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椰子蟹(やしがに)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-2 9:07:44  点击:  切换到繁體中文



        四

 かにはこうして箱のまま汽船の甲板かんぱんに積み込まれ、時々しおにつけられ、時々ふたを少しあけては古臭いコプラを喰べさされました。そこには夜もなく、昼もありません。いつも真暗まっくらで、いつも変なにおいがして、そうぞうしい音や、人の声がしております。蟹は日本から来た学者たちに生きた標本として、とらわれたのでした。けれども自分ではそんなことは知りません。ただいつもいつも窮屈な思いばかりしておりました。けれども一番困ったのは暗いのよりも臭いのよりも、そうぞうしいのよりも、寒くなって来ることでした。が、暑いところで生れ、熱いところで育った蟹には寒いということは分りませんでした。
「何だか甲羅こうらの中で身が縮んでしまう。妙に熱くて、甲羅がピリピリ痛い。」と、蟹は思いました。熱いくるしみだけより知らない蟹には、寒いときの苦しさもやはり熱いからだと思ったのです。
 こんなことが余程よほどながく続きましたので、蟹はすっかり弱ってしまいました。甲羅の色も悪くなり、足も二本ばかりぼろぼろになってもげてしまいました。するとあるときでした。人が箱の蓋をしっかりめるのを忘れたと見え、いっもとちがって、蒼白あおじろい光りが上の方からさして来ます。蟹は不思議に思って、大分だいぶ不自由になった足を動かして、その光の漏れる穴のところへ行ってみました。穴はかなりに大きくて、蟹はすぐそこからい出すことが出来ました。
 外は十二月の夜で、月が真白まっしろい霜にさえておりました。蟹の出たのは神戸こうべある宿屋の中庭だったのです。あたりはしんとしております。蟹はふしぎそうに見廻みまわしますと、そこに一本の樹があって、それに実がなっております。
「椰子の実だ。椰子の実だ。」
 蟹はわずかばかりあわを口のはしに吹いて、うれしそうにその樹にのぼろうとしました。実はそれは椰子の樹ではなく、そのみきはかたく、すべすべしておりました。その上に蟹はあしも二本少くなっておりましたからなかなかのぼるのに難儀でした。それでも自分の好きな椰子の実の新しいのを、久しぶりでべられるという考えから、一生懸命に樹に登りました。そしてその実をはさみでチョキンと切って落しました。蟹はまた難儀をして、樹から降り、その実を割ってみましたが、元より椰子の実が神戸にあろうはずはありません。まだ見たことのない妙なものでした。そこで又樹に登って、又一つ実をチョキンと切り落しては、降りて来て、喰べようとすると、やはり同じ喰べられない実です。もう一度登ってチョキンと切り落して、降りて喰べようとすると、やはり喰べられない実です、こうして幾度も幾度も登ったり、降りたりして、もう樹の上にはたった一つだけしか実が残らなくなったとき、無理をしていた蟹の力はすっかり尽きて、高いこずえからぱたりと下に落ちてしまいました。
 があけました。宿屋の人が起きてみると、風も吹かなかったのに、どうしたものか庭には柘榴ざくろが一ばいに落ちておりました。そうして靴脱くつぬいしの上に鋏の大きな蟹が死んでいるのを見ると、学者たちを呼んでまいりました。
「かわいそうに、柘榴を椰子と間違えたのだよ。」と、一人が言いました。
つぶれてしまったけれど、まだ形だけは残っている。アルコールづけにしよう。」
 可哀かわいそうな椰子蟹はとうとうびんに入れられて、ある学校の標本室に今でも残っております。





底本:「赤い鳥傑作集」新潮文庫、新潮社
   1955(昭和30)年6月25日発行
   1974(昭和49)年9月10日29刷改版
   1989(平成元)年10月15日48刷
底本の親本:「赤い鳥」復刻版、日本近代文学館
   1968(昭和43)~1969(昭和44)年
初出:「赤い鳥」
   1924(大正13)年2月号
入力:林 幸雄
校正:鈴木厚司
2001年8月27日公開
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