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なめとこ山の熊(なめとこやまのくま)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-29 16:29:42  点击:  切换到繁體中文

 なめとこ山の熊(くま)のことならおもしろい。なめとこ山は大きな山だ。淵沢(ふちざわ)川はなめとこ山から出て来る。なめとこ山は一年のうち大ていの日はつめたい霧か雲かを吸ったり吐いたりしている。まわりもみんな青黒いなまこや海坊主のような山だ。山のなかごろに大きな洞穴(ほらあな)ががらんとあいている。そこから淵沢川がいきなり三百尺ぐらいの滝になってひのきやいたやのしげみの中をごうと落ちて来る。
 中山街道はこのごろは誰(たれ)も歩かないから蕗(ふき)やいたどりがいっぱいに生えたり牛が遁(に)げて登らないように柵(さく)をみちにたてたりしているけれどもそこをがさがさ三里ばかり行くと向うの方で風が山の頂を通っているような音がする。気をつけてそっちを見ると何だかわけのわからない白い細長いものが山をうごいて落ちてけむりを立てているのがわかる。それがなめとこ山の大空滝だ。そして昔はそのへんには熊がごちゃごちゃ居たそうだ。ほんとうはなめとこ山も熊の胆(い)も私は自分で見たのではない。人から聞いたり考えたりしたことばかりだ。間ちがっているかもしれないけれども私はそう思うのだ。とにかくなめとこ山の熊の胆(い)は名高いものになっている。
 腹の痛いのにもきけば傷もなおる。鉛の湯の入口になめとこ山の熊の胆(い)ありという昔からの看板もかかっている。だからもう熊はなめとこ山で赤い舌をべろべろ吐いて谷をわたったり熊の子供らがすもうをとっておしまいぽかぽか撲(なぐ)りあったりしていることはたしかだ。熊捕りの名人の淵沢小十郎がそれを片っぱしから捕ったのだ。
 淵沢小十郎はすがめの赭黒(あかぐろ)いごりごりしたおやじで胴は小さな臼(うす)ぐらいはあったし掌(てのひら)は北島の毘沙門(びしゃもん)さんの病気をなおすための手形ぐらい大きく厚かった。小十郎は夏なら菩提樹(マダ)の皮でこさえたけらを着てはむばきをはき生蕃(せいばん)の使うような山刀とポルトガル伝来というような大きな重い鉄砲をもってたくましい黄いろな犬をつれてなめとこ山からしどけ沢から三つ又からサッカイの山からマミ穴森から白沢からまるで縦横にあるいた。木がいっぱい生えているから谷を溯(のぼ)っているとまるで青黒いトンネルの中を行くようで時にはぱっと緑と黄金(きん)いろに明るくなることもあればそこら中が花が咲いたように日光が落ちていることもある。そこを小十郎が、まるで自分の座敷の中を歩いているというふうでゆっくりのっしのっしとやって行く。犬はさきに立って崖(がけ)を横這(よこば)いに走ったりざぶんと水にかけ込んだり淵ののろのろした気味の悪いとこをもう一生けん命に泳いでやっと向うの岩にのぼるとからだをぶるぶるっとして毛をたてて水をふるい落しそれから鼻をしかめて主人の来るのを待っている。小十郎は膝(ひざ)から上にまるで屏風(びょうぶ)のような白い波をたてながらコンパスのように足を抜き差しして口を少し曲げながらやって来る。そこであんまり一ぺんに言ってしまって悪いけれどもなめとこ山あたりの熊は小十郎をすきなのだ。その証拠には熊どもは小十郎がぼちゃぼちゃ谷をこいだり谷の岸の細い平らないっぱいにあざみなどの生えているとこを通るときはだまって高いとこから見送っているのだ。木の上から両手で枝にとりついたり崖の上で膝をかかえて座ったりしておもしろそうに小十郎を見送っているのだ。まったく熊どもは小十郎の犬さえすきなようだった。けれどもいくら熊どもだってすっかり小十郎とぶっつかって犬がまるで火のついたまりのようになって飛びつき小十郎が眼(め)をまるで変に光らして鉄砲をこっちへ構えることはあんまりすきではなかった。そのときは大ていの熊は迷惑そうに手をふってそんなことをされるのを断わった。けれども熊もいろいろだから気の烈(はげ)しいやつならごうごう咆(ほ)えて立ちあがって、犬などはまるで踏みつぶしそうにしながら小十郎の方へ両手を出してかかって行く。小十郎はぴったり落ち着いて樹(き)をたてにして立ちながら熊の月の輪をめがけてズドンとやるのだった。すると森までががあっと叫んで熊はどたっと倒れ赤黒い血をどくどく吐き鼻をくんくん鳴らして死んでしまうのだった。小十郎は鉄砲を木へたてかけて注意深くそばへ寄って来てこう言うのだった。
「熊。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ。おれも商売ならてめえも射(う)たなけぁならねえ。ほかの罪のねえ仕事していんだが畑はなし木はお上のものにきまったし里へ出ても誰(たれ)も相手にしねえ。仕方なしに猟師なんぞしるんだ。てめえも熊に生れたが因果ならおれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生れなよ」
 そのときは犬もすっかりしょげかえって眼を細くして座っていた。
 何せこの犬ばかりは小十郎が四十の夏うち中みんな赤痢(せきり)にかかってとうとう小十郎の息子とその妻も死んだ中にぴんぴんして生きていたのだ。
 それから小十郎はふところからとぎすまされた小刀を出して熊の顎(あご)のとこから胸から腹へかけて皮をすうっと裂いていくのだった。それからあとの景色は僕は大きらいだ。けれどもとにかくおしまい小十郎がまっ赤な熊の胆(い)をせなかの木のひつに入れて血で毛がぼとぼと房になった毛皮を谷であらってくるくるまるめせなかにしょって自分もぐんなりした風で谷を下って行くことだけはたしかなのだ。
 小十郎はもう熊のことばだってわかるような気がした。ある年の春はやく山の木がまだ一本も青くならないころ小十郎は犬を連れて白沢をずうっとのぼった。夕方になって小十郎はばっかぃ沢へこえる峯(みね)になった処(ところ)へ去年の夏こさえた笹小屋(ささごや)へ泊ろうと思ってそこへのぼって行った。そしたらどういう加減か小十郎の柄にもなく登り口をまちがってしまった。
 なんべんも谷へ降りてまた登り直して犬もへとへとにつかれ小十郎も口を横にまげて息をしながら半分くずれかかった去年の小屋を見つけた。小十郎がすぐ下に湧水(わきみず)のあったのを思い出して少し山を降りかけたら愕(おどろ)いたことは母親とやっと一歳になるかならないような子熊と二疋(ひき)ちょうど人が額に手をあてて遠くを眺(なが)めるといったふうに淡い六日の月光の中を向うの谷をしげしげ見つめているのにあった。小十郎はまるでその二疋の熊のからだから後光が射すように思えてまるで釘付(くぎづ)けになったように立ちどまってそっちを見つめていた。すると小熊が甘えるように言ったのだ。
「どうしても雪だよ、おっかさん谷のこっち側だけ白くなっているんだもの。どうしても雪だよ。おっかさん」
 すると母親の熊はまだしげしげ見つめていたがやっと言った。
「雪でないよ、あすこへだけ降るはずがないんだもの」
 子熊はまた言った。
「だから溶けないで残ったのでしょう」
「いいえ、おっかさんはあざみの芽を見に昨日あすこを通ったばかりです」
 小十郎もじっとそっちを見た。
 月の光が青じろく山の斜面を滑っていた。そこがちょうど銀の鎧(よろい)のように光っているのだった。しばらくたって子熊が言った。
「雪でなけぁ霜だねえ。きっとそうだ」
 ほんとうに今夜は霜が降るぞ、お月さまの近くで胃(コキエ)もあんなに青くふるえているし第一お月さまのいろだってまるで氷のようだ、小十郎がひとりで思った。
「おかあさまはわかったよ、あれねえ、ひきざくらの花」
「なぁんだ、ひきざくらの花だい。僕知ってるよ」
「いいえ、お前まだ見たことありません」
「知ってるよ、僕この前とって来たもの」
「いいえ、あれひきざくらでありません、お前とって来たのきささげの花でしょう」
「そうだろうか」子熊はとぼけたように答えました。小十郎はなぜかもう胸がいっぱいになってもう一ぺん向うの谷の白い雪のような花と余念なく月光をあびて立っている母子の熊をちらっと見てそれから音をたてないようにこっそりこっそり戻りはじめた。風があっちへ行くな行くなと思いながらそろそろと小十郎は後退(あとずさ)りした。くろもじの木の匂(におい)が月のあかりといっしょにすうっとさした。

 ところがこの豪儀な小十郎がまちへ熊の皮と胆(きも)を売りに行くときのみじめさといったら全く気の毒だった。
 町の中ほどに大きな荒物屋があって笊(ざる)だの砂糖だの砥石(といし)だの金天狗(きんてんぐ)やカメレオン印の煙草(たばこ)だのそれから硝子(ガラス)の蠅(はえ)とりまでならべていたのだ。小十郎が山のように毛皮をしょってそこのしきいを一足またぐと店では又来たかというようにうすわらっているのだった。店の次の間に大きな唐金(からかね)の火鉢(ひばち)を出して主人がどっかり座っていた。
「旦那(だんな)さん、先(せん)ころはどうもありがどうごあんした」
 あの山では主のような小十郎は毛皮の荷物を横におろして叮(てい)ねいに敷板に手をついて言うのだった。
「はあ、どうも、今日は何のご用です」
「熊の皮また少し持って来たます」
「熊の皮か。この前のもまだあのまましまってあるし今日ぁまんついいます」
「旦那さん、そう言わなぃでどうか買って呉(く)んなさぃ。安くてもいいます」
「なんぼ安くても要らなぃます」主人は落ち着きはらってきせるをたんたんとてのひらへたたくのだ、あの豪気な山の中の主の小十郎はこう言われるたびにもうまるで心配そうに顔をしかめた。何せ小十郎のとこでは山には栗(くり)があったしうしろのまるで少しの畑からは稗(ひえ)がとれるのではあったが米などは少しもできず味噌(みそ)もなかったから九十になるとしよりと子供ばかりの七人家内にもって行く米はごくわずかずつでも要ったのだ。
 里の方のものなら麻もつくったけれども、小十郎のとこではわずか藤(ふじ)つるで編む入れ物の外に布にするようなものはなんにも出来なかったのだ。小十郎はしばらくたってからまるでしわがれたような声で言ったもんだ。
「旦那さん、お願だます。どうが何ぼでもいいはんて買って呉(く)なぃ」小十郎はそう言いながら改めておじぎさえしたもんだ。
 主人はだまってしばらくけむりを吐いてから顔の少しでにかにか笑うのをそっとかくして言ったもんだ。
「いいます。置いでお出れ。じゃ、平助、小十郎さんさ二円あげろじゃ」
 店の平助が大きな銀貨を四枚小十郎の前へ座って出した。小十郎はそれを押しいただくようにしてにかにかしながら受け取った。それから主人はこんどはだんだん機嫌がよくなる。
「じゃ、おきの、小十郎さんさ一杯あげろ」
 小十郎はこのころはもううれしくてわくわくしている。主人はゆっくりいろいろ談(はな)す。小十郎はかしこまって山のもようや何か申しあげている。間もなく台所の方からお膳(ぜん)できたと知らせる。小十郎は半分辞退するけれども結局台所のとこへ引っぱられてってまた叮寧な挨拶(あいさつ)をしている。

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