬ時、ファウストの話をきかされる。なに、友は愚にもつかん事を言っているのだが、其愚にも附かん事を、人生だ、智慾だ、煩悶だ、肉だ、堕落だ、解脱げだつだ、というような意味の有り気な言葉で勿体を附て話されると、何だか難有ありがたくなって来て、之を語る友は偉いと思った。こんな馬鹿気た話はない。友は唯私より少し早くファウストという古本ふるほんよんだ丈の事だ。読んで分った所で、ファウストが何程どれほどの物だ? 技巧の妙を除いたら、果してどれ程の価値がある? いわんや友はあやふやな語学の力で分らん処を飛ばし飛ばし読んだのだ。読んで幼稚な頭で面白いと感じた丈だ、それも聞怯ききおじして、従頭てんから面白いにめて掛って、半分は雷同で面白いと感じた丈だ。読んで十分に味わい得た所で、どうせ人間の作った物だ、左程の物でもあるまいに、それを此様こんな読方をして、難有ありがたがって、たまたま之を読まぬ者を何程どれほど劣等の人間かのように見下みくだし、得意になって語る友も友なら、其を聴いて敬服する私も私だ。心ある人から観たら、ぞ苦々しく思われたろう。
 此友から私は文学の難有ありがたい訳を種々いろいろと説き聴かされた。今ではもう大抵忘れて了ったけれど、何でも文学は真理に新しい形をして其生命を直接に具体的に再現するものだ、とか聴かされて、感服した。自然の真相は普通人に分らぬ、詩人が其主観をとおして描いて示すに及んで、始めて普通人にも朧気おぼろげに分って人間の宝となる、とか聴かされて、又感服した。恋には人間の真髄が動く、とか聴かされて、又感服した。其他そのたまだ種々いろいろ聴かされて一々感服したが、此様こんな事は皆愚言たわごとだ、世迷言よまいごとだ。空想に生命を託して人生を傍観するばかりで、古本と首引くびぴきして瞑想するばかりで、人生に生命を託して人生と共に浮沈上下ふちんじょうかせんでも、人生の活機に触れんでも、活眼を以て活勢を機微のあいだに察し得んでも、如何どうかして人生が分るものとしても、友のいうような其様そんな文学は、何処かで誰かが空想した文学で、文学の実際でない。文学の実際は人間の堕落を潤色じゅんしょくして、懦弱だじゃくな人間を更に懦弱だじゃくにするばかりだ。私の観方みかたは偏しているというか? 唯へいを見て利を見ぬというか? しかし利よりもへいの勝ったのが即ち文学の実際ではないか? 私の観方みかたより文学の実際が既にへいに偏しているではないか?
 ああ、しかし、文学を責めるより、友を責めるより、自ら責めた方が当っていよう。私のような※(「竹かんむり/肖」、第3水準1-89-66)やくざな者は、例えば聖賢の遺書を読んでも、矢張やっぱり害を受けるかも知れん。私は自然だ人生だと口には言っていたけれど、唯書物で其様そんな言葉を覚えただけで、意味がく分っているのではなかった。意味も分らぬ言葉をもてあそんで、いや、言葉にもてあそばれて、可惜あたら浮世を夢にして渡った。詩人と名が附きゃ、皆普通の人よりまさってるように思っていた。小説、殊に輸入小説には人生の真相が活字のおもてに浮いているように思っていた。西洋の詩人は皆東洋の詩人に勝るように思っていた。作の新旧を論じて其価値を定めていた。自分は此様こんな下らん真似をしていながら、の額に汗して着実の浮世を渡る人達がたまたま文壇の事情に通ぜぬと、直ぐ俗物とののしり、俗衆とののしって、独りみずから高しとしていた。独り自ら高しとする一方で、想像で姦淫して、一人で堕落していた。
 ああ、恥かしくて顔がほてる。何たる苦々しい事であった。私は当時の事を想いいだたびに、人通りの多い十字街よつつじに土下座して、通る人毎に、踏んで、蹴て、唾を吐懸けて貰いたいような心持になる……

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