一
私は「完全な犯罪」なぞいうものは空想の一種としか考えていなかった。丸之内の
その私が「完全な犯罪」について真剣に考えさせられた。そうして自身にそれを実行すべく余儀なくされる運命に陥ったというのは、実に不思議な機会からであった。すべてが絶対に完全な犯行の機会を作ってグングンと私を魅惑して来たからであった。
今年の正月の末であった。私はいつもの通り十二時前後に社を出ると、寒風の中に立ち止まって左右を見まわした。私は毎晩社を出てから、丸之内や銀座方面をブラブラして、どこかで一杯引っかけてから、霞ヶ関の一番左の暗い坂をポツポツと登って、二時キッカリに
するとその私の前をスレスレに、一台の泥ダラケのフォードが近づいて来たと思うと、私の鼻の先へ汚れた手袋の三本指があらわれた。それは新しい鳥打帽を
けれども自動車は動かなかった。今度は運転手がわざわざ窓の所へ顔を近づけて、私にだけ聞こえる細い声で、
「
といった。ドウヤラ笑っている眼付である。
私はチョット面喰った……が……直ぐに一つうなずいて箱の中に納まった。コイツは何か
その時に私はいくらかドキドキさせられた。いよいよ怪しいと思ったので……ところが間もなく演舞場の横から、
「新聞に書いちゃイヤヨ。ホホホホ……」
私は思わず眼を丸くした。
それは二週間ばかり前から捜索願が出ている、某会社の活劇女優であった。彼女はズット前に、ある雑誌の
「新聞に書いちゃ
と念を押しながら……。
彼女の話を聞いた私は何よりも先に、彼女が特に私を相手に選んだそのアタマの作用に少からぬ関心を持たされた。彼女がコンナにまで苦心をして、絶対の秘密のうちに私を追っかけまわした心理の奥には、何かしら恋愛以上の
その結果、私は毎晩、社の仕事が済むと、例の習慣を利用して、一時間だけ彼女のところに立寄る事になった。彼女も引続いて毎日、運転手姿で市中を流しまわる事にした。そうして私の前でだけ女になる事にきめた……一日にタッタ一時間だけ……。
……すこぶる簡単
ところがこの「百パーセントの安全率」がソックリそのまま「完全なる犯罪」の誘惑となって、私に襲いかかるようになったのは、それから間もなくの事であった。……二人の秘密生活がはじまってから一週間も経たないうちに、彼女の性格の想像も及ばぬ異常さが、マザマザと私の眼の前に露出しはじめてからの事であった。
彼女は何の飾りも無い、殺風景なアバラ家の中でホット・イスキーを作るべく湯をわかして私を待っている間に、色々なイタズラをして遊んでいるらしかった。……むろん私は彼女が、何かしら特別な趣味を持っているらしい事を、初対面から察しているにはいたが、しかし、それが始めて私の眼に触れるまでは、まさかにコンナ
彼女は、どこからか迷い込んで来たポインター雑種の赤犬を一匹、台所のタタキの上に
「……ホホホホホ……何故モット早く来なかったの。アンタに見せようと思って繋いどいたのに……。あのね……ジレットを食べさせるとね。噛もうとする拍子に、奥歯の外側に引っかかってナカナカ取れないのよ。だから苦しがって、シャックリみたいな
「…………」
「……アンタ済まないけどこの犬に石を
そういううちに彼女は突然にキラキラと眼を輝かした。……と思う間もなく、バタと犬の
しかし私は最前から吐きそうな気持ちになっていた。そうした色々な臭気の中で、底の知れないほど残忍な彼女の性格を考えさせられたので……それが彼女の
「オホホホホ。駄目ねアンタは……。わたしの気持ちがわからないのね。……でも今にキットわかるわよ。アンタならキット……オホホホホ……」
私はやはり眼を閉じたまま、頭を強く左右に振った。そういう彼女の心持が、わかり過ぎる位わかったので……彼女が、こうした遊戯の刺激でもって、その性的スパスムを特異の状態にまで高潮させる習慣を持った、一種特別の女であることが、この時にやっと分ったので……そうして同時に彼女はこの私を、彼女のこうした趣味の唯一の共鳴者として、初対面からメモリをつけていたに違い無い……その気持までもがアリアリとうなずかれたので……。
それは彼女自身にも気づいていない、彼女の本能的な
……と……ここまで考えてくると、私は思わず又一つ、頭を強く左右に振った。
しかも彼女のこうした心理は、それから又二三日目に、彼女が肉片を引っかけた釣針で、近所のドラ猫を釣って、
彼女はその時に私の機嫌を取るつもりであったらしい。釣糸の先に引っかかった一匹の
……この女は有害無益な存在である。
……この女は地上に在りとあらゆる法律上の罪人のドレよりも消極的な、つまらない存在である。……と同時に、そのドレよりも
……この女は外国の
……この女はトテも私には我慢出来ない一つの深刻な悪夢である。……と同時に社会的にも、一つの尖鋭を極めた悪夢的存在でなければならぬ……。
……と……そんなような考えを
私はゾーッとして思わず額の
私が彼女を殺さねばならぬ運命をマザマザと感じたのは実にその瞬間であった。……と同時に、その運命がみるみる不可抗的に大きな魅力となって、ヒシヒシと私を取り囲んで、息も
……この悪夢をこの世から抹殺し得るものは、この世に一人しか居ない。ここに突っ立っている私タッタ一人しか居ない。……この女を殺すのは私の使命である。
……
……私は彼女の死体をここに寝かして、電燈を消して、いつもの時間通りに下宿に帰ればいいのだ。何も知らずに眠ってしまえばいいのだ。そうして
……運命……そうだ……運命に違い無い……これが彼女の……。
こんな風に考えまわしてくるうちに私は耳の中がシイ――ンとなるほど冷静になって来た。そうしてその冷静な脳髄で、一切の成行きを電光のように考えつくすと、何の
彼女はその時に、長いまつげをウッスリと動かした。それから大きな眼を一しきりパチパチさして、自分の首をつかんでいる二つの黒い手袋と、中折帽子を冠ったままの私の顔を見比べた。それから私の手の下で、小さな
「……殺しても……いいのよ」
冗談に殺す(じょうだんにころす)
作家录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语
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