3
それから一時間ばかり経ったと思う頃、潜戸の外で微かに人の気はいがした。
シンシンシンシンシンという軽い、小さい
銀次は潜り戸からすこし離れて坐ったまま一心にその様子を見ていた。
やがてその穴から白い小さい手が横になってスウッと這入って来た……と思うと何かに驚いたようにツルリと引込んだ。
銀次は動かなかった。なおも息を殺して四角い月の光りを凝視していた。
今一度小さな手がスウッと這入って来て、
銀次は依然として動かなかった。
三度目に白い小さい手がユックリと這入って来て、掛金にシッカリと指をかけた時、銀次は坐ったまま両手を近づけてその手をガッシリと掴んだ。掴んだままソロソロと立上って手の這入って来た穴に口を寄せた。低い力の
「……オイ……貴様は巡礼のお花じゃろ。……もうこうなったら諦らめろよ」
「……………」
「俺の顔を見知って来たか……」
「……………」
「俺がドレ位の恐ろしい人間かわかったか」
「……………」
「わかったか……
「……………」
「……俺の云う事を聞くか……」
「……………」
「聞かねばこのまま突出すがええか……警察は俺の心安い人ばかりだ」
白い手の力がグッタリと抜けたようであった。
銀次は片手で女の手首をシッカリと握り締めたまま油断のない腰構えで掛金を外した。黒覆面に黒脚絆、
「……俺の名前を知って来たんか」
覆面が頭を強く振った。シクシクと泣出して、
「……すみまシェン。
と云ううちに覆面を
「……
銀次は月明りを透かして外を覗きながら何かしら冷やかに笑った。今一度、猿のように白い歯を剥き出した醜い表情をしたと思うと、片手で潜戸を締めて掛金をガッキリと掛けた。落ちていた四角い
それから一時間ばかりの間、家の中には何の物音もしなかった。そのうちに二十分間ばかりラムプがアカアカと
月がグングンと西へ傾いた。
方々で
突然、家の中からケタタマシイ叫び声が起った。
「……何すんのかア――イ……」
「………」
「アレッ……堪忍してエ――ッ」
「……………」
「……嘘
という叫び声と一所にドタンバタンという組打ちの音が高まったが、それがピッタリと静まると、やがて表の板戸が一枚ガタガタと開いて、頬冠りをした銀次の姿が出て来た。銀次の背中には、細引でグルグル巻にして、黒い覆面で
女は銀次の背中でグッタリとなっていた。
4
直方署の巡査部長室の床の上に、猿轡を外された小女が、グルグル巻のまま寝かされていた。
その周囲を五六人の警官が物々しく取巻いて、銀次の陳述に耳を傾けていた。
中央に立った銀次は、すこし得意そうに汗を拭き拭きお辞儀をしては、横の火鉢に掛かっている
「……ヘエ……お
「成る程のう。貴様は気が利いとるのう。素人には惜しい度胸じゃ。アハハハハ……」
「フーム、コンナ常習犯の奴の手口は、アイソ、サグリ、ノリと云うて、三度手を入れてみるものじゃがのう。最初に手を入れた時に捕えようとしても決して捕えられるものじゃないがのう」
これは銀次と肩を並べている痩せ枯れた
「ヘエ。そげな事は一向存じまっせんでしたが、ただこの
「オイオイ……女……それに相違ないか」
巡査部長が靴の先で
小女はヤット眼を見開いて、冷やかに頭の上を見た。噛んでいた唇を静かに
「……この縄……
「……ナニ……縄を解け……?……」
「……アイ………」
「そのままで云うてみい」
「イヤイヤ、このままならイヤぞい。痛うて物が云われんけに……どうぞ……」
小女は又もシッカリと眼を閉じて唇を噛んだ。訊問に慣れているらしい巡査部長は、
「オイ。解いてやれ」
「ハッ」
若い巡査が二人で女を抱え起して泥だらけの板張の上に横座りさせた。
これを見た銀次はチョット狼狽したらしかった。巡査達の顔を素早くツラリと見渡したまま固くなっていたが、やがて覚悟をきめたらしく、軽いため息を一つ鼻から洩らすと、縄を
キチンと座り直した小娘はそうした銀次の態度をジロジロと横目で見ているようであった。巡査に取捲かれたまま縄を解かれると、すぐに
「……すみません。お湯一パイくんさい。
と頭を下げて、カンカン起った火鉢の上の大薬鑵に手をかけると、思い切って立上りさま天井を眼がけて投上げた。
5
部長室から飛出した銀次は、広間の事務室の
「父サンの
と叫び続けていた。そうして銀次と
それから血に染まった匕首と両手を、
「……皆の衆……皆の衆すみまっせん。私はお花じゃが……もう私は帰られんけに……帰られんけに……」
と云ううちに、銀次の
「馬鹿ッ……」
「何をスッか……」
「馬鹿ッ……」
という巡査たちの怒号のうちに、太い血の筋を引いた二つの死骸が、事務室の中へ引っぱり込まれた。
警察の門前から、玄関先まで間もなく人の黒山になったが、やがて走り出て来た巡査が、群集を追払って、表門と玄関をピッタリと閉め切ってしまった。
その
「何じゃったろかい」
「何じゃったろ何じゃったろ」
と口々に云い交わしながら、近所の人々は皆、表に立っていた。
「
出張から帰って来たらしい胡麻塩鬚の巡査部長が、大兵肥満の署長の前に、直立不動の姿勢を
「第一、先般、御承知の一パイ屋の藤六
署長はこの辺の炭坑主が寄附した巨大な、革張りの安楽椅子の中から
「ウムウム。知っとるどころではない。それについてここの小学校の校長が……知っとるじゃろう……あの総髪に
「存じております。旧藩時代からの蘭学者の家柄とか申しておりましたが」
「ウムウム、中々の物識りという話じゃが、あの男がこの間、避病院の落成式の時にこげな事を話しよった。……人間の
「ヘエッ。それは初耳で……私が調べて参りました話と符合するところがありますようで……」
「フウム。それは面白いのう。あの藤六が死んで、舎利甲兵衛と
「ヘエ。そのお話を
「ふうむ。やっぱり藤六はここいらの山窩の一人じゃったんか」
「ハイ。山窩には相違御座いませぬが、ここでは御座いませぬ。元来、高知県の豪農の息子じゃったそうで御座いますが、若気の過ちで人を殺しまして以来、アチコチと逃げまわった
「フウーム。どうしてそこまで探り出した」
「……こんな事が御座います。あの丹波小僧と巡礼お花の死骸を、共同墓地の藤六の墓の前に並べて仮埋葬にしておいたので御座いますが、その埋めました翌る日から、女の死骸を埋めた土盛りの上には色々な花の束が、山のように盛上って、綺麗な水を張った茶碗などが置いてありますのに、銀次の土盛の上は、人間の踏付けた足跡ばかりで、糞や小便が垂れかけてあります。夜中に乞食どもがした事らしう御座いますが……」
「ふうむ。その気持はイクラカわかるのう。山窩とても人情は同じことじゃで……」
「ところがその親の藤六の墓は、ずっと以前から何の花も上がりませぬ代りに、枯れた麦の
「成る程のう。その理屈もわかるようじゃ。校長の話を聞いてみるとのう」
「私はそのようなお話を存じませぬものですけに、いよいよ不思議に思うておりまするところへ今度の事件で御座います」
「ウムウム」
「この辺の者は麦の
「ウムウム。福岡から追込まれて来て新入坑の坑夫に紛れ込んでおったのを、君が発見して引渡したという、あれじゃろ……」
「ハイ。
「成る程……カンがええのう」
「それがで御座います。何をいうにも二人とも死んでおりますために手がかりが一つも御座いませんので困りました。署員の意見を尋ねてみましても、ただこの事件と例の乞食の赤潮との間に、何か関係がありはせぬかという位の、まことにタヨリない意見で、事件の真相の報告書の書きようが御座いませぬ。そこで、ほかに
「……ううむ。おかしいのう。それでは……何が何やらわからんようになるがのう」
「それがその……それを知っておったのは藤六だけで、本人は知らんじゃった筈と雁八は云うておりましたが……藤六はそんな風にして方々に
「おかしいのう。それでも……」
「もうすこしお話しがあります」
「話いてみい」
「……ところが、それから
骸骨の黒穂(がいこつのくろんぼ)
作家录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语
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