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菊模様皿山奇談(きくもようさらやまきだん)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/9/12 9:27:57 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


        三十八

 向座敷(むこうざしき)にてぽん/\と手を打ち、
宗「誰(たれ)も居ぬかな」
下婢「はい」
 此の座敷に寝ているのは渡邊お竹で、宗達が看病を致して居りますので、
婢「お呼びなさいましたかえ」
宗「一寸(ちょっと)こゝへ入ってくれ」
婢「はい」
宗「序(ついで)に水を持って来ておくれ、病人がうと/\眠附(ねつ)くかと思うと向座敷で時々大勢がわアと笑うので誠に困る」
婢「誠にお喧(やかま)しゅうござりやしょう」
宗「其処(そこ)をぴったり閉めておくれ」
婢「畏(かしこ)まりやした」
 と立って行って大勢の所へ顔を出しまして、
「どうかあの皆さん相宿の方に病人がありやすから、余(あんま)り大(でけ)え声をして、わア/\笑わないように、喧しいと病人が眠り付かねえで困るだから、静(しずか)になさえましよ」
侍「はい/\宜しい……病人がいるなら止しましょう」
○「小声でやってくだせえ、皆(みんな)は虚(そら)っぺえ話(ばなし)で面白くねえ、旦那が武者修行をした時の、蟒蛇(うわばみ)を退治(たいじ)たとか何とかいう剛(きつ)いのを聞きたいね」
侍「左様さ拙者は是迄恐ろしい怖いというものに出会った事はないが、※(「鼬」の「由」に代えて「吾」、第4水準2-94-68)鼠(のぶすま)に両三度出会った時は怖いと思ったね」
○「ど何処(どこ)で」
侍「南部(なんぶ)の恐山(おそれざん)から地獄谷の向(むこう)へ抜ける時だ」
○「へえー名からして怖(おっか)ねえね恐山地獄谷なんて」
侍「此処(こゝ)は一騎打(いっきうち)の難所(なんじょ)で、右手(めて)の方(ほう)を見ると一筋(ひとすじ)の小川が山の麓(ふもと)を繞(めぐ)って、どうどうと小さい石を転がすように最(い)と凄(すさ)まじく流れ、左手(ゆんで)の方(かた)を見ると高山(こうざん)峨々(がゞ)として実に屏風を建てたる如く、誠に恐ろしい山で、樹(き)は生茂(おいしげ)り、熊笹が地を掩(おお)うている、道なき所を踏分け/\段々下(お)りて来たところが、人家は絶(たえ)てなし、雨は降ってくる、困ったことだと思い、暫く考えたが路(みち)は知らず、深更(しんこう)に及んで狼にでも出られちゃア猶更と大きに心配した、時は丁度秋の末(すえ)さ、すると向うにちら/\と見える」
○「へえー、出たんでござえやすか、狼の眼は鏡のように光るてえから、貴方がうんと立止って小便(ちょうず)をなすったろう」
侍「なに、小便(ちょうず)などを為(し)やアせん」
○「それから」
侍「これは困ったものじゃ、彼処(あすこ)に誰か焚火(たきび)でもして居るのじゃアないかと思った」
○「成程山賊が居て身ぐるみ脱いでけてえと、お前さん引(ひっ)こぬいて斬ったんで」
侍「まゝ黙ってお聞き、そう先走られると何方(どっち)が話すのだか分らん、山賊が団楽坐(くるまざ)になっていたのではない、一軒の白屋(くずや)があった」
○「へえー山ん中に……問屋(といや)でしょう」
侍「なに茅屋(あばらや)」
○「え、油屋(あぶらや)」
侍「油屋じゃアない、壊れた家をあばらやという」
○「確(しっ)かりした家は脊骨屋(せぼねや)で」
侍「そう先走っては困る、其家(そこ)へ行って拙者は武辺修行(ぶへんしゅぎょう)の者でござる、斯(か)かる山中(さんちゅう)に路(みち)に踏み迷い、且(かつ)此の通り雨天になり、日は暮れ、誠に難渋を致します、一樹(いちじゅ)の蔭を頼むと云って音ずれると、奥から出て来た」
○「へえー肋骨(あばらぼね)が出て、歯のまばらな白髪頭(しらがあたま)の婆(ばゞあ)が、片手に鉈(なた)見たような物を持って出たんだね、一つ家(や)の婆で、上から石が落ちたんでげしょう」
侍「然(そ)うじゃアない、二八余りの賤女(しずのめ)が出たね」
○「それじゃア気が無(ね)え、雀が二三羽飛出したのかえ」
侍「賤女(しずのめ)」
○「えゝ味噌汁(おつけ)の中へ入れる汁の実」
侍「汁の実じゃアない、二八余り十六七になる娘が出たと思いなさい」
○「へえー家(うち)に居たんだね、容貌(おんな)は好(よ)うごぜえやしたろうね、容貌(おんな)は」
侍「そんな事は何うでも宜しいが、能(よ)く見ると乙(おつ)な女さ」
○「へえー、おい鐵、此方(こっち)へ寄れ、ちょいと見ると美(い)い女だが、能く見ると眇目(めっかち)で横っ面(つら)ばかり見た、あゝいう事があるが、矢張(やっぱり)其の質(たち)なんでしょう」
侍「足下(そっか)が喋ってばかり居っては拙者は話が出来ぬ」
○「じゃア黙ってますから一つやって下せえ」
侍「それから紙燭(しそく)を点(つ)けて出て来て、お武家さま斯様な人も通らん山中(やまなか)へ何うしてお出でなさいました、拙者は武術修業の身の上ゆえ、敢(あえ)て淋しい処を恐れはせぬが如何にも追々夜(よ)は更けるし、雨は降って来る、誠に難渋いたすによって一泊願いたいと云うと、何事も行届(ゆきとゞ)きません、召上る物も何もございませんし、着せてお寐(ね)かし申す物もございません、それが御承知なれば見苦しけれども御遠慮なくお泊り遊ばせと、親切な女で汚い盥(たらい)へ谷水を汲んで来て、足をお洗いなさいというので足を洗いました」
○「へえー其の娘の親父か何かいましたろう」
侍「親父もいない、娘一人で」
○「へえー……母親(おふくろ)もいませんか」
侍「そう喋っては困りますな」
○「もう云いません、それから」
侍「ところが段々聞くと両親もなく、只一人斯(かゝ)る山の中に居って、躬(みずか)ら自然薯(じねんじょ)を掘って来るとか、或(あるい)は菌(きのこ)を採(と)るとか、薪(たきゞ)を採るとか、女ながら随分荒い稼ぎをして微(かす)かに暮しておるという独身者(ひとりもの)さ、見れば器量もなか/\好(よ)い、色が白くて目は少し小さいが、眉毛が濃い、口元が可愛らしく、髪の毛の光艶(つや)も好(よ)し、山家(やまが)に稀(まれ)な美人で」
○「へえー、ふう成程」
侍「何とも云やアしない、まア黙ってお聞き」
○「へえ」
侍「拙者は修業の身の上で、好い女だとは思いましたけれど、猥(いや)らしい事を云い掛けるなどの念は毛頭ない」
○「それは何年頃(いつごろ)の事ですか」
侍「丁度五年以前(あと)の事で」
○「あなたは幾歳(いくつ)だえ」
侍「其様(そん)な事を聞かなくとも宜(よ)い、三十九才じゃ」
○「老けているね……五年以前(あと)、じゃア未(ま)だア壮(さかり)な時でごぜえやすな」
侍「左様」
○「へえ、それから何うしました」
侍「拙者の枕元へ水などを持って来て、喉(のど)が渇いたら召上れと種々(いろ/\)手当をしてくれる、蕎麦掻(そばがき)を拵(こしら)えて出したが、不味(まず)かったけれども、親切の志有難く旨く喰いました」
○「蕎麦粉は宜うごぜえやしたろうが、醤油(したじ)が悪かったに違(ちげ)えねえ、ぷんと来るやつで、此方(こっち)の醤油(したじ)を持って行(ゆ)きたいね」
侍「何を云っている」
○「へえ、それから」
侍「娘は向うの方へ一人で寝る、時は丁度秋の末の事、山冷(やまびえ)でどうも寒い、雨はばら/\降る」
○「成程/\うん/\」
侍「娘は何うしたか何時(いつ)までも寝ないようで」
○「うん(膝へ手を突き前へ乗出し)それから」
侍「拙者に夜具を貸してしまい、娘は夜具無しで其処(そこ)へごろりと寝ているから、どうも其方(そなた)の着る物を貸して、此の寒いのに其方が夜具無しで寝るような事じゃア気の毒じゃ、風でも引かしては宜しくないというと、いえ宜しゅうございます、なに宜しい事はない、掛蒲団(かけぶとん)だけ持って行ってください、拙者は敷蒲団をかけて寝るから、いゝえ何う致しまして、それならば旦那さま恐入りますが、貴方のお裾(すそ)の方へでも入れて寝かしてくださいませんかと云った」
○「へえー、ふう鐵もっと此方(こっち)へ出ろ、面白い話になって来た、旦那は真面目になってるが、能(よ)く見ると助平そうな顔付だ、目尻が下(さが)ってて、旨く女をごまかしたね、中々油断は出来ねえ、白状おしなさい」
侍「ま、黙ってお聞きなさい、苟(かりそ)めにも男女(なんにょ)七才にして席を同じゅうせずで、一つ寝床へ女と一緒に寝て、他(ひと)に悪い評でも立てられると、修行の身の上なれば甚だ困ると断ると、左様ならば御足(おみあし)でも擦(さす)らして下さいましと云った」
○「へえー、女の方で、えへ/\、矢張(やっぱり)山の中で男珍らしいんで、えへ/\/\成程うん」
侍「どうも様子が訝(おか)しい、変だと思った」
○「なに先で思っていたんでしょう」
侍「それから拙者は此方(こっち)の小さい座敷に寝ていると、改めて又枕元へ来てぴたりと跪(ひざまず)いて」
○「其の女が蹴躓(けつまず)きやアがったんで」
侍「蹴躓いたのではない、丁寧に手を突いて、先生私(わたくし)は何をお隠し申しましょう、親の敵(かたき)を尋ねる身の上でございます」
○「うん、其の女が…成程」
侍「敵は此の一村(ひとむら)隔(お)いて隣村に居ります、僅(わずか)に八里山を越すと、現に敵が居りながら、女の細腕で討つことが出来ません、先方は浪人者で、私(わたくし)の父は杣(そま)をいたして居りましたが、山界(やまざかい)の争い事から其の浪人者が仲裁(なか)に入り、掛合(かけあい)に来ましたのを恥(はず)かしめて帰した事があります、其の争いに先方(さき)の山主(やまぬし)が負けたので、礼も貰えぬ所から、それを遺恨に思いまして、其の浪人が私の父を殺害(せつがい)いたしたに相違ないという事は、世間の人も申せば、私も左様に存じます、其の傍(そば)に扇子(せんす)が落ちてありました、黒骨の渋扇(しぶせん)へ金で山水が描(か)いて有って、確(たしか)に其の浪人が持って居りました扇子(おうぎ)で見覚えが有ります、どうか先生を武術修行のお方とお見受け申して、お頼み申しますが、助太刀をなすって敵(かたき)を討たして下さいませんか、始めてお泊め申したお方に何とも恐入りますが、助太刀をなすって本意を遂げさせて下されば、何(ど)の様な事でも貴方のお言葉は背きません、不束(ふつゝか)な者で、迚(とて)もお側にいるという訳には参りませんが、御飯焚(ごはんたき)でもお小間使いでも、お寝間の伽(とぎ)でも仕ようという訳だ」
○「へえー、此奴(こいつ)ア矢張(やっぱり)然(そ)ういう事があるんでげしょう、へえー、なア……鐵やい、左官の松(まつ)の野郎が火事の時に手伝って、それから御家様(ごけさま)の処(とけ)え出入(でへえ)りをし、何日(いつ)か深い訳になったが、成程然ういう事がありましょう、それから何うしました」
侍「然(そ)ういう訳なれば宜しい、助太刀をして慥(たし)かに本意を遂げさせて遣ろうと受合うと、女は悦んで、あゝ有難う草葉の蔭において両親も嘸(さぞ)悦びましょうと、綺麗な顔で真に随喜の涙を流した」
○「へえー芋売(いもがら)見たような涙を」
侍「なに有難涙(ありがたなみだ)を」
○「へえ成程それから何うしました」
侍「ところで同衾(ひとつ)に寝たんだ」
○「へえー甚(ひど)いなア……成程、鐵ウもっと前へ出ろ、大変な話になって来た」
 向座敷で手をぽん/\と打つと、又候(またぞろ)下女がまいって、
下婢「皆さんお静かになすって、なるたけわア/\云わねえように願います」
○「へえ/\……それから何うしました、先生」
侍「いや止そう」
○「其処(そこ)まで遣って止すてえ事はありません、お願(ねげ)えだから後(あと)を話しておくんなせえ」
侍「病人があると云うから止そう」
○「だって先生、こゝで止(や)めちゃア罪です」
侍「こゝらで止める方が宜かろう」
○「落話家(はなしか)や講釈師たア違(ちげ)えます」
侍「此処(こゝ)が丁度宜(い)い段落(きりどこ)だ」
○「おい、よ話しておくんねえな/\」
侍「困るな…すると其の女にこう□□[#底本2字伏字]められた時には、身体(しんたい)痺(しび)れるような大力(だいりき)であった」
○「へえー、それは化物だ、面白い話だね、それから」
侍「もう止そう」
○「冗談じゃアない、これで止(や)められて堪(たま)るものか……皆さん誰か一つ旦那に頼んでおくんなせえな、是から面白(おもしろ)え処なんで、今止められちゃア寝てから魅(うな)されらア」
侍「やるかなア」
○「うん成程、其の女が貴方の顔をペロ/\甜(な)めたんで」
侍「なに甜めるものか、うーんと振解(ふりほぐ)して、枕元にあった無反(むそり)の一刀を引抜いて、斬付けようとすると、がら/\/\と家鳴(やなり)震動がした」
○「ふうん」
侍「ばら/\/\表へ逃げる様子、尚(なお)追掛けて出ると、這(こ)は如何に、拙者が化(ばか)されていたのじゃ、茅屋(あばらや)があったと思う処が、矢張(やっぱり)野原で、片方(かた/\)はどうどうと渓間(たにま)に水の流れる音が聞え、片方は恐ろしい巌石(がんせき)峨々(がゞ)たる山にして、ずうっと裏手は杉や樅(もみ)などの大樹(だいじゅ)ばかりの林で、其の中へばら/\/\と追込んだな」
○「へえー成程、狐(きつね)狸(たぬき)は尻(けつ)を出して何かに見せると云うが、貴方それから何うしました」
侍「追掛けて行って、すうと一刀浴(あび)せると、ばたり前へ倒れた…化物が…拙者も疲れてどたーり其処(そこ)へ尻餅を搗(つ)いた」
○「成程是は尤(もっと)もです、痛(いと)うござえましたろう、其処に大きな石があったんで」
侍「なに石も何もありゃアせん、余計な事を云わずに聞きなさい」
○「な何の化物でげす」
侍「善(よ)く善く其の姿を見ると、それが伸餅(のしもち)の石に化(か)したのさ」
○「へえ、何故だろうなア」
侍「だから何うしてもちぎる訳にいかん」
○「冗談じゃアない、真面目な顔をして嘘ばっかり吐(つ)いてる、皆(みん)な嘘(そら)っぺい話(ばなし)でいけねえ、己(おれ)のは本当だ、此の中(うち)に聞いた人もあるだろう、何(なん)の話さ、大変だな、己ア江戸の者だ、谷中の久米野美作守様の屋敷へ出入の職人だったが、其処(そこ)に大変な悪人がいて、渡邊様てえ人を斬って、其の上に女を連れて逃げたは、えゝ何とかいう奴だっけ、然(そ)うよ、春部梅三郎よ、其奴(そいつ)は甚(ひど)い奴で、重役の渡邊織江様を斬殺(きりころ)したんで、其の子が跡を追掛(おっか)けて行くと、旨く言いくろめて、欺(だま)して到頭連出して、何とかいう所だっけ、然う/\、新町河原(しんまちがわら)の傍(わき)で欺(だま)し討(うち)に渡邊様の子を殺して逃げたというんだが、大騒ぎよ、八州が八方へ手配りをしたが、山越(やまごし)をして甲府へ入(へい)ったという噂で」
鐵「止しねえ/\、うっかり喋るな、冗談じゃアねえぜ、若(も)し八州のお役人が、是(こ)れは何う云う訳だ、他人に聞いたんでと云っても追付(おッつ)くめえ」
 と一人が止めるのを、一人の男が頻(しき)りに知ったふりで喋って居ります。

        三十九

 別座敷に寝て居りましたお竹が、此の話を洩(も)れ聞き大きに驚き、
竹「もし/\宗達様/\/\(揺起(ゆりおこ)す)」
宗「あい/\/\、つい看病疲れで少し眠(ね)ました、はあー」
竹「よく御寝(ぎょしん)なっていらっしゃいますから、お起(おこ)し申しましては誠に恐入りますが、少し気になることを向座敷で噂をしております、他(ほか)の者の話は嘘(うそ)のように存じますが、中に江戸屋敷へ出入(でい)る職人とか申す者の話は、少し心配になりますから、お目を覚(さま)してくださいまし」
宗「あい……はア……つい何うも……はア大分まだ降ってる様子で、ばら/\雨が戸へ当りますな」
竹「何卒(どうぞ)あなた」
宗「はい/\……はア……何じゃ」
竹「其の話に春部と申す者が私(わたくし)の弟(おとゝ)を新町河原で欺討(だましうち)にして甲府へ逃げたと云う事でございますが、何卒(どうぞ)委(くわ)しく尋ねて下さいまし、都合に寄っては又江戸へ帰るような事にもなろうと思いますから」
宗「それは怪(け)しからん、図らず此処(こゝ)で聞くというは妙なことじゃ、江戸の、うん/\職人体(てい)の下屋敷へ出入る者、宜しい……えゝ御免ください」
 と宗達和尚が向座敷の襖(ふすま)を開けて、大勢の中に入りました。見ると矢立を持って鼠無地の衣服に、綿の沢山入っております半纒を着て居り、月代(さかやき)が蓬々(ぼう/\)として看病疲れで顔色の悪い坊さんでございますから、一座の人々が驚きました。
○「はい、おいでなさい」
宗「あゝ江戸のお方は何方(どなた)で」
○「江戸の者は私(わっち)で、奥州仙台や常陸の竜ヶ崎や何か集ってるんで、へえ」
宗「只今向座敷で聞いておった処が、その江戸に久米野殿の屋敷へ出入りをなさる職人というはあなた方か」
○「えゝ私(わっち)でござえやす」
鐵「えおい、だから余計なことを言うなって云うんだ、詰らねえ事を喋るからお互(たげ)えに掛合(かゝりあい)になるよ」
宗「で、その久米野殿の御家来に渡邊織江と申す者があって人手にかゝり、其の子が親の敵(かたき)を尋ねに歩いた処、春部梅三郎と申す者に欺かれて、新町とかで殺されたと云う話、八州が何うとかしたとの事じゃが、それを委(くわ)しく話してください」
鐵「だから云わねえ事じゃアねえ、先方(むこう)は彼(あん)な姿で来たって八州の隠密だよ」
 と一人の連(つれ)の者に云われ、一人は真蒼(まっさお)になり、ぶる/\と顫(ふる)え出し、碌々口もきけません様子。
○「なに本当に知っている訳じゃアごぜえやせん、朦朧(ぼんやり)と知ってるんで、へえ一寸(ちょっと)人に聞いたんで」
宗「聞いたら聞いたゞけの事を告げなさい、新町河原で渡邊祖五郎を殺害(せつがい)した春部梅三郎という者は何(いず)れへ逃げた」
○「あ彼方(あっち)へ逃げて……それから秩父(ちゝぶ)へ出たんで」
宗「うん成程、秩父へ出て」
○「それからこ甲府へ逃げたんで」
宗「秩父越しをいたして甲府の方へ八州が追掛(おっか)けたのか」
鐵「おゝおゝ仕様がねえな、本当に手前(てめえ)は饒舌(おしゃべり)だな」
○「饒舌だって剣術の先生や何かも皆(みん)な喋ったじゃアねえか………何(なん)でごぜえやす……えゝ其の八州が追掛(おっか)けて何したんで、当りを付けたんで」
宗「何ういう処に当りが付きましたな」
○「そりゃア何でごぜえやす、鴻の巣の宿屋でごぜえやす」
宗「はゝー鴻の巣の宿屋……(紙の端へ書留め)それは何という宿屋じゃ」
○「私(わっち)ア知りやせん、其の宿屋へ女を連れて逃げたんで、其の宿屋が春部とかいう奴が勤めていた屋敷に奉公していて、私通(くっつ)いて連れて逃げた女の親里とかいう事で」
宗「うん…それから」
○「それっ切り知りやせん」
宗「知らん事は無かろう、知らんと云っても知らんでは通さん」
○「へえ……(泣声)御免なせえ、真平(まっぴら)御免下さい」
宗「あなた方は江戸は何処(どこ)だ」
○「真平御免…」
宗「御免も何もない、言わんければなりませんよ」
○「へえ外神田(そとかんだ)金沢町(かなざわちょう)で」
宗「うん外神田金沢町…名前は」
○「甚太(じんた)っ子」
宗「甚太っ子という名前がありますか、甚太郎(じんたろう)かえ」
○「慥(たし)か然(そ)うで」
宗「甚太郎……其方(そっち)にいるお方は」
鐵「私(わっち)は喋ったんでもねえんで」
宗「言わんでも宜(よ)い、名前が宿帳と違うとなりませんぞ、宜いかえ」
鐵「へえ、下谷(したや)茅町(かやちょう)二丁目で」
宗「お名前は」
鐵「ガラ鐵てえんで」
宗「ガラ鐵という名はない、鐵五郎(てつごろう)かえ」
鐵「へえ」
宗「宜しい」
鐵「御免なさい」
 と驚いて直(すぐ)に其の晩の内此処(こゝ)を逃出して、夜通し高崎まで逃げたという。其様(そん)なに逃げなくとも宜しいのに。此方(こっち)はお竹が病苦の中にて此の話を聞き、どうか直に此処を立ちたいと云う。
宗「何うして今から立たれるものか、碓氷を越さなければならん」
 と稍(ようや)くの事で止めました。翌朝(よくあさ)になると、お竹は尚更癪気(しゃくき)が起って、病気は益々重体だが当人が何分にも肯(き)きませんから、駕籠を傭(やと)い、碓氷を越して松井田(まついだ)から安中宿(あんなかじゅく)へ掛り、安中から新町河原まで来ますと、とっぷり日は暮れ、往来の人は途絶えた処で、駕籠から下りてがっかり致し、お竹はまたキヤ/\差込んで来ました。宗達は驚いて抱起したが、舁夫(かごや)は此処(こゝ)までの約束だというので不人情にも病人を見棄てゝ、其の儘ずん/\往ってしまいました。宗達は持合せた薬を服(の)ませ、水を汲んで来ようと致しましたが、他に仕方がないから、ろはつという禅宗坊主の持つ碗(わん)を出して、一杯流れの水を汲んで持って来ました。漸(ようや)くお竹に水を飲ませ、頻(しき)りと介抱を致しましたが、中々烈(はげ)しい事で、
竹「ウヽーン」
 と河原の中へ其の儘反(そり)かえりました。
宗「あゝ困ったものじゃ、何うか助けたいものじゃ」
 と又薬を飲まし、口移しに水を啣(ふく)ませ、お竹を□□[#底本2字伏字]めて我(わが)肌の温(あたゝ)かみで暖めて居ります内に、雪はぱったり止み、雲が切れて十四日(か)の月が段々と差昇ってまいる内に、雪明りと月光(つきあか)りとで熟々(つく/″\)お竹の顔を見ますと、出家でも木竹(きたけ)の身では無い、忽(たちま)ち起る煩悩に春情(しゅんじょう)が発動いたしました。御出家の方では先(ま)ず飲酒戒(おんしゅかい)と云って酒を戒め、邪淫戒と申して不義の淫事を戒めてあります。つまり守り難いのは此の戒(かい)でございます。此の念を断切(たちき)る事は何うも難(かた)い事です、修業中の行脚を致しましても、よく宿場女郎を買い、或(あるい)は宿屋の下婢(おんな)に戯れ、酒のためについ堕落して、折角積上げた修業も水の泡に致してしまう事があります、未(ま)だ壮(さか)んな宗達和尚、お竹の器量と云い、不断の心懸(こゝろがけ)といい、実に惚れ/″\するような女、其の上侍の娘ゆえ中々凛々(りゝ)しい気象なれども、また柔(やさ)しい処のあるは真に是が本当の女で、斯(か)かる娘は容易に無いと疾(とう)から惚込んで、看病をする内にも度々(たび/\)起る煩悩を断切り/\公案をしては此の念を払って居りましたが、今は迷(まよい)の道に踏入(ふみい)って、我ながら魔界へ落ちたと、ぐっとお竹を□□[#底本2字伏字]める途端に、温(あたゝか)みでふと気が附いたお竹が、眼を開(あ)いて見ますと、力に思う宗達和尚が、常にもない不行跡(ふぎょうせき)、髭(ひげ)だらけの頬(ほお)を我が顔へ当てゝ、肌を開いて□□[#底本2字伏字]めて居りますから、驚いて、
竹「アレー、何を遊ばします」
 と宗達和尚を突退(つきの)けて向うへ駆出しにかゝる袖を確(しっ)かり押えて、
宗「お竹さん御道理(ごもっとも)じゃ、どうも迷うた、もうとても出家は遂げられん、私(わし)はお前の看病をして枕元に附添い、次の間に寐(ね)ていても、此の程はお前の身体(からだ)が利かんによって、便所へ行(ゆ)くにも手を引いて連れて行き、足や腰を撫(なで)てあげると云うのも、実は私が迷いを起したからじゃ、とても此の煩悩が起きては私は出家が遂げられん、真に私はお前に惚れた、□□□□[#底本4字伏字]私の云う事を肯(き)いてくだされば、衣も棄て珠数(じゅず)を切り、生えかゝった月代(さかやき)を幸いに一つ竈(べッつい)とやらに前を剃(そり)こぼって、お前の供をして美作国(みまさかのくに)まで送って上げ、敵(かたき)を討つような話も聞いたが、何(ど)の様(よう)な事か理由(わけ)は知らんが、助太刀も仕ようし、又何の様な事でも御舎弟と倶(とも)に力を添える、誠に面目ない恥入った次第じゃが、何うぞ私の言う事を肯いてくだされ」
 と云われ、呆れてお竹は宗達の顔を見ますと、宗達の顔色は変り、眼の色も変り、少し狂気している容子(ようす)で、掴(つか)み付きにかゝるのを突退(つきの)けて、お竹は腹立紛れに懐へ手を入れて、母の形見の合口の柄(つか)を握って、寄らば突殺すと云うけんまくゆえ、此方(こちら)も顔の色が違いました。
竹「宗達さん、あなたは怪(け)しからぬお方で、御出家のお身上(みのうえ)で……御幼年の時分から御修業なすって、何年の間行脚をなすって、私(わし)は斯う云う修業をした、仏法は有難いものじゃ、斯ういうものじゃによって、お前も迷いを起してはならないと、宿に泊って居りましても臥床(ふせ)る迄は貴方の御教導、あゝ有難いお話で、大きに悟ることもありました、美作まで送って遣ろうとおっしゃっても、他の方なれば断る処なれど、御出家様ゆえ安心して願いました甲斐もなく、貴方が然(そ)う云うお心になってはなりません、何卒(どうぞ)迷いを晴らして……憤(おこ)りはしませんから、元々通り道連れの女と思召して、美作までお送り遊ばしてくださいまし、是迄の御真実は私(わたくし)が存じて居りますから」
宗「むゝう、是程に云ってもお聞済(きゝず)みはありませんか」
竹「どうして貴方大事を抱えている身の上で其様(そん)な事が出来ますものか」
宗「然(そ)うか……そうお前に強う云われたらもう是までじゃ、私(わし)もどうせ迷いを起し魔界に堕(お)ちたれば、飽(あく)までも邪(よこしま)に行(ゆ)く、私はこれで別れる、あなたは煩(わずろ)うている身体で鴻の巣まで行(ゆ)きなさい、それも宜(よ)いが、道の勝手を知って居(お)るまい、夜道にかゝって、女の一人旅は何(ど)の様(よう)な難儀があろうも知れぬ、さ、これで別れましょう」
竹「お別れ申しても仕方がございませんけれども、貴方の迷いの心を翻(ひるが)えしてさえくだされば、私に於(おい)てはお恨みとも何とも存じませんから」
宗「いや、お前は何ともあるまいが、此方(こちら)に有るのじゃ、私(わし)は還俗(げんぞく)してお前のためには力を添えて、何の様にも仕よう、長旅をして、お前を美作まで送って上げようとは、今迄した修業を水の泡にしてしまうのも皆(みん)なお前のためじゃ、何うぞ私の願(ねがい)を叶(かな)えてください、それとも肯(き)かんければ詮方(せんかた)がない、もう此の上は鬼になって、何の様な事をしても此の念を晴さずには置かん、仕儀によっては手込(てごめ)にもせずばならん」
 と飛付きに掛りますから、お竹は慌(あわ)てゝ跡へ飛退(とびさが)って、
竹「迷うたか御出家、寄ると只は置きませんぞ」
 と合口をすらりと引抜いて振上げ、けんまくを変えたから、
宗「おまえは私(わし)を斬る気になったのじゃな、最(も)う此の上は可愛さ余って憎さが百倍、さ斬っておくれ」
 と云いながら身を躱(かわ)して飛付きにかゝる。
竹「そんなれば最う是迄」
 と引払(ひっぱら)って突きにかゝる途端に、ころり足が辷(すべ)って雪の中へ転ぶと一杯の血(のり)で、
宗「おゝ何処(どこ)か怪我アせんか」
竹「私を斬ったな、法衣(ころも)を着るお身で貴方は恐しい殺生戒を破って、ハッ/\、お前さんは鬼になった処(どころ)じゃアない蛇(じゃ)になった、あゝ宗達という御出家は人殺しイ」
 と云うが、ピーンと川へ響けます。
宗「あゝ悪い事をした、お竹さんが此様(こん)な怪我をする事になったのも畢竟(ひっきょう)我が迷い、実に仏罰は恐ろしいものである」
 と思ったので宗達はカアーと取逆上(とりのぼ)せて、お竹が持っていた合口を捻取(ねじと)って、
「お前一人は殺しはせん、私(わし)も一緒に死んで、地獄の道案内をしましょう」
 と云いながら我(わが)腹へプツリ。
宗「ウヽーン/\」
竹「もし/\……宗達さま」
宗「あい/\……あい……はアー」
竹「あなたは大層魘(うな)されていらっしゃいました」
宗「あい/\、あゝ……おゝ、お竹さま」
竹「はい」
宗[#「宗」は底本では「竹」]「あなたはお達者で」
竹「あなた怖い夢でも御覧なすったか、大層魘されて、お額へ汗が大変に」
宗「はい/\……お前は何うしたえ」
竹「はい、私は大きに熱が退(と)れましたかして少し落着きました」
宗「左様か、ウヽン……煩悩経にある睡眠、あゝ夢中(むちゅう)の夢(ゆめ)じゃ、実に怖いものじゃの、あゝ悪い夢を視(み)ました、悪い夢を視ました」
 と心の中(うち)に公案を二十ばかり重ねて云いながら、手拭を出して額と胸の辺(あたり)の汗を拭いて、ホッと息を吐(つ)き、
宗「あゝ迷いというものは甚(ひど)いものじゃ」

        四十

 さて又粂野の屋敷では丁度八月の六日の事でございます。此の程は大殿様が余程御重症でございます。お医者も手に手を尽して種々(いろ/\)の妙薬を用いるが、どうも効能(きゝめ)が薄いことで、大殿様はお加減の悪い中にまた御舎弟紋之丞様は、只今で云えば疳労(かんろう)とか肺労とかいうような症で、漸々(だん/\)お痩せになりまして、勇気のお方がお咳(せき)が出るようになり、お手当は十分でございますが、どうも思うように薬の効能が無い、唯今で申せば空気の異(かわ)った所へと申すのだが、其の頃では方位が悪いとか申す事で、小梅の中屋敷へいらっしゃるかと思うと、又お下屋敷へ入らっしゃいまして、谷中のお下屋敷で御養生中でありますと、若殿の御病気は変であるという噂が立って来ましたので、忠義の御家来などは心配して居られます。五百石取りの御家来秋月喜一郎というは、彼(か)の春部梅三郎の伯父に当る人で、御内室はお浪(なみ)と云って今年三十一で、色の浅黒い大柄でございますが、極(ごく)柔和なお方でございます。或日良人(おっと)に対(むか)い、
浪「いつもの婆(ばゞあ)がまいりました、あの大きな籠(かご)を脊負(しょ)ってお芋だの大根だの、菜(な)や何かを売りに来る婆でございます」
秋「あ、田端辺(たばたへん)からまいる老婆か、久しく来んで居ったが、何(なん)ぞ買ってやったら宜かろう」
浪「貴方がお誂(あつら)えだと申して塵(ごみ)だらけの瓢(ふくべ)を持ってまいりましたが、彼(あれ)はお花活(はないけ)に遊ばしましても余り好(よ)い姿ではございません」
秋「然(そ)うか、それはどうも……私(わし)が去年頼んで置いたのが出来たのだろう、それでも能く丹誠して……早速(さっそく)此処(こゝ)へ呼ぶが宜(よ)い、庭へ通した方が宜かろう」
浪「はい」
 と是から下男が案内して庭口へ廻しますと、飛石(とびいし)を伝ってひょこ/\と婆(ばあ)さまが籠を脊負って入って来ました。縁先の敷物の上に座蒲団を敷き、前の処へ烟草盆が出ている、秋月殿は黒手の細かい縞の黄八丈の単衣(ひとえ)に本献上の帯を締めて、下襦袢(したじゅばん)を着て居られました。誠にお堅い人でございます。目下の者にまで丁寧に、
秋「さア/\婆(ばゞあ)こゝへ来い/\」
婆「はい、誠に御無沙汰をしましてま今日(こんにち)はお庭へ通れとおっしゃって、此様(こん)なはア結構なお庭を見ることは容易にア出来ねえ事だから、ま遠慮申さねえばなんねえが、御遠慮申さずに見て、※(「女+息」、第4水準2-5-70)(よめ)っ子や忰に話して聞かせべいと思って参(めえ)りました、皆様お変りもごぜえませんで」
秋「婆(ばゞ)ア丈夫だの、幾歳(いくつ)になるの」
婆「はい、六十八になりますよ」
秋「六十八、左様か、アハヽヽヽいやどうも達者だな田端だっけな」
婆「はい、田端でごぜえます」
秋「名は何という」
婆「はい、お繩(なわ)と申します」
秋「妙な名だな、お繩…フヽヽ余り聞かん名だの」
婆「はいあの私(わし)の村の鎮守様は八幡様(はちまんさま)でごぜえます、其の別当は真言宗で東覚寺(とうかくじ)と申します、其の脇に不動様のお堂がごぜえまして私(わたくし)の両親(ふたおや)が子が無(ね)えって其の不動様へ心願(しんがん)を掛けました処が、不動様が出てござらっしゃって、左の手で母親(おふくろ)の腹ア緊縛(しっちば)って、せつないと思って眼え覚めた、申子(もうしご)でゞもありますかえ、それから母親がおっ妊(ぱら)んで、だん/″\腹が大(でか)くなって、当る十月(とつき)に私(わし)が生れたてえ話でごぜえます、縄で腹ア縛られたからお繩と命(つ)けたら宜(よ)かんべえと云って附けたでごぜえますが、是でも生れた時にゃア此様(こん)な婆アじゃアごぜえません」
秋「アハヽヽ田舎の者は正直だな、手前は久しく来なかったのう」
婆「はい、ま、ね、秋は一番忙がしゅうごぜえまして、それになに私(わし)などは田地を沢山持って居ねえもんだから、他人(ひと)の田地を手伝をして、小畠(こばた)で取上(とりや)げたものを些(ちっ)とべえ売りに参(めえ)ります、白山の駒込の市場へ参(めえ)って、彼処(あすこ)で自分の物を広げるだけの場所を借りれば商いが出来ます」
秋「成程左様か、娘が有るかえ」
婆「いえ嫁っ子でごぜえます、是が心懸の宜(え)いもので、忰と二人で能く稼ぎます、私(わし)は宅(うち)にばかり居ちゃア小遣取(こづけえど)りが出来ましねえから、斯うやって小遣取りに出かけます」
秋「そうか、茶ア遣れ、さ菓子をやろう」
婆「有難う…おや/\まア是(こ)れだけおくんなさいますか、まア此様(こんな)に沢山(えら)結構なお菓子を」
秋「宜(い)いよ、また来たら遣ろう」
婆「はい、此の前(めえ)参(めえ)りました時、巨(でけ)え御紋の附いたお菓子を戴きましたっけ、在所に居ちゃア迚(とて)も見ることも出来ねえ、お屋敷様から戴(いたゞ)えた、有りがたい事だって村中の子供のある処へ些(ちっ)とずつ遣りましたよ、毎度はや誠に有難い事でござえます」
秋「どうだ、暑中の田の草取りは中々辛いだろうのう」
婆「はい、熱いと思っちゃア兎ても出来ませんが、草が生えると稲が痩せますから、何うしても除(と)ってやらねえばなりませんが、此間(こねえだ)儲(もう)けもんでござえまして、蝦夷虫(えどむし)一疋(いっぴき)取れば銭い六百ずつくれると云うから、大概の前栽物(せんざいもの)を脊負(しょ)い出すより其の方が楽だから、おまえさま捕(とッ)つかめえて、毒なア虫でごぜえますから、籠(かご)へ入れて蓋(ふた)をしては持って参(めえ)ります」
秋「ムヽウ、それは何ういう虫だえ」
婆「あの斑猫(はんみょう)てえ虫で」
秋「ムヽウ斑猫……何か一疋で六百文ずつ……どんな処にいるものだえ」
婆「はい、豆の葉に集(たか)って居ります、在所じゃア蝦夷虫(えどむし)と云って忌(いや)がりますよ」
秋「何(なん)にいたすのだ」
婆「何だかお医者が随(つ)いて来まして膏薬(こうやく)に練(ね)ると、これが大(でけ)え薬になる、毒と云うものも、使いようで薬に成るだてえました」
秋「ムヽウ、何(ど)の位捕(つか)まった」
婆「左様でごぜえます、沢山(たくさん)でなければ利かねえって、何(なん)にするんだか沢山(たんと)入(い)るって、えら捕(つか)めえましたっけ」
秋「そりゃア妙だ、医者は何処(どこ)の者だ」
婆「何処の者だか知んねえで、一人男を連れて来て、其の虫を捕(つか)まって置きさえすれば六百ずつ置いては持って往(い)きます、其の人は今日お前様白山へ参(めえ)りますと、白山様の門の坂の途中の処(とこ)にある、小金屋という飴屋にいたゞよ、私(わし)は懇意(ちかづき)だからお前様の家(うち)は此処(こゝ)かえと何気なしに聞くと、其の男が言っては悪いというように眼附をしましたっけ」
秋「はて、それから何う致した」
婆「私(わし)も小声で、今日は虫が沢山(たくさん)は捕(と)れましねえと云うと、明日(あした)己が行くから今日は何も云うなって銭い袂(たもと)へ入れたから、幾許(いくら)だと思って見ると一貫呉れたから、あゝ是は内儀(かみ)さんや奉公人に内証(ないしょう)で毒虫を捕るのだと勘づきましたよ」
秋「ムヽウ白山前の小金屋という飴屋か」
婆「はい」
秋「あれは御当家の出入(でいり)である……茶の好(よ)いのを入れてください、婆ア飯を馳走をしようかな」
婆「はい、有難う存じます」
秋「婆ア些(ちっ)と頼みたい事があるが、明日(あした)手前の家(うち)へ私(わし)が行(ゆ)くがな、其の飴屋という者を内々(ない/\)で私に会わしてくれんか」
婆「はい、殿様は彼(あ)の飴屋の御亭主を御存じで」
秋「いや/\知らんが、少し思うことがある、それゆえ貴様の家(うち)へ往(い)くんだが、貴様の家は二間(ふたま)あるか、失礼な事を云うようだが、広いかえ」
婆「店の処(とこ)は土間になって居りまして、折曲(おりまが)って内へ入るんでがすが、土間へは、薪(まき)を置いたり炭俵を積んどくですが、二間ぐれえはごぜえます、庭も些(ちっ)とばかりあって、奥が六畳になって、縁側附で爐(ろ)も切ってあって、都合が宜うごぜえます、其の奥の方も畳を敷けば八畳もありましょうか、直(すぐ)に折曲って台所になって居ります」
秋「そんなら六畳の方でも八畳の方でも宜(よ)いが、その処(ところ)に隠れていて、飴屋の亭主が来た時に私(わし)に知らしてくれ、それまで私を奥の方へ隠して置くような工夫をしてくれゝば辱(かたじ)けないが、隠れる処があるかえ」
婆「はい、狭(せも)うござえますし、それに殿様が入らっしたって、汚くって坐る処もないが、上(うえ)の藤右衞門(とうえもん)の処(とこ)に屏風(びょうぶ)が有りますから、それを立廻(たてまわ)してあげましょう」
秋「それは至極宜かろう、何でも宜しい、私(わし)が弁当を持って行(ゆ)くから別に厄介にはならん」
婆「旨(うめ)えものは有りませんが、在郷(ざいご)のことですから焚立(たきたて)の御飯ぐらいは出来ます、畑物の茄子(なす)ぐらい煮て上げましょうよ」
秋「然(そ)うしてくれゝば千万辱(かたじ)けないが、事に寄ると私(わし)一人(ひとり)で往(ゆ)くがな、飴屋の亭主に知れちゃアならんのだが、何時(なんどき)ぐらいに飴屋の亭主は来るな」
婆「左様さ、大概お昼を喫(あが)ってから出て参りますが、彼(あれ)でも未刻過(やつすぎ)ぐらいにはまいりましょうか、それとも早く来ますかも知れませんよ」
秋「そんなら私(わし)は正午前(ひるまえ)に弁当を持ってまいる、村方の者にも云っちゃアならん」
婆「ハア、それは何ういう理由(わけ)で」
秋「此の方(ほう)に少し訳があるんだ、注文をして置いた瓢覃(ひょうたん)を持って来たとな」
婆「誠に妙な形(なり)でお役に立つか知りませんが」
 と差出すを見て、
秋「斯ういう形(かたち)じゃア不都合じゃが」
婆「其の代り無代(たゞ)で宜うがんす、口を打欠(ぶっけ)えて種子(たね)え投込んで、担(のき)へ釣下げて置きましたから、銭も何も要(い)らねえもんでごぜえますが、思召(おぼしめし)が有るなら十六文でも廿四文でも戴きたいもんで」
秋「是はほんの心ばかりだが、百疋(ぴき)遣る」
婆「いや何う致しまして、殿様此様(こん)なに戴いては済みません」
秋「いや、取(とっ)とけ/\、お飯(まんま)を喫(た)べさせてやろう」
 と是からお飯(まんま)を喫べさせて帰しました。さて秋月喜一郎は翌日野掛(のがけ)の姿(なり)になり、弁当を持たせ、家来を一人召連れて婆(ばゞア)の宅を尋ねてまいりました。彼(か)の田端村から西の方へ深く切れてまいると、丁度東覚寺の裏手に当ります処で。
秋「此処(こゝ)かの、……婆(ばゞア)は在宅(うち)か、此処かの、婆はいないか」
婆「ホーイ、おやおいでなせえましよ、さ此処(こゝ)でござえますよ、ままどうも…今朝(けさ)っから忰も悦んで、殿様がおいでがあると云うので、待(まち)に待って居りました処でござえます、何卒(どうぞ)直(すぐ)にお上(あが)んなすって……お供さん御苦労さまでごぜえました」
秋「其の様に大きな声をして構ってくれては困る、世間へ知れんように」
婆「心配ごぜえませんからお構えなく」
秋「左ようか……其の包を其の儘此方(こっち)へ出してくれ」
婆「はい」
秋「これ婆ア、是は詰らんものだが、ほんの土産(みやげ)だ、是(こ)れは御新造(ごしんぞ)が婆アが寒い時分に江戸へ出て来る時に着る半纏(はんてん)にでもしたら宜かろう、綿は其方(そっち)にあろうと云って、有合せの裏をつけてよこしました」
婆「あれアまア……魂消(たまげ)ますなア、此様(こん)なに戴きましては済みませんでごぜえます、これやい此処(こゝ)へ来(こ)う忰や」
忰「へえ御免なせえまし……毎度(めえど)ハヤ婆(ばゞ)が出まして御贔屓になりまして、帰(けえ)って来ましちゃア悦んで、何とハア有難(ありがた)え事で、己(おれ)ような身の上でお屋敷へ出て、立派なアお方さまの側で以てからにお飯(まんま)ア戴いたり、直接(じか)にお言葉を掛けて下さるてえのは冥加(みょうが)至極だと云って、毎度(めいど)帰(けえ)りますとお屋敷の噂ばかり致して居ります、へえ誠に有難い事で」
秋「いや/\婆(ばゞア)に碌に手当もせんが、今日は少し迷惑だろうが、少しの間座敷を貸してくれ、弁当は持参してまいったから、決して心配をしてくれるな、兎や角構ってくれては却(かえ)って困る、これは貴様の妻か」
嘉「へえ、私(わし)の嚊(かゝあ)でごぜえます、ぞんぜえもので」
妻「お入来(いで)なせえまし、毎度お母(っか)が参(めえ)りましては種々(いろ/\)御厄介になります、何うかお支度を」
秋「いやもう構ってくれるな、早く屏風を立廻してくれ」
婆「畏(かしこま)りました、破けて居りますが、彼(あれ)でも借りてめえりましょう、其処(そこ)な家(うち)では自慢でごぜえます、村へ入(へい)る画工(えかき)が描(か)いたんで、立派というわけには参(めえ)りません、お屋敷様のようじゃアないが、丹誠して描いたんだてえます」
秋「成程是は妙な画(え)だ、福禄寿(ふくろくじゅ)にしては形が変だな、成程大分(だいぶん)宜(い)い画だ」
婆「宅(うち)で拵(こしら)えた新茶でがんす、嘉八(かはち)や能くお礼を申上げろ」
嘉「誠に有難うごぜえます、貴方(あんた)飴屋が参(めえ)りますと、何かお尋ねなせえますで」
秋「其様(そん)なことを云っちゃアいけない」
嘉「実はその去年から頼まれて居りますが、婆(ばア)さまの云うにア、それは宜(え)えが訝(おか)しいじゃアなえか、何ういう理由(わけ)か知んねえ、毒な虫を捕(と)って六百文貰って宜(え)えかえ、なに構ア事はなえが、黒い羽織を着て、立派なア人が来るです」
秋「まゝ其様(そん)なことを云っちゃアいけない」
嘉「へえ/\、なに此処(こゝ)は別に通る人もごぜえませんけれども、梅の時分には店へ腰をかけて、草臥足(くたびれあし)を休める人もありますから、些(ちっ)とべえ駄菓子を置いて、草履(ぞうり)草鞋(わらじ)を吊下(つるさ)げて、商いをほんの片手間に致しますので、子供も滅多に遊びにも参(めえ)りません、手習(てならい)をしまって寺から帰って来ると、一文菓子をくれせえと云って参(めえ)りますが、それまでは誰(たれ)も参(めえ)りませんから、安心して何でもおっしゃいまし、お帰りに重とうござえましょうが、芋茎(ずいき)が大(でか)く成りましたから五六把(ぱ)引(ひっ)こ抜いてお土産にお持ちなすって」
供「旦那さま、芋茎のお土産は御免を蒙(こうむ)りとうございます……御亭主旦那様は芋茎がお嫌いだからお土産は成るたけ軽いものが宜(い)い」
嘉「軽いものと仰しゃっても今上げるものはごぜえません、南瓜(とうなす)がちっと残って居ますし、柿は未だ少し渋が切れないようですが、柿を」
供「柿の樹(き)はお屋敷にもあります」
秋「今日(こんにち)は来ないかの」
嘉「いえ急度(きっと)参(めえ)るに相違ごぜえません」
 と云っている内に、只今の午後三時とおもう頃に遣(や)ってまいりましたのは、飴屋の源兵衞でございます。
源「あい御免よ」
婆「はい、お出でなせえまし、さ、お上(あが)んなせえまし」
源「あゝ何うも草臥(くたび)れた、此処(こゝ)まで来るとがっかりする、あい誠に御亭主此間(こないだ)は」
嘉「へえ、是はいらっしゃいまし、久しくお出(いで)がごぜえませんでしたな、漸々(だん/″\)秋も末になって参(めえ)りまして、毒虫も思うように捕(と)れねえで」
源「これ/\大きな声をするな、是(こ)れは毒の気(き)を取って膏薬を拵(こしら)えるんだ、私(わし)は前に薬種屋(きぐすりや)だと云ったが、昨日(きのう)婆(ばア)さんに会った、隠し事は出来ねえもんだ、これは口止めだよ、少しばかりだが」
嘉[#「嘉」は底本では「源」]「どうもこれは…」
源「其の代り他人(ひと)に云うといけないよ」
嘉「いえ申しませんでごぜえます」
源「私(わし)も十露盤(そろばん)を取って商いをする身だから、沢山(たんと)の礼も出来ないが、五両上げる」
嘉「えゝ、五両……魂消(たまげ)ますな、五両なんて戴く訳もなし、一疋捕(つか)まえて六百文ずつになれば立派な立前(たちめえ)はあるのに、此様(こん)なに、大(でか)く戴きますのは止しましょうよ」
源「いや/\其様(そん)なことを云わないで取ってお置き、事に寄ると為(た)めになる事もあるから、決して他人(ひと)に云っちゃア成りませんよ、私(わし)が頼んだという事を」
婆「それは忰も嫁も心配(しんぺえ)打(ぶ)っていますが、他の者じゃアなし、毒な虫をお前様に六百ずつで売って、何ういう事で間違えでも出来やアしねえかと心配(しんぺい)してえます」
源「其様(そん)な事は有りゃアしないよ、此の虫を沢山(たんと)捕(つかま)えて医者様が壜(びん)の中へ入れて製法すると、烈(はげ)しい病も癒(なお)るというは、薬の毒と病の毒と衝突(かちあ)うから癒るというので、ま其様なに心配しないでも宜い」
婆「お金は戴きませんよ、なア忰」
嘉「えゝ、これは戴けません、此間(こねえだ)から一疋で六百ずつの立前(たちめえ)になるんでせえ途方も無(ね)え事だと思ってるくれえで、これが玉虫とか皀角虫(さいかちむし)とかを捕(と)るのなれば大変だが、豆の葉に集(たか)ってゝ誰にでも捕れるものを大金(てえきん)を出して下さるだもの、其様(そん)なに戴いちゃア済みません」
源「これ/\其様(そん)な大きな声を出しちゃアいけない」
嘉「これは何うしても戴けません」
源「そこに種々(いろ/\)理由(わけ)があるんだ、其様(そん)なことを云っては困る、これは取って置いてくれ」
嘉「へえ立前(たちめえ)は戴きます、ま此方(こっち)へお上(あが)んなすって、なに其処(そこ)を締めろぴったり締めて置け、砂が入(へい)っていかねえから……えゝゝ風が入(へい)りますから、ま此方(こっち)へ……何もごぜえませんがお飯(まんま)でも喰(た)べてっておくんなせえまし」
源「お飯は喫(た)べたくないが、礼を受けてくれんと誠に困るがな、受けませんか」
嘉「へえ」
 と何う有っても受けない、百姓は堅いから何うしても受けません。源兵衞も困って、
源「そんなら茶代に」
 と云って二分(にぶ)出しますと、
嘉「お構い申しもしませんのに……お茶代と云うだけに戴きましょう、誠にどうも、へえ」
源「今日は帰ります、婆(ばア)さん又彼方(あっち)へ来たらお寄り、だが、私が此処(こゝ)へ来たことは家内へ知れると悪いから、店へは寄らん方が宜(い)い、店には奉公人もいるから」
婆「いえ、お寄り申しませんよ、はい左様なら、気を附けてお帰んなせえましよ」
源「あい」
 是から麻裏草履を穿(は)いて小金屋源兵衞が出にかゝる屏風の中で。
秋月「源兵衞源兵衞」
 と呼ばれ、源兵衞は不審な顔をして振反(ふりかえ)り、
源「誰だ……何方(どなた)でげす、私をお呼びなさるのは何方ですな」
秋「私(わし)じゃ、一寸(ちょっと)上(あが)れ、ま此方(こっち)へ入っても宜(よ)い、思い掛ない処で会ったな」
源「何方(どなた)でげす」
 と屏風を開けて入り、其の人を見ると、秋月喜一郎という重役ゆえ、源兵衞は肝(きも)を潰(つぶ)し、胸にぎっくりと応(こた)えたが、素知(そし)らぬ体(てい)にて。
源「誠に思い掛ない処で、御機嫌宜しゅう」
秋「少し手前に尋ねたい事があって、急ぐか知らんが、同道しても宜しい、暫(しばら)く待ってくれ、少し問う事がある、源兵衞其の方は何ういう縁か、飴屋風情でお屋敷の出入町人となっている故、殿様の有難い辱(かたじけ)ないという事を思うなら、又此の方(ほう)が貴様を引廻しても遣(つか)わすが、真(しん)以て上(かみ)を有難いと心得てお出入をするか、それから先へ聞いて、後(あと)は緩(ゆっ)くり話そう」
源「へえ誠にどうも細い商いでございますが、御用向を仰付けられて誠に有難いことだ、冥加至極と存じまして、へえ結構な菓子屋や其の他(た)のお出入もある中にて、飴屋風情がお出入とは実に冥加至極と存じて居ります、殿様が有難くないなどゝ誰が其様(そん)なことを申しました」
秋「いや然(そ)うじゃアない、真に有難いと心得て居(お)るだろう」
源「それは仰しゃるまでもございません、此の後(のち)ともお引廻しを願いとう存じます」
秋「それでは源兵衞、手前が何(ど)の様(よう)に隠しても隠されん処の此方(こちら)に確かな証拠がある、隠さずに云え、じゃが手前は何ういう訳で斑猫(はんみょう)という毒虫を婆(ばゝ)に頼んで一疋六百ずつで買うか、それを聞こう」
 と源兵衞の顔を見詰めている中(うち)に、顔色(がんしょく)が変ってまいると、秋月喜一郎は態(わざ)とにや/\笑いかけました。



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