老人「そうでしょう。
僕「ところでその片輪のきめた野菜の善悪はどうなるのです?」
老人「それがどうにもならないのです。いくら片輪に悪いと云われても、売れる野菜はずんずん売れてしまうのです。」
僕「じゃ商人の好みによるのでしょう?」
老人「商人は売れる見こみのある野菜ばかり買うのでしょう。すると善い野菜が売れるかどうか……」
僕「お待ちなさいよ。それならばまず片輪のきめた善悪を疑う必要がありますね。」
老人「それは野菜を作る連中はたいてい疑っているのですがね。じゃそう云う連中に野菜の善悪を聞いて見ると、やはりはっきりしないのですよ。たとえばある連中によれば『善悪は
僕「へええ、もっと
老人「その味なり滋養なりにそれぞれまた説が分れるのです。たとえばヴィタミンのないのは滋養がないとか、脂肪のあるのは滋養があるとか、
僕「するとまず標準は滋養と味と二つある、その二つの標準に種々様々のヴァリエエションがある、――大体こう云うことになるのですか?」
老人「
僕「なるほどシャツ一枚の
老人「ああ、それがそうですよ。その温い色をした野菜はプロレタリアの野菜と云うのです。」
僕「しかし積み上げてあった野菜は
老人「それはきっと色盲ですよ。自分だけは赤いつもりなのですよ。」
僕「寒い色の野菜はどうなのです?」
老人「これも寒い色の野菜でなければ野菜ではないと云う連中がいます。もっともこの連中は冷笑はしても、演説などはしないようですがね、
僕「するとつまり
老人「何、演説をしたがらないよりも演説をすることが出来ないのです。たいてい
僕「ああ、あれがそうなのでしょう。シャツ一枚の豪傑の向うに細いズボンをはいた才子が一人、せっせと
老人「まだ青い南瓜をでしょう。ああ云う色の寒いのをブルジョア野菜と云うのです。」
僕「すると結局どうなるのです? 野菜を作る連中によれば、……」
老人「野菜を作る連中によれば、自作の野菜に似たものはことごとく善い野菜ですが、自作の野菜に似ないものはことごとく悪い野菜なのです。これだけはとにかく確かですよ。」
僕「しかし大学もあるのでしょう? 大学の教授は野菜学の講義をしているそうですから、野菜の善悪を見分けるくらいは何でもないと思いますが、……」
老人「ところが大学の教授などはサッサンラップ島の野菜になると、
僕「じゃどこの野菜のことを知っているのです?」
老人「
僕「すると――するとですね、やはりあなたの云うように野菜の売れるか売れないかは神の意志に従うとでも考えるよりほかはないのですか?」
老人「まあ、そのほかはありますまい。また実際この島の住民はたいていバッブラッブベエダを信仰していますよ。」
僕「何です、そのバッブラッブ何とか云うのは?」
老人「バッブラッブベエダです。BABRABBADAと綴りますがね。まだあなたは見ないのですか? あの
僕「ああ、あの豚の頭をした、大きい蜥蜴の偶像ですか?」
老人「あれは
僕「あの
老人「あれはみんな
僕「しかしまだ日本には……」
老人「おや、誰か呼んでいますよ。」
僕は耳を澄まして見た。なるほど僕を呼んでいるらしい。しかもこの頃
「じゃきょうは失礼します。」
「そうですか。じゃまた話しに来て下さい。わたしはこう云うものですから。」
老人は僕と握手した
「原稿ですってさ。お起きなさいよ。原稿をとりに来たのですってさ。」
甥は僕を
「原稿をとりに来た? どこの原稿を?」
「随筆のをですってさ。」
「随筆の?」
僕は
「サッサンラップ島の
底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月10日公開
2004年3月7日修正
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