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税務署長の冒険(ぜいむしょちょうのぼうけん)


      四、署長の探偵

 税務署長のその晩の下宿での仕度ときたら実際科学的なもんだった。
 まづ第一にひげをはさみでぢゃきぢゃき刈りとって次に揮発油へ木タールを少しまぜて茶いろな液体をつくって顔から首すぢいっぱいに手にも塗った。鼻の横や耳の下には殊に濃く塗ったのだ。それからアスファルトの屋根材の継目に塗りつける黒いペイントをあごのとこへ大きな点につけてしばらくの間じっとそんな油や何かの乾くのを待ってたが、それがきれいに乾くとこんどは鏡台の引出しをあけてにせものの金歯を二枚出して犬歯へはめました。すると税務署長がすっかり変ってしまって請負師か何かの大将のやうに見えて来た。それから署長は押し入れからふだん魚釣りに行くときにつかふ古いきゅうくつな上着を出して着ておまけに乗馬ズボンと長靴ながぐつをはいた。そして葉書入れを逆まにしてしばらく古い名刺をしらべてゐたがその中からトケウ乾物商サヘタコキチと書いたやつをえらんでうちかくしへ入れた。独りものの署長のことだから実際こんなことができたのだ。それから帽子をかぶり洋傘かうもりがさを持って外へ出たけれども何と思ったかもう一ぺん長靴をぬいでそれを持って座敷へあがった。古い新聞紙を鏡の前の畳へ敷いて又長靴をはいてちゃんと立って鏡をのぞいてさあもうにかにかにかにかし出した。
 それからにはかにまじめになってしばらく顔をくしゃくしゃにしてゐたがいよいよ勇気にちて来たらしく一ぺんに畳をはね越えておもてに飛び出し大股おほまたに通りをまがった。実にその晩の夜の十時すぎに勇敢な献身的なこの署長は町の安宿へ行って一晩とめて呉れと云った。そしたらまじめにお湯はどうかとか夕飯はいらないかとか宿屋では聞いた。署長はもうすっかり占めたと思ったのだ。そして次の朝早く署長はユグチュユモトの村へ向った。
 村の入口に来てさっそく署長はあの小売酒屋へ行った。
「えゝ伺ひますが、この村の椎蕈しひたけ山はどちらでせうか。」
「椎蕈山かね。おまへさんは買付けに来たのかい。」
「へえ、さうです。」
「そんなら組合へ行ったらいゝだらう。」
「組合はどちらでございませう。」
「こっから十町ばかりこのみちをまっすぐに行くとね学校がある、」
 知ってるとも、そこでおれが講演までしてひどい目にあってるぢゃないか、署長は腹の底で思った。
「その学校の向ひに産業組合事務所って看板がかけてあるからそこへ行ってはなしたらいゝだらう。」
「さうですか。どうもありがたうございました。おかげさまでございます。」署長はまるで飛ぶやうにおもてに出てまた戻って来た。
「どうもせいがきれていけない。一杯くれませんか。えゝびんでない方。ううい。いゝ酒ですね。何て云ひます。」
「北のてるです。」
「これはいゝ酒だ。こゝへ来てこんな酒をまうと思はなかった。どこで売ります。」
「私のとこでおろしもしますよ。」
「はあ、しかし町で買った方が安いでせう。」
「さうでもありません。」
「だめだ。持って行くにひどいから。」
 署長は金を十銭おいて又飛び出した。それから組合の事務所へ行った。さあもうつかまへるぞ今日中につかまへるぞ、署長はひとりで思った。ところが事務所にはたった一人髪をてかてか分けて白いしごきをだらりとした若者が椅子いすに座って何か書いてゐた。こいつはうまいと署長は思った。
「今日は、いゝお天気でございます。ごめん下さい。私はトケイから参りましたう云ふものでございますがどうかお取次をねがひます。」署長はあの古い名刺をだいぶ黄いろになってるぞと思ひながら出した。若者は率直に立って「あゝさうすか。」と云って名刺を受けとったがあとは何も云はないでもぢもぢしてゐた。
「今朝はまだどなたもお見えにならないんですか。」
「はあ、見えないで。」若者は当惑したやうに答へた。
「えゝ、ではお待ちいたします、どうかお構ひなく。いかゞでございませう。本年は椎蕈しひたけの方は。この雨でだいぶ豊作でございませうね。」
「あんまりよくないさうだよ。」
「はあいやにほひやなにかは悪いでせうが生えることは沢山生えましてございませうね。」
「できたらう。」若者はだんだんことばも粗末になって来た。
「どうでせうね。わたしあ東京の乾物屋なんだが貸しの代りに酒をたくさんとったのがあるんだがどうでせう。椎蕈ととり代へるのを承知下さらないでせうかね。安くしますが。」
「さあだめだらう。酒はこっちにもあるんだから。」
「町から買ふんでせう。」
「いゝや」
「どこかに酒屋があるんですか。」
「酒屋ってわけぢゃない。」
 さあ署長はどきっとしました。
「どこですか。」
「どこって、組合とはまた別だからね。」若者はぴたっと口をつぐんでしまひました。さあ税務署長はまるで踊りあがるやうな気がした。もうたゞ一息だ。少くとも月一石づつつくってあちこちへ四五升づつ売ってゐるやつがある。今日中にはきっとつかまへてしまふぞ。
「椎蕈山は遠いんですか。」
「一里あるよ。」
「このみちを行っていゝんですか。」
「行けるよ。」
「それでは私山の方へ行って見ますからね、向ふにも係りの方がおいででせう。」
「居るよ。」
「ではさうしませう。こっちでいつまでも待ってるよりはどうせ行かなけぁいけないんだから。ではお邪魔さまでした、いまにまた伺ひます。」
 署長は小さな組合の小屋を出た。少し行ったらみちが二つにわかれた。署長はちょっと迷ったけれども向ふから十五ばかりになる子供が草をしょって来るのを見て待ってゐていた。
「おい、椎蕈しひたけ山へはどう行くね。」
 すると子供はよく聞えないらしく顔をかしげて眼を片っ方つぶって云った。
「どこね、会社へかね。」会社、さあ大変だと署長は思った。
「あゝ会社だよ。会社は椎蕈山とは近いんだらう。」
「ちがふよ。椎蕈山こっちだし会社ならこっちだ。」
「会社まで何里あるね。」
「一里だよ。」
「どうだらう。会社から毎日荷馬車の便りがあるだらうか。」
「三日に一度ぐらゐだよ。」
 ふん、その会社は木材の会社でもなけぁ醋酸さくさんの会社でもない、途方もないことをしてやがる、行ってつかまへてしまふと署長はもうどぎどぎして眼がくらむやうにさへ思った。そして子供はまた重い荷をしょって行ってしまった。署長はまるではじめて汽車に乗る小学校の子供のやうに勇んでみちを進んで行った。それから丁度半里ばかり行ったらもう山になった。みちは谷に沿った細いきれいな台地を進んで行ったがまだ荷馬車のわだちははっきり切り込んでゐた。向ふに枯草の三角な丘が見えてそこを雲の影がゆっくりはせた。
「おい、どこへ行くんだい。」ホークを持ち首に黒いハンケチを結び付けた一人の立派な男が道の左手の小さな家の前に立って署長に叫んだ。
「椎蕈山へ行きますよ。」署長は落ちついて答へた。
「椎蕈山こっちぢゃない。すっかりみちをまちがったな。」青年が怒ったやうに含み声で云った。
「さうですか。こゝからそっちの方へ出るみちはないでせうか。」
「ないね、戻るより仕方ないよ。」
「さうですか。では戻りませう。」もう喧嘩けんくゎをしたらとても勝てない。一たまりもないと思ったから署長は大急ぎで一つおじぎをして戻り出した。もう大ていいゝだらうと思ってうしろをちょっと振り返って見たらその若者はみちのまん中に傲然がうぜんと立ってまるでにらみ殺すやうにこっちを見てゐた。そのそばには心配さうな身ぶりをした若い女がより添ってゐたのだ。署長はまるで足が地につかないやうな気がした。もういまの家のもう少し川上にちゃんと小さな密造所がたってゐるんだ。毎月三四石づつ出してゐる。大した脱税だ。よし山をまはって行っても見てやらうと考へた。そしてずっと下ってまがり角を三つ四つまがってから、非常に警戒しながらふり向いて見るともう向ふは一本の松の木ががけの上につき出てゐるばかりすっかりあの男も家も見えなくなってゐた。さあいまだと税務署長は考へて一とびにみちから横の草の崖に飛びあがった。それからめちゃくちゃにその丘をのぼった。丘の頂上には小さな三角標があってそこから頂がずうっと向ふのあの三角な丘までつゞいてゐた。税務署長は汗をくひまもなく息をやすめるひまもなくそのきらきらする枯草をこいでそっちの方へ進んだ。どこかではちか何かぶうぶう鳴り風はかれ草や松やにのいゝにほひを運んで来た。
 ちょっとふりかへって見るとユグチュユモトの村は平和にきれいに横たはりそのずうっと向ふには河が銀の帯になって流れその岸にはハーナムキヤの町の赤い煙突も見えた。
 署長はちょっとの間濁密をさがすなんてことをいやになってしまった、けれどもまた気を取り直してあの三角山の方へつゝじに足をとられたりしながら急いだ。実にあのペイントを塗った顔から黒い汗がぼとぼとに落ちてシャツを黄いろに染めたのだ。ところが三角山の上まで来ると思はず署長は息を殺した。すぐ下の谷間にちょっと見ると椎蕈しひたけ乾燥場のやうな形の可成かなり大きな小屋がたって煙突もあったのだ。そして殊にあやしいことは小屋がきっぱりうしろの崖にくっついて建ててあっておまけにその崖が柔らかな岩をわざと切り崩したものらしかった。たしかにその小屋の奥手から岩を切ってこさへたへやがあって大ていの仕事はそこでやってゐるらしく思はれた。これはもう余程の大きさだ。小さな酒屋ぐらゐのことはある、たしかにさっきのことばのとほり会社にちがひない、いったい誰々の仕事だらう、どうもあの村会議員はあやしい、巡査を借りてやって来て村の方とこっちと一ぺんに手を入れないと証拠があがらない、誰か来るかも知れない今日一日見てゐようと税務署長は頬杖ほほづゑをついて見てゐた。するとまるで注文通り小屋の中からさっきの若い男がぽろっと出て来た。それから手を大きく振ったやうに見えた、と思ふと、おゝい、サキチ、と叫ぶ声が聞えて来た。見ると荷馬車が一台おいてある。その横からひざの曲った男が出て来て二人一緒に小屋へ入った。さあ大変だと署長が思ってゐたら間もなく二人は大きな二斗だるを両方から持って出て来た。そしてどっこいといふ風に荷馬車にのっけてあたりをじっと見まはした。馬が黒くてかてか光ってゐたし谷はごうと流れてしづかなもんだった、署長はもう興奮して頭をやけに振った。二人はまた小屋へ入った。そして又腰をかゞめて樽を持って来た。と思ったらすぐあとからまた一人出て来た。そして荷馬車の上に立って川下の方を見てゐる。二人はまた中へ入った、そしてまた樽を持って出て来たもんだ、(さあ、これでもう六斗になるまさかこれっきりだらう、これっきりにしても月六石になる大した脱税だ)と署長は考へた。ところがまた出て来た。そしてまた入ってまた出て来た。もう一石だ月十石だと署長はぐるぐるしてしまった。ところが又入ったのだ。こんどは月十二石だ、それからこんどは十四石十六石十八石、二十石とそこまで署長が夢のやうに計算したときは荷馬車の上はもうたるでぎっしりだった。すると三人がそれへ小屋の横から松の生枝をのせたりかぶせたりし出した。
 見る間にすっかり縛られて車が青くなり樽が見えなくなってもうたれが見ても山から松枝をテレピン工場へでも運ぶとしか見えなくなった。荷馬車がうごき出した。馬がじっさいひづめをけるやうにし、よほど重さうに見えた。するとさっきの若い男は荷馬車のあとへついた。それから十間ばかり行く間一番おしまひに小屋から出た男は腕を組んで立って待ってゐたがにはかに歩き出してやっぱりついて行った。(実に巧妙だ。一体こんなことをいつからやってゐたらう。さあもうあの小屋に誰も居ない、今のうちにすっかりしらべてしまはう、証拠書類もきっとある。)税務署長は風のやうに三角山のてっぺんから小屋をめがけてかけおりた。ところが小屋の入口はちゃんと洋風の錠が下りてゐたのだ。(さあもういよいよ誰も居ない。あいつが村まで行って帰るまでどうしても二時間はかゝる。どこからか入らなけぁならない。)税務署長はきつねのやうにうろうろ小屋のまはりをめぐった。すると一とこ窓が一分ばかりあいてゐた。署長はそこへつめを入れて押し上げて見たらカラッと硝子ガラスは上にのぼった。もう有頂天になって中へ飛び込んで見るとくらくて急には何も見えなかったががらんとした何もないへやだった。煙突の出てるのは次の室らしかった。急いでそっちへかけて行って見たらあったあったもう径二メートルほどの大きな鉄釜てつがまがちゃんと煉瓦れんぐゎで組んで据ゑつけられてゐる。署長は眼をこすってよく室の中を見まはした。すみたなのとこにアセチレン燈が一つあった。マッチも添へてあった。すばやくそれをおろしてみたらたったいま使ったらしくまだあつかった。せんをねぢって瓦斯ガスを吹き出させ火をつけたら室の中はにはかに明るくなった。署長はまるで突貫する兵隊のやうな勢でその奥の室へ入った。そこは白い凝灰岩をきり開いた室でたしか四十坪はあると署長は見てとった。奥の方には二十石入の酒樽が十五本ばかりずらっとならび横には麹室かうじむろらしい別の室さへあったのだ。おまけにビューレットも純粋培養の乳酸菌もピペットも何から何まで実に整然とそろってゐたのだ。(あゝもうだめだ、おれの講演を手をたたいて笑ったやつはみんな同類なのだ。あの村半分以上引っくくらなければならない。もうとても大変だ)署長はあぶなく倒れさうになった。その時だ、何か黄いろなやうなものがさっとうしろの方で光った。
 見ると小屋の入口のがあいて二人の黒い人かげがこっちへ入って来てゐるではないか。税務署長はちょっと鹿踊ししをどりのやうな足つきをしたがとっさにふっとアセチレンの火を消した。そしてそろそろとあの十五本の暗い酒だるのかげの方へ走った。足音とことばががんがん反響してやって来た。「いぬだいぬだ。」「かくれてるぞかくれてるぞ。」「ふんじばっちまへ。」「おい、気を付けろ、ピストルぐらゐ持ってるぞ。」ズドンと一発やりたいなと署長は思った。とたん、アセチレンの火が向ふでとまった。青じろいいやなほのほをあげながらその火は注意深くこっちの方へやって来た。「酒だるのうしろだぞ」二人はふやうにそろそろとやって来た。
 署長はくるくると樽の間をすりまはった。
 そしたらたうとうをけと桶の間のあんまりせまい処へはさまってのくも引くもできなくなってしまった。
 アセチレンの火はすぐ横から足もとへやって来た。と思ふと黒い太い手がやって来ていきなり署長のくびをつかまへた。ガアンと頭が鳴った。署長は自分が酒桶の前の広場へかにのやうになって倒れてゐるのを見た。まるで力もなにもなかった。アセチレン燈もまだ持ってゐる。
「立て、こん畜生太いやつだ。炭焼がまの中へ入れちまふから、さう思へ。」
(炭焼がまの中に入れられたらおれの煙は木のけむりといっしょに山に立つ。あんまり情ない。)署長は青ざめながら考へた。
たれだ、きさん、収税だらう。」
「いゝや。」署長は気の毒なやうな返事をした。
「とにかく引っくくれ。」一人があごでさし図した。一人はアセチレンをそこへ置いてまるで風のやうにうごいて綱を持って来た。署長はくるくるにしばられてしまった。
「おい、おれが番してるから早く社長と鑑査役に知らせて来い。」
「おゝ。」一人は又すばやくかけて出て行った。
「おい、云はなぃかこん畜生、貴さん収税だらう。」
「さうでない。」
「収税でなくて何しに入るんだ。」署長はやうやく気を取り直した。
「おいらトケイの乾物商だよ。」
「トケイの乾物商が何しにこんなとこへ来るんだ。」
椎蕈しひたけ買ひに来たよ。」
「椎蕈。」
「あゝこゝで椎蕈つくってると思ったから見てゐたんだ。名刺もちゃんと組合の方へ置いてある。」
「正直な椎蕈商が何しに錠前のかかった家の窓からくぐり込むんだ。」
「椎蕈小屋の中へはひったっていゝと思ったんだ。外で待ってゐてもきたからついはひって見たんだよ。」
「うん。さう云やさうだなあ。」こゝだと署長は思った。みんなの来ないうちに早くげないともうほんたうに殺されてしまふ。もう一生けん命だと考へた。
「おい、いゝ加減にしてなはをといて呉れよ。椎蕈はいくらでも高く買ふからさ。おれだってトケイにぁ妻も子供もあるんだ。こゝらへ来て、こんな目にあっちゃかなはねえ。どうか繩をといて呉れよ。」
「うん、まあいまみんな来るから少し待てよ。よく聞いてから社長や重役の方へ申しあげれぁよかったなあ。」
「だからさ、がして呉れよ。おれお前にあとでトケイへ帰ったら百円送るからさ。」
「まあ少し待てよ。」あゝもう少し待ったら、どんなことになるかわからない。署長はぐるぐるしてまた倒れさうになった。
 ところがもういけなかったのだ。入口の方がどやどやして実に六人ばかりの黒い影が走り込んで来た。(もう地獄だ、これっきりだ。)署長は思った。今まで番をしてゐた男は立ってそれを迎へた。ぐるっとみんなが署長を囲んだ。
「こいつはトケイの椎蕈しひたけ商人ださうです。椎蕈を買はうと思って来たんださうです。」
「うん。さっき組合へうさんなやつが名刺を置いて行ったさうだがこいつだらう。」りんとした声が云った。署長は聞きおぼえのある声だと思って顔をあげたらじっさいぎくりとしてしまった。それは名誉村長だった。しばらくしんとした。
「どうだ。放してやるか。」また一人が云った。署長は横目でそっちを見上げた。あの村会議員なのだ。
「いや、よく調べないといけません。念に念を入れないとあとでとんだことになります。」
 署長はまたちらっとそっちを見た。それはあの講演の時青くなった小学校長だった。すなはちわれらのたるコ先生ではないか。
「いゝえ、こいつはさっき一ぺん私が番所から追ひ帰したのです。どうもあやしいと思ひましたからとがめましたら椎蕈山はこっちかと云ふんです。こっちぢゃない帰れ帰れって云ひましたらさうですかここらからまはるみちはないかとまた云ひやがるんです。ないない。帰れと云ひましたら仕方なく戻って行きました。そいつをいつの間にどこをまはってこゝへ入ったかもうこいつはきっと税務署のまはしものです」
「うん。さう云へばどうもおれにもつらに見おぼえがある。表へ引っぱり出してみろ。てめへは行って番所に居ろ。」社長の名誉村長が云った。
「立てこの野郎」署長はえり首をつかまへられて猫のやうに引っぱり出された。おもてへ出て見ると日光は実に暖かくぽかぽかあめ色に照ってゐた。(おれが炭焼がまに入れられて炭化されてもお日さまはやっぱりこんなにきれいに照ってゐるんだなあ。)署長はぽっと夢のやうに考へた。
「何だこいつは税務署長ぢゃないか。」名誉村長はびっくりしたやうに叫んだ。それからみんなはにゅうと遁げるやうなかたちになった。署長はもうすっかり決心してすっくと立ちあがった。
「いかにもおれは税務署長だ。きさまらはよくも国家の法律を犯してこんな大それたことをしたな。おれは早くからにらんでゐたのだ。もうすっかり証拠があがってゐる。おれのことなどはつぶすなりくなり勝手にしろ。もう準備はちゃんとできてゐる。きさまたちは密造罪と職務執行妨害罪と殺人罪で一人残らず検挙されるからさう思へ。」
 社長も鑑査役も実に青くなってしまった。しばらくみんなしいんとした。
 こゝだと署長が考へた。
「さあ、おれを殺すなら殺せ、官吏が公務のために倒れることはもう当然だ。」署長は大へんいゝ気持がした。といきなりうしろから一つがぁんとやられた。又かと思ひながら署長が倒れたらみんな一ぺんに殺気立った。
「木へるせ吊るせ。なあに証拠だなんてまだ挙がってるはずはない。こいつ一人片付ければもう大丈夫だ。樺花かばはな炭釜すみがまに入れちまへ。」たちまち署長は松の木へつるしあげられてしまった。村会議員が出て云った。
「この野郎、ひとの家でご馳走ちそうになったのも忘れてづうづうしい野郎だ。ゆぶしをかけるか。」
「野蛮なことをするな。」署長が吊られて苦しがってばたばたしながら云った。
「とにかく善後策を講じようぢゃないか。まあ中で相談するとしよう。」村長が云った。
 みんなは中へはひった。署長は木の上で気が遠くなってしまった。

      五、署長のかん禁

 しばらくたって署長は自分があの奥のへやの中に入れられてゐるのを気がついた。頭には冷たいきれがのせてあったし毛布もかけてあった。いちばんあとから小屋を出た男がつつましく番をしながら看病してゐた。おもてではがやがやみんながはなしてゐた。何でも善後策を協議してゐるか酒盛りをやってゐるらしかった。署長がからだをうごかしたらすぐその若者が近くへ寄って模様を見た。それから戸をあけてそしても一つ戸をあけて外の大きな室に出て行った。と思ふと名誉村長が入って来た。茶いろの洋服を着てゐた。(そして見るとおれは二日か三日寝てゐたんだな。)署長は考へた。名誉村長は座って恭しく礼をして云った。
「署長さん。先日はどうも飛んだ乱暴をいたしました。
 実は前後の見境ひもなくあんなことをいたしましてお申し訳けございません。実は私どもの方でもあなたの方のお手入があんまり厳しいためつい会社組織にしてこんなことまでいたしましたやうな訳で誠に面目次第もございません。きましていかゞでございませう。私どもの会社ももうかっきり今日ぎり解散いたしまして酒は全部私の名義でつくったとして税金も納めます。あなたはお宅まで自働車でお送りいたしますがこの度限り特にご内密にねがひませんでせうか。」
 署長はもう勝ったと思った。
「いやおことばで痛み入ります。私も職務上いろいろいたしましたがお立場はよくわかって居ります。しかしどうも事こゝに至れば到底内密といふことはでき兼ねる次第です。もうはなしがすっかりひろがって居りますからどうしても二三人の犠牲者はいたし方ありますまい。もっとも私に関するさまざまのことはこれは決して公にいたしません。まあ罰金だけ納めて下さってそれでいゝやうな訳です。」
「それがそのどうも私どもはじめ名前を出したくないので。」
 この時だ、表がにはかにやかましくなってはげしい叫声や組討ちの音が起った。まるでもう嵐のやうだった。
「署長署長」たれかが叫んだ。署長はばっと立ちあがった。
「おゝ、こゝに居るぞよくやったよくやった。シラトリ、こゝに居るぞ。」
 すぐ二三人がへやの戸をけやぶって入って来た。
「署長、ご健勝で。もうみんな捕縛しました。」とシラトリ属が泣いてかけて来た。
「よくわかったなあ、警察の方もたのんだか。」
「えゝ総動員です。二十人捕縛してあります。この方は。」
「名誉村長だ。けれども仕方ないなはをかけ申せ。」署長はわくわくして云った。
「署長ご健勝で。」署員たちが向ふ鉢巻はちまきをしたり棍棒こんぼうをもったりしてかけ寄った。署長は痛いからだを室から出た。
たるにみんな封印しろ。証拠品は小さな器具だけ、集めろ。その乳酸菌の培養も。うん。よろしい。いやどうもご苦労をねがひました。」署長は巡査部長に挨拶あいさつした。
「お変りなくて結構です。いや本署でも大へん心配いたしました。おい。みんな外へ引っぱれ。」
 そしてもうぞろぞろみんなはイーハトヴ密造会社の工場を出たのだ。五分ののちこの変な行列があの番所の少し向ふを通ってゐた。
 署長は名誉村長とならんで歩いてゐた。
「今日は何日だ。」署長はふっとうしろを向いてシラトリ属にきいた。
「五日です。」
「あゝもうあの日から四日たってゐるなあ。ちょっとの間に木の芽が大きくなった。」
 署長はそらを見あげた。春らしいしめった白い雲が丘の山からぼおっと出てくろもじのにほひが風にふうっと漂って来た。
「あゝいゝにほひだな。」署長が云った。
「いゝ匂ですな。」名誉村長が云った。





底本:「新修宮沢賢治全集 第十一巻」筑摩書房
   1979(昭和54)年11月15日初版第1刷発行
※底本本文の編集方針に合わせて、ルビの拗音、促音、「喧嘩けんくゎ」、「煉瓦れんぐゎ」を小書きしました。
入力:田代信行
校正:斉藤知子
2005年1月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について
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