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独身(どくしん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-7 9:56:12  点击:  切换到繁體中文

       壱

 小倉の冬は冬という程の事はない。西北の海から長門の一角をかすめて、寒い風が吹いて来て、蜜柑みかんの木の枯葉を庭の砂の上に吹き落して、からからと音をさせて、庭のあちこちへ吹きって、しばらくおもちゃにしていて、とうとう縁の下に吹き込んでしまう。そういう日が暮れると、どこの家でも宵のうちから戸を締めてしまう。
 外はいつか雪になる。おりおり足を刻んで駈けて通る伝便でんびんの鈴の音がする。
 伝便と云っても余所よそのものには分かるまい。これは東京に輸入せられないうちに、小倉へ西洋から輸入せられている二つの風俗の一つである。常磐橋ときわばしたもとに円い柱が立っている。これに広告をり附けるのである。赤や青や黄な紙に、大きい文字だの、あらい筆使いの画だのを書いて、新らしくけた店の広告、それから芝居見せものなどの興行の広告をするのである。勿論柱はただ一本だけであって、これに張るのと、大門町の石垣に張る位よりほかに、広告の必要はない土地なのだから、印刷したものより書いたものの方が多い。画だっても、巴里パリの町で見る afficheアフィッシュ のように気の利いたのはない。しかしかく広告柱があるだけはえらい。これが一つ。
 今一つが伝便なのである。Heinrichハインリヒ vonフォン Stephanステファン が警察国に生れて、巧に郵便の網を天下にいてから、手紙の往復に不便はないはずではあるが、それは日を以て算し月を以て算する用弁の事である。一日の間の時を以て算する用弁を達するには、郵便は間に合わない。Rendezランデ-vousヴウ をしたって、明日あす何処どこおうなら、郵便で用が足る。しかし性急な変で、今晩何処どこおうとなっては、郵便は駄目である。そんな時に電報を打つ人もあるかも知れない。これは少し牛刀鶏をきらいがある。その上いかめしい配達の為方しかたが殺風景である。そういう時には走使はしりつかいが欲しいに違ない。会杜の徽章きしょうの附いた帽をかぶって、辻々つじつじに立っていて、手紙を市内へ届けることでも、途中で買って邪魔になるものを自宅へ持って帰らせる事でも、何でも受け合うのが伝便である。手紙や品物と引換に、会社の印のわっている紙切をくれる。存外間違はないのである。小倉で伝便と云っているのが、この走使である。
 伝便の講釈がつい長くなった。小倉の雪の夜に、戸の外の静かな時、その伝便の鈴の音がちりん、ちりん、ちりん、ちりんと急調に聞えるのである。
 それから優しい女の声で「かりかあかりか、どっこいさのさ」と、節を附けて呼んで通るのが聞える。植物採集に持って行くような、ブリキの入物に花櫚糖かりんとうを入れて肩に掛けて、小提灯こぢょうちんを持って売って歩くのである。
 伝便や花櫚糖売は、いつの時侯にも来るのであるが、夏は辻占つじうら売なんぞの方が耳に附いて、伝便の鈴の音、花櫚糖売の女の声は気に留まらないのである。
 こんな晩には置炬燵おきごたつをする人もあろう。しかし実はそれ程寒くはない。
 翌朝手水鉢ちょうずばちに氷が張っている。この氷が二日より長く続いて張ることは先ず少い。遅くも三日目には風が変る。雪も氷もけてしまうのである。

       弐 

 小倉の雪の夜の事であった。
 新魚町しんうおのまちの大野ゆたかの家に二人の客が落ち合った。一人は裁判所長の戸川という胡麻塩頭ごましおあたまの男である。一人は富田という市病院長で、東京大学を卒業してから、この土地へ来て洋行の費用をたくわえているのである。費用も大概出来たので、近いうちに北川という若い医学士に跡を譲って、出発すると云っている。富田院長も四十は越しているが、まだ五分刈頭に白い筋もまじらない。酒ずきだということが一寸ちょっと見ても知れる、太った赭顔あからがおの男である。
 ごく澹泊たんぱくな独身生活をしている主人は、下女の竹に饂飩うどんの玉を買って来させて、台所で煮させて、二人に酒を出した。この家では茶を煮るときは、名物のつるよりうまいというので、焼芋を買わせる。常磐橋の辻から、京町へ曲がる角にかまを据えて、手拭てぬぐいを被ったいさんが、「ほっこり、ほっこり、焼立ほっこり」と呼んで売っているのである。酒は自分では飲まないが、心易こころやすい友達に飲ませるときは、すきな饂飩を買わせる。これも焼芋の釜の据えてある角から二三軒目で、色のめた紺暖簾こんのれんに、文六と染め抜いてある家へ買いにるのである。
 主人は饂飩だけ相伴して、無頓着むとんじゃくらしい顔にえみたたえながら、二人の酒を飲むのを見ている。話はしめやかである。ただ富田の笑う声がおりおり全体の調子を破って高くなる。この辺はあさひ町の遊廓が近いので、三味さみや太鼓の音もするが、よほど鈍く微かになって聞えるから、うるさくはない。
 竹が台所から出て来て、饂飩の代りを勧めると、富田が手をって云った。
「もういけない。饂飩はもう御免だ。この家にも奥さんがいれば、僕は黙って饂飩で酒なんぞは飲まないのだが。」
 これが口火になって、有妻無妻という議論が燃え上がった。この部屋で此等これらの人の口からこの議論が出たのは、決して今夜が初めではない。
 主人が帝国採炭会社の理事長になって小倉に来てから、もう二年立った。その内大野の独身生活は小倉で名高いものになっていて、随って度々問題に上る。
 主人は全く女というものなしに暮らしているのだろうか。富田もこの問題のために頭を悩ました一人である。そこでこう云った。
「どうも小倉には御主人のお目に留まったものがなさそうだ。多分馬関ばかんだろうと思って、僕は随分熱心に聞いて廻ったのだが、結果が陰性だった。」
「随分御苦労なわけだね」と、遠慮深い戸川は主人の顔を見て云った。
 主人はただにやりにやり笑っている。
 富田は少し酔っているので、論鋒ろんぽうがいよいよ主人に向いて来る。「一体ここの御主人のような生活をしていられては、周囲まわりの女のために危険で行けない。」
「なぜだい、君。」
「いつどの女とどう云う事が始まるかも知れないんだからね。」
「まるで僕が Donドン Juanホァン ででもあるようだ。」
 戸川は主人のために気の毒に思って、半ば無意識に話を外へ転じようとした。そして持前のしんねりむっつりした様子で、妙な話をし出した。

       参

 戸川は両手を火鉢にかざして、背中を円くして話すのである。
「そりゃあ独身生活というものは、大抵の人間には無難にし遂げにくいには違ない。僕の同期生に宮沢という男がいた。その男の卒業して直ぐの任地が新発田しばただったのだ。御承知のような土地柄だろう。裁判所の近処きんじょに、小さい借屋をして、下女を一人使っていた。同僚が妻を持てと勧めても、どうしても持たない。なぜだろう、なぜだろうと云ううちに、いつかあれは吝嗇りんしょくなのだということにまってしまったそうだ。僕は書生の時から知っていたが、吝嗇ではなかった。意地強く金をめようなどという風の男ではない。万事控目で踏み切ったことが出来ない。そこで判事試補の月給では妻子は養われないと、一図いちずに思っていたのだろう。土地が土地なので、丁度今夜のような雪の夜が幾日も幾日も続く。宮沢はひとり部屋に閉じこもって本を読んでいる。下女は壁一重ひとえ隔てた隣の部屋で縫物をしている。宮沢があくびをする。下女が欠をみ殺す。そういう風で大分の間過ぎたのだそうだ。そのうちある晩風雪ふぶきになって、雨戸の外では風の音がひゅうひゅうとして、庭に植えてある竹がおりおりほうきで掃くように戸をる。十時頃に下女が茶を入れて持って来て、どうもひどい晩でございますねというような事を言って、暫くもじもじしていた。宮沢は自分が寂しくてたまらないので、下女もさぞ寂しかろうと思いって、どうだね、はり為事しごとをこっちへ持って来ては、おれは構わないからと云ったそうだ。そうすると下女が喜んで縫物を持って来て、部屋の隅の方で小さくなって為事をし始めた。それからは下女が、もうお客様もございますまいねと云って、おりおり縫物を持って、宮沢の部屋へ来るようになったのだ。」
 富田は笑い出した。「戸川君。君は小説家だね。なかなかうまい。」
 戸川も笑って頭を掻いた。「いや。実は宮沢が後悔して、僕にあんまりくわしく話したもんだから、僕の話もつい精しくなったのだ。跡は端折はしょって話すよ。しかしも一つ具体的に話したい事がある。それはこうなのだ。下女がある晩、お休なさいと云って、隣の間へ引き下がってから、宮沢が寐られないでいると、壁を隔てて下女が溜息をしては寝返りをするのが聞える。暫く聞いていると、その溜息が段々大きくなって、苦痛のために呻吟しんぎんするというような風になったそうだ。そこで宮沢がつい、どうかしたのかいと云った。これだけ話してしまえば跡は本当に端折るよ。」
 富田は仰山な声をした。「おい。待ってくれ給え。ついでに跡も端折らないで話し給え。なかなか面白いから。」声を一倍大きくした。「おい。お竹さん。好く聞いて置くがいぜ。」
 始終にやにや笑っていた主人の大野が顔をしかめた。

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