かなり大きな洋品店でも奥の方から一々持ち出す模様はなく、洗い
中には半紙三枚続き位の西洋紙に、
「
と色インキで書いてブラ下げて、その下に相当な中折れ帽を
但、その帽子を手に取って見ると、途方もなく大きいので誰も買おうとしないが、それでも相当に人だかりがしている。この辺も浅草式の代表的なところであろう。
そのほか浅草のカフェーの菓子、握りすし、盛すし、天プラ、印形、青物なぞ、何でもカンでも正札付きで、中には支那料理の折詰なぞいう珍品もある。
無正札は「女」だけ
浅草辺の店ではショーウインドに凝った趣向なぞを用いない。旗や看板なぞを極端に派手にする代り、店の中は窓も棚もテーブルも一面に商品を並べて、
こうしておけば、買わぬはお客の自由というように見えるが、実はそうでない。安いものは通りかかりにでもちょっと眼に付く。ふりかえる。立ち止まる。よく見る。ほかのと見比べる。気に入ったのがあれば買う。無ければ買わないという直接法の一点張りで、品物のよしあしは別として、まことに手数がかからない。
「何に致しましょう……
とあたりに響く大きな声で正札を云う。これに
ギリギリ決着のところ、浅草で正札の付いていないものは、「女」だけと云ってもいい位である。
こうした大文字の正札式は浅草ばかりではない。神田、本郷、牛込あたりの第二流の繁華な通りはもとより、銀座あたりの一流どころにもポツポツ見受けられる。しかしこの式の最も盛なのは浅草で、ここを遠ざかるに従ってチラリホラリとなって行くところを見ると、この式の開山は矢張り浅草で、ここを中心として東京の商売は「現実化」して行くのではあるまいかと考えられる。
そうして仲見世の実地試験応用の無言の行は、現実式中の現実式と云うべきであろう。
こんな事を云うとその道の人に笑われるかも知れないが、論より証拠、こうした正札一点張りの店で買ったり喰ったりしたあと、正札の付いていない店へ行くと、何となく不安心な上に、一々店の人に出してもらったり、価格を聴いたりしなければならぬので、恐ろしく面倒な気持がする。
店の方では
殊にお世辞や、お愛想はまことにうるさい。余計なものまで買わなくてもいいのに買わされるような気がして、一種の不愉快さえ覚える。それを思い切ってやめると、
「まことにお気の毒様」
と心からあやまられて、逃げるように表へ出てホッとするような事が珍らしくない。
浅草ではそんな気兼ねは向うにもこちらにも無い。お金はこちらのもの、品物は向うのもので、あとは「もの」と「ねだん」の相談ずくで済む。しかも売り買いの中心は要するにそこだけである。そこを最も露骨に大道に表現しているから、浅草の店は現代式と云い得るわけである。
こう考えて来ると、浅草の観音様はエライものである。この無言と正札一点張りの仲見世の商売振りに、今一層輪をかけた
犬と羊と熊の皮
雷門をくぐって、観音様の前を左へ行くとすぐにわかる。
第六区へ行く途中の往来に
「どれでも構わねえ、手に取って見ておくんなさい。正真正銘の熊の皮が犬や猫の皮とおんなじ値で買えるんだから、安いと思ったら持ってっとくんなさい。二枚か三枚はけれあ、あっし
あっし等あ、ふだん北海道に出かけている
ところで御承知の通り、
御存知か知らないが、皮のなめしは東京が一番ですよ。梅雨時になって虫の這入るような事は絶対にない。その代りなめし賃が
失礼ながら皆さんは職業紹介所のアブレじゃあるめえ。バラックの東京から鉄筋コンクリートの東京になるまで奮闘しようという人だろう。そのバラックの寒さを
それからどうです……こっちの白いのは……これが北極の氷山に住んで人を喰う白熊だ。五十や百のハシタ金で手に入る代物じゃない。これが
こう聴いているうちに、扨はバラック
その後気を付けたら、方々の縁日でやっているので、
一円七十銭争奪戦
前に述べた「無言の正札主義」と「おしゃべりのゴマカシ流」とは、現代式営業の両極端を見せている事になる。これに観音様の「無言の無正札」式営業振りと、境内の乞食の稼ぎ振りと、チンピラの
但、これは昔からあるので、今度震災後特に眼に付いたのは、その売り物の価格が向上した事と、そのねらっている客筋が違うことである。
毛皮売りは大道商人の中でも一番
万年筆売り(一円位から十四五円)、
こんな縁日商人は上等のところを一つ売れば、二三日乃至一週間は楽に喰えることが、品物のタネを洗って見ればすぐにわかる。
靴下は二度染め。シャツは洗い返しで、糊とアイロンが巧妙に利いている。
「天保銭一枚がもう無くなった」というのは
昨年か一昨年かの事であったそうな。観音様のまわりに居る興行師が寄り合って、面白い統計を作った。その統計の眼目となっているものは、浅草に来る人々の懐にいくら金があるかという事である。
これはその組合の仕事の標準となるべきもので、非常に厳密な且つ巧妙な手段に依って作られたものだそうだが、その結果、あの雲霞の如く浅草に押し寄せる人々は、平均三人で五円の金を持っている事がわかった。それが現在の浅草に於ける芝居、活動の観覧料の標準となり、
取りあえず三人で五円持って浅草に来ると、一人前七十銭の活動を見て二円九十銭残り、二円九十銭で何か食べようか、それとも今一つ何か見ようかという事になる。
浅草の空に翻る旗差し物、鐘、太鼓、鳴り物の響き、
但、これは平均の勘定で、殊に大事に大事を取った数字だそうだから、実際はもっと余計に持っている者がすくなくないわけである。その中でもどんな客筋が一番余計金を持っているか。浅草に来る最上のお客様は矢張り昔の通り赤
浅草一帯の店の「正札無言主義」は、明らかにこの狙っている客筋が田舎者でない事を証明しているが、更に一層ハッキリと説明するものは前に述べた縁日商人の口上である。
大貴金属商の失敗
「どうだい、本型の友禅だ。しかも最新流行の
「甲州産の水晶は世に定評あるところ、殊に印形となりますと、水晶のに限って贋ものが出来ませんから、まことに重宝で御座います。この節のお仕事を遊ばすには、印形ほど大切なものは御座いません。水晶の印をお用いになれば、
「エエ、これが
これだけの口上を聞けば、浅草に来る人々にバラック
いずれにしても浅草は昔の浅草でなくなった。
その中に観音様だけは、昔の通り純江戸ッ子と純
新東京人――即ち半分東京化したバラック住民の偉大な勢力は、単に浅草の商売に反映しているばかりでない。第一流どころの大商店の商売振りにも明らかに影響しているのである。
全国的に有名なる貴金属商店では、地震が落ち付かぬうちに全国の各都市に支店を作って、有らん限りの品物を送り付けた。もう東京は駄目だ、その代り地方が繁昌するに違いないと、機敏なところを見せたつもりであったらしいが、
昨年の冬から今年の春へかけて、貴金属や宝石の売れる事売れる事。但、それは大抵中等以下の品で、買いに来るものは、十中八九まで大工、左官その他の労働者の家族であった。
遷都の御沙汰がないときまった復興気分の凄じさ。その反対に人手は不足と来たので彼等の恵まれた事。大工や左官なら仕事の真似さえ出来れば一日五円六円という景気で、銀行や会社が地震をキッカケに大淘汰や大縮小をやったのと正反対の現象を呈した事。その
その貴金属商の支配人は驚くまい事か、各支店に「品物を大至急送り返せ、あとは店を畳んで引返せ」と、電報の櫛の歯を引いたという喜劇をやったそうな。
眼を驚かす眼医者
今一つこれも全国的に名を知られている或る
その各支店をまわってその売れ残りの特徴を聞いてみたら、各区民の生活状態を考えるために面白い材料になるだろうと思ったが、あまり大袈裟になりそうなのでやめにした。
広告を見てもこの傾向――新東京人の勢力がわかる。
先ず東京市内の大商店の広告をいろいろ見比べて見ると、第一に信用戦で
或る呉服屋が一流どころの画家を集めて裾模様の展覧会を遣ると、一方では西陣の腕ッコキ連を呼び出して友禅染の品評会をやるといった調子である。出来る限り一般の批評に訴えて信用ある仕事をしたいという傾向が、震災後すべての方面に見えるが、これなぞもその一つであろう。
この辺まではまだ民衆的といいながら上品な方で、東京カブレをした田舎者釣りという気持ちがすくない。つまりバラック気分が薄い方であるが、この以下となるとそうした気味合いが特に露骨になって、地方人の眼をまわすような実例が到る処に発見される。
尤も東京は元来こうした処で、何も今更驚くには当らぬと思う人があるかも知れぬ。又実際その通りであるが、只その
言葉を換えて、東京の商売の中心である下町の商売振りは、全然バラック式になったと云う方がわかりいいであろう。実例を挙げるまでもあるまいが、眼に止まったままを前後お構いなしに左に掲げて見る。
「最新の学説である問題の『若返り法』はわざわざ九州クンダリまでお
云々の大文字をお祭の大
「商品の民衆化」とは
今一つ、記者の「眼」を驚かした眼のお医者がある。銀座尾張町の四辻で電車を待っていたら、
「あなたの眼は健康ですか。文明社会の生活では眼ほど大切なものはありませぬ。眼の良し悪しは
という意味で、福岡市のお医者様でこんな事をやったら、忽ち仲間外れにされそうな広告である。
人格と徳義を最も大切にするお医者様の、しかも何々博士と銘打った人までがこうした最新式の営業振りを見せる程、震災後の東京の商売は発達しているのだから、他は推して知るべしである。勿論、蒸溜水を注射して十円取るのと違って、国家に貢献する事は大であるが。しかもこういった式がバラック以来の流行である事は間違いない。先年、京都で或るお医者様がビラを配って大問題になった事を考えると、隔世の感があるのである。
特に九大を有する福岡市のために書き添えておく。
次に御紹介をしておきたいのは、「商品名懸賞募集」と「価格懸賞投票」という二つの広告法である。この方面の智識に暗い記者は未だ福岡市でこの種のものを見た事がないから、バラック式の一例として挙げたのであるが、珍らしくなかったら御免なさい。
商品名募集というのは、鼻紙とか鉛筆とかいうものの新製品を、繁華な往来に並べて価格を付けておく。買いたい人は買うのであるが、その紙なら紙が上等なわりに価格が安いのに、何という紙か名前が付いていない。
その側に大きな看板を立て、
「名前をつけて下さい
(商品の民衆化)
皆様の文化的要求に応じて
新しく生れたこの紙に……」
と大書して、締切り期日や審査員の文士? の名前となにがしかの懸賞金額が赤丸付きで発表してある。その
こうして一月ばかりして開票されると、投票数が何千何百人、当選者の氏名なぞをその往来に貼り出して、今度は名前入り引き札付きの紙を売るので、押すな押すなの盛況で売れて行く。
次に価格懸賞募集というのは、たとえば或る洋品店で毛糸のシャツの山をショーウインドの中に三つ作って、一号から三号まで印を付ける。一方に一等賞から五等賞まで、十円以下の品物の賞品を二三十積み上げて、表にこんな大看板を立てる。
「当店が今秋の破格大安売りとして提供すべきこの品の一号二号三号までの価格を御決定下さい。公正なる発表を致しまして当選者には陳列の品物を一個
云々と書いて、鉛筆と紙と投票箱が添えてある事は前の通りである。
通りかかりの労働者、学生、紳士などは勿論、人通りのすくない雨の日なぞは、女子学生らしいのまで
十四五日にして開票の結果は、総数二千有余、何円以下何円以上何名何名、一等八円いくら、二等六円何ぼ、三等五円なにがしと決定して、一等二等の当選者の宛名にした賞品の小包みが山積してあった。無論、その価格でドシドシ売り出している。
以上は不道徳でない範囲の広告法で、殊に最後の二つは人通りばかりを相手にした極めて真剣斬新な広告法である。これ以下の不道徳な範囲になって来るともう数限りないので、東京の新聞の案内欄を見ただけで思い半ばに過ぐるものがある。しかも震災後そのようなものの増加は特に著しく、一々挙げたら際限がないから略する。
これを要するに、以下述べたところで東京市内の中流以下の商店の広告が如何に平民化しているか……否、東京市内の商売振りが如何にバラック気分に充たされているかが容易にわかる事と信ずる。
[#改ページ]
生活の巻
東京人の色別け
この間の大地震と大火事とは、東京人の非常な多数を東京から追い出した。そのあとへそれ以上の地方人を迎え入れた。
この推測は当らずと
その新しい東京人は次第に都会化して、現在その中途半端なところに居る。各種の商店の広告振りや、大道商人のオシャベリ振りがこれを暗示している。その土地の商売はその住民の生活の反映とはよく云ったものである。
この半分東京化した地方人の大多数に、従来から東京に居た人間の種類を加えて見ると、現在の東京にはどんな人間が居るかという事があらかたわかる。
いの一番の筆頭は華族様、富豪なぞいう御方々で、東京では勿論の事、日本でも上流のパリパリ。汽車なら無論白切符か特等車で、自動車なら紋章入り、一台以上の格である。人数は無論震災前とあまり変らぬ。又
第二は知識階級を中心とした江戸ッ子と非江戸ッ子で、切符なら青赤混合というところ。自動車ならば無論持たず、プロ意識の最強烈な中流の種族である。
この非江戸ッ子の中に学生と腰弁がいる。学生の方は家族同伴が
次は純赤切符(といっても小学卒業内外)階級の江戸ッ子と非江戸ッ子である。その中で後の連中には、各種の車掌や運転手(巡査級もこの中に入れていいかどうかは考慮中である)なぞいう壮年青年の男、又は若い女が多い。東京復興の下廻りをやる労働者、又は復興気分を飾る女事務員、給仕女といった人々で、現在の東京の各階級の中で最大多数を占めている事は、町を歩いて見れば一目瞭然である。
以上の各人種の居る処を極く大まかに区別すると、中流以上は山の手から郊外に居るので、旧東京人が多い。それ以下が下町のバラックに居て新東京人となり、新東京の新文化を作りつつある事になる。
このような各人種がどんな生活を営んでいるかという事は、面白い且つ大なる研究問題である。
東京人の生活といっても一概に云えぬ。世界一の大都市だけに、上中下どれともつかぬ階級の人間や、思い切った変態生活者が
金鎖を下げた乞食……三年も湯に入らぬ富豪……家の無い自動車持ち……妾の四五人も居る無妻主義者……愛国的の名目を持つ亡国運動者……社会主義的団体名を振りまわす成り金崇拝者なぞ、数え立てれば限りもない。
勿論地方にも居るが、東京には特別に多い。
それは十把一カラゲに街頭から見た観察だから、多少の見損いは許していただきたい。
百万円の花火一発
今仮りに或る一文無しが百円の金を儲けたとする。
その中から二十円を奮発して芝居見に行く事になったとする。
これを聞いた人々が、
「ソレは身分不相応だ……ブル思想だ……二十円の金で何十人の飢が
と
罵しられた方は当り前の人間で、罵った方が馬鹿か気違いにきまっている。そうでなかったら、お金欲しさに血迷った奴である。こんなのがお金に有り付いたら、二割や三割どころでない、十割以上も飲み喰いして足を出す
ところが事実はこれを裏切った。天下の富豪大倉喜八郎氏が百何十万円とかを投じて
大倉家の財産がいくらあるか知らぬが、割合にすれば百円に対する二十円よりも小さいにきまっている。さあ新聞でタタク。何とか会員が脅迫に行く。いよいよ賀筵になると、警察が青くなって巡査に護衛させるという騒ぎであった。
何がどうした、だれがどうなったという事は一つもない。只百何十万円という声に昂奮しただけである。大倉の爺さんが爺さんなら民衆も民衆で、馬鹿馬鹿しいと云おうか情ないと云おうか。日本のブルジョアとプロレタリアットとが、大体に於てコンナ浅薄なブル思想に囚われた議論で押し合っているのなら、どちらにしても「ドッチモドッチ」である……記者は街頭に立って夕刊を読みながら天を仰いで嘆息した。
笑ってはいけない。記者は真剣である。国賊だの民衆の敵だのと、まわりくどい事は頭に浮ばぬ。只、「それだけのお金が欲しい」とシミジミ思わせられたのである。
それはそれとして、日本の上流社会の一番ドエライところを代表したのがこれ位のところで、
この百万円の花火がタッタ一発上がった切りスッと消えてしまうと、あとの世界は又薄暗い不景気になってしまった。
皇室では
何だか知らぬが、東京市の内外に空屋が
然るにこの不景気も、日本橋から銀座という東京目抜の通りに来ると、余り眼に付かない。三越、丸善、ホシ製薬、玉屋、天賞堂、白木屋と、まだいくらでもある有名な大商店、大銀行、大会社、大ビルディングがドシドシ復活して、古い
上流はこれ位にして中流に移る。
地震
「不景気の最もコタエないのは学生で、その次は腰弁だ」という。そう考えられぬ事もない。
腰弁は月給、学生は
しかし腰弁は、不景気となると、「首」という問題が起る。さもなくともボーナスの減少と来るから、照り降りはなくとも心臓には応える。
「ジョジョ冗談じゃない。東京はこの頃とても遣りにくくて……」
なぞ云う学生諸君があったらウンと
コザコザした物価調べなぞは抜きにして、東京の物価を福岡のソレと比較すると、牛肉が二倍、鶏が三倍、野菜や生魚が二倍半位にも当ろうか。十月から十一月頃、百円の月給では気の利いた下宿にも這入れぬ。
しかも学校を出てブッ付け百円取れるところは、東京中に無いと云った方が早道である。役所の帰りに荷車を引いて帰る男、制服のズボンで我慢をしている会社員、女持ち
こんな風をしてあるけるようになったのも
も一つ序に地震の御蔭を云えば、前に云った日比谷や芝離宮(これは焼けてしまったが)、その他の避難民小舎にかがんでいる腰弁連で、百五十円取って、家族同伴で家賃を払うとすれば、どうしても十五円や二十円は取られる。無家賃でも、すこし油断をすれば生活費が一パイ一パイになる事
茶色になった
こうした事実の半面には、又彼等をギューギューいわせている或る種の圧迫がある。それは着物道楽と文化生活である。
この二ツは現在の東京の腰弁級の最高の理想と云って差支えない。この二ツの理想が彼等を刺戟している間に、彼等はいつまでもピーピー風車でいなければならぬのである。
ここで
「腰弁」という名称の起りは、腰にブラブラしたアルミの弁当からであるが、それが今では月給取りの総称になってしまった。そうして本当の腰弁はその中の最下層に位する事になったので、それ以上のは有名無実の贋腰弁である。甚だしきに到っては奏任以上までが腰弁を僭称しているが、その
閑話休題……ここでは月給取りの総称を便宜と習慣上腰弁と云っているが、今まで見渡して来た生活は、その腰弁中の腰弁の生活である。
彼等の収入は先ず百円内外で、ウッカリしなくとも、事実上労働者以下の生活と云った方が早い。
この頃の労働者の間違いない収入が、月に見積って最低百円とする。腰弁も同じく百円取るとしても、こっちは身なりが要るのと、教育があるために労働者程度の交際は出来ないので、その生活の程度はイヤでも労働者より落ちなければならぬ。
震災後、東京市中到る処に軒並べて(
中流の着物道楽
中流以上の腰弁、ここでは主として男となると、こんな安飲食店や何かに来ない。下宿生活にしろ住宅生活(すくないようで案外多い)にしろ、東京市内ならばダリヤの一鉢、市外ならばコスモスの十四五本も植えた庭を睨めて納まっている。
この連中の最近の道楽が、前に云った着物道楽と文化生活である。強いて階級を付くれば、着物道楽が二百円級、文化生活が三百円級の理想と云えようか。
「東京の中流階級の男の風采がジミになった。その基調色は茶や黒又は鼠色で、昔のような派手なスタイルは下火になった」と或る新聞に出た。これは万人がそう認めているところである。「日本の中央都市にこんな堅実な風俗が流行するのは慶賀すべき現象である」とさえ云っている。
果してそんな結構な流行かどうかは別として、そのジミになった彼等の服装をよく気をつけて見ると、決してジミでないことがわかる。
如何にも色だけは渋い目立たぬ柄を選んであるが、その生地を見ると、田舎者の肝を潰すようなのが珍らしくない。こんな高価な服を着る人が、何でムザムザ電車に乗るのだろうと思うのさえある。つまり、皆がいい服を着るようになったために、自然と柄が高等になったので、決して渋い柄が流行する訳でない。高価な服が流行し始めたために、安い服までも渋い色調が流行するようになったと見るべきである。
御蔭で派手なヤンキースタイルは殆ど一掃された。水蒸気の多い日本の空気と、日本人の皮膚の色とに、最もよく調和する洋服が流行するようになった。結構といえばこの方が結構であろう。
震災直後の秋は別であるが、今年も春から秋へかけて、
も一つ例を挙げると、昨年の冬まで各種の雑貨店は安物全盛であったが、この頃では全然一変して高価な物をかなり多く並べる。五円級以上のワイシャツ、十円級以上の冬帽子は珍らしいものでなくなった。
彼等の中でも独身者は二百円以上取りながら……そうして相当の年輩となりながら、この身のまわり道楽に見込まれて、依然として洗濯を他人任せにしているのが珍らしくない。これには性の問題も影響している。自己紹介の必要の度合も昔よりも高まったというような理由もあろう。しかし、とにもかくにもこの道楽は忘れられないと見えて、月給の力を出来るだけこちらに注ごうと試みていることは事実である。
この中流階級の身のまわり道楽……一方から見れば渋い物流行は、呉服屋の宣伝でもなければ、その筋の奨励でもない。矢張り過般の大震災の影響と見るのが一番当っていると思う。
こんなところでウロ覚えの進化論なぞを持ち出すのは工合が悪いが、説明に便利だから一寸失敬さしてもらう。何かの本にこんな事があった。
「生きているものは一度でも或る変災に出会うと、二度とそんな眼に会いたくないという消極的な気もちと、これに抵抗してやろうという積極的な気持ちで、習慣や何かを一変させる事がある。これは一面から見ればたしかに進化に相違ないが、一方から見れば退化としか見られぬ事が多い」
この事実を最も著明に証拠立てたのが今度の地震であった。
今度の地震で、あらゆる家が焼けたり、たおれたりして、多勢の人が逃げ迷うのを見た東京人は、家とか財産とかいうものがまるで当てにならないものであると感じた。
さなきだに東京の人間は、江戸の昔から家に対する執着心が薄かった。
「一人もの
「
で、家に対する執着が誠に少ないところへ、大地震と大火事で肝の潰れる程の教訓を受けたのだからたまらない。その後も引き続きグラグラと来るたんびに、何でも身に付く以外のものは無くなっても構わないようにという気持ちになって来た。
一方、震災後地方から押し上った連中も、早速この
つまり、こうしておつとめ服の身のまわりにさえ金をかけておけば、借金取りでも滅多に寄り付けぬ。質に置くにも都合がいい。そうして
支那人が股倉に金を貯め、駱駝が胃袋に水を溜め、猿が頬ペタに袋を下げ、牛が胃袋を四つ持っているところを、日本人だけに着物で気前を見せているのであろう。
進化か退化か知らないが、東京人がこうまで
着物道楽……独身主義の延長……という、虚栄に囚われた女にでもありそうな傾向が男の中に流行している……女は無論の事……というこの二ツが東京にどれだけの独身生活者を殖やしているか、そうしてそれがどれ位まで東京の風俗を乱しているかは、話の筋をそれるから後まわしにする。
つまり着物道楽は
文化とは「ブル化」?
東京人の憧憬する文化生活を研究するには、先ず「文化」という言葉の定義からきめてかからねばならぬ。
文化という言葉はバラックと同様あんまり有触れ過ぎて、どんな事を意味するのか訳がわからなくなっている。
文化生活、文化村、文化住宅、文化机、文化
縁日に出ている停電用の燭台や電球蔽い、書翰箋やインキ壺まで文化と名づけてある。かと思うと、書物には文化出版、売り出しは文化的提供、文化的家具一式、叮嚀親切薄利多売は文化的広告なぞいう看板がある。
つまり安くて便利で重宝でハイカラなのが「文化」かと思うと、そうでもないらしい。
この頃、文化納豆というのが出来たというから八百屋(東京の)に行って見せてもらうと、
生れつき頭の悪い記者は、念のため今一度買った八百屋に行ってきいて見たら、「今までの
新聞の広告や何かに「文化的○○薬」だの「文化○○サック」なぞいうのを発見して、文化の意義をいよいよ怪しんでいると、或る横町で文化焼芋というのを発見した。近寄って見ると、皮を
この
ところが文化の方では、なかなかそれ位の事では承知しない。まだまだ沢山あるという。何だと聴いて見ると、必ずしも文字に書いてなくとも、文化の意義を含んでいるものが数限りない。近頃
こいつを今一層文化的にすると、
「御飯とお
という式になる。つまり奥様は一切手を濡らさないのが最高の文化なのだそうな。
まだある。
音楽なぞも文化生活には必要なものだそうで、楽譜や楽器の売れる事売れる事。よくきいて見ると、ハーモニカやシロフォネンなどは子供のオモチャで、マンドリン、ギタ、ヴァイオリン、洋琴やピアノなぞが本当の文化的価値があるものだそうだ。しかも昔なら、
「鐘一つ売れぬ日も無い江戸の春」
というところを、今日では「ピアノ一つ」と改めて差支えない勢である。
尤もこれはブンカブンカと鳴るからかと思うと、蓄音器も文化生活に必要なものだそうで、この頃では縁日なぞでもチーチーガアガアとレコードを売っている。
まだまだ数え立てると限りもないが、要するにトドの詰まるところ文化生活の理想は何かと考えて来ると、彼等が学生や腰弁時代に口を極めて罵っていた、ブルジョアの金殿玉楼生活だという事になるようである。つまりそんなに早くブルにはなれないし、よしんばなれても近頃流行の社会主義が怖いから、止むを得ずいくらか安っぽいブル趣味に「文化」と名をつけて、お茶を濁した生活をしているのだとも見える。
何の事だ、馬鹿馬鹿しい。それならそうと早く云えばいいに、「文化」だとか何とか今道心見たような名を付けるからわけがわからなくなる。
「ブル化」と云った方が早わかりするじゃないかと一時は思ったが、これは文化生活の内容を見ない前で、一度実際をのぞいて見たらナアール程と又首をひねらせられた。
文化生活にはもっともっと深い意義がありそうである。頭の悪い記者にも気の付いた条件が三ツ四ツあるが、そのいずれもがなかなか意味深長である。
老人と子供排斥
文化生活とはどんなものかと、
文化住宅は市内にもチラチラ見える。中野や大崎には集団を作っている。文化住宅の模型だけを並べている建築屋もある。
そんなのを見てまわると、どれもこれもバラック趣味の凝り固まりである事が第一番眼に付く。文化生活の第一条件は、その住宅が必ずやバラック趣味でなければならぬ事であると云ってもいい位である。
文化趣味からバラック趣味が生れたのか、バラック式が文化式の元祖なのか、その辺はまだ研究中であるが、現在東京市の内外で見受ける文化住宅には、バラック建築の余興位にしか見えないのが多い。
先ず暗い色のセメント壁に、白いペンキ塗りの窓がある。そこへ生蕃人の腰巻見たようなカアテンがブラ下って、その蔭に十五銭位の草花の鉢が置いてあれば、間違いない、文化住宅と云ってよろしい。
第二の条件は、文化住宅のどこかに立派な書物を詰めた上等の本箱が光っている事で、これは説明するまでもなく是非必要である。床の間に真黒い軸をかけて、前に品のいい花を活けた精神修養式の趣味は時代遅れである。新しい智識や情緒を詰込んだ金文字の権威を見せるのは、文化住宅として当然の心掛けでなければならぬ。
近頃活躍し出した出版界が何々全集、何々叢書と
第三の条件は甚だ
文化生活の片隅に老人がウロウロしていたり、子供がワイワイ云っていたりしては、「文化」の意義をなさぬのだそうな。記者の如き親孝行者は実に憤慨の余り涙がこぼるる次第である。
第四の条件は、前のと違って一寸愛嬌がある。文化生活には犬か猫か何かが是非一匹いなければならぬというのである。
これは一つには装飾や楽しみの意味もあるが、今一つには、こんなものを可愛がっていると自然と人間の優越感を享楽する。同時に彼等の自然な動作から、極めてデリケートな或る神秘的のヒントを受けるので、文化の文化たる所以が一層高潮されるのだそうな。
……と或る文士から説明を聞いたが、記者には何の事かわからなかった。或は頭のいい読者諸君にもわからぬかも知れぬ。しかし、わからなくとも事実は事実である。
或る大きな活動写真の
又、東京市中をまわって見ると、新しい鳥屋がかなり多い。這入って話を聴いて見ると、「震災後、小鳥道楽は下火になりました。
「文化文化」と啼く鳥がいたら、どれ位歓迎されるであろう。
こうなると「文化」の意味が一層わからなくなる。何の事はない。文化生活という事は、老人や子供を人間世界から追い出して、代りに禽獣や書物を取り入れた事になる。書物が親の代り、禽獣が子供の代りでもするのであろうか。とても当り前の教育程度では要点が掴みきれぬ。
ところがその掴まれぬところがいいかして、猫も
こうして昇って昇って昇り詰めたら、日本はおしまいにどこへ持って行かれるだろうと心配になる位である。
こんな風船玉のようなフワフワした文化気分が、例のバラック気分と心安いのは云う迄もないので、東京人の魂はバラック生活と文化生活との間をフラ付いている。商売でも風俗でも何でもが、大体に於てこの気分の中で色めいていると見てよかろう。
学生生活の色々
東京の学生は全国のあらゆる種類と階級を網羅している。
その中で中流、即ち腰弁と同等の生活をしているのは、全体の何分の一か何十分の一位であろうが、しかし大体から見て中流生活と云ったら
学生の生活といっても、学校の種類に依って非常な差があるが、その学校の種類が驚くべき多数に上っているからなかなか調べにくい。
その筋の帳面を調べても驚かされるが、なかなかそれ位の事でない。昔風の寺小屋式から男女の大学まである。これを官立、私立、営利、非営利、年齢別、性別、専門別と区別して来たらとても大変である。
更に
その中で大学と専門学校程度の学生の生活を見当にして寸法を測って見る。一つはそのほかのが調べにくいからでもあるが、今一つには彼等の生活を学生生活の華として敬意を払ったわけである。
東京に家のある学生の生活は一寸見当が付かぬが、為替党にもいろんな階級がある。一ヶ月二百円以上も送って来るのが居るかと思うと、労働して大学に通った上に、故郷の弟に四円
毛色の変ったのでは、春画を描いて学資を作って美術学校を出たのが居る。後家さんの男妾になって専門学校に通っているのがある。米相場が名人で
何しろ学生だから、年が若くて元気で、無責任な延び縮みが出来るから、これ位面白い生活をやっているものはない。
先ず普通八九十円以下五六十円以上の為替生活者が大多数で、下宿料が三四十円位、汚い間借りで十円から十五円どころであろう。但、間借りは飯抜きだから、下手を遣ると下宿以上になる。尚このほかに月謝、書物代、洋服代なぞが時々足を出すのは止むを得ない向きもある。こんな「足」が本当にこんな足なら、先ず
この程度の学生を先ず中流生活者として、その純小遣いを十五円乃至四十円位に見積る。彼等の驚くべき贅沢さや質素さは皆この範囲から出て来るのである。更に質屋や古本屋、又は友人間の貸し借りなぞいうのを加えると、一層活躍の範囲が広まることになる。
しかも彼等の小遣いは、普通の中流生活者の小遣いのように世間的の意味を含んでいる分量がまことに少い。頭を使わずに只漫然と遣い棄てるのが多いので、この点から云うと彼等の生活は中流の
その上に彼等は、当り前に学校に通って当り前に勉強さえしていれば、首の心配は無論ない。只怖いのは落第ばかりとなる。それも十中八九は為替の多寡に影響しないのだから、真に不景気知らずと云ってよかろう。
こう云うと又、記者の非常識を攻撃する諸君が出て来るかも知れぬ。
「新聞記者なんてものは筆の先でどんな事でも書く。いくら学生だって、不景気を知らないでどうなるもんか。第一下宿の飯が
承われば一々御尤も千万であるが、さて街頭に立って諸君の生活振りを拝見すると……。
制帽と鳥打帽の手品
近頃東京の往来を歩いて見ると、学生仲間に鳥打帽が非常に流行している事に気が付く。
学生だから鳥打帽を冠るのが当り前かも知れぬが、それが又タダの鳥打帽でない。気をつけて研究すると実に変妙不可思議の鳥打帽で、支那や印度の魔術師でも眼をまわす位である。
勿論、その鳥打帽は普通の鳥打帽で、価格の上下や型の変化こそあれ種も仕かけもない。しかもその鳥打帽でどうしてそのような奇術を使う事が出来るかという事は、
前口上はこれ位にしておいて、実地の使用法を取り立てて御覧に入れる。
第一、彼等学生が、下宿屋や又は預けられ先を出る時に、学校の制帽を冠って出るものは殆ど九牛が一毛と云ってもいい位である。学校に行く時も、散歩に行く時も通じてそうなので、その十中八九は鳥打帽を冠って行くにきまっている。
ところで登校の際に冠って行く鳥打帽は、私立の学校だとそのままズンズン這入って行けるのが多いが、官立の学校だとそうは行かぬ。どうするのか知らんと運動場をのぞいて見ると、これはしたり。校庭一パイに散らばっている生徒の頭には鳥打帽は一ツもない。皆キチンとした制帽を冠っている。これが鳥打帽の第一の手品である。
この手品の種はどこにあるかというと、彼等の制帽の構造にある。近頃の学生の制帽はどれもこれも、一つとして昔のような頑固な枠を入れたのはない。馬の尻毛や亜麻の
使いわけると云っても取り換えるだけの事だから、ちょっと考えると何でもないようであるが、なかなかどうして、大学を卒業してもこの鳥打帽使いわけの奥義に達しないのがいくらでも居る。ウッカリすると学校のどの科目よりも
先ず見易いところから例を取ると、真面目な家庭を訪問する時には制帽を冠る。散歩する時には無論鳥打帽である。
儀式ばった処へ行くのには制帽で、活動を見に行く時は鳥打でなければ工合が悪いらしい。
お医者に診てもらいに行く時には制帽がよろしいが、弁当代りにサンドウィッチを喰いに行く時は鳥打帽にかわる。
割引切符を買う時は無論制帽の方が都合がいいが、汽車に乗り込んでしまうと必要はない。
教科書を買う時の気分は制帽であるが、Y書を買う時の心理状態は鳥打の下に隠れねばならぬ。
故郷の親元に送るらしい写真は大抵制帽を冠るので、顔付きが似なくて困ると写真屋が云うが、鳥打帽のはどんな処に送るのやら……。この辺になると大分手際が鮮かな方であろう。
女学校の運動会見物、
そのほか展覧会、校友会、由緒ある会、出たらめの会なぞ、それぞれ鳥打帽と制帽の使いわけ方がある。その冠って来た帽子が制帽か鳥打帽であるかに依って、その会合を理解しているかいないかがわかるという位デリケートな研究を要するので、
学生と見られぬため
東京の学生の制帽と鳥打帽の使い分け方を街頭から見ただけでもかなりいろいろあるが、単に鳥打帽だけの冠りわけでもちょっと研究を要する。
当り前に正しくすこし前下がりに冠るのは、当り前のすこし前下がりの外出の場合であるが、横っチョに冠るのは見もの聞き物に這入る場合、カフェーの中では阿弥陀に冠り、運動遊戯ではうしろ向きにかぶる。それからずっと目深く、うしろはボンノクボから前は眼から耳まで隠れるように冠る場合は、秘密の外出か訪問、又は変装用で、これに襟巻きをしてロイド眼鏡でもかけて首をちぢめると、ドンな名探偵でも
更にその鳥打帽の下に這入っている香水入りのハンケチの種類、その
鳥打帽と関連して、東京の学生の生活を街頭に示しているのはその服装である。
今度東京に来て暫くウロ付いているうちに、記者は
昔のような長い釣鐘マントはもう流行
ところがこの頃は又、私立大学仲間で変りズボンを穿き出した。しかも裾のマクレたのが
街頭から見た新東京の裏面(がいとうからみたしんとうきょうのりめん)
作家录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语
相关文章
笑う唖女(わらうおしおんな)
私の好きな読みもの(わたしのすきなよみもの)
若返り薬(わかがえりぐすり)
路傍の木乃伊(ろぼうのミイラ)
霊感!(れいかん!)
ルルとミミ(ルルとミミ)
涙香・ポー・それから(るいこう・ポー・それから)
猟奇歌(りょうきうた)
謡曲黒白談(ようきょくこくびゃくだん)
雪の塔(ゆきのとう)
幽霊と推進機(ゆうれいとスクリュウ)
山羊髯編輯長(やぎひげへんしゅうちょう)
眼を開く(めをひらく)
冥土行進曲(めいどこうしんきょく)
名娼満月(めいしょうまんげつ)
名君忠之(めいくんただゆき)
虫の生命(むしのいのち)
無系統虎列剌(むけいとうコレラ)
三つの眼鏡(みっつのめがね)
継子(ままこ)
正夢(まさゆめ)
微笑(ほほえみ)
豚吉とヒョロ子(ぶたきちとヒョロこ)
夫人探索(ふじんたんさく)
奇妙な遠眼鏡(ふしぎなとおめがね)