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四十余日(しじゅうよにち)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-26 16:58:11  点击:  切换到繁體中文


       六

 蜜柑、數の子、綿、氷豆腐、細い札のついた砂糖の袋や、尻尾を水引で結んだ鹽鮭などが、歳暮の贈物としてやりとりされるやうになつた。
 病人は先達てから左腹部に出來た凝がまだとれなくて、熱もあまり高くはなくなつたが、同じやうな度で續いた。學士は試にそこに蛭をつけて見たいといふので、お芳はある日、町の裏の百姓家に蛭を買ひに行つた。
 畑と畑の間のくぼみや、細い蔓の枯れて絡つた樹の株などに、斑と殘つた雪が少くなつた。鼠色の夕暮の光に、風はやはり頬につめたく、寂しい郊外を一二軒づつ低い藁家が點々してゐる。
 爐の焔に赤かつた顏の老爺が、
『いくら高く出したつて獲れぬものあ仕方がねえ、冬はみんな豆つ粒のやうにまるまつてゝ、なかなか見付かるもんでねえだ。一疋一兩出すつたつて、なあ、獲れぬものは[#「獲れぬものは」は底本では「獲れねものは」]仕方がねえや。』と、動かなかつた。
 ×市の取引先に依頼して、そこから小包で屆けて貰つたが、その時にはさいはひ用がなくなつて、罎の中にたゞ黒い蟲が延びたり縮んだりした。
『まあ上つて、よ、よう。』と、お芳は友珍しさに、一寸お針のかへりから屆けものかたがた顏を出した友達を無理に引きあげた。
『この頃は誰と誰いつてるの? お高ちやんは?』
『お高ちやんはこの頃休んでるの、みんな歳暮くれで忙しいもんだから……私も今日きり、お秀さんは風邪ひいたつて、この頃ちつとも來なかつたわ。』
『さう。』
 お芳は、みんながうつむいたりのびたり、時には顏を見合して大わらひしたりする人達の丸く座をとつた有樣を、しばらくやすんで見ればなつかしいとも思はれるのであつた。
『姉さんどうしたい、少しはいゝの?』
『少しはいゝやうなんだけれど、まだやつぱりない、熱が下らなくつて……』
『せはしがつぱい、一人だもの……まあこんなにめなしが切れて……』
と、火鉢に翳したお芳の手を握つて眉を顰めた。
『がさがさして自分の手のやうでないの……一寸ほら!』と、お芳は袖口から赤い襦袢の袖口の切れたのを引つぱり出して笑つた。
『お師匠樣がよろしくつて、お見舞に上らなくちやならないんだげつと、今少し仕事が支へてるからつて。あのない、そらあの伊勢屋の結納もの……そりやあ立派なの、仕度したら帶が一番はえたわ、出來上つたら行つて見なんしよ、黒の方さへ出來上ればそれで揃ふんだから……』
『伊勢屋の御祝儀はいつ?』
『二月の朔日だつて。』
『あのぼんちやん、いよいよお婿さんになるのかなあ。』
 お芳も友達も、そのぼんちやんといふ綽名を言つて笑ひこけた。
『何縫つてるの?』と、お芳は歸らうとする友達の風呂敷の端をめくつた。
『まあいゝ柄、誰の、あんたの?』
 友達は嬉しさうに笑つて、ぽつくり頭を下げた。
『もうお正月、併し今年は歌留多も取れない。』
 お芳は寂しさうに笑つて送り出した。
 その晩お芳は、東京の醫學校へ行つてゐる中の姉のところへと思つて小包を纏めた。先達て小紋の着物がほしいと言つて來たので、安物の絹に形を置かせたのが今日出來上つて來たのである。
 あり合せた羊羹や氷餅のやうなものもつめようとしたので、荷の形がどうしてもうまく行かなかつた。少しくぢれて來たところへ、母親が一寸口を出したのが氣に觸つて、お芳は、
『えゝつ。』と、赤い顏をしてそれをめちめちやに[#「めちめちやに」はママ]した。
『おゝおゝ親にたてつけ、わがまゝな! 何がそんなに氣に入らないのか知れないが、君は君でこちらの騷を知らずに待つてるからと思つて早く送れと言つたまでだのに……病氣だと知つたら試驗前だといふのに心配するからと思つて……』
『いゝてば!』お芳は身を揉んだ。
 あさましいとは思ひながら、自分一人が何事も思ふまゝにならぬやうなひがみがして、いまいましいやうな、人が羨ましいやうな、ぢれてぢれて、さうしてすねて見たかつた。
 しばらくすると病人が屏風のかげから、
『芳、芳……』と、細い聲を出して呼ぶので、お芳は急にもの悲しくつて、齒を喰ひしばつて顏を蔽うてしまつた。

       七

 餅は宗三郎の姉の家でついて貰つて、ともかくもお飾をした。
 病人も年を越す頃からそろそろ見直して、一日平温位にとゞまつてゐる時もあるやうになつた。併し衰弱の爲に元氣はもとよりなくなつて、かげの部屋の客の長い話や、戸のあけたてなどに一々眉を顰めた。戸のある柱には紙を張りつけた。そゝつかしい清治は、必ず一日に二三度位は足音や戸のあけたてゞ小言を喰つた。
 友達のところから度々お芳に歌留多の使が來た。お芳は一々紙片にことわりの文言を書いてやつた。母親も病人も氣の毒がつてるやうすだつたが、お芳はそのかはりにほしいと思つてゐた「一葉全集」や、その頃評判だつた「その面影」のやうなものを買つて貰つた。
 ある晩新年の雜誌を買ひに出かけて、ふと通りがかりの友達の家に寄る氣になつた。
『まあ芳ちやん。』と、そこのをばさんが迎へて友達を呼んでくれた。ちようど歌留多をとるといつて、四五人の人があかるい座敷に集つてゐた。つい交つて見る氣になつた。
『今晩は。』と、そこへはひつて行つた。一樣に向いた人々の顏を集めて、お芳はふと平常着のまゝだつたのに氣が着いた。
『珍客來、珍客來!』と、一人の中學生が言つた。

 疲れ切つた體には蒲團が重いといふので、天井から麻糸を下げて蒲團を吊つた。さうして一時間と同じ向になつてゐては體が痛いといふ。神經痛を起して、足を持つと飛び立つやうに騷ぐので、腰のところの隙にそつと手を入れて、しづかに寢がへりをさせてやる。床ずれがしないやうにと綿も置いてやつた。
 十時、十一時頃まではお芳が番で、それからは母親か宗三郎が代ることにきまつてゐた。行火に小蒲團をかけて、湯氣のたつ火鉢の傍で、枕時計の音を聞きながら、お芳は雜誌を讀んだり、病人に「我輩は猫である」などを讀んでやつたりした。
 時には都や地方の友達などに手紙を書いた。都へ都へと誘ふまだ見ぬ友達も多くあつた。それらのかへしにはいつも老いたる父母、家の事情といふことが書き込まれた。どこまで自己を沒しなければならぬか?と反問して來たのに對して、凍る筆を火に翳しながら、覺束ない議論みたいなものを書いた。
 男が女に送る手紙には、いつかははてと首をかしげるやうな箇所が必ずあつた。消した跡の字を透して讀んで、お芳は我知らずほゝゑむ時があつた。
 一日看護婦が來て小半時待つてゐても、一所にやる筈の産婆の澤田さんがなかなか見えなかつた。清治が折惡しく使に出てゐたので、お芳は沖といふその産婆のゐる家へむかへに行つた。そこもお針の弟子を澤山にあづかつてゐる家で、板塀の中から歌留多の聲と賑な笑聲とが洩れた。澤田さんは、あけがた産氣のついた家からむかへに來られて、今だに歸つて來ないといふ。引きかへさうとすると、障子をがらりとあけて、
『芳ちやん。』と、女の人が笑顏を出した。
『あら!』
 それは中の姉の友達で、お芳が小さい時によくかはいがつて貰つた人だつた。歌留多に招ばれて來たものと見える。
『姉さんが惡いんだつて? どうなの、この頃は。』
『えゝ、少うし快くなつたやうなの……』
『さう、お大切に……』
 その人は財産家の娘だから、ぱつとした身なりをしてゐた。
 夕方になつて、澤田さんが裏口から忙しさうにはひつて來た。
『どうも今日は失禮しました。岡野さんのお嫁さんのお産に出ましてね。えゝまあはじめてとしては輕い方でせうねえ、けさ方二時々分から痛み出したんださうですよ、大旦那さんがまあ大さわぎをして、それはそれは、えゝ女のお子さんでしたよ。』
 強ひられたといつてほんのりとした頬を、熱い熱いと言つて兩手で叩いてゐた。

       八

『宗三郎はほんの氣の付かない男だから……あれほどの大病人の傍で、氣が付きさうなもんだのに、なんだつて青銅の火鉢へかちんかちんと煙管を叩きつけるんだもの、傍にゐて私あはらはらしてゐる。』と、母親はある時老父としよりと火鉢のところに顏を集めて、こんな話をしてゐた。
『むゝさうともな、少しは氣を付けなくちやあ……好い人間は好い人間なんだげつと、少うしたわいのない方だから困る。』と、老父は火なたのついた腕を火鉢の縁にならべて合槌を打つた。
『さうともい、すべて何事にも氣が付かない方だから。』
 この時宗三郎が店から忙しさうに、ついとはひつて來て、ちらと目をやつた。
『用がすんだらお茶でも飮ましやれ。』と、母親はかう言つて、思ひ出したやうに長煙管をとりあげた。
『は。』
 宗三郎はまた店へ出て行つた。

『今度は是非君にも免状をとらせたいものだ。宗三郎にだつてさうさうはいくらなんでも氣の毒だから……』
 お茶からふとこんな話になつて、二人がひそひそしてゐると、その時また二階から降りて來た宗三郎が、ふつといやな顏をして店に出て行つた。
 別段何事もなく二三日經つたが、宗三郎はある日、出かけ先から豚の肉を竹の皮に包んで、懷の中に入れて來た。お芳は七輪を夕餉の席に運んで鍋をかける。脂肪の煮えたつにほひが久しぶりで家の中に漂つて、白い蒸氣が洋燈の傍をかすめて騰つた。
『お父さん、豚が煮えやしたから。』と、宗三郎は手づから皿に肉を盛つて老父としよりにすゝめた。
『豚え! 今日は喰べまい。』
『さうですか。』
 お芳はそつと宗三郎の顏を偸み見た。
 盲目の老父には勿論、母親にも氣の付かないことだが、お芳はいろいろなことに氣を配つて、一人ではらはらしてゐた。
 かりそめの咳一つでも、双方のさぐり合ふやうな心には大きな態度となつて見えた。宗三郎の顏色も、母親には何でもなく解釋させるやうにと苦心して、老人夫婦が小聲に話してゐた時には、お芳はきつとよそごとの口を入れた。魚の煮付一きれでも、都合の惡い時にはいゝ方を宗三郎の膳にのせた。
 朝から宗三郎が家をあけた日がある。大抵枕許で行先を斷つて行くのが、その日に限つて何とも言ひ置いてなかつた。
『なあおせん、宗三郎は嬶の病氣が厭になつたんであるまいな。』
 一日炬燵に蹲つてゐる老父は、夜になつても宗三郎の聲が聞えぬので、心配の顏をあげて通りがゝりの足音を止めた。小聲だつた。
『まさか……まさかさうでもありやすまいが……』
 母親もそれは信じなかつた。宗三郎は程過ぎて何氣なく歸つて來た。出先から姉の家へ廻つて、そこで夕餉をすまして來たといふ。顏色も別段赤くなかつたので人々は安心した。
 珍しく宗三郎は正宗の口を切つて膳の上に乘せた。その日は一日ものも言はなかつた。鐵の火鉢を傍に引きよせて、盃のひまにはぼかりぼかりと煙を吐いた。煙管を叩きつける音が烈しく、しかも絶間がなかつた。常から下戸のことゝて、すぐにもうまつ赤になつて、いつもにないことなので怪訝な顏をしてゐる清治を烈しく叱りつけた。そして御飯を喰べずにふいと出て、近所の新吉田へ行つた。清治を後からそつとやつて見ると、旦那の峯さんと酒を飮んでゐるといふ。
 産婦にも樣子がわかつたと見えて、
『一體どうしたの、お母さん何かしたんでないかい。』と、氣を揉んで聞き出した。
『何がなんだかさつぱりお母さんにはわけがわからない、何言つたんでもなんでもなし、一人であゝして怒つてるんだもの。』
 そこへお芳がはひつて行つて、
『だから言はないこつちやない、お母さんは、またいろいろなことをいふんだもの……』
 不平はどうしても親身の者にむかつた。
『お母さんが何を言つたい?』と、母親は目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)る。
『今日は言はなくたつて、この間からお父さんとひそしそ話なんてばかりしてるんだもの。』
『それだつて何も宗三郎の惡口を言つたわけぢやあるまいし……』
『だつてだつてそれが惡いわ! 誰だつて變ちきりんと思ふわ、さうして宗三郎兄さんがはひつて來ると、ぴつたりとやめてしまふんだもの、何とか思ふに違ないわ、そりや誰だつて……』
 お芳は涙をこぼして母に喰つてかゝつた。小さな胸の心づかひや何やらで、つい興奮して言葉が烈しくなる。もつれもつれて感情が彈き合つた。
『よしよし、おゝおゝ、なんでもみんなお母さんが惡いんだ、さうしてみんなしてお母さんをいぢめろ、惡者の意地惡はお母さんばかりなんだから……どうせ……どうせ……勝の體のかはりに神樣が連れてつてくれる。一生子供の爲に心配して死ねばいゝんだ……』
 母親も泣いた。あべこべにかう怨まれて見ては、お芳はたまらなくなつて、わつとして慌てゝ顏に袖をあてた。
『どうしつぺなあ、私の病氣の爲にみんなが……』
 ほろほろと病人の顏から涙が落ちた。
『勝、勝はなんにも心配することはないぞ、なあに、なんでもないことなんだから……體に障るから。』と、母親はまたおろおろした。
 宗三郎は十時頃になつて、まつ赤な顏をして歸つて來た。
『お飯は……餅でも燒くかい。』と言つたお芳の腫れた目を見て、『いゝや、喰べなくてもいゝ。』と、義妹には優しく言つて、そのまゝ炬燵にごろりと仰むけになつた。

       九

 日に日に病人の快くなり目がついた。それにしても體はまだ少しも自由にならなかつたので、絶えず寢がへりをさせて貰ふのに人手がいつた。
 病人から涙をこぼされたので、宗三郎もあれから氣を取り直して、朝の挨拶も自分からするやうになつた。
 看護婦や澤田さんはまだ毎日通つて來て、洗滌を終へてから火鉢を圍んでよもやまの話をしていつた。煮物をしておいたり、時によつてはお餅を燒いたり、何かしらお茶うけの絶えないやうにとお芳は注意した。時々はお子さんにと、澤田さんが歸る時に蜜柑や干柿のやうな物を紙に捻つた。
 枕許の小机に並べた葡萄酒や藥罎の肩に埃が溜つた。絶えず立てどほしの屏風に、今見れば字の跡を散して血の跡見たいものが附着してゐる。じつと見て、お芳は恐しい恐しいいつかの夜の有樣を思つた。女といふものが思はれ、子といふものが思はれ、續いてさまざまな家庭といふものが思はれた。婿取はよそ目にはいゝやうだけれども人一倍辛い、かう誰かゞ言つたことも思ひ出されて、今までの姉の立場が抉り出したやうにはつきりとわかつたやうな氣がした。いづれは女、この自分までがそんな渦の中にはひるべき運命を持つてるのかと思つた。
 都へ都へと誘ふ友達のことが思はれた。
『お母さん、すまないげつとまたかへして。』と、お勝は氣の毒さうに寢がへりを催促した。
 掻卷を着て、たわいもなく居眠をしてゐた母親は、ふと首をあげて、
『またか……ほんに面倒臭いなあ、今かへしてやつたばかりだのに。』
と、億劫さうに立ち上つた。
『すみやせん。』と、切なさうにお勝は聲を落した。
『お母さんはまあ!』あんなにまで心配して大さわぎしてゐた人が!
と、お芳はなんとはなしに母親の顏が見られた。ふとしたことから、この間『お母さんは飽きたんだ!』と、病人が口をあましたのを、あまり勿體ないことをいふと思つたが……
 そゝけた白髮が穢く見える。眠を貪るやうにこそこそと行火に伏した丸い背が、影一ぱいに壁にうつつた。
 水を吸ひ切つた床の間の南天が、塵に塗れて勢なく掛軸に影を置いた。
 お芳はつくづくと頭を押へるやうな部屋の空氣を感じた。

『はあ、もうこれで安心しやした。あんたなんだつて四十幾日つてものは、芳も私も帶を解きやせんでしたからねえ、かはりばんこに炬燵にひつくりかへつてて……いやいや一方ならぬ心配をしやした。』と、加納屋のをばさんに、ある日母親が述懷めいたことを言つてるのを聞いた。
 お勝はこの間、床あげをするやうになつたら、看護婦や澤田さんや友達をみんな呼んで、一日歌留多取をするやうにと言つたので、お芳は今からそれをたのしみにしてゐる。





底本:「明治文學全集 82 明治女流文學集(二)」筑摩書房
   1965(昭和40)年12月10日発行
入力:小林徹
校正:田尻幹二
1999年6月16日公開
2006年4月19日修正
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