昭和九年四月一日の午前十時頃、神奈川県川崎の警察署へ新聞記者が五六人集まって、交通巡査から夕刊記事を貰っていた。
それは
その早朝の三時頃、京浜国道川崎市の東の
衝突の原因は小型シボレーの牛乳
交通規則の中に、夜間、自動車同志がスレ違った時にヘッド・ライトを消すべしという箇条は別にない。ただ、お互い同志が眩しくて危険なために消し合うのが一つの不文律、兼、
「相手は、お前の車のヘッド・ライトが眩しいためにハンドルを誤ったんだな」
「……ヘエ……」
戸若運転手は何故か返事を躊躇した。青白い
「どうかね。衝突の原因について、ほかに心当りはないんか。ええ?」
「……ヘエ……」
活動俳優みたような好男子の戸若運転手は、無粋な恰好に巻いた頭の繃帯をうなだれた。
「免状を見るとお前は、かなり古い運転手やないか」
「……ヘエ……」
「どうしてヘッド・ライトを消さなかったんか。別に
「……………」
黙って考え込んでいた戸若運転手は、やがてゴックリと一つ大きくうなずいた。何事か決心したらしく深いため息をして顔を上げた。昂奮したらしく眼を光らして
「……ハイ。実は殺されるのが恐ろしゅう御座いましたので……」
「……ナニ……殺される……」
交通巡査はビックリしたようにロイド眼鏡をかけ直し、腕章を上の方へ押上げた。
「フーム。妙な事を云うのう。ヘッド・ライトを消やせば何故、殺されるんか……お前アタマがどうかしとらせんか」
戸若運転手は眼をしばたたいた。気の弱い男らしく
「ヘイ、恐れ入ります。私はモウすっかり前非後悔をしております。何も
「フーム。白状するちうて何か悪い事でもしたんか」
「ヘエ。私は大罪人です。
戸若運転手は机の端にヒレ伏したまま涙をバラバラと落し初めた。
「……ちょっと待て……ちょっと……」
少々驚いたらしい交通巡査は、帳面片手に立上ってソソクサと部長室を出て行った。広間の大火鉢の前で煙草を吸っている巡査部長の傍へ近付いてコソコソと耳打ちした。
「そんな事を云い出したもんですから……どうも僕の受持ではなさそうです。ちょっと立合って頂きたいんですが」
巡査部長は面倒臭そうにアクビしいしいうなずいた。向い合って煙草を吸っている二人の刑事をかえり見た。
「この頃ソンナ話は聞かんな。姦通とか、二千円の盗難とか……」
二人の刑事は眼をパチパチさせて部長を仰いだ。一人が頭を左右に振った。
「おかしいですね」
「ブツカッた拍子に頭が変テコになったんじゃねえかな」
「ウム。とにかく君等も
部長と二人の刑事が交通巡査を先に立てて部長室に
四人の警官に取巻かれた戸若運転手はチョッと
戸若運転手は鹿児島の生れで、昭和六年に同郷の先輩蟹口運転手を頼って上京し、一所に東京虎の門の千番トラックに勤めていた。蟹口は好人物の変り者という評判であったが、兄貴分だけに戸若を色々と世話して、着物や金を与えた事が度々であった。だから戸若は蟹口を深く恩に着ていた。
戸若は千番トラックのギャレジの二階に寝泊りしていたが、蟹口は、
蟹口夫婦の間に子供はなかったが、蟹口は植木物が好きで、狭い庭に縁日から買って来た朝顔や、
ところが一昨昭和七年の夏、蟹口は突然に二三日の予定で神戸に行く事になった。何でも千番トラックの主人の命令で、神戸へ行って、
「戸若君。済まんが俺の留守中に、植木鉢へ水を遣ってくれんか。朝はツル子が遣るが、午後になると店からドウしても手が離されんけに……な。頼んますど……」
と
戸若は喜んで引受けた。
二人がズルズルと
すると、その噂を聞いたものか、どうだかわからないが、蟹口は突然に、戸若にもダンマリで千番トラックを引いて、ツル子と共に淀橋の煙草店まで引払い、子安の妹田農場の専属運転手となった。そうしてその
しかしツル子は極力不賛成を唱えた。折角油の
ツル子と戸若の関係は切れていないのであった。結局蟹口がどうしても農業に転向するものと見込をつけた姦夫姦婦は、蟹口が汗を絞った貯金二千余円を捲上げる計劃を立てた。
戸若は一昨昭和七年の十二月の初めの或る夕方、日が暮れると直ぐに、蟹口の留守宅に忍び入り、ツル子を細帯で縛り上げ、
程なく帰って来た蟹口は、この
「
妾は泣きながら死にます。死んで貴方の幸福を祈ります」
という意味の
衝突心理(しょうとつしんり)
作家录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语
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