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嘘をつく日(うそをつくひ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-26 16:52:12  点击:  切换到繁體中文

患者としてはこの病院内で一番の古顏となつたかはりに、私は思のほかだんだんくなつて行つた。
 もう春も近づいた。青い澄んだ空は、それをまじまじと眺めてゐる私にまぶしさを教へる。さうしてついとその窓をかすめて行く何鳥かの羽裏がちらりと光る。私はむくむくと床をぬけ出して、そのぢぢむさい姿を日向ひなたさらし、人並に、否病めるが故に更により多くの日光を浴びようと端近くにじり出る。或は又新しい心のあぢはひをさがしに、ぶらりぶらりと長い廊下を傳つて行く。たとへば長い間寢ながら眺めてゐた向側の病室の前を歩いて見る事、または階下に降りて見るたのしみ、幾月かの間あこがれてゐた土を踏んでみる事の愉悦、しかしそれらの事が毎日とどこほりなく行はれなければこそ、その期待のたのしみは續く……蝸牛かたつむりは木の葉のゆらぎにでもその觸角を殼の中に閉ぢ込めなければならない。かくして私もある日は部屋に閉ぢて、しづかにその障害の去るのを待ちつつよこたはるのである。それは大抵わづかではあるが、熱とそれから胸部のいたみとのためであつた。
 けれども月日は私の元氣に後楯うしろだてをした。診察室の前の大鏡に映る、ひつつめ銀杏いちやうの青白い顏は、日に日に幾らかづつ色を直して行つた。長い間には病院の内も外も私の散歩になれて、新しい感味が單純な頭を喜ばす事は少くなつた。それでもなほたつた一人の無聊ぶれうさに――ある時はそれが無上にやすらかで嬉しかつたけれど――歩きなれた廊下をぶらりぶらりとあてもなく私は病室を出かけて行く。
 かうした日のつづきに、私がふと四月一日が來るのに氣がついて喜んだのは、その十日ばかりも前の事であつた。四月一日、それは藥を飮む事と、喰べることと、眠ることと、それから遊ぶ事より外には能のない人間にとつては、まことにお誂向あつらへむきの新規ななぐさみであつた。All fools day ! 一年の中にただこの日だけ嘘が許される程、常に人々の心に正直が保たれてあるとも思へないけれど、それはともかく、親しい人達を大つぴらにだましたりかついだりする事が出來るのは面白い事に違ない。この幾年かの私の辛慘な生活に於ては、なかなか思ひ出せもしなかつた、また思ひ出してもそれを實行する程の興味を伴はなかつた「四月馬鹿」が、漸く死の虎口をのがれて來た恢復期の門のあたりで、人世の嘘を享樂すべく私を誘つたのであつた。
 私はうつかりしてその日を忘れないやうに、またどんな方法で皆をかついでやらうかなどと考へながら四月を待つた。もうかれこれ二百日近くも病院で暮してゐるので、院長をはじめ内科の醫員や看護婦達とは隨分したしみが出來てゐた。
「先生! 四月一日がもうぢき參りますから油斷してらつしやらないやうに……」
 ある日私は最後の診察室の寢臺を下りながら、笑ひ笑ひ院長に向つて言つた。
「さう、四月ももうぢきですね、全くぐづぐづしてをられないなあ!」と、若い院長は立ち上りながら、曇硝子くもりガラスの外の明るい日ざしに眼をやつた。
「瀬川さんも、たうとう病院で花見をするやうになりましたね、もう二週間もしたら立派に咲きますぜ、この模樣ぢや。……えゝえゝだましたつて構ひませんとも!」
 扉を排して院長は出て行つた。二人の醫員もまた晝の休息に醫局へと去つたあと、そこらの掃除を始める看護婦の津野さんと大越さんをつかまへて、私はなほも四月一日の話をする。大越さんは少しもそんな事を知らなかつたけれど、東京くるしみの津野さんは、
「さうさう、その日はどんなに嘘をついてもいいのですつてね、無禮講なんですつてね。」と言つてゐた。
 遙に那須山の煙をなびかせて、風は少しづつ經めぐつてゐたけれど、よく晴れた日が二三日續いた。さうして四月は遂に來た。地には青い草が萠えてゐる。緋鯉ひごひの背の浮ぶ庭の池の飛石に、鶺鴒せきれいが下りて來て長い尾を水に叩いてゐる。さうして紺青こんじやうの空! このうるはしい天日の下に、一體何が世には起つてゐるのか?
 私はその朝、この日頃の期待にも似ず、ぼんやりと寢床の中に一日の午前をつひやしかけた。なぜかしら頭をそつとして置きたくて、一寸のあひだ體を動すのがいやだつた。しばらくすると、大抵十一時半に鳴る近い寺の鐘が、一つ二つと餘韻を追つてき出された。
 それから私は間もなく羽織をひつかけて病室を出かけて行つた。いよいよ今日はみんなをかついでやる……さう思つて私は微笑を隱した。廊下の中途で、ふと庭の方に突き出されてある研究室の方に眼をやると、白い服の人がちらちらしてるのが硝子越に見えた。よく見るとそれは大越さんだつたので、私は先づその方へと足を向けた。
 私が研究室に入つて行つた時に、大越さんは小聲に唱歌をうたひながら、かちかちと試驗管を觸れ合せて、しきりに尿の檢査をやつてゐた。
「大越さん!」
「は? おゝびつくりした、あら嫌だ瀬川さん! いらつしやい。」
「あなたお一人?」
「えゝ、もういやになつてゐたところ。」
 私はあり合せた椅子の背にもたれて、ぢつと大越さんのやうすをうかがつた。大丈夫もう今日の事は忘れてゐる!
「大越さん!」
「えゝ?」
「……あなた今日の××新聞見て?」と、私はよくくだらぬ投書などの載つてる、地方新聞の名を言つた。
「いゝえ。」と、不思議さうに大越さんは私の顏を見る。
「なぜ?」
 そこで私は思ひ切つてでたらめを始める。
「出てるのね。」
「何が?」
「あなたの事がよ……」
「えゝ?」
 片つ方の手には黄色い液體をしたたらした試驗管を持ち、片つ方の手のピンセットで試驗紙を挾んだまま、大越さんは全くびつくりして私の顏を見つめる。今年十九の處女らしい血色のいい顏は、見る見るまつ赤になつて、眼の中までが燃え出しさうだつた。
「嘘でせう瀬川さん。」と、何かを哀願するやうな調子であつた。
「いゝえ、まつたくですとも!」
「まあ厭だ! まあ怖い! どんな事が出てるんでせう?」
「いゝえね、一寸投書欄のところに……大體はほめてあるんだけど、一寸ひやかしたやうなところもあるの。」
 驚いたことには、今の今あんなにさつと赤くなつた顏が、私が一寸眼を伏せてゐる間に、まつ青に變つてゐるのであつた。
 それを見ると私はあまりにその處女心をとめごころを亂したのが氣の毒にもなつて、
「何もそんなに心配する程のものぢやないわ、どうせいたづらですもの……まあ今日の××新聞を見て御覽なさいよ、見りやわかるわ!」
 さう言つて私は、今は仕事も手につかなくなつて、宿直室に新聞を見に行かうとする大越さんと廊下を左右に別れた。
「瀬川さん、××新聞ですね?」と、二三間行つてから、念を押すやうに、大越さんは振り返つて言つた。
「えゝさう、三面の下の方。」と、私はなほもでたらめに答へる。
 大越さんの恐怖と心配に滿ちた顏を思ひ浮べると、少し罪なやうな氣もしたけれど、またそれを笑にかへす時のことを思ふと、私は更に元氣づいて、自然とゆがんで來る口もとを袖で押へながら、勢こんでばたばたと診察室の方へ驅けて行つた。
 ちやうど正午を少し過ぎた時分で、午前中の外來の患者は大抵歸つてしまつてゐた。藥局の前にはちらほらと藥を待つてる人が見えたけれど、廣い廊下は人影が稀になつて、そちこちの扉から出て來る白い上着の醫員や看護婦のみが、何か忙しげにどこへか消えて行く。
 いつも今時分は内科もひまなのを知つてゐるので、忙しい院長を職務外の事に向けさせるのに、ちやうどいい折だと私はひそかに思つた。私が扉をあける、すると大きな診察机にひぢをついて、ある患者の温度表を見ながら、一人の醫員に何事かを獨逸語ドイツごまじりに話してゐる院長が、ちらとこつちを振り返る。さうしてそこに「キューピーのマザア」が(私があのおどけもののキューピーを部屋に飾つて置く所から、院長はいつもたはむれに私をかう呼んだ。)何事かをこらへたやうな顏をして入つて來るのを認めるであらう!……
 私は大越さんをかつぐのにうまく成功したので、すつかり調子に乘つてしまつてゐた。さうして興味に燃えながら、微笑を顏中に漂はせて、勢よく扉の把手とつてに手をかけてそれを引いた。
 その瞬間――私の體が入口に現はれ、私の眼が室の内部を見た時に、私は思はずそこにつつ立つたままになつてしまつた。今まで何かしらいつぱいに張りつめてゐた氣が、いきなりそこでわけもなく拔かれてしまつたのだつた。
 診察室の中には、私が待ち設けたやうに院長の姿は見えなかつた。また獨逸語の發音もなかつた。ただ不思議に緊張した無言の空氣があつた。……その氣分が不意に私の面を打つたので、自分の眼で見た事を私が了解するまでには餘程の手間が取れた。
 かなり廣く取つてある部屋の向の窓の下に、一つの寢臺がいつも横へられてあつた。今その寢臺のまはりに一人の醫員と二人の看護婦と、それから印半纏しるしばんてんを着た長裾の男とが集つてゐた。看護婦のうちの一人は津野さんだつたけれど、私を振り向いても、いつものやうな笑顏を見せもせずに、妙に氣のつまつたやうな眞面目な顏をしてゐた。そして他の人達も、扉の音に一寸振り向きはしたけれど、すぐに寢臺の上のあるものの上に瞳を集めて行つた。
 看護婦の腕の下から寢臺の上に見えるものは、何だか小さな肉塊やうのもので、それを醫員がしきりんだりゆすつたりしてゐるのであつた。それも、ある甲斐かひのないものを甲斐あらせようとしてゐるやうな、一所懸命な調子であつた。私は未だつて人工呼吸法といふものを見たことがなかつたけれど、今ふとそれが頭に浮んだ。
 私は一寸、このままひつ返さうかひつ返すまいかと戸口で迷つた。けれどもともかく後を音もなく閉めて、足音をはばかりながら一足二足そちらに近づいて行つた。と、その途端に、
「とてもだめですな!」と、醫員は投げ出すやうに言つて、片膝乘りかけてゐた寢臺から離れた。
 私はぴくりとして立ち止つた。その時二人の看護婦も無意識に手を放したので、その腕の陰に隱れてゐた赤兒の首がぐたりと傾いた。
「えつ! だめですかつ?」
 醫員の言葉と殆ど同時位にかう叫んだ聲は、再び私の足をぴくりとさせた。

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