三十三 「新感覚派」
「新感覚派」の是非を論ずることは今は既に時代遅れかも知れない。が、僕は「新感覚派」の作家たちの作品を読み、その又作家たちの作品に対する批評家たちの批評を読み、何か書いて見たい欲望を感じた。
少くとも詩歌は如何なる時代にも「新感覚派」の為に進歩してゐる。「芭蕉は元禄時代の最大の新人だつた」と云ふ室生犀星氏の断案は
僕は今日の「新感覚派」の作家たちにも勿論興味を感じてゐる。「新感覚派」の作家たちは、――少くともその中の論客たちは僕の「新感覚派」に対する考へなどよりも新らしい理論を発表した。が、それは不幸にも十分に僕にはわからなかつた。唯「新感覚派」の作家たちの作品だけは、――それも僕にはわからないのかも知れない。僕等は作品を発表し出した頃、「新理智派」とか云ふ名を貰つた。(尤も僕等の僕等自身この名を使はなかつたのは確かである。)しかし「新感覚派」の作家たちの作品を見れば、僕等の作品よりも或意味では「新理智派」に近いと言はなければならぬ。では或意味とは何かと言へば、彼等の所謂感覚の理智の光を帯びてゐることである。僕は室生犀星氏と一しよに
「新感覚派」は勿論起らなければならぬ。それも亦あらゆる新事業のやうに(文芸上の)決して容易に出来るものではない。僕は「新感覚派」の作家たちの作品に、――と云ふよりも彼等の所謂「新感覚」に必しも敬服し難いことは前に書いた通りである。が、彼等の作品に対する批評家たちの批評も亦恐らくは苛酷に失してゐるであらう。「新感覚派」の作家たちは少くとも新らしい方向へ彼等の歩みを運んでゐる。それだけは何びとも認めなければならぬ。この努力を一笑してしまふのは単に今日「新感覚派」と呼ばれる作家たちに打撃を与へるばかりではない。彼等の今後の成長の上にも、引いては彼等の後に来る「新感覚派」の作家たちのしつかりと目標を定める上にもやはり打撃を与へるであらう。それは勿論日本の文芸を伸び伸びと進歩させる所以ではあるまい。
しかし何と呼ばれるにもせよ、所謂「新感覚」を持つた作家たちは必ず今後も現れるであらう。僕はもう十年あまり前、確か久米正雄氏と一しよに「
若し真に文芸的に「新しいもの」を求めるとすれば、それは或はこの所謂「新感覚」の外にないかも知れない。(新しいことなどは何でもないと云ふ議論は勿論この問題の
僕は所謂「新感覚」の如何に同時代の人々に理解されないかを承知してゐる。たとへば佐藤春夫氏の「
三十四 解嘲
僕は何度も繰り返して言ふやうに「筋のない小説」ばかり書けと言つてゐる
三十五 ヒステリイ
僕はヒステリイの療法にその患者の思つてゐることを何でも彼でも書かせる――或は言はせると云ふことを聞き、少しも
若し
ヒステリイを起してゐるシエクスピイアやゲエテを想像するのは滑稽である。従つてかう云ふ想像をするのは彼等の大を傷けると思はれるかも知れない。が、彼等の大を成すものはこのヒステリイの外にある彼等の表現力そのものである。彼等の何度ヒステリイを起したかは心理学者には或は問題であらう。しかし僕等の問題は表現力そのものに存してゐる。僕はこの文章を作りながら、ふと太古の森の中に烈しいヒステリイを起してゐる無名の詩人を想像した。彼は彼の部落の人々の嘲笑の的になつたであらう。けれどもこのヒステリイの促進した彼の表現力の産物だけは丁度地下の泉のやうに何代も後に流れて行つたであらう。
僕はヒステリイを尊敬してゐるのではない。ヒステリツクになつたムツソリニは勿論国際的に危険である。けれども若し何びともヒステリイを起さなかつたとしたらば、僕等を喜ばせる文芸上の作品はどの位数を減じたであらう。僕は唯この為にヒステリイを弁護したいと思つてゐる。いつか女人の特権になつた、――しかし事実上何びとにも多少の可能性のあるヒステリイを。
前世紀の末も文芸的には確かに時代的ヒステリイに
文芸的な、余りに文芸的な(ぶんげいてきな、あまりにぶんげいてきな)
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