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邪宗門(じゃしゅうもん)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/8/16 9:03:37 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



        六

 その御話のそもそもは、確か大殿様が御隠れになってから、五六年たった頃でございますが、丁度その時分若殿様は、前に申しあげました中御門(なかみかど)の少納言様の御一人娘で、評判の美しい御姫様へ、茂々(しげしげ)御文を書いていらっしゃいました。ただ今でもあの頃の御熱心だった御噂が、私(わたくし)どもの口から洩れますと、若殿様はいつも晴々(はればれ)と御笑いになって、
「爺よ。天(あめ)が下(した)は広しと云え、あの頃の予が夢中になって、拙(つたな)い歌や詩を作ったのは皆、恋がさせた業(わざ)じゃ。思えば狐(きつね)の塚を踏んで、物に狂うたのも同然じゃな。」と、まるで御自分を嘲るように、洒落(しゃらく)としてこう仰有(おっしゃ)います。が、全く当時の若殿様は、それほど御平生に似もやらず、恋慕三昧(れんぼざんまい)に耽って御出でになりました。
 しかし、これは、あながち、若殿様御一人に限った事ではございません。あの頃の年若な殿上人(てんじょうびと)で、中御門(なかみかど)の御姫様に想(おも)いを懸けないものと云ったら、恐らく御一方もございますまい。あの方が阿父様(おとうさま)の代から、ずっと御住みになっていらっしゃる、二条西洞院(にしのとういん)の御屋形(おやかた)のまわりには、そう云う色好みの方々が、あるいは車を御寄せになったり、あるいは御自身御拾いで御出でになったり、絶えず御通い遊ばしたものでございます。中には一夜(いちや)の中に二人まで、あの御屋形の梨(なし)の花の下で、月に笛を吹いている立烏帽子(たてえぼし)があったと云う噂も、聞き及んだ事がございました。
 いや、現に一時は秀才の名が高かった菅原雅平(すがわらまさひら)とか仰有る方も、この御姫様に恋をなすって、しかもその恋がかなわなかった御恨みから、俄(にわか)に世を御捨てになって、ただ今では筑紫(つくし)の果に流浪して御出でになるとやら、あるいはまた東海の波を踏んで唐土(もろこし)に御渡りになったとやら、皆目御行方(かいもくおゆくえ)が知れないと申すことでございます。この方などは若殿様とも、詩文の御交りの深かった御一人で、御消息などをなさる時は、若殿様を楽天(らくてん)に、御自分を東坡(とうば)に比していらしったそうでございますが、そう云う風流第一の才子が、如何(いか)に中御門の御姫様は御美しいのに致しましても、一旦の御歎きから御生涯を辺土に御送りなさいますのは、御不覚と申し上げるよりほかはございますまい。
 が、また飜(ひるがえ)って考えますと、これも御無理がないと思われるくらい、中御門の御姫様と仰有(おっしゃ)る方は、御美しかったのでございます。私が一両度御見かけ申しました限でも、柳桜(やなぎさくら)をまぜて召して、錦に玉を貫いた燦(きら)びやかな裳(も)の腰を、大殿油(おおとのあぶら)の明い光に、御輝かせになりながら、御※(「目+匡」、第3水準1-88-81)(おんまぶた)も重そうにうち傾いていらしった、あのあでやかな御姿は一生忘れようもございますまい。しかもこの御姫様は御気象も並々ならず御闊達(ごかったつ)でいらっしゃいましたから、なまじいな殿上人などは、思召しにかなう所か、すぐに本性(ほんしょう)を御見透(おみとお)しになって、とんと御寵愛(ごちょうあい)の猫も同様、さんざん御弄(おなぶ)りになった上、二度と再び御膝元へもよせつけないようになすってしまいました。

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