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源氏物語(げんじものがたり)04 夕顔

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-5 14:47:55  点击:  切换到繁體中文


「運命があの人に授けた短い夫婦の縁から、その片割れの私ももう長くは生きていないのだろう。長い間たよりにしてきた主人に別れたおまえが、さぞ心細いだろうと思うと、せめて私に命があれば、あの人の代わりの世話をしたいと思ったこともあったが、私もあの人のあとを追うらしいので、おまえには気の毒だね」
 と、ほかの者へは聞かせぬ声で言って、弱々しく泣く源氏を見る右近は、女主人に別れた悲しみは別として、源氏にもしまたそんなことがあれば悲しいことだろうと思った。二条の院の男女はだれも静かな心を失って主人の病を悲しんでいるのである。御所のお使いは雨のあしよりもしげく参入した。帝の御心痛が非常なものであることを聞く源氏は、もったいなくて、そのことによって病から脱しようとみずから励むようになった。左大臣も徹底的に世話をした。大臣自身が二条の院を見舞わない日もないのである。そしていろいろな医療や祈祷きとうをしたせいでか、二十日ほど重態だったあとに余病も起こらないで、源氏の病気は次第に回復していくように見えた。行触ゆきぶれの遠慮の正規の日数もこの日で終わる夜であったから、源氏はいたく思召おぼしめみかどの御心中を察して、御所の宿直所とのいどころにまで出かけた。退出の時は左大臣が自身の車へ乗せてやしきへ伴った。病後の人の謹慎のしかたなども大臣がきびしく監督したのである。この世界でない所へ蘇生そせいした人間のように当分源氏は思った。
 九月の二十日ごろに源氏はまったく回復して、せるには痩せたがかえってえんな趣の添った源氏は、今も思いをよくして、またよく泣いた。その様子に不審を抱く人もあって、物怪もののけいているのであろうとも言っていた。源氏は右近を呼び出して、ひまな静かな日の夕方に話をして、
「今でも私にはわからぬ。なぜだれの娘であるということをどこまでも私に隠したのだろう。たとえどんな身分でも、私があれほどの熱情で思っていたのだから、打ち明けてくれていいわけだと思って恨めしかった」
 とも言った。
「そんなにどこまでも隠そうなどとあそばすわけはございません。そうしたお話をなさいます機会がなかったのじゃございませんか。最初があんなふうでございましたから、現実の関係のように思われないとお言いになって、それでもまじめな方ならいつまでもこのふうで進んで行くものでもないから、自分は一時的な対象にされているにすぎないのだとお言いになっては寂しがっていらっしゃいました」
 右近がこう言う。
「つまらない隠し合いをしたものだ。私の本心ではそんなにまで隠そうとは思っていなかった。ああいった関係は私に経験のないことだったから、ばかに世間がこわかったのだ。御所の御注意もあるし、そのほかいろんな所に遠慮があってね。ちょっとした恋をしても、それを大問題のように扱われるうるさい私が、あの夕顔の花の白かった日の夕方から、むやみに私の心はあの人へかれていくようになって、無理な関係を作るようになったのもしばらくしかない二人の縁だったからだと思われる。しかしまた恨めしくも思うよ。こんなに短い縁よりないのなら、あれほどにも私の心を惹いてくれなければよかったとね。まあ今でもよいから詳しく話してくれ、何も隠す必要はなかろう。七日七日に仏像をかせて寺へ納めても、名を知らないではね。それを表に出さないでも、せめて心の中でだれの菩提ぼだいのためにと思いたいじゃないか」
 と源氏が言った。
「お隠しなど決してしようとは思っておりません。ただ御自分のお口からお言いにならなかったことを、おかくれになってからおしゃべりするのは済まないような気がしただけでございます。御両親はずっと前におくなりになったのでございます。殿様は三位さんみ中将でいらっしゃいました。非常にかわいがっていらっしゃいまして、それにつけても御自身の不遇をもどかしく思召おぼしめしたでしょうが、その上寿命にも恵まれていらっしゃいませんで、お若くておくなりになりましたあとで、ちょっとしたことが初めで頭中将とうのちゅうじょうがまだ少将でいらっしったころに通っておいでになるようになったのでございます。三年間ほどは御愛情があるふうで御関係が続いていましたが、昨年の秋ごろに、あの方の奥様のお父様の右大臣の所からおどすようなことを言ってまいりましたのを、気の弱い方でございましたから、むやみに恐ろしがっておしまいになりまして、西の右京のほうに奥様の乳母めのとが住んでおりました家へ隠れて行っていらっしゃいましたが、その家もかなりひどい家でございましたからお困りになって、郊外へ移ろうとお思いになりましたが、今年は方角が悪いので、方角けにあの五条の小さい家へ行っておいでになりましたことから、あなた様がおいでになるようなことになりまして、あの家があの家でございますからわびしがっておいでになったようでございます。普通の人とはまるで違うほど内気で、物思いをしていると人から見られるだけでも恥ずかしくてならないようにお思いになりまして、どんな苦しいことも寂しいことも心に納めていらしったようでございます」
 右近のこの話で源氏は自身の想像が当たったことで満足ができたとともに、その優しい人がますます恋しく思われた。
「小さい子を一人行方ゆくえ不明にしたと言って中将が憂鬱ゆううつになっていたが、そんな小さい人があったのか」
 と問うてみた。
「さようでございます。一昨年の春お生まれになりました。お嬢様で、とてもおかわいらしい方でございます」
「で、その子はどこにいるの、人には私が引き取ったと知らせないようにして私にその子をくれないか。形見も何もなくて寂しくばかり思われるのだから、それが実現できたらいいね」
 源氏はこう言って、また、
「頭中将にもいずれは話をするが、あの人をああした所で死なせてしまったのが私だから、当分は恨みを言われるのがつらい。私の従兄いとこの中将の子である点からいっても、私の恋人だった人の子である点からいっても、私の養女にして育てていいわけだから、その西の京の乳母にも何かほかのことにして、お嬢さんを私の所へつれて来てくれないか」
 と言った。
「そうなりましたらどんなに結構なことでございましょう。あの西の京でお育ちになってはあまりにお気の毒でございます。私ども若い者ばかりでしたから、行き届いたお世話ができないということであっちへお預けになったのでございます」
 と右近は言っていた。静かな夕方の空の色も身にしむ九月だった。庭の植え込みの草などがうら枯れて、もう虫の声もかすかにしかしなかった。そしてもう少しずつ紅葉もみじの色づいた絵のような景色けしきを右近はながめながら、思いもよらぬ貴族の家の女房になっていることを感じた。五条の夕顔の花の咲きかかった家は思い出すだけでも恥ずかしいのである。竹の中で家鳩いえばとという鳥が調子はずれに鳴くのを聞いて源氏は、あの某院でこの鳥の鳴いた時に夕顔のこわがった顔が今も可憐かれんに思い出されてならない。
「年は幾つだったの、なんだか普通の若い人よりもずっと若いようなふうに見えたのも短命の人だったからだね」
「たしか十九におなりになったのでございましょう。私は奥様のもう一人のほうの乳母の忘れ形見でございましたので、三位さんみ様がかわいがってくださいまして、お嬢様といっしょに育ててくださいましたものでございます。そんなことを思いますと、あの方のおくなりになりましたあとで、平気でよくも生きているものだと恥ずかしくなるのでございます。弱々しいあの方をただ一人のたよりになる御主人と思って右近は参りました」
「弱々しい女が私はいちばん好きだ。自分が賢くないせいか、あまり聡明そうめいで、人の感情に動かされないような女はいやなものだ。どうかすれば人の誘惑にもかかりそうな人でありながら、さすがにつつましくて恋人になった男に全生命を任せているというような人が私は好きで、おとなしいそうした人を自分の思うように教えて成長させていければよいと思う」
 源氏がこう言うと、
「そのお好みには遠いように思われません方の、おかくれになったことが残念で」
 と右近は言いながら泣いていた。空は曇って冷ややかな風が通っていた。
 寂しそうに見えた源氏は、

見し人の煙を雲とながむればゆふべの空もむつまじきかな

 と独言ひとりごとのように言っていても、返しの歌は言い出されないで、右近は、こんな時に二人そろっておいでになったらという思いで胸の詰まる気がした。源氏はうるさかったきぬたの音を思い出してもその夜が恋しくて、「八月九月正長夜まさにながきよ千声万声せんせいばんせい無止時やむときなし」と歌っていた。
 今も伊予介いよのすけの家の小君こぎみは時々源氏の所へ行ったが、以前のように源氏から手紙を託されて来るようなことがなかった。自分の冷淡さに懲りておしまいになったのかと思って、空蝉うつせみは心苦しかったが、源氏の病気をしていることを聞いた時にはさすがになげかれた。それに良人おっとの任国へ伴われる日が近づいてくるのも心細くて、自分を忘れておしまいになったかと試みる気で、
このごろの御様子を承り、お案じ申し上げてはおりますが、それを私がどうしてお知らせすることができましょう。

問はぬをもなどかと問はで程ふるにいかばかりかは思ひ乱るる

苦しかるらん君よりもわれぞ益田ますだのいける甲斐かひなきという歌が思われます。
 こんな手紙を書いた。
 思いがけぬあちらからの手紙を見て源氏は珍しくもうれしくも思った。この人を思う熱情も決してめていたのではないのである。
生きがいがないとはだれが言いたい言葉でしょう。

うつせみの世はうきものと知りにしをまた言の葉にかかる命よ

はかないことです。
 病後のふるえの見える手で乱れ書きをした消息は美しかった。せみ脱殻ぬけがらが忘れずに歌われてあるのを、女は気の毒にも思い、うれしくも思えた。こんなふうに手紙などでは好意を見せながらも、これより深い交渉に進もうという意思は空蝉になかった。理解のある優しい女であったという思い出だけは源氏の心に留めておきたいと願っているのである。もう一人の女は蔵人くろうど少将と結婚したといううわさを源氏は聞いた。それはおかしい、処女でない新妻を少将はどう思うだろうと、その良人おっとに同情もされたし、またあの空蝉の継娘ままむすめはどんな気持ちでいるのだろうと、それも知りたさに小君を使いにして手紙を送った。
死ぬほど煩悶はんもんしている私の心はわかりますか。

ほのかにも軒ばのをぎをむすばずば露のかごとを何にかけまし

 その手紙を枝の長いおぎにつけて、そっと見せるようにとは言ったが、源氏の内心では粗相そそうして少将に見つかった時、妻の以前の情人の自分であることを知ったら、その人の気持ちは慰められるであろうという高ぶった考えもあった。しかし小君は少将の来ていないひまをみて手紙の添った荻の枝を女に見せたのである。恨めしい人ではあるが自分を思い出して情人らしい手紙を送って来た点では憎くも女は思わなかった。悪い歌でも早いのが取柄とりえであろうと書いて小君に返事を渡した。

ほのめかす風につけても下荻したをぎなかばは霜にむすぼほれつつ

 下手へたであるのを洒落しゃれた書き方で紛らしてある字の品の悪いものだった。の前にいた夜の顔も連想れんそうされるのである。碁盤を中にして慎み深く向かい合ったほうの人の姿態にはどんなに悪い顔だちであるにもせよ、それによって男の恋の減じるものでないよさがあった。一方は何の深味もなく、自身の若い容貌ようぼうに誇ったふうだったと源氏は思い出して、やはりそれにも心のかれるのを覚えた。まだ軒端の荻との情事は清算されたものではなさそうである。
 源氏は夕顔の四十九日の法要をそっと叡山えいざん法華堂ほっけどうで行なわせることにした。それはかなり大層なもので、上流の家の法会ほうえとしてあるべきものは皆用意させたのである。寺へ納める故人の服も新調したし寄進のものも大きかった。書写の経巻にも、新しい仏像の装飾にも費用は惜しまれてなかった。惟光これみつの兄の阿闍梨あじゃりは人格者だといわれている僧で、その人が皆引き受けてしたのである。源氏の詩文の師をしている親しい某文章博士もんじょうはかせを呼んで源氏は故人を仏に頼む願文がんもんを書かせた。普通の例と違って故人の名は現わさずに、死んだ愛人を阿弥陀仏あみだぶつにお託しするという意味を、愛のこもった文章で下書きをして源氏は見せた。
「このままで結構でございます。これに筆を入れるところはございません」
 博士はこう言った。激情はおさえているがやはり源氏の目からは涙がこぼれ落ちて堪えがたいように見えた。その博士は、
「何という人なのだろう、そんな方のおくなりになったことなど話も聞かないほどの人だのに、源氏の君があんなに悲しまれるほど愛されていた人というのはよほど運のいい人だ」
 とのちに言った。作らせた故人の衣裳いしょうを源氏は取り寄せて、はかまの腰に、

泣く泣くも今日けふはわが下紐したひもをいづれの世にか解けて見るべき

 と書いた。四十九日の間はなおこの世界にさまよっているという霊魂は、支配者によって未来のどの道へおもむかせられるのであろうと、こんなことをいろいろと想像しながら般若心経はんにゃしんぎょうの章句を唱えることばかりを源氏はしていた。頭中将にうといつも胸騒ぎがして、あの故人が撫子なでしこにたとえたという子供の近ごろの様子などを知らせてやりたく思ったが、恋人を死なせた恨みを聞くのがつらくて打ちいでにくかった。
 あの五条の家では女主人の行くえが知れないのを捜す方法もなかった。右近うこんまでもそれきり便たよりをして来ないことを不思議に思いながら絶えず心配をしていた。確かなことではないが通って来る人は源氏の君ではないかといわれていたことから、惟光になんらかの消息を得ようともしたが、まったく知らぬふうで、続いて今も女房の所へ恋の手紙が送られるのであったから、人々は絶望を感じて、主人を奪われたことを夢のようにばかり思った。あるいは地方官の息子むすこなどの好色男が、頭中将を恐れて、身の上を隠したままで父の任地へでも伴って行ってしまったのではないかとついにはこんな想像をするようになった。この家の持ち主は西の京の乳母めのとの娘だった。乳母の娘は三人で、右近だけが他人であったから便りを聞かせる親切がないのだと恨んで、そして皆夫人を恋しがった。右近のほうでは夫人を頓死とんしさせた責任者のように言われるのをつらくも思っていたし、源氏も今になって故人の情人が自分であった秘密を人に知らせたくないと思うふうであったから、そんなことで小さいお嬢さんの消息も聞けないままになって不本意な月日が両方の間にたっていった。
 源氏はせめて夢にでも夕顔を見たいと、長く願っていたが比叡ひえいで法事をした次の晩、ほのかではあったが、やはりその人のいた場所はそれがしの院で、源氏がまくらもとにすわった姿を見た女もそこに添った夢を見た。このことで、荒廃した家などに住む妖怪あやかしが、美しい源氏に恋をしたがために、愛人を取り殺したのであると不思議が解決されたのである。源氏は自身もずいぶん危険だったことを知って恐ろしかった。
 伊予介いよのすけが十月の初めに四国へ立つことになった。細君をつれて行くことになっていたから、普通の場合よりも多くの餞別せんべつ品が源氏から贈られた。またそのほかにも秘密な贈り物があった。ついでに空蝉うつせみ脱殻ぬけがらと言った夏の薄衣うすものも返してやった。

ふまでの形見ばかりと見しほどにひたすらそでの朽ちにけるかな

 細々こまごましい手紙の内容は省略する。贈り物の使いは帰ってしまったが、そのあとで空蝉は小君こぎみを使いにして小袿こうちぎの返歌だけをした。

蝉の羽もたち変へてける夏ごろもかへすを見てもは泣かれけり

 源氏は空蝉を思うと、普通の女性のとりえない態度をとり続けた女ともこれで別れてしまうのだとなげかれて、運命の冷たさというようなものが感ぜられた。
 今日きょうから冬の季にはいる日は、いかにもそれらしく、時雨しぐれがこぼれたりして、空の色も身にんだ。終日源氏は物思いをしていて、

過ぎにしも今日別るるも二みちに行くかた知らぬ秋のくれかな

 などと思っていた。秘密な恋をする者の苦しさが源氏にわかったであろうと思われる。
 こうした空蝉とか夕顔とかいうようなはなやかでない女と源氏のした恋の話は、源氏自身が非常に隠していたことがあるからと思って、最初は書かなかったのであるが、帝王の子だからといって、その恋人までが皆完全に近い女性で、いいことばかりが書かれているではないかといって、仮作したもののように言う人があったから、これらを補って書いた。なんだか源氏に済まない気がする。





底本:「全訳源氏物語 上巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年8月10日改版初版発行
   1994(平成6)年12月20日56版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月5日71版を使用しました。
入力:上田英代
校正:小林繁雄、鈴木厚司
2003年4月20日作成
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