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種山ヶ原(たねやまがはら)


 そして、黒い路が、にはかに消えてしまひました。あたりがほんのしばらくしいんとなりました。それから非常に強い風が吹いて来ました。
 空が旗のやうにぱたぱた光って翻へり、火花がパチパチパチッと燃えました。
 達二はいつか、草に倒れてゐました。
 そんなことはみんなぼんやりしたもやの中の出来事のやうでした。牛が逃げたなんて、やはり夢だかなんだかわかりませんでした。風だって一体吹いてゐたのでせうか。
 達二はみんなと一緒に、たそがれの県道を歩いてゐたのです。
 だいだい色の月が、来た方の山からしづかに登りました。伊佐戸の町で燃す火が、赤くゆらいでゐます。
「さあ、みんな支度はいゝが。」誰かが叫びました。
 達二はすっかり太い白いたすきを掛けてしまって、地面をどんどん踏みました。楢夫ならをさんが空に向って叫んだのでした。
「ダー、ダー、ダー、ダー、ダースコダーダー。」それから、大人が太鼓を撃ちました。
 達二は刀を抜いてはね上りました。
「ダー、ダー、ダー、ダー。ダー、スコ、ダーダー。」
「危なぃ。誰だ、刀抜いだのは。まだ町さも来なぃに早ぁぢゃ。」怪物の青仮面あをめんをかぶった清介せいすけが威張って叫んでゐます。赤い提灯ちゃうちんが沢山ともされ、達二の兄さんが提灯を持って来て達二と並んで歩きました。兄さんの足が、寒天のやうで、夢のやうな色で、無暗むやみに長いのでした。
「ダー、ダー、ダー、ダー。ダー、スコ、ダーダー。」
 町はづれの町長のうちでは、まだ門火を燃して居ませんでした。その水松樹いちゐの垣に囲まれた、暗い庭さきにみんな這入はひって行きました。
 小さな奇麗な子供らが出て来て、笑って見ました。いよいよ大人が本気にやり出したのです。
「ホウ、そら、れ。ダー、ダー、ダー、ダー。ダー、スコ、ダーダー。」「ドドーン ドドーン。」
 「夜風さかまき ひのきはみだれ、

月は射そゝぐ 銀の矢なみ、
打ぅつも果てるも 一つのいのち、
太刀たあちきしりの 消えぬひま。ホッ、ホ、ホッ、ホウ。」
 刀が青くぎらぎら光りました。なしの木の葉が月光にせはしく動いてゐます。
「ダー、ダー、スコ、ダーダー、ド、ドーン、ド、ドーン。太刀はいなづま すゝきのさやぎ、燃えて……」
 組は二つに分れ、剣がカチカチ云ひます。青仮面あをめんが出て来て、溺死いっぷかっぷする時のやうな格好かくかうで一生懸命跳ね廻ります。子供らが泣き出しました。達二は笑ひました。
 月がにはかに意地悪い片眼になりました。それから銀のさかづきのやうに白くなって、消えてしまひました。
(先生の声がする。さうだ。もう学校が始まってゐるのだ。)と達二は思ひました。
 そこは教室でした。先生が何だか少しせたやうです。
「みなさん。楽しい夏の休みももう過ぎました。これからは気持ちのいゝ秋です。一年中、一番、勉強にいゝ時です。みなさんはあしたから、又しっかり勉強をするのです。どなたも宿題はして来たでせうね。今日持って来た方は手をあげて。」
 達二と楢夫ならをさんと、たった二人でした。
「明日は忘れないでみなさん持って来るのですよ。もし、ぜんたい、してしまはなかった人があっても、やはりそのまま、持って来るのです。すっかりしてしまはなかった人は手をあげて。」
 誰も上げません。
「さうです。皆さんは立派な生徒です。休み中、みなさんは何をしましたか。そのうちで一番面白かったことは何ですか。達二さん。」
「おぢいさんと仔馬を集めに行ったときです。」
「よろしい。大へん結構です。楢夫さん。あなたはお休みの間に、何が一番楽しかったのですか。」
剣舞けんばひです。」
「剣舞をあなたは踊ったのですか。」
「さうです。」
「どこでですか。」
伊佐戸いさどやあちこちです。」
「さうですか。まあよろしい。お座りなさい。みなさん。外にも剣舞に出た人はありますか。」
「先生、私も出ました。」
「先生、私も出ました。」
「達二さんも、さうですか。よろしい。みなさん。剣舞は決して悪いことではありません。けれども、勿論もちろんみなさんの中にそんな方はないでせうが、それでおあしもらったりしてはなりません。みなさんは、立派な生徒ですから。」
「先生。私はお銭を貰ひません。」
「よろしい。さうです。それから……。」
 達二は、眼を開きました。みんな夢でした。冷たい霧やしずくが額に落ちました。空は霧で一杯で、なんにも見えません。にはかに明るくなったり暗くなったりします。一本のつりがねさうが、身体からだかがめて、達二をいたはりました。
 そして達二は又うとうとしました。そこで霧が生温なまぬるい湯のやうになったのです。可愛らしい女の子が達二を呼びました。
「おいでなさい。いゝものをあげませう。そら。干した苹果りんごですよ。」
「ありがど、あなたはどなた。」
「わたし誰でもないわ。一緒に向ふへ行って遊びませう。あなた驢馬ろばってゐて。」
「驢馬は持ってません。ただの仔馬ならあります。」
「只の仔馬は大きくて駄目だめだわ。」
「そんなら、あなたは小鳥はきらひですか。」
「小鳥。わたし大好きよ。」
「あげませう。私はひはを有ってゐます。ひはを一ぴきあげませうか。」
「えゝ。欲しいわ。」
「あげませう。私今持って来ます。」
「えゝ、早くよ。」
 達二は、一生懸命、うちへ走りました。美しい緑色の野原や、小さな流れを、一心に走りました。野原は何だかもくもくして、ゴムのやうでした。
 達二のうちは、いつか野原のまん中に建ってゐます。急いでかごを開けて、小鳥を、そっとつかみました。そして引っ返さうとしましたら、
「達二、どこさ行く。」と達二のおっかさんが云ひました。
「すぐ来るがら。」と云ひながら達二は鳥を見ましたら、鳥はいつか、萌黄もえぎ色の生菓子に変ってゐました。やっぱり夢でした。
 風が吹き、空が暗くて銀色です。
伊佐戸いさどの町の電気工夫のむすこぁ、ふら、ふら、ふら、ふら、ふら、」とどこかで云ってゐます。
 それからしばらく空がミインミインと鳴りました。達二は又うとうとしました。
 山男がならの木のうしろからまっ赤な顔を一寸ちょっと出しました。
(なに怖いことがあるもんか。)
「こりゃ、山男。出はって。切ってしまふぞ。」達二は脇差わきざしを抜いて身構へしました。
 山男がすっかり怖がって、草の上を四つんひになってやって来ます。髪が風にさらさら鳴ります。
「どうか御免ごめ御免ごめじょなことでもんす。」
「うん。そんだら許してやる。かにを百疋捕って。」
「ふう。蟹を百疋。それけでようがすかな。」
「それがらうさぎを百疋捕って。」
「ふう。殺して来てもようがすか。」
「うんにゃ。わがん[#「ん」は小書き]なぃ。生ぎだのだ。」
「ふうふう。かしこまた。」
 油断をしてゐるうちに、達二はいきなり山男に足をつかまれて倒されました。山男は達二を組み敷いて、刀を取り上げてしまひました。
「小僧。さあ、。これかられの家来だ。来う。この刀はいゝ刀だな。実に焼きをよぐかげである。」
「ばか。うなの家来になど、ならなぃ。殺さば殺せ。」
「仲々づ太ぃやづだ。ったらう。」
「行がない。」
「ようし、そんだらさらって行ぐ。」
 山男は達二を小脇こわきにかゝへました。達二は、素早く刀を取り返して、山男の横腹をズブリと刺しました。山男はばたばた跳ね廻って、白い泡を沢山吐いて、死んでしまひました。
 急にまっ暗になって、雷がはげしく鳴り出しました。
 そして達二は又眼を開きました。
 灰色の霧が速く速く飛んでゐます。そして、牛が、すぐ眼の前に、のっそりと立ってゐたのです。そのは達二をおそれて、横の方を向いてゐました。達二は叫びました。
「あ、居だが。馬鹿だな。うなは。さ、べ。」
 雷と風の音との中から、かすかに兄さんの声が聞えました。
「おゝい。達二。居るが。達二。達二。」
 達二はよろこんでとびあがりました。
「おゝい。居る、居る。あいなぁ。おゝい。」
 達二は、牛の手綱をその首から解いて、引きはじめました。
 黒い路が又ひょっくり草の中にあらはれました。そして達二の兄さんが、とつぜん、眼の前に立ちました。達二はしがみ付きました。
さがしたぞ。こんたなどごまで来て。して黙って彼処あそごに居なぃがった。おぢいさん、うんと心配してるぞ。さ、早くべ。」
「牛ぁ逃げだだも。」
「牛ぁ逃げだ。はあ、さうが。何にびっくりしたたがな。すっかりぬれだな。さあ、おらのけら着ろ。」
「一向寒ぐなぃ。あい[#「な」は小書き]のなは大きくて引きるがらわがん[#「ん」は小書き]なぃ。」
「さうが。よしよし。まづべ。おぢいさん、火たいで待ってるがらな。」
 緩い傾斜を、二つ程昇り降りしました。それから、黒い大きな路について、しばらく歩きました。
 稲光が二度ばかり、かすかに白くひらめきました。草を焼くにほひがして、霧の中を煙がほっと流れてゐます。
 達二の兄さんが叫びました。
「おぢいさん。居だ、居だ。達二ぁ居だ。」
 おぢいさんは霧の中に立ってゐて、
「あゝさうが。心配した、心配した。あゝがった。おゝ達二。寒がべぁ、さあ入れ。」と云ひました。
 半分に焼けた大きな栗の木の根もとに、草で作った小さな囲ひがあって、チョロチョロ赤い火が燃えてゐました。
 兄さんは牛をならの木につなぎました。
 馬もひひんと鳴いてゐます。
「おゝむぞやな。な。何ぼが泣いだがな。さあさあ団子たべろ。食べろ。な。今こっちを焼ぐがらな。全体何処迄行ってだった。」
笹長根ささながねり口だ。」と兄が答へました。
「危ぃがった。危ぃがった。向ふさ降りだらそれっ切りだったぞ。さあ達二。団子喰べろ。ふん。まるっきり馬こみだぃに食ってる。さあさあ、こいづも食べろ。」
「おぢいさん。今のうぢに草片附げで来るべが。」と達二の兄さんが云ひました。
「うんにゃ。も少し待で。又すぐ晴れる。おらも弁当食ふべ。あゝ心配した。おらとらこ山の下まで行って見で来た。はあ、まんつがった。雨も晴れる。」
「今朝ほんとに天気がったのにな。」
「うん。又ぐなるさ。あ、雨漏って来た。草少し屋根さかぶせろ。」
 兄さんが出て行きました。天井がガサガサガサガサ云ひます。おぢいさんが、笑ひながらそれを見上げました。
 兄さんが又はひって来ました。
「おぢいさん。明るぐなった。雨あれだ。」
「うんうん。さうが。さあ弁当食ってで草片附げべ。達二。弁当食べろ。」
 霧がふっと切れました。陽の光がさっと流れて入りました。その太陽は、少し西の方に寄ってかかり、幾片かのらふのやうな霧が、逃げおくれて仕方なしに光りました。
 草からはしづくがきらきら落ち、すべての葉も茎も花も、今年の終りの陽の光を吸ってゐます。
 はるかの北上のあをい野原は、今泣きやんだやうにまぶしく笑ひ、向ふの栗の木は、青い後光を放ちました。





底本:「新修宮沢賢治全集 第八巻」筑摩書房
   1979(昭和54)年5月15日初版第1刷発行
   1984(昭和59)年1月30日初版第7刷発行
入力:林 幸雄
校正:久保格
2002年11月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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