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家なき子(いえなきこ)02

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/9/1 11:48:06 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



     バルブレン

 パリへ行くのを急ぎさえしなかったら、わたしはリーズの所にしばらく足を止めていたであろう。わたしたちはおたがいにあれほどたくさん言うことがあって、しかもおたがいのことばではずいぶんわずかしか言えなかった。かの女は手まねでおじさんとおばさんがどんなに優(やさ)しく自分にしてくれるか、船に乗るのがどんなにおもしろいかということを話した。わたしはかの女にアルキシーの働(はたら)いている鉱山(こうざん)で危(あぶ)なく死にかけたこと、わたしのうちの者がわたしを探(さが)していることを話した。それがためパリへも急いで行かなければならないし、エチエネットの所へ会いに行くことができなくなったことを話した。
 もちろん話は、たいていお金持ちらしいわたしのうちのことであった。そうしてお金ができたときに、わたしのしようと思ういろいろなことであった。わたしはかの女の父親と、兄(あに)さんや姉(あね)さんたちをとりわけかの女を幸福にしてやりたいと思った。リーズはマチアとちがってそれを喜(よろこ)んでいた。かの女はお金さえあれば、たいへん幸福になるにちがいないと信(しん)じきっていた。だってかの女の父親はただ借金(しゃっきん)を返すお金さえあったなら、あんな不幸(ふこう)な目に会わなかったにちがいないではないか。
 わたしたちはみんなで――リーズとマチアとわたしと三人に、人形とカピまでお供(とも)に連(つ)れて、長い散歩(さんぽ)をした。わたしはこの五、六日ひじょうに幸福であった。夕方まだあまりしめっぽくならないうちは家の前に、それからきりが深くなってからは炉(ろ)の前にすわった。わたしはハープをひいて、マチアはヴァイオリンかコルネをやった。リーズはハープを好(す)いていたので、わたしはたいへん得意(とくい)になった。時間がたって、わたしたちが別々(べつべつ)にねどこへ行かなければならないときになると、わたしは、かの女のためにナポリ小唄(こうた)をひいて歌った。
 でもわたしたちはまもなく別(わか)れて別(べつ)の道を行かなければならなかった。わたしはかの女にじき帰って来ると言った。かの女に残(のこ)したわたしの最後(さいご)のことばは、
「ぼくは今度来るとき、四頭引きの馬車で来て、リーズちゃんを連(つ)れて行くよ」というのであった。
 そうしてかの女もわたしを信(しん)じきって、あたかもむちをふるって馬を追うような身ぶりをした。かの女もまたわたしと同様に、わたしの富(とみ)とわたしの馬や馬車を目にうかべることができるのであった。
 わたしはパリへ行くのでいっしょうけんめいであったから、マチアのために食べ物を買うお金を集めるのに、ときどき足を止めるだけであった。もう雌牛(めうし)を買うことも、人形を買うこともいらなかった。お金持ちの両親の所へお金を持って行ってやる必要(ひつよう)もなかった。
「取れるだけは取って行こうよ」とマチアは言って、無理(むり)にわたしがハープを肩(かた)からはずさなければならないようにした。「だってパリへ行っても、すぐにバルブレンが見つかるかどうだかわからないからねえ。そうなると、きみはあの晩(ばん)、空腹(くうふく)で死にそうになったことを忘(わす)れていると言われてもしかたがないよ」
「おお、ぼくは忘れはしない」とわたしは軽く言った。「でもきっとあの人は見つかるよ。待っていたまえ」
「ああ、でもあの日、きみがぼくを見つけたとき、お寺のかべにどんなふうによりかかっていたか、ぼくは忘(わす)れない。ああ、ぼくはパリで飢(う)えて苦しむのだけはもうつくづくいやだよ」
「ぼくの両親のうちへ行けば、その代わりにたんとごちそうが食べられるよ」とわたしは答えた。
「うん。まあ、なんでも、もう一ぴき雌牛(めうし)を買うつもりで働(はたら)こうよ」とマチアは聞かなかった。
 これはいかにももっともな忠告(ちゅうこく)であったが、わたしはもうこれまでと同じに精神(せいしん)を打ちこんで歌を歌わなくなったことを白状(はくじょう)しなければならない。バルブレンのおっかあのために雌牛(めうし)を買い、またはリーズのために人形を買うお金を取るということは、まるっきりそれとはちがったことであった。
「きみはお金持ちになったら、どんなになまけ者になるだろう」とマチアは言った。だんだんパリに近くなればなるほど、ますますわたしはゆかいになった。そうしてマチアはますます陰気(いんき)になった。
 わたしたちはどんなにしても別(わか)れないと言いきっているのに、どうしてまだかれが悲しそうにしているのか、わたしはわからなかった。とうとうわたしたちはパリの大門に着いたとき、かれはいまでもどんなにガロフォリをこわがっているか、もしあの男に会ったらまたつかまえられるにちがいないという話をした。
「きみはバルブレンをどんなにこわがっていたか。それを思ったら、どんなにぼくがガロフォリをこわがっているかわかるだろう。あの男が牢屋(ろうや)から出ていればきっとぼくをつかまえるにちがいない。ああ、この情(なさ)けない頭、かわいそうな頭、あの男はどんなにそれをひどくぶったことだろう。そうすればあの男はきっとぼくたちを引き分けてしまう。むろんあの人はきみをも子分にして使いたいであろうが、それをきみには無理(むり)にも強(し)いることができないが、ぽくに対してはそうする権利(けんり)があるのだ。あの人はぼくのおじだからね」
 わたしはガロフォリのことはなにも考えていなかった。
 わたしはマチアと相談(そうだん)をして、バルブレンのおっかあがそこへ行けば、バルブレンを見つけるかもしれないと言ったいろいろの場所へ行くことにした。それからわたしはリュー・ムッフタールへ行こう。それからノートル・ダーム寺の前でわたしたちは会うことにしよう。
 わたしたちはもう二度と会うことがないようなさわぎをして別(わか)れた。わたしはこちらの方角へ、マチアは向こうの方角へ向かった。わたしはバルブレンが先(せん)に住んでいた場所の名をいろいろ紙に書きつけておいた。それを一つ、一つ、訪(たず)ねて行った。ある木賃宿(きちんやど)では、かれは四年前そこにいたが、それからはいなくなったと言った。その宿屋(やどや)の亭主(ていしゅ)は、あいつには一週間の宿料(しゅくりょう)の貸(か)しがあるから、あの悪党(あくとう)、どうかしてつかまえてやりたいと言っていた。
 わたしはすっかり気落ちがしていた。もうわたしの訪(たず)ねる所は一か所しか残(のこ)っていなかった。それはあの料理屋(りょうりや)であった。そのうちをやっている男は、もう長いあいだあの男の顔を見ないといったが、ちょうど食卓(しょくたく)にすわって食べていたお客の一人が声をかけて、うん、あの男なら、近ごろオテル・デュ・カンタルにとまっていたと言ってくれた。
 オテル・デュ・カンタルへ行くまえにわたしはガロフォリのうちへ行って、あの男の様子を見てマチアになにかおみやげを持って帰りたいと思った。そこの裏庭(うらにわ)へ行くと、初(はじ)めて行ったときと同様、あのじいさんがドアの外へきたないぼろをぶら下げているのを見た。
 じいさんは返事はしないで、わたしの顔を見て、それからせきをし始めた。その様子で、わたしはガロフォリについてなんでも知っていることをよく向こうにわからせないうちは、この男からなにも聞き出すことができないことをさとった。
「おまえさん、あの人がまだ刑務所(けいむしょ)にはいっているというのではあるまい」とわたしはさけんだ。「だってあの人はもうよほどまえに出て来たはずではないか」
「ええ、あの人はまた三か月食らったのだよ」
 ガロフォリがまた三か月刑務所にはいっている。マチアはほっと息をつくであろう。
 わたしはできるだけ早く、このおそろしい路地(ろじ)をぬけ出して、オテル・デュ・カンタルへ急いで行った。わたしは希望(きぼう)と歓喜(かんき)が胸(むね)にいっぱいたたみこまれて、もうすっかりバルブレンのことをよく思いたい気になっていた。バルブレンという男がいなかったなら、わたしは赤んぼうのとき、寒さと飢(う)えのために死んでいたかもしれなかった。なるほどあの男はわたしをバルブレンのおっかあの手からはなして、よその人の手に売りわたしたにはちがいなかった。でもあのときはあの人もわたしに対してべつに愛情(あいじょう)もなかったし、たぶんお金のためにいやいやそれをしたのかしれなかった。とにかくわたしが両親を見つけるまでになったのは、あの人のおかげであった。だからもう、あの人に対してけっして悪意を持ってはならないはずであった。
 わたしはまもなくオテル・デュ・カンタルに着いた、オテル(旅館)というのは名ばかりのひどい木賃宿(きちんやど)であった。
「バルブレンという人に会いたいのです。シャヴァノン村から来た人です」とわたしは写字机(しゃじづくえ)に向かっていたきたならしいばあさんに向かって言った。かの女は、ひどいつんぼで、いま言ったことをもう一度くり返してくれと言った。
「バルブレンという人を知っていますか」とわたしはどなった。
 そうするとかの女は大あわてにあわてて両手を空へ上げた。その勢(いきお)いがえらかったので、ひざに乗っかっていたねこが、びっくりしてとび下りた。
「おやおや、おやおや」とかの女はさけんだ。「おまえさんが、あの人のたずねていなすった子どもかい」
「おお、あなた、知っているの」とわたしはむちゅうになってさけんだ。「ではバルブレンさんは」
「死にましたよ」と、かの女は簡潔(かんけつ)に答えた。わたしはハープにひょろひょろとなった。
「なに、死んだ」とわたしはかの女に聞こえるほどの大きな声でさけんだ。わたしはくらくらとした。いまはどうして両親を見つけよう。
「おまえさんがみんなの探(さが)していなさる子どもだね。そうだ、おまえさんにちがいない」とばあさんはまた言った。
「ええ、ええ、ぼくがその子です。ぼくのうちはどこです。わかりませんか」
「わたしはいま言っただけしか知りませんよ」
「バルブレンさんが、わたしの両親のことをなんとか言っていませんでしたか。おお、話してください」とわたしはせがむように言った。
 かの女は天に向かって、高く両うでを上げた。
「ねえ、話してください。なんです。それは」
 このしゅんかん、女中のようなふうをした女が出て来た。オテル・デュ・カンタルの女主人はかの女のほうへ向いた。
「たいへんなことではないか。この子どもさんは、この若(わか)だんなは、バルブレンさんがあれほど言っていなすったご当人だとよ」
「でもバルブレンにぼくのうちのことをあなたに話しませんでしたか」とわたしはたずねた。
「それは聞きましたよ――百度もね。なんでもたいへん、お金持ちのうちだそうですねえ、若(わか)だんな」
「それでどこに住んでいるのです。名前はなんというのです」
「それについてはバルブレンさんは、なにも話をしませんでしたよ。あの人はきみょうな人でしたよ。あの人は自分一人でお礼を残(のこ)らずもらうつもりでいたのですよ」
「なにか書き物を置(お)いては行きませんでしたか」
「いいえ、ただあの人がシャヴァノン村から来たということを書いたものだけです。その紙でも見つけなかったら、あの人のおかみさんの所へ死んだ知らせを出すこともできないところでしたよ」
「まあ、あなたは知らせてやりましたか」
「むろん、どうしてさ」
 わたしはこのばあさんから、なにも知ることができなかった。わたしはしょんぼり戸口のほうへ向かった。
「おまえさん、どこへ行きなさる」とかの女はたずねた。
「友だちの所へ帰ります」
「ははあ、お友だちがありますか。それはパリにいるの」
「ぼくたちはけさ初(はじ)めてパリへ来たんです」
「へえ、あなたがたは、とまる所がなければ、まあこのうちへおいでなさいな。じゅうぶんお世話もするし、正直なうちですよ。そのおまえさんのおうちの人も、バルブレンさんから返事の来るのを待ちかねなすったら、きっとこのうちへ聞きに来るでしょう。そうすればおまえさんを見つけるはずだ。わたしの言うのはおまえさんのためですよ。お友だちはいくつになんなさる」
「ぼくよりすこし小さいんです」
「まあ、考えてごらん。子どもが二人で、パリの町にうろうろしていたら、ろくなことはありはしないよ」
 オテル・デュ・カンタルは、わたしもおよそ知っている限(かぎ)りでいちばんきたならしい宿屋(やどや)の一つであった。わたしはかなりきたない宿屋(やどや)をいくつか見ていた。
 でもこのばあさんの言ってくれることは考え直す値打(ねう)ちがあった。それにわたしたちは好(す)ききらいをしてはいられなかった。わたしはまだりっぱなパリ風のやしきに住んでいる自分の家族を見つけなかった。なるほどこうなると道みち集められるだけの金を集めておきたい、とマチアの言ったのはもっともであった。わたしたちのかくしに十七フランの金がなかったらどうしよう。
「友だちとわたしとで部屋(へや)の代(だい)はいくらです」とわたしはたずねた。
「一日十スーです。たいしたことではないさ」
「なるほど。じゃあ晩(ばん)にまた来ます」
「早くお帰んなさいよ。パリは夜になると、子どもにはよくない場所だからね」とかの女は後ろから声をかけた。
 夜のまくが下りた。街燈(がいとう)はともっていた。わたしは長いこと歩いてノートル・ダームのお寺へ行って、マチアに会うことにした。わたしは元気がすっかりなくなっていた。ひどくつかれて、そこらのものは残(のこ)らず陰気(いんき)に思われた。この光と音のあふれた大きなパリでは、わたしはまるっきり独(ひと)りぼっちであることをしみじみ感じた。わたしはこんなふうでいつか自分の親類(しんるい)を見つけることができるであろうか。いつかほんとの父親と、ほんとの母親に会うことになるであろうか。
 やがてお寺へ来たが、マチアを待ち合わせるにはまだ二時間早かった。わたしは今晩(こんばん)いつもよりよけいにかれの友情(ゆうじょう)の必要(ひつよう)を感じた。わたしはあんなにゆかいな、あんなに親切な、あれほど友人としてたのもしいかれに会うことにただ一つの楽しい希望(きぼう)を持った。
 七時すこしまえにわたしはあわただしいほえ声を聞いた。するとかげからカピがとび出した。かれはわたしのひざにとびついて、やわらかいしめった舌(した)でなめた。わたしはかれを両うでにだきしめて、その冷(つめ)たい鼻にキッスした。マチアがまもなく姿(すがた)を現(あらわ)した。二言三言でわたしはバルブレンの死んだこと、自分の家族を見つける望(のぞ)みのなくなったことを告(つ)げた。
 するとかれはわたしの欲(ほっ)していたありったけの同情(どうじょう)をわたしに注(そそ)いだ。かれはどうにかしてわたしをなぐさめようと努力(どりょく)した。そして失望(しつぼう)してはいけないと言った。かれはいっしょになって、まじめに両親を探(さが)し出すことのできるようにしようと、心からちかった。
 わたしたちはオテル・デュ・カンタルへ帰った。


     捜索(そうさく)

 そのあくる朝バルブレンのおっかあの所へ手紙を出して、不幸(ふこう)のおくやみを言って、かの女の夫(おっと)の亡(な)くなるまえに、なにか便(たよ)りがあったかたずねてやった。
 その返事にかの女は、夫が病院から手紙を寄(よ)こして、もしよくならなかったら、ロンドンのリンカーン・スクエアで、グレッス・アンド・ガリーといううちへあてて手紙を出すように言って来たことを告(つ)げた。それはわたしを探(さが)している弁護士(べんごし)であった。なおかれはかの女に向かって、自分が確(たし)かに死んだと決まるまでは、手をつけてはならないとことづけて来たそうである。
「じゃあぼくたちはロンドンへ行かなければならない」とわたしが手紙を読んでしまうとマチアが言った。この手紙は村のぼうさんが代筆(だいひつ)をしたものであった。「その弁護士(べんごし)がイギリス人だというなら、きみの両親もイギリス人であることがわかる」
「おお、ぼくはそれよりもリーズやなんかと同じ国の人間でありたい。だがぼくがイギリス人なら、ミリガン夫人(ふじん)やアーサと同じことになるのだ」
「ぼくはきみがイタリア人であればよかったと思う」とマチアが言った。
 それから数分間のうちにわたしたちの荷物はすっかり荷作りができて、わたしたちは出発した。
 パリからボローニュまで道みち主(おも)な町で足を止めて、八日がかりでやっとボローニュに着いたとき、ふところには三十二フランあった。わたしたちはそのあくる日ロンドンへ行く貨物船(かもつせん)に乗った。
 なんというひどい航海(こうかい)であったろう、かわいそうに、マチアはもう二度と海へは出ないと言い切った。やっとのことで、テムズ川を船が上って行ったとき、わたしはかれにたのむようにして、起き上がって外のふしぎな景色(けしき)を見てくれといった。けれどもかれは、今後も後生(ごしょう)だから一人うっちゃっておいてくれとたのんだ。
 とうとう機関(きかん)が運転を止めて、いかりづなはおかに投げられた。そしてわたしたちはロンドンに上陸(じょうりく)した。
 わたしはイギリス語をごくわずかしか知らなかったが、マチアはガッソーの曲馬団(きょくばだん)でいっしょに働(はたら)いていたイギリス人から、たんとことばを教わっていた。
 上陸するとすぐ巡査(じゅんさ)に向かって、リンカーン・スクエアへ行く道を聞いた。それはなかなか遠いらしかった。たびたびわたしたちは道に迷(まよ)ったと思った。けれどももう一度たずねてみて、やはり正しい方向に向かって歩いていることを知った。とうとうわたしたちはテンプル・バーに着いた。それから二、三歩行けばリンカーン・スクエアへ着くのであった。
 いよいよグレッス・アンド・ガリー事務所(じむしょ)の戸口に立ったとき、わたしはずいぶんはげしく心臓(しんぞう)が鼓動(こどう)した。それでしばらくマチアに気の静(しず)まるまで待ってもらわねばならなかった。マチアが書記にわたしの名前と用事を述(の)べた。
 わたしたちはすぐとこの事務所の主人であるグレッス氏(し)の私室(ししつ)へ通された。幸いにこの紳士(しんし)はフランス語を話すので、わたしは自身かれと語ることができた。かれはわたしに向かってこれまでの細かいことをいちいちたずねた。わたしの答えはまさしくわたしがかれのたずねる少年であることを確(たし)かめさせたので、かれはわたしに、ロンドンに住んでいるわたしの一家のあること、そしてさっそくそこへわたしを送りつけてやるということを話した。
「ぼくにはお父さんがあるんですか」とわたしは、やっと「お父さん」ということばを口に出した。
「ええ、お父さんばかりではなく、お母さんも、男のご兄弟も、女のご姉妹(きょうだい)もあります」とかれは答えた。
「へえ」
 かれはベルをおした。書記が出て来ると、かれはその人にわたしたちの世話をするように言いつけた。
「おお、忘(わす)れていました」とグレッス氏(し)が言った。「あなたの名字(みょうじ)はドリスコルで、あなたのお父上の名前は、ジョン・ドリスコル氏です」
 グレッス氏のみにくい顔は好(この)ましくなかったが、わたしはそのときよほどかれにとびついてだきしめようと思った。しかしかれはその時間をあたえなかった。かれの手はすぐに戸口をさした。で、わたしたちは書記について外へ出た。


     ドリスコル家

 往来(おうらい)へ出ると、書記は辻馬車(つじばしゃ)を呼(よ)んで、わたしたちに中へとびこめと言いつけた。きみょうな形の馬車で、上からかぶさっているほろの後ろについたはこに、御者(ぎょしゃ)がこしをかけていた。あとでこれがハンサム馬車というものだということを知った。
 マチアとわたしはカピを間にはさんですみっこにだき合っていた。書記が一人であとの席(せき)を占領(せんりょう)していた。マチアはかれが御者(ぎょしゃ)に向かって、ベスナル・グリーンへ馬車をやれと言いつけているのを聞いた。御者はそこまで馬車をやることをあまり好(この)まないように見えた。マチアとわたしは、きっとそこは遠方なせいであろうと思った。
 わたしたち二人はグリーン(緑)というイギリス語がどういう意味だか知っていた。ベスナル・グリーンはきっとわたしの一家の住んでいる大きな公園の名前にちがいなかった。長いあいだ馬車はロンドンのにぎやかな町を走って行った。それはずいぶん長かったから、そのやしきはきっと町はずれにあるのだと思った。グリーンということばから考えると、それはいなかにあるにちがいないと思われた。でも馬車から見るあたりの景色(けしき)はいっこうにいなからしい様子にはならなかった。わたしたちはひどくごみごみした町へはいった。まっ黒などろが馬車の上にはね上がった。それからわたしたちはもっとひどいびんぼう町のはうへ曲がって、ときどき御者(ぎょしゃ)も道がわからないのか、馬車を止めた。
 とうとうかれはすっかり馬車を止めてしまった。ハンサムの小窓(こまど)を中に、グレッス・アンド・ガリーの書記さんと、困(こま)りきった御者(ぎょしゃ)との間におし問答が始まった。なんでもマチアが聞いたところでは、御者はもうとても道がわからないと言って、書記にどちらの方角へ行けばいいか、たずねているのであった。書記は自分もこんなどろぼう町へなんかこれまで来たことがなかったからわからないと答えた。わたしたちはこの「どろぼう」ということばが耳に止まった。すると書記はいくらか金を御者(ぎょしゃ)にやって、わたしたちに馬車から下りろと言った。御者はわたされた賃金(ちんぎん)を見て、ぶつぶつ言っていたが、やがてくるりと方向を変(か)えて馬車を走らせて行った。
 わたしたちはいまイギリス人が「ジン酒の宮殿(きゅうでん)」と呼(よ)んでいる酒場の前の、ぬかるみの道に立った。案内(あんない)の先生はいやな顔をしてそこらを見回して、それからその「ジン酒の宮殿(きゅうでん)」の回転ドアを開けて中へはいった。わたしたちはあとに続(つづ)いた。わたしたちはこの町でもいちばんひどい場所にいるのであったが、またこれほどぜいたくな酒場も見なかった。そこには金ぶちのわくをはめた鏡(かがみ)がどこにもここにもはめてあって、ガラスの花燭台(はなしょくだい)と、銀のようにきらきら光るりっぱな帳場があった。けれどもそこにいっぱい集まっている人たちは、どれもよごれたぼろをかぶった人たちであった。
 案内者(あんないしゃ)は例(れい)のりっぱな帳場の前についであった一ぱいの酒をがぶ飲みにして、それから給仕(きゅうじ)の男に自分の行こうとする場所の方角を聞いた。確(たし)かにかれは求(もと)めた返事を得(え)たらしく、また回転ドアをおして外へ出た。わたしたちはすぐあとについて出た。
 通りはいよいよせまくなって、こちらのうちから向こうのうちへ物干(ものほ)しのつなが下がって、きたならしいぼろがかけてあった。その戸口にこしをかけていた女たちは、青い顔をして、よれよれな髪の毛(け)が肩(かた)の上までだらしなくかかっていた。子どもたちはほとんど裸体(らたい)で、たまたま二、三人着ているのも、ほんのぼろであった。路地(ろじ)にはぶたが、たまり水にぴしゃぴしゃ鼻面(はらづら)をつけて、そこからはくさったようなにおいがぷんと立った。
 案内者(あんないしゃ)はふと立ち止まった。かれは道を失(うしな)ったらしかった。けれどちょうどそのとき一人の巡査(じゅんさ)が出て来た。書記がかれに話すと、巡査は自分のあとからついて来いと言った……わたしたちは巡査について、もっとせまい往来(おうらい)を歩いた。最後(さいご)にわたしたちはある広場に立ち止まった。
 そのまん中には小さな池があった。
「これがレッド・ライオン・コートだ」と巡査(じゅんさ)は言った。なぜわたしたちはここで止まったのであろう。わたしの両親がこんな所に住んでいるものであろうか。巡査は一けんの木小屋のドアをたたいた。案内人(あんないにん)はかれに礼を言っていた。ではわたしたちは着いたのだ。マチアはわたしの手を取って、優(やさ)しくにぎりしめた。わたしもかれの手をにぎった。わたしたちはおたがいに了解(りょうかい)し合った。わたしはゆめの中をたどっているような気がしていると、ドアが開いて、わたしたちは勢(いきお)いよく火の燃(も)えている部屋(へや)にはいった。
 その火の前の大きな竹のいすに、白いひげを生やした老人(ろうじん)がこしをかけていた。その頭にはすっぽり黒いずきんをかぶっていた。一つの机(つくえ)に向かい合って四十ばかりの男と、六つばかり年下の女がこしをかけていた。かの女はむかしはなかなか色が白かったらしいなごりをとどめていたが、いまでは色つやもぬけて、様子はそわそわ落ち着かなかった。それから四人子どもがいた――男の子が二人、女の子が二人――みんな女親に似(に)てなかなか色白であった。いちばん上の男の子は十一ばかりで、いちばん下の女の子は三つになるかならないようであった。
 わたしは書記がその人になんと言っていたのかわからなかった。ただドリスコルという名前が耳に止まった。それはわたしの名字(みょうじ)だとさっき弁護士(べんごし)が言った。
 みんなの目はマチアとわたしに向けられた。ただ赤んぼうの女の子だけがカピに目をつけていた。
「どちらがルミだ」と主人はフランス語でたずねた。
「ぼくです」とわたしは言って、一足前へ進んだ。
「では来て、お父さんにキッスをおし」
 わたしはまえからこのしゅんかんのことをゆめのように考えては、きっともうそのときは幸福に胸(むね)がいっぱいになりながら、父親のうでにとびついてゆくだろうと想像(そうぞう)していた。けれどいまはまるでそんな感じは起こらなかった。でもわたしは進んで行って父親にキッスした。
「さあ」とかれは言った。「おまえのおじいさんも、お母さんも、弟や妹たちもいるよ」
 わたしはまず母親の所へ行って、両うでをからだにかけた。かの女はわたしにキッスをさせた。けれどわたしの愛情(あいじょう)には報(むく)いてくれなかった。かの女はただわたしにわからないことを二言三言いった。
「おじいさんと握手(あくしゅ)をおし」と父親が言った。「そっとおいでよ。中気(ちゅうき)なのだから」
 わたしはまた弟たちや、女の姉妹(きょうだい)と握手した。小さい子をうでにだき上げようとしたが、かの女はすっかりカピに気を取られていて、わたしをおしのけた。わたしはむなしくそここことめぐって歩いて、しまいには自分に腹立(はらだ)たしくなった。
 なぜやっとのことで自分のうちを見つけたのに、すこしもうれしく感じることができないのか。わたしは父親に母親に、兄弟に、祖父(そふ)まである。わたしはこのしゅんかんをどんなに望(のぞ)んでいたろう。わたしもほかの子どもと同様に、自分のものと呼(よ)んで愛(あい)し愛されるうちを持つことを考えて、その喜(よろこ)びに気がくるいそうになったことがあった……それがいま自分の一家をふしぎそうにながめるばかりで、心のうちにはなにも言うことがない。一言(いちごん)の愛情(あいじょう)のことばが出て来ないのである。わたしはけものなのであろうか。わたしがもし両親をこんなびんぼうな小屋でなく、りっぱなごてんの中で見いだしたなら、もっと深い愛情が起こったであろうか。わたしはそれを考えてはずかしく思った。
 そう思ってわたしはまた母親のそばへ寄(よ)って、両うでをかけてしたたかかの女のくちびるにキッスした。まさしくかの女はなんのつもりで、わたしがこんなことをするのかわからなかった。だからわたしのキッスを返そうとはしないで、きょときょとした様子でわたしの顔をながめた。それから夫(おっと)、すなわちわたしの父親のほうへ向いて肩(かた)をそびやかした。そしてなにかわたしにわからないことを言うと、夫はふふんと笑(わら)った。かの女の冷淡(れいたん)と、わたしの父親の嘲笑(ちょうしょう)とが深(ふか)くわたしの心を傷(きず)つけた。
 わたしの愛情(あいじょう)はそんなふうにして受け取らるべきものでないとわたしは思った。
「あれはだれだ」と父親はマチアを指さしながら聞いた。わたしはかれに向かってマチアがいちばん仲(なか)のいい友だちであって、ずいぶん世話になっていることを話した。
「よしよし」と父親は言った。「あの子もうちにとまって、いなかを見物するがよかろう」
 わたしはマチアの代わりに答えようとしたが、かれが先に口をきいた。
「それはぼくもけっこうです」とかれはさけんだ。
 わたしの父親はなぜバルブレンがいっしょに来ないかとたずねた。わたしはかれにバルブレンの死んだことを告(つ)げた。かれはそれを聞いて喜(よろこ)んでいるようであった。かれはそのとおりを母親にくり返して言うと、かの女もやはり喜んでいるようであった。どうしてこの二人は、バルブレンの死んだことを喜(よろこ)んでいるのか。
「おまえは、わたしたちが十三年もおまえをたずねなかったことをふしぎに思っているかもしれない」と父親が言った。「しかも急にまた思い出したように出かけて行って、おまえを赤んぼうのじぶん拾った人を訪(たず)ねたのだからなあ」
 わたしはかれに自分のたいへんおどろいたこと、それからそれまでの様子をくわしく聞きたいことを話した。
「では炉(ろ)ばたへおいで。残(のこ)らず話してあげるから」
 わたしは肩(かた)から背嚢(はいのう)を下ろして、勧(すす)められたいすにこしをかけた。わたしがぬれてどろをかぶった足を炉にのばすと、祖父(そふ)はうるさい古ねこが来たというように、つんと向こうを向いてしまった。
「おかまいでない」と父親は言った。「あのじいさんはだれも火の前に来ることをいやがるのだ。けれどおまえ、寒ければかまわないよ」
 わたしはこんなふうに老人(ろうじん)に対して口をきくのを聞いてびっくりした。わたしはいすの下に足を引っこめた。そのくらいな心づかいはしなければならなとわたしは考えた。
「おまえはこれからわたしの総領(そうりょう)むすこだ」と父親が言った。「母さんと結婚(けっこん)して一年たっておまえは生まれたのさ。わたしがいまの母さんと結婚(けっこん)するとき、そのまえからてっきり自分と結婚するものと思っていたある若(わか)いむすめがもう一人あった。それが結婚のできなかったくやしまぎれに、生まれて六月(つき)目のおまえをぬすみ出して行った。わたしたちはほうぼうおまえを探(さが)したが、パリより遠くへはどうにも行けなかった。わたしたちはおまえが死んだものと思っていたが、つい三月(つき)まえ、このぬすんだ女が死んでね。死にぎわにわたしに悪事を白状(はくじょう)したのだ。わたしはさっそくフランスへ出かけて行って、おまえが捨(す)てられた地方の警察(けいさつ)から、初(はじ)めておまえがシャヴァノン村のバルブレンという石屋のうちに養(やしな)われていることを聞いた。わたしはバルブレンを探(さが)して、今度その人からおまえがヴィタリスという旅の音楽師(おんがくし)にやとわれて行ったこと、フランスの町じゅうを歩き回っていることを聞いた。わたしはいつまでもあちらに逗留(とうりゅう)してもいられないので、バルブレンにいくらかお金をやって、おまえを探(さが)すようにたのんだ。そうしてわかりしだいグレッス・アンド・ガリーへそう言って寄(よ)こすようにした。わたしはあのバルブレンにここの住まいを知らせておかなかったというわけは、わたしたちは冬のあいだだけロンドンにいるので、あとはずっとイギリスとスコットランドの地方を旅行して歩いているのだからね。わたしたちの商売は旅商人(たびあきんど)なのだよ。まあそんなふうにして、十三年目におまえがわたしたちの所へ帰って来たというわけだ。おえはわたしたちのことばがわからないのだから、はじめはすこしきまりが悪いかもしれないが、じきにイギリス語を覚(おぼ)えて、兄弟たちと話ができるようになるだろう。それはもうわけなく慣れるよ」
 そうだ、もちろんわたしはかれらに慣れなければならない。かれらはわたしの一家の者ではないか。それはりっぱな絹(きぬ)の産着(うぶぎ)で想像(そうぞう)したところと、目の前の事実とはこのとおりちがっていた。でもそれがなんだ。愛情(あいじょう)は富(とみ)よりもはるかに貴(たっと)い。わたしがあこがれていたのは金ではない、ただ愛情である。愛情が欲(ほ)しかったのだ。家族が、うちが、欲しかったのだ。
 わたしの父親がこの話をしているあいだに、かれらは晩餐(ばんさん)の食卓(しょくたく)をこしらえた。焼(や)き肉(にく)の大きな一節(ひとふし)にばれいしょをそえたものが、食卓のまん中に置(お)かれた。
「おまえたち、腹(はら)が減(へ)っているか」と父親がマチアとわたしに向かってたずねた。マチアは白い歯を見せた。
「うん、机(つくえ)におすわり」
 しかし席(せき)に着くまえに、かれは祖父(そふ)の竹のゆりいすを食卓(しょくたく)に向けた。それから自分の席(せき)をしめながら、かれは焼(や)き肉(にく)を切り始めた。背中(せなか)を火に向けて、みんなに一つずつ、大きな切れといもを分けた。
 わたしはいい境遇(きょうぐう)の中に育ったわけではないが、兄弟たちの食卓(しょくたく)の行儀(ぎょうぎ)がひどく悪いことは目についた。かれらはたいてい指で肉をつかんで食べて、がつがつ食い欠(か)いたり、父母の気がつかないようにしゃぶったりした。祖父(そふ)にいたっては自分の前ばかりに気を取られて、自由の利(き)く片手(かたて)でしじゅうさらから口へがつがつ運んでいた。そのふるえる指先から肉を落とすと、兄弟たちはどっと笑(わら)った。
 わたしたちは食事がすんでから、その晩(ばん)は炉(ろ)ばたに集まってくらすことと思っていた。けれども父親は友だちが来るからと言って、わたしたちにねどこに行くことを命じた。マチアとわたしに手まねをして、かれはろうそくを持って先に立ちながら、食事をした部屋(へや)の外にあるうまやへ連(つ)れて言った。そのうまやには荷台まで大きな屋台付(つき)馬車があった。かれはその一つのドアを開けると中に小さな寝台(ねだい)二つ重なって置(お)いてあるのを見た。
「ほら、これがおまえたちのねどこだ」とかれは言った。「まあ、おやすみ」
 これがわたしの家族からこの夜初(はじ)めてわたしの受けた歓迎(かんげい)であった。




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