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青年(せいねん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-7 9:47:53  点击:  切换到繁體中文


     二十三

 福住へ行(ゆ)こうか、行くまいか。これは純一が自分で自分を弄(もてあそ)んでいる仮設の問題である。しかし意識の閾(しきい)の下では、それはもう疾(と)っくに解決が附いている。肯定せられている。若(も)しこの場合に猶(なお)問題があるとすれば、それは時間の問題に過ぎないだろう。
 そしてその時間を縮めようとしている或る物が存(そん)じている。それは小さい記念の数々で、ふと心に留まった坂井夫人の挙動や、詞(ことば)と云う程でもない詞である。Un geste, un mot inarticule(アン ジェスト アン モオ イナルチクユレエ)[#最後の「e」は「´」付き]である。この物は時が立っても消えない。消えないどころではない。次第に璞(あらたま)から玉が出来るように、記憶の中で浄(きよ)められて、周囲から浮き上がって、光の強い、力の大きいものになっている。本を読んでいても、そのペエジと目との間に、この記念が投射せられて、今まで辿(たど)って来た意味の上に、破り棄てることの出来ない面紗(めんしゃ)を被せる。
 この記念を忘れさせてくれるLethe(レエテ)の水があるならば、飲みたいとも思って見る。そうかと思うと、又この記念位のものは、そっと棄てずに愛護して置いて、我(わが)感情の領分に、或るelegiaque(エレジアック)[#一つ目と二つ目の「e」は「´」付き]な要素があるようにしたって、それがなんの煩累(はんるい)をなそうぞと、弁護もして見る。要するに苦悩なるが故に芟(か)り除かんと欲し、甘き苦悩なるが故に割愛を難(かたん)ずるのである。
 純一はこう云う声が自分を嘲(あざけ)るのを聞かずにはいられなかった。お前は東京からわざわざ箱根へ来たではないか。それがなんで柏屋から福住へ行(ゆ)くのを憚(はばか)るのだ。これは純一が為めには、随分残酷な声であった。
 昨夜(ゆうべ)好く寐なかったからと、純一は必要のない嘘を女中に言って、午食(ごしょく)後に床を取らせて横になっているうちに、つい二時間ばかり寐てしまった。
 目を醒まして見ると、一人の女中が火鉢に炭をついでいた。色の蒼白(あおじろ)い、美しい女である。今まで飯の給仕に来たり、昼寐の床を取りに来たりした女中とはまるで違って、着物も絹物を着ている。
「あの、新聞を御覧になりますなら、持って参りましょう」
 俯向(うつむ)いた顔を挙げてちょいと見て、羞(はじ)を含んだような物の言いようをする。
「ああ。持って来ておくれ」
 別に読みたいとも思わずに、唯女の問うに任せて答えたのである。
 女はやはり俯向いて、なまめかしい態度をして立って行った。
 純一が起きて火鉢の側(そば)へ据わった処へ、新聞を二三枚持って来たのは、今立って行った女ではなかった。身なりも悪く、大声で物を言って、なんの動機もなく、不遠慮に笑う、骨格の逞(たくま)しい、並の女中である。純一はこの家に並の女中の外に、特別な女中の置いてあるのは、特別な用をさせる為めであろうと察したが、それを穿鑿(せんさく)して見ようとも思わなかった。
 純一は一枚の新聞を手に取って、文芸欄を一寸(ちょっと)見て、好くも読まずに下に置いた。大村の謂(い)うクリクに身を置いていない純一が為めには、目蓋(めおお)いを掛けたように一方に偏した評論は何の価値をも有せない。
 それから夕食前に少し散歩をして来ようと思って、ぶらりと宿屋を出た。石に触れて水の激する早川の岸を歩む。片側町に、宿屋と軒を並べた※匠(ひきものし)の店がある。売っているのは名物の湯本細工である。店の上(かみ)さんに、土産を買えと勧められて、何か嵩張(かさば)らないものをと、楊枝入(ようじい)れやら、煙草箱やらを、二つ三つ選(え)り分けていた。
 その時何か話して笑いながら、店の前を通り掛かる男女の浴客(よくかく)があった。その女の笑声(わらいごえ)が耳馴れたように聞えたので、店の上さんが吊銭(つりせん)の勘定をしている間、おもちゃの独楽(こま)を手に取って眺めていた純一が、ふと頭を挙げて声の方角を見ると、端(はし)なく坂井夫人と目を見合せた。
 夫人は紺飛白(こんがすり)のお召縮緬(めしちりめん)の綿入れの上に、青磁色の鶉縮緬(うずらちりめん)に三つ紋を縫わせた羽織を襲(かさ)ねて、髪を銀杏返(いちょうがえ)しに結(い)って、真珠の根掛を掛け、黒鼈甲(くろべっこう)に蝶貝(ちょうかい)を入れた櫛(くし)を挿(さ)している。純一の目には唯しっとりとした、地味な、しかも媚(こび)のある姿が映ったのである。
 夫人の朗かな笑声は忽ち絶えて、discret(ジスクレエ)な愛敬笑(あいきょうわらい)が目に湛(たた)えられた。夫人は根岸で別れてからの時間の隔たりにも、東京とこの土地との空間の隔たりにも頓着(とんじゃく)しないらしい、極めて無造作な調子で云った。
「あら。来ていらっしゃるのね」
 純一は「ええ」と云った積りであったが、声はいかにも均衡を失った声で、しかも殆ど我耳にさえ聞えない位低かった。
 夫人は足を留めて連れの男を顧みた。四十を越した、巌乗な、肩の廉張(かどば)った男である。器械刈にした頭の、筋太な、とげとげしい髪には、霜降りのように白い処が交っていて、顔だけつやつやして血色が好(い)い。夫人はその男にこう言った。
「小泉さんと云う、文学をなさる方でございます」それから純一の方に向いて云った。「この方は画家の岡村さんですの。やはり福住に泊っていらっしゃいます。あなたなぜ福住へいらっしゃらなかったの。わたくしがそう申したじゃありませんか」
「つい名前を忘れたもんですから、柏屋にしました」
「まあ忘れっぽくていらっしゃることね。晩にお遊びにいらっしゃいましな」言い棄てて、夫人が歩き出すと、それまで二王立(におうだち)に立って、巨人が小人島(こびとじま)の人間を見るように、純一を見ていた岡村画伯は、「晩に来給え」と、谺響(こだま)のように同じ事を言って、夫人の跡に続いた。
 純一は暫く二人を見送っていた。その間店の上さんが吊銭を手に載せて、板縁(いたえん)に膝(ひざ)を衝いて待っていたのである。純一はそれに気が附いて、小さい銀貨に大きい銅貨の交ったのを慌てて受け取って、※皮(わにがわ)の蝦蟇口(がまぐち)にしまって店を出た。
 対岸に茂っている木々は、Carnaval(カルナヴァル)に仮装をして、脚ばかり出した群(むれ)のように、いつの間にか夕霧に包まれてしまって駅路(えきろ)の所々(ところどころ)にはぽつりぽつりと、水力電気の明りが附き始めた。
 純一はぼんやりして宿屋の方へ歩いている。或る分析し難い不愉快と、忘れていたのを急に思い出したような寂しさとが、頭を一ぱいに填(うず)めている。そしてその不愉快が嫉妬(しっと)ではないと云うことを、純一の意識は証明しようとするが、それがなかなかむずかしい。なぜと云うに、あの湯本細工の店で邂逅(かいこう)した時、もし坂井夫人が一人であったなら、この不愉快はあるまいと思うからである。純一の考はざっとこうである。とにかくあの岡村という大男の存在が、己(おれ)を刺戟(しげき)したには相違ない。画家の岡村と云えば、四条派の画(え)で名高い大家だということを、己も聞いている。どんな性質の人かは知らない。それを強いて知りたくもない。唯あの二人を並べて見たとき、なんだか夫婦のようだと思ったのが、慥かに己の感情を害した。そう思ったのは、決して僻目(ひがめ)ではない。知らぬ人の冷澹(れいたん)な目で見ても、同じように見えるに違いない。早い話が、あの店の上さんだって、若しあの二人に対して物を言うことになったら、旦那様奥様と云っただろう。己は何もあんな男を羨(うらや)みなんかしない。あの男の地位に身を置きたくはない。しかし癪(しゃく)に障る奴だ。こんな風に岡村を憎む念が起って、それと同時に坂井夫人に対しては暗黒な、しかも鋭い不平を感ずる。不義理な、約束に背いた女だとさえ云いたい。しかし夫人は己にどんな義理があるか。夫人の守らなくてはならない約束はどんな約束であるか。この問には答うべき詞が一つもないのである。どうしてもこの感じは嫉妬にまぎらわしいようである。
 そしてこの感じに寂しさが伴っている。厭な、厭な寂しさである。大村に別れた後(のち)に、東京で寂しいと思ったのなんぞは、まるで比べものにならない。小さい時、小学校で友達が数人首を集めて、何か※(ささや)き合っていて、己がひとり遠くからそれを望見したとき、稍(やや)これに似た寂しさを感じたことがある。己はあの時十四位であった。丁度同じ学校に、一つ二つ年上で痩(やせ)ぎすの、背の高い、お勝という女生徒がいた。それが己を憎んで、動(やや)もすればこう云う境地に己を置いたのである。いつも首を集めて※き合う群の真中には蝶々髷(ちょうちょうまげ)だけ外の子供より高いお勝がいて、折々己の方を顧みる。何か非常な事を己に隠して遣っているらしい。その癖群に加わっている子供の一人に、跡からその時の話を聞いて見れば、なんでもない、己に聞せても差支(さしつかえ)ない事である。己はその度毎に、お勝の技倆(ぎりょう)に敬服して、好くも外の子供を糾合してあんなcomplot(コムプロオ)の影を幻出することだと思った。今己がこの事を思い出したのは、寂しさの感じから思い出したのであるが、つくづく考えて見れば、あの時の感じも寂しさばかりではなかったらしい。お勝は嫉妬の萌芽(ほうが)を己の心に植え附けたのではあるまいか。
 純一はこんな事を考えながら歩いていて、あぶなく柏屋の門口(かどぐち)を通り過ぎようとした。幸に内から声を掛けられたので、気が附いて戸口を這入って、腰を掛けたり立ったりした二三人の男が、帳場の番頭と話をしている、物騒がしい店を通り抜けて、自分の部屋の障子を明けた。女中がひとり背後(うしろ)から駈け抜けて、電燈の鍵(かぎ)を捩(ねじ)った。
     *     *     *
 夕食をしまって、純一は昼間見なかった分の新聞を取り上げて、引っ繰り返して見た。ふと「色糸」と題した六号活字の欄に、女の写真が出ているのを見ると、その首の下に横に「栄屋おちゃら」と書いてあった。印刷インクがぼってりとにじんでいて、半分隠れた顔ではあるが、確かに名刺をくれた柳橋の芸者である。
 記事はこうである。「栄屋の抱えおちゃら(十六)[#「(十六)」は縦中横組み]は半玉の時から男狂いの噂(うわさ)が高かったが、役者は宇佐衛門が贔屓(ひいき)で性懲(しょうこり)のない人形喰(にんぎょうくい)である。但し慾気のないのが取柄とは、外(ほか)からの側面観で、同家のお辰姉(たつね)えさんの強意見(こわいけん)は、動(やや)ともすれば折檻賽(せっかんまが)いの手荒い仕打になるのである。まさか江戸時代の柳橋芸者の遺風を慕うのでもあるまいが、昨今松さんという絆纏着(はんてんき)の兄(に)いさんに熱くなって、お辰姉えさんの大目玉を喰(く)い、しょげ返っているとはお気の毒」
 読んでしまって純一は覚えず微笑(ほほえ)んだ。縦(たと)い性欲の為めにもせよ、利を図ることを忘れることの出来る女であったと云うのが、殆ど嘉言善行(かげんぜんこう)を見聞きしたような慰めを、自分に与えてくれるのである。それは人形喰いという詞が、頗(すこぶ)る純一の自ら喜ぶ心を満足せしめるのである。若い心は弾力に富んでいる。どんな不愉快な事があって、自己を抑圧していても、聊(いささ)かの弛(ゆる)みが生ずるや否や、弾力は待ち構えていたようにそれを機として、無意識に元に帰そうとする。純一はおちゃらの記事を見て、少し気分を恢復(かいふく)した。
 丁度そこへ女中が来て、福住から来た使(つかい)の口上を取り次いだ。お暇ならお遊びにいらっしゃいと、坂井さんが仰(おっし)ゃったと云うのである。純一は躊躇(ちゅうちょ)せずに、只今伺いますと云えと答えた。想うに純一は到底この招きに応ぜずにしまうことは出来なかったであろう。なぜと云うに、縦(よ)しや強(す)ねてことわって見たい情はあるとしても、卑怯(ひきょう)らしく退嬰(たいえい)の態度を見せることが、残念になるに極(き)まっているからである。しかし少しも逡巡(しゅんじゅん)することなしに、承諾の返事をさせたのは、色糸のおちゃらが坂井夫人の為めに緩頬(かんきょう)の労を取ったのだと云っても好(い)い。
 純一は直ぐに福住へ行った。
 女中に案内せられて、万翠楼(ばんすいろう)の三階の下を通り抜けて、奥の平家立ての座敷に近づくと、電燈が明るく障子に差して、内からは笑声(わらいごえ)が聞えている。Basse(バス)の嘶(いなな)くような笑声である。岡村だなと思うと同時に、このまま引き返してしまいたいような反感が本能的に起って来る。
 箱根に於ける坂井夫人。これは純一の空想に度々画(えが)き出(いだ)されたものであった。鬱蒼(うっそう)たる千年の老木の間に、温泉宿の離れ座敷がある。根岸の家の居間ですら、騒がしい都会の趣はないのであるが、ここは又全く人間に遠ざかった境(さかい)で、その静寂の中(うち)にOndine(オンジイヌ)のような美人を見出すだろうと思った。それに純一は今先(ま)ずFaune(フォオヌ)の笑声を聞かなくてはならないのである。
 廊下に出迎えた女を見れば、根岸で見たしづ枝である。
「お待ちなさっていらっしゃいますから、どうぞこちらへ」ここで客の受取り渡しがある。前哨線が張ってあるようなものだと、純一は思った。そして何物が掩護(えんご)せられてあるのか。その神聖なる場所は、岡村という男との差向いの場所ではないか。根岸で嬉しく思ったことを、ここでは直ぐに厭に思う。地を易(か)うれば皆然(しか)りである。
 次の間に入って跪(ひざまず)いたしづ枝が、「小泉様がお出でになりました」と案内をして、徐(しず)かに隔ての障子を開けた。
「さあ、こっちへ這入(はい)り給え。奥さんがお待兼だ」声を掛けたのは岡村である。さすがに主客の行儀は好(い)い。手あぶりは別々に置かれて、茶と菓子とが出る。しかし奥さんの傍(そば)にある置炬燵(おきごたつ)は、又純一に不快な感じを起させた。
 しづ枝に茶を入れ換えることを命じて置いて、奥さんは純一の顔をじっと見た。
「あなた、いつから来ていらっしゃいますの」
「まだ来たばっかりです。来ると直ぐあなたにお目に掛かったのです」
「柏屋には別品がいるでしょう」と、岡村が詞を挟んだ。
「どうですか。まだ来たばっかりですから、僕には分かりません」
「そんな事じゃあ困るじゃないか。我輩なんぞは宿屋に着いて第一に着眼するのはそれだね」
 声と云い、詞と云い、だいぶ晩酌が利いているらしい。
「世間の人が皆岡村さんのようでは大変ですわね」奥さんは純一の顔を見て、庇護(ひご)するように云った。
 岡村はなかなか黙っていない。「いや、奥さん。そうではありませんよ。文学者なんというものは、画かきよりは盛んな事を遣るのです」これを冒頭に、岡村の名を知っている、若い文学者の噂が出る。近頃そろそろ出来掛かった文芸界のBohemiens(ボエミアン)[#一つ目の「e」は「´」付き]が、岡村の交際している待合のお上だの、芸者だのの目に、いかに映じているかと云うことを聞くに過ぎない。次いで話は作品の上に及んで、「蒲団(ふとん)」がどうの、「煤烟(ばいえん)」がどうのと云うことになる。意外に文学通だと思って、純一が聞いて見ると、どれも読んではいないのであった。
 純一にはこの席にいることが面白くない。しかしおとなしい性(たち)なので厭な顔をしてはならないと思って、努めて調子を合せている。その間にも純一はこう思った。世間に起る、新しい文芸に対する非難と云うものは、大抵この岡村のような人が言い広めるのだろう。作品を自分で読んで見て、かれこれ云うのではあるまい。そうして見れば、作品そのものが社会の排斥を招くのではなくて、クリク同士の攻撃的批評に、社会は雷同するのである。発売禁止の処分だけは、役人が訐(あば)いて申し立てるのだが、政府が自然主義とか個人主義とか云って、文芸に干渉を試みるようになるのは、確かに攻撃的批評の齎(もたら)した結果である。文士は自己の建築したものの下に、坑道を穿(うが)って、基礎を危(あやう)くしていると云っても好(い)い。蒲団や煤烟には、無論事実問題も伴っていた。しかし煤烟の種になっている事実こそは、稍外間(がいかん)へ暴露した行動を見たのであるが、蒲団やその外の事実問題は大抵皆文士の間で起したので、所謂(いわゆる)六号文学のすっぱ抜きに根ざしているではないか。
 しず枝が茶を入れ換えて、主客三人の茶碗に注いで置いて、次へ下がった跡で、奥さんが云った。
「小泉さん。あなた余りおとなしくしていらっしゃるから、岡村さんが勝手な事ばかし仰ゃいますわ。あなたの方でも、画かきの悪口でも言ってお上げなさると好(い)いわ」
「まあ僕は廃(よ)しましょう」純一は笑(わらい)を含んでこう云った。しかしこの席に這入ってから、動(やや)もすれば奥さんの自分を庇護してくれるのが、次第に不愉快に感ぜられて来た。それは他人あしらいにせられると思うからである。その反面には、奥さんが岡村に対して、遠慮することを須(もち)いない程の親しさを示しているという意味がある。極言すれば、夫婦気取りでいるとも云いたいのである。
 岡村が純一に、何か箱根で書く積りかと問うたので、純一はありのままに、そんな企ては持っていないと云った。その時奥さんが「小泉さんなんぞはまだお若いのですから、そんなにお急ぎなさらなくても」と云ったが、これも庇護の詞になったのである。純一は稍反抗したいような気になって、「先生は何かおかきですか」と問い返した。そうすると奥さんが、岡村は今年の夏万翠楼の襖(ふすま)や衝立(ついたて)を大抵かいてしまったのだと云った。それが又岡村との親しさを示すと同時に、岡村と奥さんとが夏も福住で一しょにいたのではないかと云う問題が、端なく純一の心に浮んだ。
 純一はそれを慥(たしか)めたいような心持がしたが、そんな問を発するのは、人に言いたくない事を言わせるに当るように思われるので、気を兼ねて詞をそらした。
「箱根は夏の方が好(い)いでしょうね」
「そうさ」と云って、岡村は無邪気に暫く考える様子であった。そして何か思い出したように、顴骨(かんこつ)の張った大きい顔に笑(えみ)を湛えて、詞を続(つ)いだ。「いや。夏が好くもないね。今時分は靄(もや)が一ぱい立ち籠(こ)めて、明りを覗(ねら)って虫が飛んで来て為様(しよう)がないからね。それ、あの兜虫(かぶとむし)のような奴さ。東京でも子供がかなぶんぶんと云って、掴(つか)まえておもちゃにするのだ。あいつが来るのだね」
 奥さんが傍(そば)から云った。「それは本当に大変でございますの。障子を締めると、飛んで来て、ばたばた紙にぶっ附かるでしょう。そしておっこって、廊下をがさがさ這い廻るのを、男達が撈(さら)って、手桶(ておけ)の底に水を入れたのを持って来て、その中へ叩き込んで運んで行(い)きますの」
 純一は聞きながら、二人は一しょにそう云う事に出逢ったと云うのだろうか、それとも岡村も奥さんも偶然同じ箱根の夏を知っているに過ぎないのだろうかと、まだ幾分の疑いを存(そん)じている。
 岡村は少し興に乗じて来た。「随分かなぶんぶんには責められたね。しかし吾輩は復讎(ふくしゅう)を考えている。あいつの羽を切って、そいつに厚紙で拵(こしら)えた車を、磐石糊(ばんじゃくのり)という奴で張り附けて曳(ひ)かせると、いつまでも生きていて曳くからね。吾輩は画かきを廃して、辻に出てかなぶんぶんの車を曳く奴を、子供に売って遣ろうかと思っている」こう云って、独りで笑った。例の嘶(いなな)くように。
「磐石糊というのは、どんな物でございますの」と、奥さんが問うた。
「磐石糊ですか。町で幾らも売っていまさあ」
「わたくしあなたが上野の広小路あたりへ立って、かなぶんぶんを売っていらっしゃる処が拝見しとうございますわ」
「きっと盛んに売れますよ。三越なんぞで児童博覧会だのなんのと云って、いろんなおもちゃを陳列して見せていますが、まだ生きたおもちゃと云うのはないのですからね」
「直ぐに人が真似をいたしはしませんでしょうか。戦争の跡に出来たロシア麪包(パン)のように」
「吾輩専売にします」
「生きた物の専売がございましょうか」
「さあ、そこまでは吾輩まだ考えませんでした」岡村は又笑った。そして言い足した。「とにかくうるさい奴ですよ。大抵篝(かがり)に飛び込んで、焼け死んだ跡が、あれ程遣って来るのですからね」
「ほんとにあの篝は美しゅうございましたわね」
 純一ははっと思った。この「美しゅうございました」と云った過去の語法は、二人が一しょに篝を見たのだと云うことをirrefutable(イルレフュタアブル)[#一つ目の「e」は「´」付き]に証明しているのである。情況から判断すれば、二人が夏を一しょに暮らしたと云うことは、もう疾(と)っくに遺憾なく慥められているのであるが、純一はそれを問わないで、何等かの方法を以て、直接に知りたいと、悟性を鋭く働かせて、対話に注意していたのであった。
 純一の不快な心持は、急劇に増長して来た。そしてこの席にいる自分が車の第三輪ではあるまいかという疑いが起って、それが間断なく自分を刺戟して、とうとう席に安んぜざらしむるに至った。
「僕は今夜はもうお暇(いとま)をします」純一は激した心を声にあらわすまいと努めてこう云って、用ありげに時計を出して見ながら座を起った。実は時計の鍼(はり)はどこにあるか、目にも留まらず意識にも上(のぼ)らなかったのである。

     二十四

 福住の戸口を足早に出て来た純一は、外へ出ると歩度を緩めて、万翠楼の外囲いに沿うて廻って、坂井夫人のいる座敷の前に立ち留まった。この棟(むね)だけ石垣を高く積み上げて、中二階のように立ててある。まだ雨戸が締めてないので、燈火(ともしび)の光が障子にさしている。純一は暫く障子を見詰めていたが、電燈の位置が人の据わっている処より、障子の方へ近いと見えて、人の影は映っていなかった。
 暇乞(いとまごい)をして出る時には、そんな事を考える余裕はなかったが、今になって思えば、自分が座敷を立つ時、岡村も一しょに暇乞をすべきではなかっただろうか。それとも子供のような自分なので、それ程の遠慮もしなかったのか。それとも自分を見くびる見くびらないに拘(かかわ)らず、岡村は夫人と遠慮なんぞをする必要の全く無い交際をしているのか。純一はこんな事を気に掛けて、明りのさしている障子を目守(まも)っている。今にも岡村の席を起(た)って帰る影が映りはしないかと待つのである。そして純一の為めには、それが気に掛かり、それが待たれるのが腹が立つ。恋人でもなんでもない夫人ではないか。その夫人の部屋に岡村がいつまでいようと好(い)いではないか。それをなんで自分が気にするのか。なんと云う腑甲斐(ふがい)ない事だろうと思うと、憤慨に堪(た)えない。
 純一は暫く立っていたが、誰(たれ)に恥じるともなく、うしろめたいような気がして来たので、ぶらぶら歩き出した。夜(よ)に入(い)って一際(ひときわ)高くなった、早川の水の音が、純一が頭の中の乱れた情緒(じょうしょ)の伴奏をして、昼間感じたよりは強い寂しさが、虚に乗ずるように襲って来る。
 柏屋に帰った。戸口を這入る時から聞えていた三味線が、生憎(あいにく)純一が部屋の上で鳴っている。女中が来て、「おやかましゅうございましょう」と挨拶をする。どんな客かと問えば、名古屋から折々見える人だと云う。来たのは無論並の女中である。特別な女中は定めて二階の客をもてなしているのであろう。
 二階はなかなか賑(にぎ)やかである。わざわざ大晦日(おおみそか)の夜を騒ぎ明かす積りで来たのかも知れない。三味線の音(ね)が絶えずする。女が笑う。年増らしい女の声で、こんな呪文(じゅもん)のようなものを唱える。「べろべろの神さんは、正直な神さんで、おさきの方へお向きやれ。どこへ盃(さかずき)さあしましょ。ここ等(ら)か、ここ等か」この呪文は繰り返し繰り返しして唱えられる。一度唱える毎に、誰かが杯(さかずき)を受けるのであろう。
 純一は取ってある床の中に潜り込んで、じっとしている。枕に触れて、何物をか促し立てるように、頸(くび)の動脈が響くので、それを避けようと思って寝返りをする。その脈がどうしても響く。動悸(どうき)が高まっているのであろう。それさえあるに、べろべろの神さんがしゅうねく祟(たた)って、呪文はいよいよ高く唱えられるのである。
 純一は何事をも忘れて寐(ね)ようと思ったが、とても寐附かれそうにはない。過度に緊張した神経が、どんな微細な刺戟にも異様に感応(かんおう)する。それを意識が丁度局外に立って観察している人の意見のように、「こんな頭に今物を考えさせたって駄目だ、どうにかして寐かす事だ」と云って促している。さて意識の提議する所に依ると、純一たるものはこの際行うべき或る事を決定して、それを段落にして、無理にも気を落ち着けて寐るに若(し)くはない。その或る事は巧緻(こうち)でなくても好(い)い。頗る粗大な、脳髄に余計な要求をしない事柄で好い。却(かえっ)て愈々(いよいよ)粗大なだけ愈々適当であるかも知れない。
 例之(たとえ)ば箱根を去るなんぞはどうだろう。それが好(い)い。それなら断然たる処置であって、その癖温存(おんそん)的工夫を要する今の頭を苦めなくて済む。そして種々の不愉快を伝達している幾条の電線が一時に切断せられてしまうのである。
 箱根を去るのが実に名案である。これに限る。そうすれば、あの夫人に見せ附けて遣(や)ることが出来る。己だってそう馬鹿にせられてばかりはいないということを、見せ附けて遣ることが出来る。いやいや。そんな事は考えなくても好(い)い。夫人がなんと思おうと構うことは無い。とにかく箱根を去る。そしてこれを機会にして、根岸との交通を断(た)ってしまう。あの質(しち)のようになっているラシイヌの集(しゅう)を小包で送り返して遣る。早く谷中へ帰って、あれを郵便に出してしまいたい。そうしたらさぞさっぱりするだろう。
 こう思うと、純一の心は濁水に明礬(みょうばん)を入れたように、思いの外早く澄んで来た。その濁りと云うものの中(うち)には、種々の籠(こ)み入った、分析し難い物があるのを、かれこれの別なく、引きくるめて沈澱(ちんでん)させてしまったのである。これは夜の意識が仮初(かりそめ)に到達した安心の境(さかい)ではあるが、この境が幸に黒甜郷(こくてんきょう)の近所になっていたと見えて、べろべろの神さんの相変らず跳梁(ちょうりょう)しているにも拘らず、純一は頭を夜着の中に埋(うず)めて、寐入ってしまった。
 翌朝(よくあさ)純一は早く起きる積りでもいなかったが、夜明(よあけ)近く物音がして、人の話声が聞えたので、目を醒(さ)まして便所へ行った。そうすると廊下で早立ちの客に逢った。洋服を着た、どちらも四十恰好(しじゅうがっこう)の二人である。荷物を玄関に運ぶ宿の男を促しながら、外套(がいとう)の衿(えり)の底に縮めた首を傾け合って、忙(せわ)しそうに話をしている。極めて真面目で、極めて窮屈らしい態度である。純一は、なぜゆうべのような馬鹿げた騒ぎをするのだと云って見たい位であった。
 便所からの帰りに、ふと湯に入(い)ろうかと思って、共同浴室を覗(のぞ)いて見ると、誰(たれ)か一人這入っている。蒸気が立ち籠めて、好くは見えないが、湯壺の側に蹲(つくば)っている人の姿が女らしかった。そしてその姿が、人のけはいに驚かされて、急いで上がろうとするらしく思われた。純一は罪を犯したような気がして、そっとその場を逃げて自分の部屋に帰った。
 部屋には帰って見たが、早立ちの客の外は、まだ寐静まっている時なので、火鉢に火も入れてない。純一は又床に這入って、強いて寐ようとも思わずに、横になっていた。
 目がはっきり冴(さ)えて、もう寐られそうにもない。そしてゆうべ床に這入ってから考えた事が、糸で手繰り寄せられるように、次第に細かに心に浮んで来る。
 夜疲れた後(のち)に考えた事は、翌朝になって見れば、役に立たないと云う経験は、純一もこれまでしているのだが、ゆうべの決心は今頭が直ってから繰り返して見ても、やはり価値を減ぜないようである。啻(ただ)に価値を減ぜないばかりでは無い。明かな目で見れば見る程、大胆で、heroique(エロイック)[#一つ目の「e」は「´」付き]な処が現れて来るかとさえ思われる。今から溯(さかのぼ)って考えて見れば、ゆうべは頭が鈍くなっていたので、左顧右眄(さこゆうへん)することが少く、種々な思慮に掣肘(せいちゅう)せられずに、却って早くあんな決心に到着したかとも推(すい)せられるのである。
 純一はきょうきっと実行しようと自ら誓った。そして心の中にも体の中にも、これに邪魔をしそうな或る物が動き出さないのを見て、最終の勝利を羸(か)ち得たように思った。しかしこれは一の感情が力強く浮き出せば、他の感情が暫く影を歛(おさ)めるのであった。後(のち)になってから、純一は幾度か似寄った誘惑に遭って、似寄った奮闘を繰り返して、生物学上の出来事が潮の差引のように往来するものだと云うことを、次第に切実に覚知して、太田錦城(きんじょう)と云う漢学の先生が、「天の風雨の如し」と原始的な譬喩(ひゆ)を下したのを面白く思った。
 さてきょう実行すると極めて、心が落ち着くと共に、潜っている温泉宿の布団の中へ、追憶やら感想やら希望やら過現未(かげんみ)三つの世界から、いろいろな客が音信(おとず)れて来る。国を立って東京へ出てから、まだ二箇月余りを閲(けみ)したばかりではある。しかし東京に出たら、こうしようと、国で思っていた事は、悉(ことごと)く泡沫(ほうまつ)の如くに消えて、積極的にはなんのし出来(でか)したわざも無い。自分だけの力で為し得ない事を、人にたよってしようと云うのは、おおかた空頼(そらだの)めになるものと見える。これに反して思い掛けなく接触した人から、種々な刺戟を受けて、蜜蜂(みつばち)がどの花からも、変った露を吸うように、内に何物かを蓄えた。その花から花へと飛び渡っている間、国にいた時とは違って、己は製作上の拙(つたな)い試みをせずにいた。これが却て己の為めには薬になっていはすまいか。今何か書いて見たら、書けるようになっているかも知れない。国にいた時、碁を打つ友達がいた。或る会の席でその男が、打たずにいる間に棋(ご)が上がると云う経験談をすると、教員の山村さんが、それは意識の閾(しきい)の下で、棋の稽古をしていたのだと云った事がある。今書いたら書けるかも知れない。そう思うとこの家(うち)で、どこかの静かな部屋を借りて、久し振に少し書き始めて見たいものだ。いや。そうだっけ。それでは切角のあの実行が出来ない。ええ糞(くそ)。坂井の奥さんだの岡村だのと云う奴が厄介だな。大村の言草ではないが、Der Teufel hole sie!(デル トイフェル ホオレ ジイ)だ。好(い)いわ。早く東京へ帰って書こう。
 純一は夜着をはね退(の)けて、起きて敷布団の上に胡坐(あぐら)を掻(か)いて、火鉢に火のないのをも忘れて、考えている。いよいよ書こうと思い立つと共に、現在の自分の周囲も、過去に自分の閲して来た事も、総て価値を失ってしまって、咫尺(しせき)の間(あいだ)の福住の離れに、美しい肉の塊が横(よこた)わっているのがなんだと云うような気がするのである。紅(くれない)が両の頬に潮(ちょう)して、大きい目が耀(かがや)いている。純一はこれまで物を書き出す時、興奮を感じたことは度々あったが、今のような、夕立の前の雲が電気に飽きているような、気分の充実を感じたことはない。
 純一が書こうと思っている物は、現今の流行とは少し方角を異にしている。なぜと云うに、そのsujet(シュジェエ)は国の亡くなったお祖母(ば)あさんが話して聞せた伝説であるからである。この伝説を書こうと云うことは、これまでにも度々企てた。形式も種々に考えて、韻文にしようとしたり、散文にしようとしたり、叙事的にFlaubert(フロオベル)の三つの物語の中の或る物のような体裁を学ぼうと思ったこともあり、Maeterlinck(マアテルリンク)の短い脚本を藍本(らんほん)にしようと思ったこともある。東京へ出る少し前にした、最後の試みは二三十枚書き掛けたままで、谷中にある革包(かばん)の底に這入っている。あれはその頃知らず識(し)らずの間に、所謂(いわゆる)自然派小説の影響を受けている最中であったので、初めに狙って書き出したArchaisme(アルシャイスム)[#「i」は「¨」付き]が、意味の上からも、詞(ことば)の上からも途中で邪魔になって来たのであった。こん度は現代語で、現代人の微細な観察を書いて、そして古い伝説の味(あじわい)を傷(きずつ)けないようにして見せようと、純一は工夫しているのである。
 こんな事を思って、暫く前から勝手の方でがたがた物音のしているのを、気にも留めずにいると、天井の真中に手繰り上げてある電燈が突然消えた。それと同時に、もう外は明るくなっていると見えて、欄間(らんま)から青白い光が幾筋かの細かい線になってさし込んでいる。
 女中が十能(じゅうのう)を持って這入って来て、「おや」と云った。どうしたわけか、綺麗(きれい)な分の女中が来たのである。「つい存じませんのでございますから」と云いながら、火鉢に火を活(い)けている。
 ろくろく寝る隙(ひま)もなかったと思われるのに、女は綺麗に髪を撫(な)で附けて、化粧をしている。火を活けるのがだいぶ手間が取れる。それに無口な性(たち)ででもあるか、黙っている。
 純一は義務として何か言わなくてはならないような気がした。
「ねむたかないか」と云って見た。
「いいえ」と女の答えた頃には、純一はまずい、sentimental(サンチマンタル)な事を言ったように感じて、後悔している。「おやかましかったでしょう」と、女が反問した。
「なに。好く寐られた」と、純一は努めて無造做(むぞうさ)に云った。
 障子の外では、がらがらと雨戸を繰り明ける音がし出した。女は丁度火を活けてしまって、火鉢の縁(ふち)を拭いていたが、その手を停めて云った。
「あのお雑煮を上がりますでしょうね」
「ああ、そうか。元日だったな。そんなら顔でも洗って来よう」
 純一は楊枝(ようじ)を使って顔を洗う間、綺麗な女中の事を思っていた。あの女はどこか柔かみのある、気に入った女だ。立つ時、特別に心附けを遣ろうかしら。いや、廃(よ)そう。そうしては、なんだか意味があるようで可笑(おか)しい。こんな事を思ったのである。
 部屋に返るとき、入口(いりくち)で逢ったのは並の女中であった。夜具を片附けてくれたのであろう。
 雑煮のお給仕も並のであった。その女中に九時八分の急行に間に合うように、国府津へ行(い)くのだと云って勘定を言い附けると、仰山らしく驚いて、「あら、それでは御養生にもなんにもなりませんわ」と云った。
「でも己より早く帰った人もあるじゃないか」
「それは違いますわ」
「どう違う」
「あれは騒ぎにいらっしゃる方ですもの」
「なる程。騒ぐことは己には出来ないなあ」
 雑煮の代りを取りに立つとき、女中は本当に立つのかと念を押した。そして純一が頷(うなず)くのを見て、独言(ひとりごと)のようにつぶやいた。
「お絹さんがきっとびっくりするわ」
「おい」と純一は呼び留めた。「お絹さんというのは誰(だれ)だい」
「そら、けさこちらへお火を入れにまいったでしょう。きのうあなたがお着きになると、あれが直ぐにそう云いましたわ。あの方は本を沢山持っていらっしゃったから、きっとお休みの間勉強をしにいらっしゃったのだって」
 こう云って置いて、女中は通い盆を持って廊下へ出た。
 純一はお絹と云う名が、自分の想像したあの女の性質に相応しているように思って、一種の満足を覚えた。そしてそのお絹が忙(いそが)しい中で自分を観察してくれたのを感謝すると同時に、自分があの女の生活を余り卑しく考えたのを悔いた。
 雑煮の代りが来た。給仕の女中から、お絹の事を今少し精(くわ)しく聞き出すことは、むずかしくもなさそうであったが、純一は遠慮して問わなかった。意味があって問うように思われるのがつらかったのである。
 純一は取り散らしたものを革包の中に入れながら、昨夜(ゆうべ)よりも今朝起きた時よりも、だいぶ冷かになった心で、自己を反省し出した。東京へ帰ろうと云う決心を飜(ひるがえ)そうとは思わない。又それを飜す必要をも見出さない。帰って書いて見ようと思う意志も衰えない。しかしその意志の純粋な中へ、極(ごく)軽い疑惑が抜足(ぬきあし)をして来て交(まじ)る。それはこれまで度々一時の発動に促されて書き出して見ては、挫折(ざせつ)してしまったではないかと云う※(ささや)きである。幸な事には、この※きは意志を麻痺(まひ)させようとするだけの力のあるものではない。却て製作の欲望を刺戟して、抗抵を増させるかと思われる位である。
 これに反して、少しの間に余程変じたのは、坂井夫人に対する感じである。面当てをしよう、思い知らせようと云うような心持が、ゆうべから始終幾分かこの感じに交っていたが、今明るい昼の光の中で考えて見ると、それは慥(たし)かに錯(あやま)っている。我ながらなんと云うけちな事を考えたものだろう。まるで奴隷のような料簡(りょうけん)だ。この様子では己はまだ大いに性格上の修養をしなくてはならない。それにあの坂井の奥さんがなんで己が立ったと云って、悔恨や苦痛を感ずるものか。八年前に死んだ詩人Albert Samain(アルベエル サメン)はXanthis(クサンチス)と云う女人形の恋を書いていた。恋人の中にはplatonique(プラトニック)な公爵がいる。芸術家風の熱情のある青年音楽家がいる。それでもあの女人形を満足させるには、力士めいた銅人形がいなくてはならなかった。岡村は恐らくは坂井の奥さんの銅人形であろう。己はなんだ。青年音楽家程の熱情をも、あの奥さんに捧(ささ)げてはいない。なんの取柄があるのだ。己が箱根を去ったからと云って、あの奥さんは小使を入れた蝦蟇口(がまぐち)を落した程にも思ってはいまい。そこでその奥さんに対して、己は不平がる権利がありそうにはない。一体己の不平はなんだ。あの奥さんを失う悲(かなしみ)から出た不平ではない。自己を愛する心が傷つけられた不平に過ぎない。大村が恩もなく怨(うらみ)もなく別れた女の話をしたっけ。場合は違うが、己も今恩もなく怨もなく別れれば好(い)いのだ。ああ、しかしなんと思って見ても寂しいことは寂しい。どうも自分の身の周囲に空虚が出来て来るような気がしてならない。好いわ。この寂しさの中から作品が生れないにも限らない。
 帳場の男が勘定を持って来た。瀬戸の話に、湯治場やなんぞでは、書生さんと云うと、一人前の客としては扱わないと云ったが、この男は格別失敬な事も言わなかった。純一は書生社会の名誉を重んじて茶代を気張った。それからお絹に多く遣りたい為めに、外の女中にも並より多く祝儀を遣った。
 宿泊料、茶代、祝儀それぞれの請取(うけとり)を持って来た女中が、車の支度が出来ていると知らせた。純一は革包に錠を卸して立ち上がった。そこへお上さんが挨拶に出た。敷居の外に手を衝いて物を言う、その態度がいかにも恭(うやうや)しい。
 純一が立って出ると、女中が革包を持って跡から来た。廊下の広い所に、女中が集まって、何か※き合っていたのが、皆純一に暇乞をした。お絹は背後の方にしょんぼり立っていて、一人遅れて辞儀をした。
 車に乗って外へ出て見ると、元日の空は晴れて、湯坂山には靄(もや)が掛かっている。きょうも格別寒くはない。
 朝日橋に掛かる前に振り返って、坂井の奥さんの泊っている福住の座敷を見たら、障子が皆締まって、中はひっそりしていた。

     ――――――――

 鴎外云。小説「青年」は一応これで終とする。書こうと企てた事の一小部分しかまだ書かず、物語の上の日数が六七十日になったに過ぎない。霜が降り始める頃の事を発端に書いてから、やっと雪もろくに降らない冬の時候まで漕(こ)ぎ附けたのである。それだけの事を書いているうちに、いつの間にか二年立った。とにかく一応これで終とする。



底本:「青年」新潮文庫、新潮社
   1948(昭和23)年12月15日発行
   1985(昭和60)年11月15日66刷改版
   1998(平成10)年2月15日85刷
入力:砂場清隆
校正:藤田禎宏
ファイル作成:野口英司
2000年12月22日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


●表記について

本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。

ふいと※(たづな)が緩んだなと、

第3水準1-93-81
容赦なく※(みひら)いた大きい目は、
純一は目を※(みは)っている。
目を大きく※(みは)って
驚きの目を※(みは)った
驚いて目を※(みは)っている

第3水準1-88-85
腸詰の※(におい)を嗅(か)いでいる。
微(かすか)なparfum(パルフュウム)の※(におい)
健康な女の皮膚の※(におい)がする。

第3水準1-14-75
縹色のお嬢さんの※(ささや)くのが聞えた。
何か※(ささや)き合って
何か※(ささや)き合っていて、
いつも首を集めて※き合う
挫折(ざせつ)してしまったではないかと云う※(ささや)きである。
この※きは意志を麻痺(まひ)させようとする
何か※き合っていたのが、

第3水準1-14-94
※(かし)の木が高く

第3水準1-86-25
人を鋳型に※(は)めて
鋳型に※めて見ようとするからね
※(あ)くことを知らない

第4水準2-92-73
※色(ときいろ)の肌の見えているのと、

第3水準1-94-59
自然が己に投げ掛けようとした※(わな)の、
お雪さんもあの※を見たには違いない。

第3水準1-84-23
玄関の腋(わき)の※子(れんじ)の硝子に

第3水準1-86-29
※完白(とうかんぱく)風の篆書(てんしょ)を書く。

第3水準1-92-80
日本で※園(かんえん)派の漢学や、

第3水準1-91-40
※(さ)びた鉄瓶、

第3水準1-93-39
※(けが)れた行いをするとなると、

第3水準1-86-49
※※(コオフィイ)

第3水準1-14-93、第4水準2-4-8
プラットフォオムはだいぶ雑※(ざっとう)していたが、

第4水準2-89-93
※匠(ひきものし)の店がある。

第4水準2-91-33
※皮(わにがわ)の蝦蟇口(がまぐち)

第3水準1-94-55

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