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青年(せいねん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-7 9:47:53  点击:  切换到繁體中文


     六

 天長節の日の午前はこんな風で立ってしまった。婆あさんの運んで来た昼食(ひるしょく)を食べた。そこへぶらりと瀬戸速人(はやと)が来た。
 婆あさんが倅の長次郎に白(しら)げさせて持(も)て来た、小さい木札に、純一が名を書いて、門の柱に掛けさせて置いたので、瀬戸はすぐに尋ね当てて這入って来たのである。日当りの好(い)い小部屋で、向き合って据わって見ると、瀬戸の顔は大分故郷にいた時とは違っている。谷中の坂の下で逢ったときには、向うから声を掛けたのと顔の形よりは顔の表情を見たのとで、さ程には思わなかったが、瀬戸の昔油ぎっていた顔が、今は干からびて、目尻や口の周囲(まわり)に、何か言うと皺(しわ)が出来る。家主(いえぬし)の婆あさんなんぞは婆あさんでも最少(もすこ)し艶々(つやつや)しているように思われるのである。瀬戸はこう云った。
「ひどくしゃれた内を見附けたもんだなあ」
「そうかねえ」
「そうかねえもないもんだ。一体君は人に無邪気な青年だと云われる癖に、食えない人だよ。田舎から飛び出して来て、大抵の人間ならまごついているんだが、誰(だれ)の所をでも一人で訪問する。家を一人で探して借りる。まるで百年も東京にいる人のようじゃないか」
「君、東京は百年前にはなかったよ」
「それだ。君のそう云う方面は馬鹿な奴には分からないのだ。君はずるいよ」
 瀬戸は頻りにずるいよを振り廻して、純一の知己を以て自ら任じているという風である。それからこんな事を言った。今日の午後は暇なので、純一がどこか行きたい処でもあるなら、一しょに行っても好(い)い。上野の展覧会へ行っても好い。浅草公園へ散歩に行っても好い。今一つは自分の折々行く青年倶楽部(クラブ)のようなものがある。会員は多くは未来の文士というような連中で、それに美術家が二三人加わっている。極(ごく)真面目な会で、名家を頼んで話をして貰う事になっている。今日は拊石(ふせき)が来る。路花なんぞとは流派が違うが、なんにしろ大家の事だから、いつもより盛んだろうと思うというのである。
 純一は画なんぞを見るには、分かっても分からなくても、人と一しょに見るのが嫌(きらい)である。浅草公園の昨今の様子は、ちょいちょい新聞に出る出来事から推し測って見ても、わざわざ往って見る気にはなられない。拊石という人は流行に遅れたようではあるが、とにかく小説家中で一番学問があるそうだ。どんな人か顔を見て置こうと思った。そこで倶楽部へ連れて行って貰うことにした。
 二人は初音町を出て、上野の山をぶらぶら通り抜けた。博物館の前にも、展覧会の前にも、馬車が幾つも停めてある。精養軒の東照宮の方に近い入口の前には、立派な自動車が一台ある。瀬戸が云った。
「汽車はタアナアがかいたので画になったが、まだ自動車の名画というものは聞かないね」
「そうかねえ。文章にはもう大分あるようだが」
旨(うま)く書いた奴があるかね」
「小説にも脚本にも沢山書いてあるのだが、只使ってあるというだけのようだ。旨く書いたのはやっぱりマアテルリンクの小品位のものだろう」
「ふん。一体自動車というものは幾ら位するだろう」
「五六千円から、少し好(い)いのは一万円以上だというじゃあないか」
「それじゃあ、僕なんぞは一生画をかいても、自動車は買えそうもない」
 瀬戸は火の消えた朝日を、人のぞろぞろ歩いている足元へ無遠慮に投げて、苦笑をした。笑うとひどく醜くなる顔である。
 広小路に出た。国旗をぶっちがえにして立てた電車が幾台も来るが、皆満員である。瀬戸が無理に人を押し分けて乗るので、純一も為方なしに附いて乗った。
 須田町で乗り換えて、錦町で降りた。横町へ曲って、赤煉瓦の神田区役所の向いの処に来ると、瀬戸が立ち留まった。
 この辺には木造のけちな家ばかり並んでいる。その一軒の庇(ひさし)に、好く本屋の店先に立ててあるような、木の枠に紙を張り附けた看板が立て掛けてある。上の方へ横に羅馬(ロオマ)字でDIDASKALIA(ジダスカリア)と書いて、下には竪(たて)に十一月例会と書いてある。
「ここだよ。二階へ上がるのだ」
 瀬戸は下駄や半靴の乱雑に脱ぎ散らしてある中へ、薩摩下駄を跳ね飛ばして、正面の梯子(はしご)を登って行(い)く。純一は附いて上がりながら、店を横目で見ると、帳場の格子の背後(うしろ)には、二十(はたち)ばかりの色の蒼(あお)い五分刈頭の男がすわっていて、勝手に続いているらしい三尺の口に立っている赧顔(あからがお)の大女と話をしている。女は襷(たすき)がけで、裾をまくって、膝(ひざ)の少し下まである、鼠色になった褌(ふんどし)を出している。その女が「いらっしゃい」と大声で云って、一寸こっちを見ただけで、轡虫(くつわむし)の鳴くような声で、話をし続けているのである。
 二階は広くてきたない。一方の壁の前に、卓(テエブル)と椅子とが置いてあって、卓の上には花瓶に南天が生けてあるが、いつ生けたものか葉がところどころ泣菫(きゅうきん)の所謂(いわゆる)乾反葉(ひそりば)になっている。その側に水を入れた瓶とコップとがある。
 十四五人ばかりの客が、二つ三つの火鉢を中心にして、よごれた座布団の上にすわっている。間々にばら蒔(ま)いてある座布団は跡から来る客を待っているのである。
 客は大抵紺飛白(こんがすり)の羽織に小倉袴(こくらばかま)という風で、それに学校の制服を着たのが交っている。中には大学や高等学校の服もある。
 会話は大分盛んである。
 丁度純一が上がって来たとき、上(あが)り口(くち)に近い一群(ひとむれ)の中で、誰(たれ)やらが声高(こわだか)にこう云うのが聞えた。
「とにかく、君、ライフとアアトが別々になっている奴は駄目だよ」
 純一は知れ切った事を、仰山らしく云っているものだと思いながら、瀬戸が人にでも引き合わせてくれるのかと、少し躊躇(ちゅうちょ)していたが、瀬戸は誰やら心安い間らしい人を見附けて、座敷のずっと奥の方へずんずん行って、その人と小声で忙(せわ)しそうに話し出したので、純一は上り口に近い群の片端に、座布団を引き寄せて寂しく据わった。
 この群では、識(し)らない純一の来たのを、気にもしない様子で、会話を続けている。
 話題に上っているのは、今夜演説に来る拊石である。老成らしい一人(いちにん)が云う。あれはとにかく芸術家として成功している。成功といっても一時世間を動かしたという側でいうのではない。文芸史上の意義でいうのである。それに学殖がある。短篇集なんぞの中には、西洋の事を書いて、西洋人が書いたとしきゃ思われないようなのがあると云う。そうすると、さっき声高に話していた男が、こう云う。学問や特別知識は何の価値もない。芸術家として成功しているとは、旨く人形を列(なら)べて、踊らせているような処を言うのではあるまいか。その成功が嫌(いや)だ。纏(まと)まっているのが嫌だ。人形を勝手に踊らせていて、エゴイストらしい自己が物蔭に隠れて、見物の面白がるのを冷笑しているように思われる。それをライフとアアトが別々になっているというのだと云う。こう云っている男は近眼目がねを掛けた痩男(やせおとこ)で、柄にない大きな声を出すのである。傍(そば)から遠慮げに喙(くちばし)を容れた男がある。
「それでも教員を罷(や)めたのなんぞは、生活を芸術に一致させようとしたのではなかろうか」
「分かるもんか」
 目金(めがね)の男は一言で排斥した。
 今まで黙っている一人の怜悧(れいり)らしい男が、遠慮げな男を顧みて、こう云った。
「しかし教員を罷めただけでも、鴎村なんぞのように、役人をしているのに比べて見ると、余程芸術家らしいかも知れないね」
 話題は拊石から鴎村に移った。
 純一は拊石の物などは、多少興味を持って読んだことがあるが、鴎村の物では、アンデルセンの飜訳(ほんやく)だけを見て、こんなつまらない作を、よくも暇潰(ひまつぶ)しに訳したものだと思ったきり、この人に対して何の興味をも持っていないから、会話に耳を傾けないで、独りで勝手な事を思っていた。
 会話はいよいよ栄(さか)えて、笑声(わらいごえ)が雑(まじ)って来る。
「厭味だと云われるのが気になると見えて、自分で厭味だと書いて、その書いたのを厭味だと云われているなんぞは、随分みじめだね」と、怜悧らしい男が云って、外の人と一しょになって笑ったのだけが、偶然純一の耳に止まった。
 純一はそれが耳に止まったので、それまで独(ひとり)で思っていた事の端緒を失って、ふいとこう思った。自分の世間から受けた評に就いてかれこれ云えば、馬鹿にせられるか、厭味と思われるかに極(き)まっている。そんな事を敢(あえ)てする人はおめでたいかも知れない。厭味なのかも知れない。それとも実際無頓着(むとんちゃく)に自己を客観(かくかん)しているのかも知れない。それを心理的に判断することは、性格を知らないでは出来ない筈だと思った。
 瀬戸が座敷の奥の方から、「小泉君」と呼んだ。純一がその方を見ると、瀬戸はもう初めの所にはいない。隅の方に、子供の手習机を据えて、その上に書類を散らかしている男と、火鉢を隔てて、向き合っているのである。
 席を起ってそこへ行って見れば、机の上には一円札やら小さい銀貨やらが、書類の側に置いてある。純一はそこで七十銭の会費を払った。
「席料と弁当代だよ」瀬戸は純一にこう云って聞せながら、机を構えている男に、「今日は菓子は出ないのかい」と云った。
 まだ返辞をしないうちに、例の赭顔の女中が大きい盆に一人前(ひとりまえ)ずつに包んだ餅菓子を山盛にして持って来て銘々に配り始めた。
 配ってしまうと、大きい土瓶に番茶を入れたのを、所々に置いて行(ゆ)く。
 純一が受け取った菓子を手に持ったまま、会計をしている人の机の傍にいると、「おい、瀬戸」と呼び掛けられて、瀬戸は忙がしそうに立って行った。呼んだのは、初め這入ったとき瀬戸が話をしていた男である。髪を長く伸(のば)した、色の蒼い男である。又何か小声で熱心に話し出した。
 人が次第に殖えて来て、それが必ずこの机の傍に来るので、純一は元の席に帰った。余り上(あが)り口(ぐち)に近いので、自分の敷いていた座布団だけはまだ人に占領せられずにあったのである。そこで据わろうと思うと半分ばかり飲みさしてあった茶碗をひっくり返した。純一は少し慌てて、「これは失敬しました」と云って袂(たもと)からハンカチイフを出して拭いた。
「畳が驚くでしょう」
 こう云って茶碗の主は、純一が銀座のどこやらの店で、ふいと一番善いのをと云って買った、フランドルのバチストで拵(こしら)えたハンカチイフに目を注(つ)けている。この男は最初から柱に倚(よ)り掛かって、黙って人の話を聞きながら、折々純一の顔を見ていたのである。大学の制服の、襟にMの字の附いたのを着た、体格の立派な男である。
 一寸(ちょっと)調子の変った返事なので、畳よりは純一の方が驚いて顔を見ていると、「君も画家ですか」と云った。「いえ。そうではありません。まだ田舎から出たばかりで、なんにも遣(や)っていないのです」
 純一はこう云って、名刺を学生にわたした。学生は、「名刺があったかしらん」とつぶやきながら隠しを探って、小さい名刺を出して純一にくれた。大村荘之助としてある。大村はこう云った。
「僕は医者になるのだが、文学好だもんだから、折々出掛けて来ますよ。君は外国語は何を遣っています」
「フランスを少しばかり習いました」
「何を読んでいます」
「フロオベル、モオパッサン、それから、ブウルジェエ、ベルジックのマアテルリンクなんぞを些(すこし)ばかり読みました」
「らくに読めますか」
「ええ。マアテルリンクなんぞは、脚本は分りますが、論文はむつかしくて困ります」
「どうむつかしいのです」
「なんだか要点が掴(つか)まえにくいようで」
「そうでしょう」
 大村の顔を、微(かす)かな微笑が掠(かす)めて過ぎた。嘲(あざけり)の分子なんぞは少しも含まない、温い微笑である。感激し易い青年の心は、何故(なにゆえ)ともなくこの人を頼もしく思った。作品を読んで慕って来た大石に逢ったときは、その人が自分の想像に画(えが)いていた人と違ってはいないのに、どうも険しい巌(いわ)の前に立ったような心持がしてならなかった。大村という人は何をしている人だか知らない。医科の学生なら、独逸(ドイツ)は出来るだろう。それにフランスも出来るらしい。只これだけの推察が、咄嗟(とっさ)の間に出来たばかりであるのに、なんだか力になって貰われそうな気がする。ニイチェという人は、「己(おれ)は流(ながれ)の岸の欄干だ」と云ったそうだが、どうもこの大村が自分の手で掴えることの出来る欄干ではあるまいかと思われてならない。そして純一のこう思う心はその大きい瞳(ひとみ)を透(とお)して大村の心にも通じた。
 この時梯子の下で、「諸君、平田先生が見えました」と呼ぶ声がした。平田というのは拊石の氏(うじ)なのである。

     七

 幹事らしい男に案内せられて、梯子を登って来る、拊石という人を、どんな人かと思って、純一は見ていた。
 少し古びた黒の羅紗服(らしゃふく)を着ている。背丈は中位である。顔の色は蒼いが、アイロニイを帯びた快活な表情である。世間では鴎村と同じように、継子(ままこ)根性のねじくれた人物だと云っているが、どうもそうは見えない。少し赤み掛かった、たっぷりある八字髭(はちじひげ)が、油気なしに上向(うえむき)に捩(ね)じ上げてある。純一は、髭というものは白くなる前に、四十代で赤み掛かって来る、その頃でなくては、日本人では立派にはならないものだと思った。
 拊石は上(あが)り口(ぐち)で大村を見て、「何か書けますか」と声を掛けた。
「どうも持って行って見て戴くようなものは出来ません」
「ちっと無遠慮に世間へ出して見給え。活字は自由になる世の中だ」
「余り自由になり過ぎて困ります」
「活字は自由でも、思想は自由でないからね」
 緩(ゆるや)かな調子で、人に強い印象を与える詞附(ことばつき)である。強い印象を与えるのは、常に思想が霊活に動いていて、それをぴったり適応した言語で表現するからであるらしい。
 拊石は会計掛の机の側へ案内せられて、座布団の上へ胡坐(あぐら)をかいて、小さい紙巻の煙草を出して呑(の)んでいると、幹事が卓(たく)の向うへ行って、紹介の挨拶をした。
 拊石は不精らしく体を卓の向うへ運んだ。方々の話声の鎮まるのを、暫(しばら)く待っていて、ゆっくり口を開く。不断の会話のような調子である。
「諸君からイブセンの話をして貰いたいという事でありました。わたくしもイブセンに就いて、別に深く考えたことはない。イブセンに就いてのわたくしの智識は、諸君の既に有しておられる智識以上に何物もあるまいと思う。しかし知らない事を聞くのは骨が折れる。知っていることを聞くの気楽なるに如(し)かずである。お菓子が出ているようだから、どうぞお菓子を食べながら気楽に聞いて下さい」
 こんな調子である。声色(せいしょく)を励ますというような処は少しもない。それかと云って、評判に聞いている雪嶺(せつれい)の演説のように訥弁(とつべん)の能弁だというでもない。平板極まる中(うち)に、どうかすると非常に奇警な詞が、不用意にして出て来るだけは、雪嶺の演説を速記で読んだときと同じようである。
 大分話が進んで来てから、こんな事を言った。「イブセンは初め諾威(ノオルウェイ)の小さいイブセンであって、それが社会劇に手を着けてから、大きな欧羅巴(ヨオロッパ)のイブセンになったというが、それが日本に伝わって来て、又ずっと小さいイブセンになりました。なんでも日本へ持って来ると小さくなる。ニイチェも小さくなる。トルストイも小さくなる。ニイチェの詞を思い出す。地球はその時小さくなった。そしてその上に何物をも小さくする、最後の人類がひょこひょこ跳(おど)っているのである。我等は幸福を発見したと、最後の人類は云って、目をしばだたくのである。日本人は色々な主義、色々なイスムを輸入して来て、それを弄(もてあそ)んで目をしばだたいている。何もかも日本人の手に入(い)っては小さいおもちゃになるのであるから、元が恐ろしい物であったからと云って、剛(こわ)がるには当らない。何も山鹿素行(やまがそこう)や、四十七士や、水戸浪士を地下に起して、その小さくなったイブセンやトルストイに対抗させるには及ばないのです」まあ、こんな調子である。
 それから新しい事でもなんでもないが、純一がこれまで蓄えて持っている思想の中心を動かされたのは拊石が諷刺(ふうし)的な語調から、忽然(こつぜん)真面目になって、イブセンの個人主義に両面があるということを語り出した処であった。拊石は先(ま)ず、次第にあらゆる習慣の縛(いましめ)を脱して、個人を個人として生活させようとする思想が、イブセンの生涯の作の上に、所謂(いわゆる)赤い糸になって一貫していることを言った。「種々の別離を己は閲(けみ)した」という様な心持である。これを聞いている間は、純一もこれまで自分が舟に棹(さお)さして下って行く順流を、演説者も同舟の人になって下って行くように感じていた。ところが、拊石は話頭を一転して、「これがイブセンの自己の一面です、Peer Gynt(ペエル ギント)に詩人的に発揮している自己の一面です、世間的自己です」と結んで置いて、別にイブセンには最初から他の一面の自己があるということを言った。「若しこの一面がなかったら、イブセンは放縦(ほうじゅう)を説くに過ぎない。イブセンはそんな人物ではない。イブセンには別に出世間的自己があって、始終向上して行(ゆ)こうとする。それがBrand(ブラント)に於いて発揮せられている。イブセンは何の為めに習慣の朽ちたる索(つな)を引きちぎって棄てるか。ここに自由を得て、身を泥土(でいど)に委(ゆだ)ねようとするのではない。強い翼に風を切って、高く遠く飛ぼうとするのである」純一はこれを聞いていて、その語気が少しも荘重に聞かせようとする様子でなく、依然として平坦な会話の調子を維持しているにも拘(かかわ)らず、無理に自分の乗っている船の舳先(へさき)を旋(めぐ)らして逆に急流を溯(さかのぼ)らせられるような感じがして、それから暫くの間は、独りで深い思量に耽(ふけ)った。
 譬(たと)えば長い間集めた物を、一々心覚えをして箱に入れて置いたのを、人に上を下へと掻(か)き交ぜられたような物である。それを元の通りにするのはむずかしい。いや、元の通りにしようなんぞとは思わない。元の通りでなく、どうにか整頓しようと思う。そしてそれが出来ないのである。出来ないのは無理もない。そんな整頓は固(もと)より一朝一夕に出来る筈の整頓ではないのである。純一の耳には拊石の詞が遠い遠い物音のように、意味のない雑音になって聞えている。
 純一はこの雑音を聞いているうちに、ふと聴衆の動揺を感じて、殆ど無意識に耳を欹(そばだ)てると、丁度拊石がこう云っていた。
「ゾラのClaude(クロオド)は芸術を求める。イブセンのブラントは理想を求める。その求めるものの為めに、妻をも子をも犠牲にして顧みない。そして自分も滅びる。そこを藪睨(やぶにらみ)に睨んで、ブラントを諷刺だとさえ云ったものがある。実はイブセンは大真面目である。大真面目で向上の一路を示している。悉皆(しっかい)か絶無か。この理想はブラントという主人公の理想であるが、それが自己より出(い)でたるもの、自己の意志より出でたるものだという所に、イブセンの求めるものの内容が限られている。とにかく道は自己の行(ゆ)く為めに、自己の開く道である。倫理は自己の遵奉(じゅんぽう)する為めに、自己の構成する倫理である。宗教は自己の信仰する為めに、自己の建立する宗教である。一言(いちげん)で云えば、Autonomie(オオトノミイ)である。それを公式にして見せることは、イブセンにも出来なんだであろう。とにかくイブセンは求める人であります。現代人であります。新しい人であります」
 拊石はこう云ってしまって、聴衆は結論だかなんだか分らずにいるうちに、ぶらりとテエブルを離れて前に据わっていた座布団の上に戻った。
 あちこちに拍手するものがあったが、はたが応ぜないので、すぐに止(や)んでしまった。多数は演説が止んでもじっと考えている。一座は非常に静かである。
 幹事が閉会を告げた。
 下女が鰻飯(うなぎめし)の丼(どんぶり)を運び出す。方々で話声はちらほら聞えて来るが、その話もしめやかである。自分自分で考えることを考えているらしい。縛(いましめ)がまだ解けないのである。
 幹事が拊石を送り出すを相図に、会員はそろそろ帰り始めた。

     八

 純一が梯子段の処に立っていると、瀬戸が忙(いそが)しそうに傍へ来て問うのである。
「君、もうすぐに帰るか」
「帰る」
「それじゃあ、僕は寄って行(い)く処があるから、失敬するよ」
 門口(かどぐち)で別れて、瀬戸は神田の方へ行(ゆ)く。倶楽部へ来たときから、一しょに話していた男が、跡から足を早めて追っ駈けて行った。
 純一が小川町(おがわまち)の方へ一人で歩き出すと、背後(うしろ)を大股(おおまた)に靴で歩いて来る人のあるのに気が附いた。振り返って見れば、さっき大村という名刺をくれた医科の学生であった。並ぶともなしに、純一の右側を歩きながら、こう云った。
「君はどっちへ帰るのです」
「谷中にいます」
「瀬戸は君の親友ですか」
「いいえ。親友というわけではないのですが、国で中学を一しょに遣ったものですから」
 なんだか言いわけらしい返事である。血色の好(い)い、巌乗(がんじょう)な大村は、純一と歩度を合せる為めに、余程加減をして歩くらしいのである。小川町の通を須田町の方へ、二人は暫く無言で歩いている。
 両側の店にはもう明りが附いている。少し風が出て、土埃(ほこり)を捲き上げる。看板ががたがた鳴る。天下堂の前の人道を歩きながら、大村が「電車ですか」と問うた。
「僕は少し歩こうと思います」
「元気だねえ。それじゃあ、僕も不精をしないで歩くとしようか。しかし君は本郷へ廻っては損でしょう」
「いいえ。大した違いはありません」
 又暫く詞が絶えた。大村が歩度を加減しているらしいので、純一はなるたけ大股に歩こうとしている。しかし純一は、大村が無理をして縮める歩度は整っているのに、自分の強いて伸べようとする歩度は乱れ勝になるように感ずるのである。そしてそれが歩度ばかりではない。只なんとなく大村という男の全体は平衡を保っているのに、自分は動揺しているように感ずるのである。
 この動揺の性質を純一は分析して見ようとしている。ところが、それがひどくむずかしい。先頃大石に逢った時を顧みれば、彼を大きく思って、自分を小さく思ったに違いない。しかし彼が何物をか有しているとは思わない。自分も相応に因襲や前極めを破壊している積りでいたのに、大石に逢って見れば、彼の破壊は自分なんぞより周到であるらしい。自分も今一洗濯(ひとせんたく)したら、あんな態度になられるだろうと思った。然(しか)るに今日拊石の演説を聞いているうちに、彼が何物をか有しているのが、髣髴(ほうふつ)として認められた様である。その何物かが気になる。自分の動揺は、その何物かに与えられた波動である。純一は突然こう云った。
「一体新人というのは、どんな人を指して言うのでしょう」
 大村は純一の顔をちょいと見た。そして目と口との周囲に微笑の影が閃(ひらめ)いた。
「さっき拊石さんがイブセンを新しい人だと云ったから、そう云うのですね。拊石さんは妙な人ですよ。新人というのが嫌いで、わざわざ新しい人と云っているのです。僕がいつか新人と云うと、新人とは漢語で花娵(はなよめ)の事だと云って、僕を冷かしたのです」
 話が横道へ逸(そ)れるのを、純一はじれったく思って、又出直して見た。
「なる程旧人と新人ということは、女の事にばかり云ってあるようですね。そんなら僕も新しい人と云いましょう。新しい人はつまり道徳や宗教の理想なんぞに捕われていない人なんでしょうか。それとも何か別の物を有している人なんでしょうか」
 微笑が又閃く。
「消極的新人と積極的新人と、どっちが本当の新人かと云うことになりますね」
「ええ。まあ、そうです。その積極的新人というものがあるでしょうか」
 微笑が又閃く。
「そうですねえ。有るか無いか知らないが、有る筈(はず)には相違ないでしょう。破壊してしまえば、又建設する。石を崩しては、又積むのでしょうよ。君は哲学を読みましたか」
「哲学に就いては、少し読んで見ました。哲学その物はなんにも読みません」正直に、躊躇せずに答えたのである。
「そうでしょう」
 夕(ゆうべ)の昌平橋は雑沓(ざっとう)する。内神田の咽喉(いんこう)を扼(やく)している、ここの狭隘(きょうあい)に、おりおり捲き起される冷たい埃(ほこり)を浴びて、影のような群集(ぐんじゅ)が忙(せわ)しげに摩(す)れ違っている。暫くは話も出来ないので、影と一しょに急ぎながら空を見れば、仁丹の広告燈が青くなったり、赤くなったりしている。純一は暫く考えて見て云った。
「哲学が幾度建設せられても、その度毎に破壊せられるように、新人も積極的になって、何物かを建設したら、又その何物かに捕われるのではないでしょうか」
「捕われるのですとも。縄が新しくなると、当分当りどころが違うから、縛(いましめ)を感ぜないのだろうと、僕は思っているのです」
「そんなら寧(むし)ろ消極のままで、懐疑に安住していたらどうでしょう」
「懐疑が安住でしょうか」
 純一は一寸窮した。「安住と云ったのは、矛盾でした。つまり永遠の懐疑です」
「なんだか咀(のろ)われたものとでも云いそうだね」
「いいえ。懐疑と云ったのも当っていません。永遠に求めるのです。永遠の希求です」
「まあ、そんなものでしょう」
 大村の詞はひどく冷澹(れいたん)なようである。しかしその音調や表情に温(あたたか)みが籠(こも)っているので、純一は不快を感ぜない。聖堂の裏の塀のあたりを歩きながら、純一は考え考えこんな事を話し出した。
「さっき倶楽部でもお話をしたようですが、僕はマアテルリンクを大抵読んで見ました。それから同じ学校にいた友達だというので、Verhaeren(フェルハアレン)を読み始めたのです。この間La Multiple Splendeur(ラ ミュルチプル スプランドヨオル)が来たもんですから、それを国から出て来るとき、汽車で読みました。あれには大分纏まった人世観のようなものがあるのですね。妙にこう敬虔(けいけん)なような態度を取っているのですね。まるで日本なんぞで新人だと云っている人達とは違っているもんですから、へんな心持がしました。あなたの云う積極的新人なのでしょう。日本で消極的な事ばかし書いている新人の作を見ますと、縛られた縄を解(ほど)いて行(ゆ)く処に、なる程と思う処がありますが、別に深く引き附けられるような感じはありません。あのフェルハアレンの詩なんぞを見ますと、妙な人生観があるので、それが直ぐにこっちの人生観にはならないのですが、その癖あの敬虔なような調子に引き寄せられてしまうのです。ロダンは友達だそうですが、丁度ロダンの彫刻なんぞも、同じ事だろうと思うのです。そうして見ると、西洋で新人と云われている連中は、皆気息の通(かよ)っている処があって、それが日本の新人とは大分違っているように思うのです。拊石さんのイブセンの話も同じ事です。どうも日本の新人という人達は、拊石の云ったように、小さいのではありますまいか」
「小さいのですとも。あれはClique(クリク)の名なのです」大村は恬然(てんぜん)としてこう云った。
 銘々勝手な事を考えて、二人は本郷の通を歩いた。大村の方では田舎もなかなか馬鹿にはならない、自分の知っている文科の学生の或るものよりは、この独学の青年の方が、眼識も能力も優れていると思うのである。
 大学前から、道幅のまだ広げられない森川町に掛かるとき、大村が突然こう云った。
「君、瀬戸には気を着けて交際し給えよ」
「ええ。分かっています。Boheme(ボエエム)[#一つ目の「e」は「`」付き]ですから」
「うん。それが分かっていれば好(い)いのです」
 近いうちに大村の西片町の下宿を尋ねる約束をして、純一は高等学校の角を曲った。

     九

 十一月二十七日に有楽座でイブセンのJohn Gabriel Borkmann(ジョン ガブリエル ボルクマン)が興行せられた。
 これは時代思潮の上から観(み)れば、重大なる出来事であると、純一は信じているので、自由劇場の発表があるのを待ち兼ねていたように、早速会員になって置いた。これより前に、まだ純一が国にいた頃、シェエクスピイア興行があったこともある。しかしシェエクスピイアやギョオテは、縦(たと)いどんなに旨(うま)く演ぜられたところで、結構には相違ないが、今の青年に痛切な感じを与えることはむずかしかろう。痛切でないばかりではない。事に依ると、あんなクラッシックな、俳諧(はいかい)の用語で言えば、一時流行でなくて千古不易の方に属する作を味う余裕は、青年の多数には無いと云っても好かろう。極端に言えば、若しシェエクスピイアのような作が新しく出たら、これはドラムではない、テアトルだなんぞと云うかも知れない。その韻文をも冗漫だと云うかも知れない。ギョオテもそうである。ファウストが新作として出たら、青年は何と云うだろうか。第二部は勿論(もちろん)であるが、第一部でも、これは象徴ではない、アレゴリイだとも云い兼ねまい。なぜと云うに、近世の写実の強い刺戟(しげき)に慣れた舌には、百年前(ぜん)の落ち着いた深い趣味は味いにくいからである。そこでその古典的なシェエクスピイアがどう演ぜられたか。当時の新聞雑誌で見れば、ヴェネチアの街が駿河台の屋鋪町(やしきまち)で、オセロは日清戦争時代の将官の肋骨服(ろっこつふく)に、三等勲章を佩(お)びて登場したということである。その舞台や衣裳(いしょう)を想像して見たばかりで、今の青年は侮辱せられるような感じをせずにはいられないのである。
 二十七日の晩に、電車で数寄屋橋(すきやばし)まで行って、有楽座に這入(はい)ると、パルケットの四列目あたりに案内せられた。見物はもうみんな揃(そろ)って、興行主の演説があった跡で、丁度これから第一幕が始まるという時であった。
 東京に始めて出来て、珍らしいものに言い囃(はや)されている、この西洋風の夜の劇場に這入って見ても、種々の本や画(え)で、劇場の事を見ている純一が為めには、別に目を駭(おどろ)かすこともない。
 純一の席の近処は、女客ばかりであった。左に二人並んでいるのは、まだどこかの学校にでも通っていそうな廂髪(ひさしがみ)の令嬢で、一人は縹色(はなだいろ)の袴(はかま)、一人は菫色(すみれいろ)の袴を穿(は)いている。右の方にはコオトを着たままで、その上に毛の厚いskunks(スカンクス)の襟巻をした奥さんがいる。この奥さんの左の椅子が明いていたのである。
 純一が座に着くと、何やら首を聚(あつ)めて話していた令嬢も、右手の奥さんも、一時に顔を振り向けて、純一の方を向いた。縹色のお嬢さんは赤い円顔で、菫色のは白い角張った顔である。その角張った顔が何やらに似ている。西洋人が胡桃(くるみ)を噬(か)み割らせる、恐ろしい口をした人形がある。あれを優しく女らしくしたようである。国へ演説に来たとき、一度見た事のある島田三郎という人に、どこやら似ている。どちらも美しくはない。それと違って、スカンクスの奥さんは凄(すご)いような美人で、鼻は高過ぎる程高く、切目の長い黒目勝(くろめがち)の目に、有り余る媚(こび)がある。誰(たれ)やらの奥さんに、友達を引き合せた跡で、「君、今の目附は誰にでもするのだから、心配し給うな」と云ったという話があるが、まあ、そんな風な目である。真黒い髪が多過ぎ長過ぎるのを、持て余しているというように見える。お嬢さん達はすぐに東西の桟敷を折々きょろきょろ見廻して、前より少し声を低めたばかり、大そうな用事でもあるらしく話し続けている。奥さんは良(や)や久しい間、純一の顔を無遠慮に見ていたのである。
「そら、幕が開(あ)いてよ」と縹のお嬢さんが菫のお嬢さんをつついた。「いやあね。あんまりおしゃべりに実が入(い)って知らないでいたわ」
 桟敷が闇(くら)くなる。さすが会員組織で客を集めただけあって、所々の話声がぱったり止(や)む。舞台では、これまでの日本の芝居で見物の同情を惹(ひ)きそうな理窟(りくつ)を言う、エゴイスチックなボルクマン夫人が、倅(せがれ)の来るのを待っている処へ、倅ではなくて、若かった昔の恋の競争者で、情に脆(もろ)い、じたらくなような事を言う、アルトリュスチックな妹エルラが来て、長い長い対話が始まる。それを聞いているうちに、筋の立った理窟を言う夫人の、強そうで弱みのあるのが、次第に同情を失って、いくじのなさそうな事を言う妹の、弱そうで底力のあるのに、自然と同情が集まって来る。見物は少し勝手が違うのに気が附く。対話には退屈しながら、期待の情に制せられて、息を屏(つ)めて聞いているのである。ちと大き過ぎた二階の足音が、破産した銀行頭取だと分かる所で、こんな影を画くような手段に馴れない見物が、始めて新しい刺戟を受ける。息子の情婦のヴィルトン夫人が出る。息子が出る。感情が次第に激して来る。皆引っ込んだ跡に、ボルクマン夫人が残って、床の上に身を転がして煩悶(はんもん)するところで幕になった。
 見物の席がぱっと明るくなった。
「ボルクマン夫人の転がるのが、さぞ可笑(おか)しかろうと思ったが、存外可笑しかないことね」と菫色が云った。
「ええ。可笑しかなくってよ。とにかく、変っていて面白いわね」と縹色が答えた。
 右の奥さんは、幕になるとすぐ立ったが、間もなく襟巻とコオトなしになって戻って来た。空気が暖(あたたか)になって来たからであろう。鶉縮緬(うずらちりめん)の上着に羽織、金春式唐織(こんぱるしきからおり)の丸帯であるが、純一は只黒ずんだ、立派な羽織を着ていると思って見たのである。それから膝(ひざ)の上に組み合せている指に、殆ど一本一本指環(ゆびわ)が光っているのに気が着いた。
 奥さんの目は又純一の顔に注がれた。
「あなたは脚本を読んでいらっしゃるのでしょう。次の幕はどんな処でございますの」
 落ち着いた、はっきりした声である。そしてなんとなく金石(きんせき)の響を帯びているように感ぜられる。しかし純一には、声よりは目の閃きが強い印象を与えた。横着らしい笑(えみ)が目の底に潜んでいて、口で言っている詞(ことば)とは、まるで別な表情をしているようである。そう思うと同時に、左の令嬢二人が一斉に自分の方を見たのが分かった。
「こん度の脚本は読みませんが、フランス訳で読んだことがあります。次の幕はあの足音のした二階を見せることになっています」
「おや、あなたフランス学者」奥さんはこう云って、何か思うことあるらしく、にっこり笑った。
 丁度この時幕が開いたので、答うることを須(もち)いない問のような、奥さんの詞は、どういう感情に根ざして発したものか、純一には分からずにしまった。
 舞台では檻(おり)の狼(おおかみ)のボルクマンが、自分にピアノを弾いて聞せてくれる小娘の、小さい心の臓をそっと開けて見て、ここにも早く失意の人の、苦痛の萌芽(ほうが)が籠もっているのを見て、強いて自分の抑鬱不平の心を慰めようとしている。見物は只娘フリイダの、小鳥の囀(さえず)るような、可哀(かわゆ)らしい声を聞いて、浅草公園の菊細工のある処に這入って、紅雀の籠(かご)の前に足を留めた時のような心持になっている。
「まあ、可哀(かわい)いことね」と縹色のお嬢さんの※(ささや)くのが聞えた。
 小鳥のようなフリイダが帰って、親鳥の失敗詩人が来る。それも帰る。そこへ昔命に懸けて愛した男を、冷酷なきょうだいに夫にせられて、不治の病に体のしんに食い込まれているエルラが、燭(しょく)を秉(と)って老いたる恋人の檻に這入って来る。妻になったという優勝の地位の象徴ででもあるように、大きい巾(きれ)を頭に巻き附けた夫人グンヒルドが、扉の外で立聞をして、恐ろしい幻のように、現れて又消える。爪牙(そうが)の鈍った狼のたゆたうのを、大きい愛の力で励まして、エルラはその幻の洞窟(どうくつ)たる階下の室に連れて行(ゆ)こうとすると、幕が下りる。
 又見物の席が明るくなる。ざわざわと、風が林をゆするように、人の話声が聞えて来る。純一は又奥さんの目が自分の方に向いたのを知覚した。
「これからどうなりますの」
「こん度は又二階の下です。もうこん度で、あらかた解決が附いてしまいます」
 奥さんに詞を掛けられてから後(のち)は、純一は左手の令嬢二人に、鋭い観察の対象にせられたように感ずる。令嬢が自分の視野に映じている間は、その令嬢は余所(よそ)を見ているが、正面を向くか、又は少しでも右の方へ向くと、令嬢の視線が矢のように飛んで来て、自分の項(うなじ)に中(あた)るのを感ずる。見ていない所の見える、不愉快な感じである。Y県にいた時の、中学の理学の教師に、山村というお爺いさんがいて、それがSpiritisme(スピリチスム)に関する、妙な迷信を持っていた。その教師が云うには、人は誰でも体の周囲(まわり)に特殊な雰囲気を有している。それを五官を以てせずして感ずるので、道を背後(うしろ)から歩いて来る友達が誰(たれ)だということは、見返らないでも分かると云った。純一は五官を以てせずして、背後(はいご)に受ける視線を感ずるのが、不愉快でならなかった。
 幕が開(あ)いた。覿面(てきめん)に死と相見ているものは、姑息(こそく)に安んずることを好まない。老いたる処女エルラは、老いたる夫人の階下の部屋へ、檻の獣(けもの)を連れて来る。鷸蚌(いっぽう)ならぬ三人に争われる、獲(え)ものの青年エルハルトは、夫人に呼び戻されて、この場へ帰る。母にも従わない。父にも従わない。情誼(じょうぎ)の縄で縛ろうとするおばにも従わない。「わたくしは生きようと思います」と云う、猛烈な叫声を、今日の大向うを占めている、数多(あまた)の学生連に喝采(かっさい)せられながら、萎(しお)れる前に、吸い取られる限(かぎり)の日光を吸い取ろうとしている花のようなヴィルトン夫人に連れられて、南国をさして雪中を立とうとする、銀の鈴の附いた橇(そり)に乗りに行(ゆ)く。
 この次の幕間(まくあい)であった。少し休憩の時間が長いということが、番附にことわってあったので、見物が大抵一旦席を立った。純一は丁度自分が立とうとすると、それより心持早く右手の奥さんが立ったので、前後から人に押されて、奥さんの体に触れては離れ、離れては触れながら、外の廊下の方へ歩いて行く。微(かすか)なparfum(パルフュウム)の※(におい)がおりおり純一の鼻を襲うのである。
 奥さんは振り向いて、目で笑った。純一は何を笑ったとも解(かい)せぬながら、行儀好く笑い交した。そして人に押されるのが可笑しいのだろうと、跡から解釈した。
 廊下に出た。純一は人が疎(まばら)になったので、遠慮して奥さんの傍(そば)を離れようと思って、わざと歩度を緩め掛けた。しかしまだ二人の間に幾何(いくばく)の距離も出来ないうちに、奥さんが振り返ってこう云った。
「あなたフランス語をなさるのなら、宅に書物が沢山ございますから、見にいらっしゃいまし。新しい物ばかり御覧になるのかも知れませんが、古い本にだって、宜(よろ)しいものはございますでしょう。御遠慮はない内(うち)なのでございますの」
 前から識(し)り合っている人のように、少しの窘迫(きんぱく)の態度もなく、歩きながら云われたのである。純一は名刺を出して、奥さんに渡しながら、素直にこう云った。
「わたくしは国から出て参ったばかりで、谷中に家を借りておりますが、本は殆どなんにも持っていないと云っても宜しい位です。もし文学の本がございますのですと、少し古い本で見たいものが沢山ございます」
「そうですか。文学の本がございますの。全集というような物が揃えてございますの。その外は歴史のような物が多いのでしょう。亡くなった主人は法律学者でしたが、その方の本は大学の図書館に納めてしまいましたの」
 奥さんが未亡人(びぼうじん)だということを、この時純一は知った。そして初めて逢った自分に、宅へ本を見に来いなんぞと云われるのは、一家の主権者になっていられるからだなと思った。奥さんは姓名だけの小さく書いてある純一の名刺を一寸(ちょっと)読んで見て、帯の間から繻珍(しゅちん)の紙入を出して、それへしまって、自分の名刺を代りにくれながら、「あなた、お国は」と云った。
「Y県です」
「おや、それでは亡くなった主人と御同国でございますのね。東京へお出(いで)になったばかりだというのに、ちっともお国詞が出ませんじゃございませんか」
「いいえ。折々出ます」
 奥さんの名刺には坂井れい子と書いてあった。純一はそれを見ると、すぐ「坂井恒(こう)先生の奥さんでいらっしゃったのですね」と云って、丁寧に辞儀をした。
「宅を御存じでございましたの」
「いいえ。お名前だけ承知していましたのです」
 坂井先生はY県出身の学者として名高い人であった。Montesquieu(モンテスキュウ)のEsprit des lois(エスプリイ デ ロア)を漢文で訳したのなんぞは、評判が高いばかりで、広く世間には行われなかったが、Code Napoleon(コオド ナポレオン)[#「Napoleon」の「e」は「´」付き]の典型的な飜訳(ほんやく)は、先生が亡くなられても、価値を減ぜずにいて、今も坂井家では、これによって少からぬ収入を得ているのである。純一も先生が四十を越すまで独身でいて、どうしたわけか、娘にしても好(い)いような、美しい細君を迎えて、まだ一年と立たないうちに、脊髄(せきずい)病で亡くなられたということは、中学にいた時、噂(うわさ)に聞いていたのである。
 噂はそれのみではない。先生は本職の法科大学教授としてよりは、代々の当路者から種々(いろいろ)な用事を言い附けられて、随分多方面に働いておられたので、亡くなられた跡には一廉(ひとかど)の遺産があった。それを未亡人が一人で管理していて、旧藩主を始め、同県の人と全く交際を絶って、何を当てにしているとも分からない生活をしていられる。子がないのに、養子をせられるでもない。誰(たれ)も夫人と親密な人というもののあることを聞かない。先生の亡くなる僅か前に落成した、根岸のvilla(ヴィルラ)風の西洋造に住まっておられるが、静かに夫の跡を弔っていられるらしくはない。先生の存生(ぞんじょう)の時よりも派手な暮らしをしておられる。その生活は一(いつ)の秘密だということであった。
 純一が青年の空想は、国でこの噂話を聞いた時、種々(いろいろ)な幻像を描き出していたので、坂井夫人という女は、面白い小説の女主人公のように、純一の記憶に刻み附けられていたのである。
 純一は坂井先生の名を聞いていたという返事をして、奥さんの顔を見ると、その顔には又さっきの無意味な、若(もし)くは意味の掩(おお)われている微笑が浮んでいる。丁度二人は西の階段の下に佇(たたず)んでいたのである。
「上へ上がって見ましょうか」と奥さんが云った。
「ええ」
 二人は階段を登った。
 その時上の廊下から、「小泉君じゃあないか」と声を掛けるものがある。上から四五段目の処まで登っていた純一が、仰向いて見ると、声の主は大村であった。
「大村君ですか」
 この返事をすると、奥さんは頤(あご)で知れない程の会釈をして、足を早めて階段を登ってしまって、一人で左へ行った。
 純一は大村と階段の上り口に立っている。丁度Buffet(ビュッフェエ)と書いて、その下に登って左を指した矢の、書き添えてある札を打ち附けた柱の処である。純一は懐かしげに大村を見て云った。
「好く丁度一しょになったものですね。不思議なようです」
「なに、不思議なものかね。興行は二日しかない。我々は是非とも来る。そうして見ると、二分の一のprobabilite(プロバビリテエ)[# 最後の「e」は「´」付き]で出合うわけでしょう。ところが、ジダスカリアの連中なんぞは、皆大抵続けて来るから、それが殆ど一分の一になる」
「瀬戸も来ていますかしらん」
「いたようでしたよ」
「これ程立派な劇場ですから、foyer(フォアイエエ)とでも云ったような散歩場(ば)も出来ているでしょうね」
「出来ていないのですよ。先(ま)ずこの廊下あたりがフォアイエエになっている。広い場所があっちにあるが、食堂になっているのです。日本人は歩いたり話したりするよりは、飲食をする方を好くから、食堂を広く取るようになるのでしょう」
 純一の左の方にいた令嬢二人が、手を繋(つな)ぎ合って、頻(しき)りに話しながら通って行った。その外種々(いろいろ)な人の通る中で、大村がおりおりあれは誰(たれ)だと教えてくれるのである。
 それから純一は、大村と話しながら、食堂の入口まで歩いて行って、おもちゃ店(みせ)のあるあたりに暫(しばら)く立ち留まって、食堂に出入(でいり)する人を眺めていると、ベルが鳴った。
 純一が大村に別れて、階段を降りて、自分の席へ行(ゆ)くとき、腰掛の列の間の狭い道で人に押されていると、又parfum(パルフュウム)の香(か)がする。振り返って見て、坂井の奥さんの謎(なぞ)の目に出合った。
 雪の門口(かどぐち)の幕が開(あ)く。ヴィルトン夫人に娘を連れて行かれた、不遇の楽天詩人たる書記は、銀の鈴を鳴らして行く橇に跳飛(はねと)ばされて、足に怪我をしながらも、尚(なお)娘の前途を祝福して、寂しい家の燈(ともしび)の下(もと)に泣いている妻を慰めに帰って行く。道具が変って、丘陵の上になる。野心ある実業家たる老主人公が、平生心にえがいていた、大工場の幻を見て、雪のベンチの上に瞑目(めいもく)すると、優しい昔の情人と、反目の生活を共にした未亡人とが、屍(かばね)の上に握手して、幕は降りた。
 出口が込み合うからと思って、純一は暫く廊下に立ち留まって、舞台の方を見ていた。舞台では、一旦卸した幕を上げて、俳優が大詰の道具の中で、大詰の姿勢を取って、写真を写させている。
「左様なら。御本はいつでもお出(いで)になれば、御覧に入れます」
 純一が見返る暇に、坂井夫人の後姿は、出口の人込みの中にまぎれ入ってしまった。返事も出来なかったのである。純一は跡を見送りながら、ふいと思った。「どうも己(おれ)は女の人に物を言うのは、窮屈でならないが、なぜあの奥さんと話をするのを、少しも窮屈に感じなかったのだろう。それにあの奥さんは、妙な目の人だ。あの目の奥には何があるかしらん」
 帰るときに気を附けていたが、大村にも瀬戸にも逢はなかった。左隣にいたお嬢さん二人が頻りに車夫の名を呼んでいるのを見た。

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