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邪宗門(じゃしゅうもん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-16 9:03:37  点击:  切换到繁體中文


        二十二

 急に眉をひそめたらしいけはいで、こう摩利信乃法師(まりしのほうし)が言(ことば)を挟みましたが、存外平太夫(へいだゆう)は恐れ入った気色(けしき)もなく、扇と舌と同じように働かせながら、
「成程さようでございましたな。平太夫も近頃はめっきり老耄(おいぼ)れたと見えまして、する事為す事ことごとく落度(おちど)ばかりでございます。いや、そう云う次第ならもうあなた様の御前(おまえ)では、二度と神仏の御名(みな)は口に致しますまい。もっとも日頃はこの老爺(おやじ)も、余り信心気(しんじんぎ)などと申すものがある方ではございません。それをただ今急に、観世音菩薩などと述べ立てましたのは、全く久しぶりで御目にかかったのが、嬉しかったからでございます。そう申せば姫君も、幼馴染のあなた様が御(ご)無事でいらっしゃると御聞きになったら、どんなにか御喜びになる事でございましょう。」と、ふだん私どもに向っては、返事をするのも面倒そうな、口の重い容子(ようす)とは打って変って、勢いよく、弁じ立てました。これにはあの摩利信乃法師も、返事のしようさえなさそうにしばらくはただ、頷(うなず)いてばかりいるようでございましたが、やがてその姫君と云う言(ことば)を機会(しお)に、
「さてその姫君についてじゃが、予は聊(いささ)か密々に御意(ぎょい)得たい仔細(しさい)がある。」と、云って、一段とまた声をひそめながら、
「何と平太夫、その方の力で夜分なりと、御目にかからせてはくれまいか。」
 するとこの時橋の上では、急に扇の音が止んでしまいました。それと同時に私の甥は、危く欄干の方を見上げようと致しましたが、元より迂闊(うかつ)な振舞をしては、ここに潜んでいる事が見露(みあらわ)されないものでもございません。そこでやはり河原蓬(かわらよもぎ)の中を流れて行く水の面(おもて)を眺めたまま、息もつかずに上の容子へ気をくばって居りました。が、平太夫は今までの元気に引き換えて、容易に口を開きません。その間の長さと申しましたら、橋の下の私の甥(おい)には、体中の筋骨(すじぼね)が妙にむず痒(がゆ)くなったくらい、待ち遠しかったそうでございます。
「たとい河原とは申しながら、予も洛中に住まうものじゃ。堀川の殿がこの日頃、姫君のもとへしげしげと、通わるる趣も知っては居(お)る。――」
 やがてまた摩利信乃法師は、相不変(あいかわらず)もの静かな声で、独り言のように言(ことば)を継(つ)ぐと、
「が、予は姫君が恋しゅうて、御意(ぎょい)得たいと申すのではない。予の業欲(ごうよく)に憧るる心は、一度唐土(ひとたびもろこし)にさすらって、紅毛碧眼の胡僧(こそう)の口から、天上皇帝の御教(みおしえ)を聴聞(ちょうもん)すると共に、滅びてしもうた。ただ、予が胸を痛めるのは、あの玉のような姫君も、この天地(あめつち)を造らせ給うた天上皇帝を知られぬ事じゃ。されば、神と云い仏(ほとけ)と云う天魔外道(てんまげどう)の類(たぐい)を信仰せられて、その形になぞらえた木石にも香花(こうげ)を供えられる。かくてはやがて命終(めいしゅう)の期(ご)に臨んで、永劫(えいごう)消えぬ地獄の火に焼かれ給うに相違ない。予はその事を思う度に、阿鼻大城(あびたいじょう)の暗の底へ逆落しに落ちさせらるる、あえかな姫君の姿さえありありと眼に浮んで来るのじゃ。現に昨夜(ゆうべ)も。――」
 こう云いかけて、あの沙門はさも感慨に堪えないらしく、次第に力の籠って来た口をしばらくの間とざしました。

        二十三

「昨晩(ゆうべ)、何かあったのでございますか。」
 ほど経て平太夫(へいだゆう)が、心配そうに、こう相手の言(ことば)を促しますと、摩利信乃法師(まりしのほうし)はふと我に返ったように、また元の静な声で、一言(ひとこと)毎に間を置きながら、
「いや、何もあったと申すほどの仔細はない。が、予は昨夜(ゆうべ)もあの菰(こも)だれの中で、独りうとうとと眠って居(お)ると、柳の五つ衣(ぎぬ)を着た姫君の姿が、夢に予の枕もとへ歩みよられた。ただ、現(うつつ)と異ったは、日頃つややかな黒髪が、朦朧と煙(けぶ)った中に、黄金(こがね)の釵子(さいし)が怪しげな光を放って居っただけじゃ。予は絶えて久しい対面の嬉しさに、『ようこそ見えられた』と声をかけたが、姫君は悲しげな眼を伏せて、予の前に坐られたまま、答えさえせらるる気色(けしき)はない。と思えば紅(くれない)の袴の裾に、何やら蠢(うごめ)いているものの姿が見えた。それが袴の裾ばかりか、よう見るに従って、肩にも居(お)れば、胸にも居る。中には黒髪の中にいて、えせ笑うらしいものもあった。――」
「と仰有っただけでは解(げ)せませんが、一体何が居ったのでございます。」
 この時は平太夫も、思わず知らず沙門(しゃもん)の調子に釣り込まれてしまったのでございましょう。こう尋ねました声ざまには、もうさっきの気負った勢いも聞えなくなって居りました。が、摩利信乃法師は、やはりもの思わしげな口ぶりで、
「何が居ったと申す事は、予自身にもしかとはわからぬ。予はただ、水子(みずご)ほどの怪しげなものが、幾つとなく群って、姫君の身のまわりに蠢(うごめ)いているのを眺めただけじゃ。が、それを見ると共に、夢の中ながら予は悲しゅうなって、声を惜まず泣き叫んだ。姫君も予の泣くのを見て、頻(しきり)に涙を流される。それが久しい間続いたと思うたが、やがて、どこやらで鶏(とり)が啼いて、予の夢はそれぎり覚めてしもうた。」
 摩利信乃法師がこう語り終りますと、今度は平太夫も口を噤(つぐ)んで、一しきりやめていた扇をまたも使い出しました。私の甥はその間中鉤(はり)にかかった鮠(はえ)も忘れるくらい、聞き耳を立てて居りましたが、この夢の話を聞いている中は、橋の下の涼しさが、何となく肌身にしみて、そう云う御姫様の悲しい御姿を、自分もいつか朧げに見た事があるような、不思議な気が致したそうでございます。
 その内に橋の上では、また摩利信乃法師の沈んだ声がして、
「予はその怪しげなものを妖魔(ようま)じゃと思う。されば天上皇帝は、堕獄の業(ごう)を負わせられた姫君を憐れと見そなわして、予に教化(きょうげ)を施せと霊夢を賜ったのに相違ない。予がその方の力を藉りて、姫君に御意得たいと申すのは、こう云う仔細があるからじゃ。何と予が頼みを聞き入れてはくれまいか。」
 それでもなお、平太夫はしばらくためらっていたようでございますが、やがて扇をつぼめたと思うと、それで欄干を丁(ちょう)と打ちながら、
「よろしゅうございます。この平太夫はいつぞや清水(きよみず)の阪の下で、辻冠者(つじかんじゃ)ばらと刃傷(にんじょう)を致しました時、すんでに命も取られる所を、あなた様の御かげによって、落ち延びる事が出来ました。その御恩を思いますと、あなた様の仰有(おっしゃ)る事に、いやと申せた義理ではございません。摩利(まり)の教とやらに御帰依なさるか、なさらないか、それは姫君の御意次第でございますが、久しぶりであなた様の御目にかかると申す事は、姫君も御嫌(おいや)ではございますまい。とにかく私の力の及ぶ限り、御対面だけはなされるように御取り計らい申しましょう。」

        二十四

 その密談の仔細を甥の口から私が詳しく聞きましたのは、それから三四日たったある朝の事でございます。日頃は人の多い御屋形の侍所(さむらいどころ)も、その時は私共二人だけで、眩(まば)ゆく朝日のさした植込みの梅の青葉の間からは、それでも涼しいそよ風が、そろそろ動こうとする秋の心もちを時々吹いて参りました。
 私の甥はその話を終ってから、一段と声をひそめますと、
「一体あの摩利信乃法師(まりしのほうし)と云う男が、どうして姫君を知って居(お)るのだか、それは元より私にも不思議と申すほかはありませんが、とにかくあの沙門(しゃもん)が姫君の御意を得るような事でもあると、どうもこの御屋形の殿様の御身の上には、思いもよらない凶変でも起りそうな不吉な気がするのです。が、このような事は殿様に申上げても、あの通りの御気象ですから、決して御取り上げにはならないのに相違ありません。そこで、私は私の一存で、あの沙門を姫君の御目にかかれないようにしようと思うのですが、叔父さんの御考えはどういうものでしょう。」
「それはわしも、あの怪しげな天狗法師などに姫君の御顔を拝ませたく無い。が、御主(おぬし)もわしも、殿様の御用を欠かぬ限りは、西洞院(にしのとういん)の御屋形の警護ばかりして居(お)る訳にも行かぬ筈じゃ。されば御主はあの沙門を、姫君の御身のまわりに、近づけぬと云うたにした所で。――」
「さあ。そこです。姫君の思召しも私共には分りませんし、その上あすこには平太夫(へいだゆう)と云う老爺(おやじ)も居りますから、摩利信乃法師が西洞院の御屋形に立寄るのは、迂闊(うかつ)に邪魔も出来ません。が、四条河原の蓆張(むしろば)りの小屋ならば、毎晩きっとあの沙門が寝泊りする所ですから、随分こちらの思案次第で、二度とあの沙門が洛中(らくちゅう)へ出て来ないようにすることも出来そうなものだと思うのです。」
「と云うて、あの小屋で見張りをしてる訳にも行くまい。御主(おぬし)の申す事は、何やら謎めいた所があって、わしのような年寄りには、十分に解(げ)し兼ねるが、一体御主はあの摩利信乃法師をどうしようと云う心算(つもり)なのじゃ。」
 私が不審(ふしん)そうにこう尋ねますと、私の甥はあたかも他聞を憚(はばか)るように、梅の青葉の影がさして居る部屋の前後へ目をくばりながら、私の耳へ口を附けて、
「どうすると云うて、ほかに仕方のある筈がありません。夜更けにでも、そっと四条河原へ忍んで行って、あの沙門の息の根を止めてしまうばかりです。」
 これにはさすがの私もしばらくの間は呆れ果てて、二の句をつぐ事さえ忘れて居りましたが、甥は若い者らしい、一図に思いつめた調子で、
「何、高があの通りの乞食(こつじき)法師です。たとい加勢の二三人はあろうとも、仕止めるのに造作(ぞうさ)はありますまい。」
「が、それはどうもちと無法なようじゃ。成程あの摩利信乃法師は邪宗門(じゃしゅうもん)を拡めては歩いて居ようが、そのほかには何一つ罪らしい罪も犯して居らぬ。さればあの沙門を殺すのは、云わば無辜(むこ)を殺すとでも申そう。――」
「いや、理窟はどうでもつくものです。それよりももしあの沙門が、例の天上皇帝の力か何か藉(か)りて、殿様や姫君を呪(のろ)うような事があったとして御覧なさい。叔父さん始め私まで、こうして禄を頂いている甲斐がないじゃありませんか。」
 私の甥は顔を火照(ほて)らせながら、どこまでもこう弁じつづけて、私などの申す事には、とんと耳を藉しそうな気色(けしき)さえもございません。――すると丁度そこへほかの侍たちが、扇の音をさせながら、二三人はいって参りましたので、とうとうこの話もその場限り、御流(おながれ)になってしまいました。

        二十五

 それからまた、三四日はすぎたように覚えて居ります。ある星月夜(ほしづくよ)の事でございましたが、私は甥(おい)と一しょに更闌(こうた)けてから四条河原へそっと忍んで参りました。その時でさえまだ私には、あの天狗法師を殺そうと云う心算(つもり)もなし、また殺す方がよいと云う気もあった訳ではございません。が、どうしても甥が初の目ろみを捨てないのと、甥を一人やる事がなぜか妙に気がかりだったのとで、とうとう私までが年甲斐もなく、河原蓬(かわらよもぎ)の露に濡れながら、摩利信乃法師(まりしのほうし)の住む小屋を目がけて、窺(うかが)いよることになったのでございます。
 御承知の通りあの河原には、見苦しい非人(ひにん)小屋が、何軒となく立ち並んで居りますが、今はもうここに多い白癩(びゃくらい)の乞食(こつじき)たちも、私などが思いもつかない、怪しげな夢をむすびながら、ぐっすり睡入(ねい)って居(お)るのでございましょう。私と甥とが足音を偸(ぬす)み偸み、静にその小屋の前を通りぬけました時も、蓆壁(むしろかべ)の後(うしろ)にはただ、高鼾(たかいびき)の声が聞えるばかり、どこもかしこもひっそりと静まり返って、たった一所(ひとところ)焚き残してある芥火(あくたび)さえ、風もないのか夜空へ白く、まっすぐな煙(けぶり)をあげて居ります。殊にその煙の末が、所斑(ところはだら)な天の川と一つでいるのを眺めますと、どうやら数え切れない星屑が、洛中の天を傾けて、一尺ずつ一寸ずつ、辷る音まではっきりと聞きとれそうに思われました。
 その中に私の甥は、兼ねて目星をつけて置いたのでございましょう、加茂川(かもがわ)の細い流れに臨んでいる、菰(こも)だれの小屋の一つを指さしますと、河原蓬の中に立ったまま、私の方をふり向きまして、「あれです。」と、一言(ひとこと)申しました。折からあの焚き捨てた芥火(あくたび)が、まだ焔の舌を吐いているそのかすかな光に透かして見ますと、小屋はどれよりも小さいくらいで、竹の柱も古蓆(ふるむしろ)の屋根も隣近所と変りはございませんが、それでもその屋根の上には、木の枝を組んだ十文字の標(しるし)が、夜目にもいかめしく立って居ります。
「あれか。」
 私は覚束(おぼつか)ない声を出して、何と云う事もなくこう問い返しました。実際その時の私には、まだ摩利信乃法師を殺そうとも、殺すまいとも、はっきりした決断がつかずにいたのでございます。が、そう云う内にも私の甥が、今度はふり向くらしい容子(ようす)もなく、じっとその小屋を見守りながら、
「そうです。」と、素っ気なく答える声を聞きますと、愈太刀(いよいよたち)へ血をあやす時が来たと云う、何とも云いようのない心もちで、思わず総身がわななきました。すると甥は早くも身仕度を整えたものと見えて、太刀の目釘を叮嚀に潤(しめ)しますと、まるで私には目もくれず、そっと河原を踏み分けながら、餌食(えじき)を覗う蜘蛛(くも)のように、音もなく小屋の外へ忍びよりました。いや全く芥火の朧げな光のさした、蓆壁にぴったり体をよせて、内のけはいを窺っている私の甥の後姿は、何となく大きな蜘蛛のような気味の悪いものに見えたのでございます。

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