なぞと考えまわす
沈み込む程ふっくりした夜具に潜り込む時、彼は又ちょっと考えた。
……これ程の心付けをするとあれば余程の路用を持っているに違いない。友川という旗元は、あまり聴かぬようじゃがハテ。何石取であろう……。
と思ううちに又も、松原を背景にした若侍の面影が天井の
しかし、それも僅かの
箱根を越えるうちに平馬は、若侍の事をサッパリと忘れていた。
駿府にはわざと泊らず、海近い焼津から一気に大井川を越えて、
「あの御客様……まことに申訳御座いませぬが只今、奥のお座敷が空きましたから、お上りになりましたらお手をどうぞ……御案内致しますから……」
小田原の出来事を思い出した平馬は返事が出来なかった。何やらわからぬ疑いと、たまらない好奇心が眼の前で渦巻き初めたので、無言のまま湯気の中から飛び出した。
「ヘイ……どうもお疲れ様で……お流し致しましょう」
揉み手をしながら
「……ウーム……」
平馬は考え込んだまま背中を流さしたが、どうしても考えが纏まらなかった。
女中に案内されて奥へ来てみると、小田原ほど立派ではないが木の
「……ここは茶室か……」
「ハイ。このあいだ、
平馬は床の間の掛物を振り返った。
「あの蝦夷菊はこの
「いいえ。あの……お連れの奥方様が、お持ちになりました」
「……ナニ……奥方様……」
小娘は無邪気にうなずいた。
「フーム。どんな奥方様か……」
小娘はちょっと眼を丸くした。
「旦那様は御存じないので……」
「……ウムム……」
平馬は行き詰まった。知っていると云って良いか悪いか見当が付かなくなったので……。
「……あの……黒い
「ウーム。不思議だ。わからぬな……」
「ホホホホホホホ……」
小娘は声を立てて笑った。冗談と思ったらしかった。
「旦那様は鯉のお刺身と木の芽田楽が大層お好きと、その
平馬はモウ一度膳部を見廻したが、思わず赤面させられた。小田原で酔うた紛れに
「……ちょっと主人を呼んでくれい」
「ハイ……」
と云ううちに小娘は
「……これはこれは……まだ御機嫌も伺いませいで……亭主の佐五郎
「イヤ。そのような話ではない。ま……ズット寄りやれ。実は内密の話じゃがの……」
「ヘヘ……左様で御座いましたか。ヘイヘイ……それに又、
「アハハ。実はそのお連れ様の事に就いて尋ねたいのじゃが……」
「ヘエヘエ……どのような事で……」
「その、お連れ様という奥方風の女は、どのような人相の女であったろうか……」
「……ヘエッ。何と仰せられます」
「その御連様というた女の様子が聞きたいのじゃ」
「……これはこれは……旦那様は御存じないので……」
「おおさ。身共はその女を知らぬのじゃ」
「……ヘエッ。これはしたり……」
主人が白髪頭を上げて眼を丸くした。六十余りと見える逞ましい大男であった。投げ
平馬は思い出した。ここいらの宿屋の亭主には渡世人上りが多いという話を……。
平馬の想像は
それから平馬が物語る一部始終を聞いているうちに老人は、両手をキチンと膝に置いた
「……
「イヤ。無調法と申す程の事でもない……が……御子息というと……」
「ヘヘ。最前お背中を流させました奴で……」
「ああ。左様か左様か。それは
「どう仕りまして……飛んだ
平馬は又も赤面させられた。
「アハハハ……その心配は無用じゃわい。すでに小田原でも一度あった事じゃからのう。つまるところ拙者の不覚じゃわい……」
「勿体のう御座りまする」
「……しかし
「恐れ入りまする。お言葉甲斐もない次第で御座りまするが、只今のような不思議なお話を承りましたのは全くのところ、只今がお
「……ホホオ……初めてと申さるるか」
「左様で……表の帳場に座っておりましても、慣れて参りますると、お通りになりまする方々の御身分、御役柄、又は町人衆の商売は申すに及ばず、お江戸の御時勢、お国表の
「成る程のう。そうあろうともそうあろうとも……」
「……なれども只今のような不思議な
「うむうむ……殊に容易ならぬのはアノ足の早さじゃ。身共も十五里十八里の道は日帰りする足じゃからのう……きょうも焼津から出て大井川で、したたか手間取ったのじゃが……」
佐五郎老人はちょっと眼を丸くした。
「……それは又お丈夫な事で……」
「まして
佐五郎は大きく
「さればで御座りまする。貴方様のおみ足の上を越す者でなければ、お話のような芸当は
「ああコレコレ。そのような骨を老体に折らせては……分別してくるればそれでよいのじゃが……」
「ハハ。恐れ入りまするが手前も昔取った
「……それは……慮外千万じゃのう……」
「……あ。それから今一つ大事な事が御座りまする。念のために御伺い致しまするが、旦那様は、そのお若いお方の
「いいや。それ迄もないと思うたけに見なんだが……」
「……いかにも……
「……気の毒千万……」
「どう仕りまして……飛んだお妨げを……」
老亭主の佐五郎はソソクサと出て行った。……と思う間もなく最前の小娘が、別の燗瓶を持って這入って来た。ピタリと平馬の前に座ると相も変らず
「熱いのをお上りなさいませ」
平馬は何となく重荷を下したような気がした。
「おうおう待ちかねたぞ……ウムッ。これは熱い。……チト熱過ぎたぞ……ハハ……」
「御免なされませ……ホホ……」
「ところで今の主人はお前の
「いいえ。叔父さんで御座います。どうぞ御ゆっくりと申して行きました」
「何……もう出て行ったのか」
「ハイ。早ようて二三日……遅うなれば
平馬は又も面喰らわせられた。
「ウーム。それは容易ならぬ……タッタ今の
「ハイ。サゴヤ佐五郎は旅支度と早足なら誰にも負けぬと
「ウーム……」
しかし中国路に這入った平馬は又も、若侍の事をキレイに忘れていた。それというのも見付の
ところで平馬は早くから両親をなくした
一柳斎は、むろん大喜びで久方振りの
「ホホオ。これは面白い。稽古が済んだら残っておりやれ。チト話があるでな」
と云う
一柳斎は上々の機嫌で
「コレ。平馬殿……手が上がったのう」
「ハッ。どう仕りまして、暫くお稽古を離れますと、もう息が切れまして……ハヤ……」
「いやいや。確かに
平馬は無言のまま青くなった。恩師の前に出ると
「ハハハ。図星であろう。間合いと呼吸がスックリ違うておるけにのう。隠いても詮ない事じゃ。その手柄話を聴かして下されい。ここまでの事じゃから差し置かずにのう」
いつの間にか両手を
ところが、そうした平馬の武骨な話しぶりを聞いている
「ふううむ。意外な話を聞くものじゃ」
「ハッ。私も実はこの不思議が解けずにおりまする。万一、私の
「おおさ。話いたらお手前の不覚になるところであった」
「……ハッ……」
何かしらカーッと頭に上って来るものを感じた平馬は又も両手を畳に
「アハハ……イヤ叱るのではないがのう。つまるところお手前はまだ若いし、拙者のこれまでの指南にも大きな手抜かりがあった事になる」
「いや決して……万事、私の不覚……」
「ハハ。まあ
「……ハ……ハイ……」
「人間、人情の
「……と仰せられますると……」
斬られたさに(きられたさに)
作家录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语
相关文章
笑う唖女(わらうおしおんな)
私の好きな読みもの(わたしのすきなよみもの)
若返り薬(わかがえりぐすり)
路傍の木乃伊(ろぼうのミイラ)
霊感!(れいかん!)
ルルとミミ(ルルとミミ)
涙香・ポー・それから(るいこう・ポー・それから)
猟奇歌(りょうきうた)
謡曲黒白談(ようきょくこくびゃくだん)
雪の塔(ゆきのとう)
幽霊と推進機(ゆうれいとスクリュウ)
山羊髯編輯長(やぎひげへんしゅうちょう)
眼を開く(めをひらく)
冥土行進曲(めいどこうしんきょく)
名娼満月(めいしょうまんげつ)
名君忠之(めいくんただゆき)
虫の生命(むしのいのち)
無系統虎列剌(むけいとうコレラ)
三つの眼鏡(みっつのめがね)
継子(ままこ)
正夢(まさゆめ)
微笑(ほほえみ)
豚吉とヒョロ子(ぶたきちとヒョロこ)
夫人探索(ふじんたんさく)
奇妙な遠眼鏡(ふしぎなとおめがね)