「アッハッハッハッハッ……」
冷めたい、底意地の悪るそうな高笑いが、小雨の中の
黄色い
その前後に二人の
「ハッハッハッ。何も怖い事はない。悪いようにはせんけんで
「関所の抜け道も教えて進ぜるけに……」
「……エッ……」
若侍は一瞬間キッとなったが
「ハハ。
「そうじゃそうじゃ……のうヨカ
「……も……もっての外……」
と若侍は今一度気色ばんだが、又も力なく頭を下げた。
……フウン。肥後侍かな……。
と平馬は忍び寄りながら考えた。
……いずれにしてもこの崩れかかった時勢が生んだナグレ浪人に違いない。相当腕の立つ奴が二三人で棒組む……弱い武士と見ると左右から近付いて道連れになる。佐幕、勤王、
そう考えるうちに若い平馬の腕が唸って来た。
……自分はお
とも考えたが、気の毒な若侍の姿を見ると、どうしても
その鼻の先で鬚武者が今一度
「サアサア。問答は無益じゃ無益じゃ。一所に来たり来たり。アハハハ……アハアハ……」
女と
「……アッ……」
と叫んだ若侍が刀の柄に手をかけたが、その利腕を掴んだ平馬は、無言のまま
「……何者ッ……」
「邪魔しおるかッ」
「名を
という殺気立った言葉が、身構えた二人の口から
「ハハ。
平馬は落付いて笠を脱いだ。若侍も平馬を味方と気付いたらしい。
「委細は聞いた。貴公達が肥後の御仁という事もわかったが、しかし大藩の武士にも似合わぬ見苦しい事をなさるのう……」
「何が見苦しい」
「要らざる事に
「ハハ。それは貴公方に云う事じゃ。関所の役人は幕府方と心得るが、貴公方はいつ、徳川の手先になった」
二人はちょっと云い籠められた形になったが、間もなく平馬が、まだ青二才である事に気が付いたらしい。心持ち引いていた片足を二人ともジリジリと立て直して来た。
「フフフ。武士たる者が
平馬がそう云う
「……ハッ……」
と若侍が声を呑んだ。その眼の前を、平馬が撥ね上げた茶色の合羽が
「このような者に
と
松の
「お
「イヤ。怪我をする間合いも御座らぬ」
と笑いながら返り血一滴浴びていない全身をかえり見た。
「ありがとう存じまする。大望を持っておりまする身の、卑怯とは存じながら逃げる
ちゃんと考えていたのであろう。若侍がスラスラと礼の言葉を
「いや。
と恐縮しいしい茶合羽と菅笠を受取った。
「お
「……まことに恥じ入りまするばかり……」
言葉低く語り合ううちに松原を出た。そうして二人ともタッタ今血を見た人間とは思えぬ
明るい処で向い合ってみると又、一段と
その若侍は静かに街道の前後を見まわしながら、黄色い桐油合羽の前を解いた。ツカツカと平馬の前に進み寄って、恭々しく、頭を下げた。
「……手前ことは江戸、
「ああいやいや……」
平馬は
「……その御会釈は
「……あの……黒田藩の……石月様……」
といううちに若侍は顔を上げて、平馬の顔をチラリと見た。しかし平馬は何の気も付かずに、心安くうなずいた。
「さようさよう。平馬と申す無調法者。御方角にお見えの節は、お立寄り下されい」
「
若侍は又も、いよいよ
「……何はともあれこのままにては不本意に存じまするゆえ、御迷惑ながら小田原の
「ああ……イヤイヤ。その御配慮は御無用御無用。実は主命を帯びて帰国を急ぎまするもの……お志は千万
「……
「アハハ。御恩などと仰せられては痛み入りまする……平に平に……」
「……それでは、あの……余りに御情のう……おなじ御方角に参りまする者を……」
「
「ハッ。返す返すの御親切……関所の手形は
「ああイヤイヤ。御所持ならば懸念はない。御政道の折合わぬこの節に
平馬は振切るようにして若侍と別れた。物を云えば云う程、眼に付いて来る若侍の
……ハテ妙な者に出合うたわい。匂い袋なんぞを持っているけに、たわいもない柔弱者かと思うと、油断のない
などと考えて行くうちに大粒になった雨に気が付いて、笠の
……いや……これは不覚じゃったぞ。「
刀の手入を済ましてから宿の湯に
「……おお……よい湯じゃったぞ……」
「おそれ入りまする。あの……まことに何で御座いますが、あちらのお部屋が片付きましたから、どうぞお越しを……」
「ハハア。身共は二階でよいのじゃが……別に苦情を申した覚えはないのじゃが……」
「……ハイ……あのう……主人の
「……そうか。それならば余儀ない」
平馬は
十畳と八畳の結構な二間に、
お小姓上りだけに多少眼の見える平馬は、浴衣がけのまま、敷居際で立止まった。
「……これこれ女……」
女は
「そちどもは客筋を見損なってはいやらぬか。ハハハ……身共は始終、この辺を往来致す者……
「ハイ……あの……」
女は真赤になって
「……まこと……主人の申付けか……」
「……あの。貴方様が只今お湯に召します
「……何……若い侍が……」
「ハイ。あのう……お眼に掛って御挨拶致したい筋合いなれど、先を急ぎまする故、失礼致しまする。万事粗略のないようにと仰せられまして、私共にまで御心付けを……」
「……ヘヘイ。只今はどうも……飛んだ失礼を……
五十ばかりの亭主と見える男が、走って来て平馬の足元に額を擦り付けた。
「……また只今は御多分の御茶代を……まことに行き届きませいで……早や……」
平馬は突立ったまま途方に暮れた。使命を帯びている身の油断はならぬ……が、志の趣意は、わかり切っている。最前の若者が
「……どうぞ、ごゆるりと……ヘイ。まことに、むさくるしい処で御座いますが……」
と云ううちに亭主と女中が
平馬は引込みが付かなくなった。そのまま床の前の
「……
平馬は腕を組んだまま眼をパチパチさせた。
「お前は……女中か……」
「ハイ……あの当家の娘で御座います」
「ふうむ。娘か……」
「……ハイ。あの……お一つ……」
平馬は首をひねりひねり二三
……ハテ。主命というても今度は、お部屋向きの甘たるい事ばかりじゃ。附け狙われるような筋合いは一つもないが……やはり最前の若侍が真実からの礼心であろう……。
斬られたさに(きられたさに)
作家录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语
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