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中国怪奇小説集(ちゅうごくかいきしょうせつしゅう)16子不語(清)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-27 18:05:33 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

底本: 中国怪奇小説集
出版社: 光文社文庫、光文社
初版発行日: 1994(平成6)年4月20日
入力に使用: 1994(平成6)年4月20日初版1刷
校正に使用: 1999(平成11)年11月5日3刷

 

中国怪奇小説集

子不語

岡本綺堂




 第十四の男は語る。
「わたくしは随園戯編と題する『子不語』についてお話し申します。
 この作者はしん袁枚えんばいで、あざな子才しさいといい、号を簡斎かんさいといいまして、銭塘せんとうの人、乾隆けんりゅう年間の進士しんしで、各地方の知県をつとめて評判のよかった人でありますが、年四十にして官途を辞し、江寧こうねいの小倉山下に山荘を作って小倉山房しょうそうさんぼうといい、その庭園を随園と名づけましたので、世の人は随園先生と呼んで居りました。彼は詩文の大家で、種々の著作もあり、詩人としては乾隆四家の一人に数えられて居ります。
 子不語の名は『は怪力乱神を語らず』から出ていること勿論でありますが、後にそれと同名の書のあることを発見したというので、さらに『新斉諧しんせいかい』と改題しましたが、やはり普通には『子不語』の名をもって知られて居ります。なにしろ正編続編をあわせて三十四巻、一千十六種の説話を蒐集してあるという大作ですから、これから申し上げるのは、単にその片鱗に過ぎないものと御承知ください」

   老嫗ろうおうの妖

 しんの乾隆二十年、都で小児が生まれると、驚風きょうふう(脳膜炎)にかかってたちまち死亡するのが多かった。伝えるところによると、小児が病いにかかる時、一羽の※(「休+鳥」、第4水準2-94-14)※(「留+鳥」、第4水準2-94-32)きゅうりゅう――一種の怪鳥けちょうで、形は鷹のごとく、よく人語をなすということである。――のような黒い鳥影がともしびの下を飛びめぐる。その飛ぶこといよいよはやければ、小児の苦しみあえぐ声がいよいよ急になる。小児の息が絶えれば、黒い鳥影も消えてしまうというのであった。
 そのうちに或る家の小児もまた同じ驚風にかかって苦しみ始めたが、その父の知人にがく某というのがあった。かれは宮中の侍衛を勤める武人で、ふだんから勇気があるので、それを聞いて大いに怒った。
「怪しからぬ化け物め。おれが退治してくれる」
 鄂は弓矢をとって待ちかまえていて、黒い鳥がともしびに近く舞って来るところをはたと射ると、鳥は怪しい声を立てて飛び去ったが、そのあとには血のしずくが流れていた。それをどこまでも追ってゆくと、大司馬たいしばの役を勤める氏の邸に入り、台所のかまどの下へ行って消えたように思われたので、鄂はふたたび矢をつがえようとするところへ、邸内の者もおどろいて駈け付けた。主人の李公は鄂と姻戚の関係があるので、これも驚いて奥から出て来た。鄂が怪鳥を射たという話を聞いて、李公も不思議に思った。
「では、すぐに竈の下をあらためてみろ」
 人びとが打ち寄って竈のあたりを検査すると、そのそばの小屋に緑の眼をひからせた老女がたおれていた。
 老女は猿のような形で、その腰には矢が立っていた。しかし彼女は未見の人ではなく、李公がかつ雲南うんなんに在ったときに雇い入れた奉公人であった。雲南地方の山地にはびょうまたはよう[#「けものへん+搖のつくり」、296-4]という一種の蛮族が棲んでいるが、老女もその一人で、老年でありながら能く働き、かつは正直律義りちぎの人間であるので、李公が都へ帰るときに家族と共に伴い来たったものである。それが今やこの怪異をみせたので、李氏の一家は又おどろかされた。老女は矢傷に苦しみながらも、まだ生きていた。
 だんだん考えてみると、彼女に怪しい点がないでもない。よほどの老年とみえながら、からだは甚だすこやかである。蛮地の生まれとはいいながら、自分の歳を知らないという。ことに今夜のような事件が出来しゅったいしたので、主人も今更のようにそれを怪しんだ。あるいは妖怪が姿を変じているのではないかと疑って、厳重にかの女を拷問ごうもんすると、老女は苦しい息のもとで答えた。
「わたくしは一種の咒文じゅもんを知っていまして、それを念じると能く異鳥に化けることが出来ますので、夜のふけるのを待って飛び出して、すでに数百人の子供の脳を食いました」
 李公は大いに怒って、すぐにかの女をくくりあげ、薪を積んで生きながらいてしまった。その以来、都に驚風を病む小児が絶えた。



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