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運命論者(うんめいろんしゃ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-26 8:51:03  点击:  切换到繁體中文

 


 僕は父の言葉が気になってたまりませんでした。これも普通の小供こどもならもなく忘れてしまっただろうと思いますが、僕は忘れるどころか、がなすきがな、何故なぜ父はのような事を問うたのか、父がくまでに狼狽ろうばいしたところを見ると、余程の大事であろうと、少年心こどもごころに色々と考えて、そして其大事は僕の身の上に関することだと信ずるようになりました。
 何故なぜでしょう。僕は今でも不思議に思って居るのです。何故父の問うたことが僕の身の上のことと自分で信ずるに至ったでしょう。
 暗黒くらきに住みなれたものは、暗黒くらきに物を見ると同じ事で、不自然なる境におかれたる少年は何時いつしかその暗き不自然の底にひそんで居る黒点を認めることが出来たのだろうと思います。
 けれども僕の其黒点の真相をとらえ得たのはずっと後のことです。僕は気にかかりながらも、これを父に問い返すことは出来ず、又母には猶更なおさら出来ず、ちいさな心を痛めながらも月日を送って居ました。そして十五のとしに中学校の寄宿舎に入れられましたが、其前に一ツお話して置く事があるのです。
 大塚の隣屋敷に広い桑畑くわばたけがあって其横に板葺そぎぶきちいさな家がある、それに老人としより夫婦と其ころ十六七になる娘がすんで居ました。以前は立派な士族で、桑園くわばたけすなわち其屋敷跡だそうです。この老人としよりが僕の仲善なかよしでしたが、或日あるひ僕に囲碁の遊戯あそびを教えてれました。二三日たって夜食の時、このことを父母に話しましたところ何時いつ遊戯あそびのことは余り気にしない父がかどたてしかり、母すら驚いた眼を張って僕の顔を見つめました。そして父母が顔を見合わした時の様子の尋常でなかったので、僕ははなはだ妙に感じました。
 何故なぜ僕が囲碁を敵としなければならぬか、それも後にわかりましたが、それが解った時こそ、僕が全く運命の鬼に圧倒せられ、僕が今の苦悩をめ尽すはじめで御座いました。

      四

 僕の十六の時、父は東京に転任したので大塚一家いっけは父と共に移転しましたが、僕だけは岡山中学校の寄宿舎に残されました。
 僕はその三年間の生活を思うと、僕のこのけるまことの生活はの学校時代だけであったのを知ります。
 学生は皆な僕に親切でした。僕は心の自由を恢復かいふくし、悪運の手よりのがれ、身の上の疑惑をいだくこと次第に薄くなり、沈欝ちんうつの気象までが何時いつしか雪のけるごとく消えて、快濶かいかつな青年の気を帯びて来ました。
 しかるに十八の秋、突然東京の父から手紙が来て僕に上京を命じたのです。おだやかな僕の心は急に擾乱かきみだされ、僕はほとんど父の真意を知るに苦しみ、返書を出して責めて今一年、卒業の日までこのままに仕て置いてもらおうかと思いましたが、思い返して直ぐ上京しました。麹町こうじまちの宅に着くや、父は一室ひとまに僕をんで、『早速さっそくだがお前とく相談したいことが有るのだ。お前これから法律を学ぶ気はないかね。』
 思いもかけぬ言葉です。僕は驚いて父の顔を見つめたきり容易に口を開くことが出来ない。
『実は手紙で詳しく言ってやろうかとも思ったが、まわりくどいからんだのだ。お前も卒業までと思ったろうし、又大学までともこころざしてたろうけれど、人は一日も早く独立の生活を営む方がえことはお前も知って居るだろう。それでお前これからぐ私立の法律学校に入るのじゃ。三年で卒業する。弁護士の試験を受ける。そしたあかつきは私と懇意な弁護士の事務所に世話してやるから、其処そこで四五年も実地の勉強をするのじゃ。そのうちに独立して事務所を開けば、それこそ立派なもの、お前も三十にならん内、堂々たる紳士となることが出来る。如何どうじゃな、其方が近道じゃぞ。』という父の言葉をいて居る、僕の心の全く顛動てんどうしたのも無理はないでしょう。
 これ実に他人の言葉です。他人の親切です。居候いそうろうの書生に主人の先生が示す恩愛です。
 大塚剛蔵は何時いつしか其自然に返って居たのです。知らず/\其自然を暴露しめすに至ったのです。僕をそとに置くこと三年、その実子なる秀輔ひですけのみをかたわら愛撫あいぶすること三年、人間が其天真に帰るべき門、墳墓にちかづくこと三年、この三年の月日は彼をして自然に返らしたのです。けれども彼はだ其自然を自認することが出来ず、何処どこまでも自分を以前の父のごとく、僕を以前の子の如く見ようとして居るのです。
 其処そこで僕は最早もはや進んで僕の希望のぞみのべるどころではありません。たゞこれめいこれしたがうだけのことを手短かに答えて父の部屋を出てしまいました。
 父ばかりでなく母の様子も一変して居たのです。日のつに従ごうて僕は僕の身の上に一大秘密のあることを益々ますます信ずるようになり、父母の挙動に気をつければつけるほど疑惑の増すばかりなのです。
 一度は僕も自分の癖見ひがみだろうかと思いましたが、合憎あいにく想起おもいおこすは十二の時、庭で父から問いつめられた事で、あれおもい、これを思えば、最早もはや自分の身の秘密を疑がうことは出来ないのです。
 懊悩おうのううちに神田の法律学校に通って三月もたちましたろうか。僕は今日こそ父に向い、断然此方こっちから言い出して秘密の有無うむただそうと決心し、学校から日の暮方に帰って夜食を済ますや、父の居間にゆきました。父はランプのもとで手紙をしたためてましたが、僕を見て、『なんぞ用か』と問い、やはり筆をとって居ます。僕は父のわき火鉢ひばちそばに座って、しばらく黙って居ましたが、この時降りかけて居た空が愈々いよいよ時雨しぐれて来たと見え、ひさしを打つみぞれ[#「霙」の誤り?、400-7]の音がパラ/\聞えました。父は筆をいてやお此方こちらに向き、
『何ぞ用でもあるか、』とやさしく問いました。
『少したずねたいことが有りますので、』とわずかに口を切るや、父は早くも様子を見て取ったか
『何じゃ。』とおごそかにひざを進めました。
父様とうさま、私は真実ほんとに父様のなのでしょうか。』とかねて思い定めて置いた通り、単刀直入に問いました。
『何じゃと』と父の一言、その眼光の鋭さ! けれどもぐ父は顔をやわらげて、
何故なぜお前はそんなことを私に聞くのじゃ、何かわし共がお前に親らしくないことでもして、それでそういうのか。』
『そういう訳では御座いませんが、私には昔から如何どういう者かこのうたがいがあるので、始終胸を痛めてるので御座ます、知らして益のない秘密だから父上おとうさまも黙ってお居でになるのでしょうけれど、私は是非それが知りたいので御座います。』と僕は静に、決然と言い放ちました。
 父は暫時しばらく腕組をして考えて居ましたが、おもむろに顔を上げて、
『お前が疑がって居ることもわしは知って居たのじゃ。私の方から言うた方がと思ったことも此頃ある。それで最早もはやお前からきかれて見るとお言うてしまうがえから言うことに仕よう。』とそれから父は長々と物語りました。
 けれども父の知らしてれた事実はこれだけなのです。周防すおう山口の地方裁判所に父が奉職してた時分、馬場金之助ばばきんのすけという碁客ごかくが居て、父と非常に懇親を結び、常に兄弟のごとく往来して居たそうです。その馬場という人物は一種非凡なところがあって、碁以外に父はその人物を尊敬して居たということです。その一子がすなわち僕であったのです。
 父は其頃三十八、母は三十四で最早もはや子は出来ないものとあきらめて居ると、馬場が病で没し、其妻も間もなく夫の後をおそうこの世を去り、残ったのは二歳ふたつになる男の子、これさいわいと父が引取って自分のとし養ったので、父からいうと半分は孤児を救う義侠ぎきょうでしたろう。
 僕のうみの父母はだ年が若く、父は三十二、母は二十五であったそうです。けれども母の籍が未だ馬場の籍に入らん内に僕が生れ、其ためでしょう、僕の出産届が未だ仕てなかったので、大塚の父は僕を引取るやただちに自分の子として届けたのだそうです。
 以上の事を話して大塚の父のいうには、
そのわしは間もなく山口を去ったから、お前を私の実子でないと知るものは多くないのじゃ。私達夫婦はくまで実子のつもりでこれまで育てて来たのじゃ。この先も同じことだからお前も決して癖見根生ひがみこんじょうを起さず、何処どこまでも私達を父母と思って老先おいさきを見届けて呉れ。秀輔ひですけは実子じゃがお前のことは決して知らさんから、お前も真実の兄となって生涯れの力ともなって呉れ。』と、おいに涙を見るより先に僕は最早もう泣いて居たのです。
 其処そこで養父と僕とは此等これらの秘密をくまで人にもらさぬ約束をし、た僕がこの先何かの用事で山口にゆくとも、たゞ他所よそながら父母の墓にもうで、決して公けにはせぬということを僕は養父に約しました。
 そのの月日は以前よりもかえっておだやかにすぎたのです。養父も秘密を明けてかえって安心した様子、僕も養父母の高恩を思うにつけて、心を傾けて敬愛するようになり、勉学をも励むようになりました。
 そして一日も早く独立の生活を営み得るようになり、自分は大塚の家から別れ、義弟の秀輔に家督かとくを譲りたいものと深く心に決するところがあったのです。
 三年の月日はたちまき、僕は首尾よく学校を卒業しましたが、お養父の言葉に従い、一年間更に勉強して、さて弁護士の試験を受けましたところ、意外の上首尾、養父も大よろこびで早速其友なる井上博士の法律事務所に周旋しゅうせんしてれました。
 かく一人前いちにんまえの弁護士となって日々京橋区きょうばしくなる事務所に通うてましたが、のまゝで今日になったら、養父も其目的通りに僕を始末し、僕も平穏な月日を送って益々ますます前途の幸福をたのしんで居たでしょう。
 けれども、僕は如何どうしても悪運のであったのです。ほとん何人なんびとも想像することの出来ない陥穽おとしあなが僕の前に出来て居て、悪運の鬼は惨刻ざんこくにも僕を突き落しました。

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