春の山
君を思ひ昼も夢見ぬ
船の灯や水蘆むらにわかれては海となりたる川口の島
夕舟やわがまろうどの黒髪にうす月さしぬしら蓮の水
とつぎ来ぬかの天上の
花に寝て夢おほく見るわかうどの君は
みづからの若さに酔へる
おん方の妻と名よびてわれまゐろさくら花ちる春の夜の廊
紫に
秋の水なかの島なるおん寺の時鐘うちぬ月のぼる時
病む君のまゐれと召しぬおん香や絵本ひろごる中の枕に
うらわかきおんそぎ髪の世をまどひ
初秋や朝顔さける
清滝の水ゆく里は水晶の舟に棹して秋姫の来る
ゆく春の藤の花より雨ふりぬ石に死にたる
秋雨は別れに
秋のかぜ今わかかりし
手のわかう仮名しりひける字を笑みぬ死なむと見しは
行水や柿の花ちる井のはたの
波の上を遠山はしる風のたび解けて長くもなびきける髪
ふるさとに金葉集をあづけ来ぬ
大馬の黒の背鞍に乗りがほの
君見ゆるその時わかぬ幻境の思出ひとつ今日も哀しき
画師の君わが歌よみし京洛の山は黄金の
おん胸の石をすべりし
扇ふたつ胡蝶のさまに夕闇の中をよりきぬ灯のあづま屋に
菜の花の御寺も桃のおん堂も仏うまるる人まうでかな
ひがし山やどのあるじにおどされぬひひなぬすみて来しやとばかり
やはらかき
君うれし恋ふと告げたる一瞬に老いてし人をよくみとりける
あらし山雨の戸出でて大きなる舟に人まつただひとりかな
この雨に暮れむとするやひもすがら牡丹のうへを横し
秋かぜは
春の雨橋をわたらむ朝ならば君は
秋の風きたる
わが哀慕雨とふる日に
川ぞひの
よき朝に君を見たりきよき宵におん手とりしと
まくら二尺さりて水ゆくあづま屋に螢こよなうもてはやす人
舞の手を師のほめたりと
あけがたの鶯ききし空耳の君がまた寝を難じて居たり
わが肩にいとやごとなき髪おちてやがて
君に似しさなりかしこき
この
野ゆく君花に聴かずや
おもはれぬ人のすさびは夜の二時に黒髪すきぬ山ほととぎす
月の夜をさそへど出でずこほろぎを待つと云ふなるとなり人かな
春の月おとうとふたり笛ふいて上ゆく岡を母とながめぬ
きぬぎぬや春の村びとまださめぬ水をわたりし河下の橋
春の朝われ黒髪にたきものす鶯まゐれ目ざめし人に
炉にむかひ鼓あぶりてものいふを少女と誉めぬわれいつく母
君が妻はなでしこして月の夜に鮎の籠あむ玉川の里
夕ぐれのさびしき池をわかやかに
あつき日の
岸に立つ袖ふきかへしもみうらの
目に青き穂麦の中にももいろのひくき
おほかたを人とおもはず我
くちびると両手に十の細指はわれの領なる花なれば吸ふ
ふるさとを多く夢みぬ兄嫁の美くしきをば思ふと無きに
帆織る戸へ
紅梅に
しら梅や二百六十
花に似し人を載せたる
男こそうれしと見ぬれいかがせむあらぬ名着たる大難の日に
舞姫のかたちと誉めよむかしの絵そへ髪たかく結ひたる人を
春の雨障子のをちに河暮れて灯に見る君となりにけるかな
ほととぎす戸をくる袖の友染に松の月夜のつづく住の江
人妻は高き名えたる黒髪のうしろを見せて戸にかくれけり
京の宿に五人の人の妻さだめ妻も聞く夜の春の雨かな
磯草にまどろむ君の夢が生むさくら貝こそひろひきにけれ
天人の
半身にうすくれなゐの
底本:「現代日本文學大系 25 與謝野寛・與謝野晶子・上田敏・木下杢太郎・吉井勇・小山内薫・長田秀雄・平出修 集」筑摩書房
1971(昭和46)年4月5日初版第1刷発行
入力:福岡茂雄
校正:ちはる
2000年11月30日公開
2006年3月18日修正
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