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邪宗門(じゃしゅうもん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-16 9:03:37  点击:  切换到繁體中文



        二十九

 それ以来私どもは、よるとさわると、額を鳩(あつ)めて、摩利信乃法師(まりしのほうし)と中御門(なかみかど)の姫君とのいきさつを互に推量し合いながら、どうかしてあの天狗法師を遠ざけたいと、いろいろ評議を致しましたが、さて例の恐ろしい幻の事を思い出しますと、容易に名案も浮びません。もっとも甥(おい)の方は私より若いだけに、まだ執念深く初一念を捨てないで、場合によったら平太夫(へいだゆう)のしたように、辻冠者どもでも駆り集めたら、もう一度四条河原の小屋を劫(おびやか)そうくらいな考えがあるようでございました。所がその中に、思いもよらず、また私どもは摩利信乃法師の神変不思議な法力(ほうりき)に、驚くような事が出来たのでございます。
 それはもう秋風の立ち始めました頃、長尾(ながお)の律師様(りっしさま)が嵯峨(さが)に阿弥陀堂(あみだどう)を御建てになって、その供養(くよう)をなすった時の事でございます。その御堂(みどう)も只今は焼けてございませんが、何しろ国々の良材を御集めになった上に、高名(こうみょう)な匠(たくみ)たちばかり御召しになって、莫大(ばくだい)な黄金(こがね)も御かまいなく、御造りになったものでございますから、御規模こそさのみ大きくなくっても、その荘厳を極めて居りました事は、ほぼ御推察が参るでございましょう。
 別してその御堂供養(みどうくよう)の当日は、上達部殿上人(かんだちめてんじょうびと)は申すまでもなく、女房たちの参ったのも数限りないほどでございましたから、東西の廊に寄せてあるさまざまの車と申し、その廊廊の桟敷(さじき)をめぐった、錦の縁(へり)のある御簾(みす)と申し、あるいはまた御簾際になまめかしくうち出した、萩(はぎ)、桔梗(ききょう)、女郎花(おみなえし)などの褄(つま)や袖口の彩りと申し、うららかな日の光を浴びた、境内(けいだい)一面の美しさは、目(ま)のあたりに蓮華宝土(れんげほうど)の景色を見るようでございました。それから、廊に囲まれた御庭の池にはすきまもなく、紅蓮白蓮(ぐれんびゃくれん)の造り花が簇々(ぞくぞく)と咲きならんで、その間を竜舟(りゅうしゅう)が一艘(いっそう)、錦の平張(ひらば)りを打ちわたして、蛮絵(ばんえ)を着た童部(わらべ)たちに画棹(がとう)の水を切らせながら、微妙な楽の音(ね)を漂わせて、悠々と動いて居りましたのも、涙の出るほど尊げに拝まれたものでございます。
 まして正面を眺めますと、御堂(みどう)の犬防(いぬふせ)ぎが燦々と螺鈿(らでん)を光らせている後には、名香の煙(けぶり)のたなびく中に、御本尊の如来を始め、勢至観音(せいしかんのん)などの御(おん)姿が、紫磨黄金(しまおうごん)の御(おん)顔や玉の瓔珞(ようらく)を仄々(ほのぼの)と、御現しになっている難有(ありがた)さは、また一層でございました。その御仏(みほとけ)の前の庭には、礼盤(らいばん)を中に挟(はさ)みながら、見るも眩(まばゆ)い宝蓋の下に、講師読師(とくし)の高座がございましたが、供養(くよう)の式に連っている何十人かの僧どもも、法衣(ころも)や袈裟(けさ)の青や赤がいかにも美々しく入り交って、経を読む声、鈴(れい)を振る音、あるいは栴檀沈水(せんだんちんすい)の香(かおり)などが、その中から絶え間なく晴れ渡った秋の空へ、うらうらと昇って参ります。
 するとその供養のまっ最中、四方の御門の外に群って、一目でも中の御容子(ごようす)を拝もうとしている人々が、俄(にわか)に何事が起ったのか、見る見るどっとどよみ立って、まるで風の吹き出した海のように、押しつ押されつし始めました。

        三十

 この騒ぎを見た看督長(かどのおさ)は、早速そこへ駈けつけて、高々と弓をふりかざしながら、御門(ごもん)の中(うち)へ乱れ入った人々を、打ち鎮めようと致しました。が、その人波の中を分けて、異様な風俗の沙門(しゃもん)が一人、姿を現したと思いますと、看督長はたちまち弓をすてて、往来の遮(さまたげ)をするどころか、そのままそこへひれ伏しながら、まるで帝(みかど)の御出ましを御拝み申す時のように、礼を致したではございませんか。外の騒動に気をとられて、一しきりざわめき立った御門の中が、急にひっそりと静まりますと、また「摩利信乃法師(まりしのほうし)、摩利信乃法師」と云う囁き声が、丁度蘆(あし)の葉に渡る風のように、どこからともなく起ったのは、この時の事でございます。
 摩利信乃法師は、今日も例の通り、墨染の法衣(ころも)の肩へ長い髪を乱しながら、十文字の護符の黄金(こがね)を胸のあたりに燦(きらめ)かせて、足さえ見るも寒そうな素跣足(すはだし)でございました。その後(うしろ)にはいつもの女菩薩(にょぼさつ)の幢(はた)が、秋の日の光の中にいかめしく掲げられて居りましたが、これは誰か供のものが、さしかざしてでもいたのでございましょう。
「方々(かたがた)にもの申そう。これは天上皇帝の神勅を賜わって、わが日の本に摩利の教を布(し)こうずる摩利信乃法師と申すものじゃ。」
 あの沙門は悠々と看督長(かどのおさ)の拝に答えてから、砂を敷いた御庭の中へ、恐れげもなく進み出て、こう厳(おごそか)な声で申しました。それを聞くと御門の中は、またざわめきたちましたが、さすがに検非違使(けびいし)たちばかりは、思いもかけない椿事(ちんじ)に驚きながらも、役目は忘れなかったのでございましょう。火長(かちょう)と見えるものが二三人、手に手を得物提(えものひっさ)げて、声高(こわだか)に狼藉(ろうぜき)を咎めながら、あの沙門へ走りかかりますと、矢庭に四方から飛びかかって、搦(から)め取ろうと致しました。が、摩利信乃法師は憎さげに、火長たちを見やりながら、
「打たば打て。取らば取れ。但(ただし)、天上皇帝の御罰は立ち所に下ろうぞよ。」と、嘲笑(あざわら)うような声を出しますと、その時胸に下っていた十文字の護符が日を受けて、眩(まぶし)くきらりと光ると同時に、なぜか相手は得物を捨てて、昼雷(ひるかみなり)にでも打たれたかと思うばかり、あの沙門の足もとへ、転(まろ)び倒れてしまいました。
「如何に方々。天上皇帝の御威徳は、ただ今目(ま)のあたりに見られた如くじゃ。」
 摩利信乃法師は胸の護符を外して、東西の廊へ代る代る、誇らしげにさしかざしながら、
「元よりかような霊験(れいげん)は不思議もない。そもそも天上皇帝とは、この天地(あめつち)を造らせ給うた、唯一不二(ゆいいつふじ)の大御神(おおみかみ)じゃ。この大御神を知らねばこそ、方々はかくも信心の誠を尽して、阿弥陀如来なんぞと申す妖魔(ようま)の類(たぐい)を事々しく、供養せらるるげに思われた。」
 この暴言にたまり兼ねたのでございましょう。さっきから誦経(ずきょう)を止めて、茫然と事の次第を眺めていた僧たちは、俄(にわか)にどよめきを挙げながら、「打ち殺せ」とか「搦(から)め取れ」とかしきりに罵り立てましたが、さて誰一人として席を離れて、摩利信乃法師を懲(こら)そうと致すものはございません。

        三十一

 すると摩利信乃法師(まりしのほうし)は傲然と、その僧たちの方を睨(ね)めまわして、
「過てるを知って憚(はばか)る事勿(ことなか)れとは、唐国(からくに)の聖人も申された。一旦、仏菩薩の妖魔たる事を知られたら、※(「勹<夕」、第3水準1-14-76)々(そうそう)摩利の教に帰依あって、天上皇帝の御威徳を讃(たた)え奉るに若(し)くはない。またもし、摩利信乃法師の申し条に疑いあって、仏菩薩が妖魔か、天上皇帝が邪神か、決定(けつじょう)致し兼ぬるとあるならば、いかようにも法力(ほうりき)を較(くら)べ合せて、いずれが正法(しょうぼう)か弁別申そう。」と、声も荒らかに呼ばわりました。
 が、何しろただ今も、検非違使(けびいし)たちが目(ま)のあたりに、気を失って倒れたのを見て居(お)るのでございますから、御簾(みす)の内も御簾の外も、水を打ったように声を呑んで、僧俗ともに誰一人、進んであの沙門の法力を試みようと致すものは見えません。所詮は長尾(ながお)の僧都(そうず)は申すまでもなく、その日御見えになっていらしった山の座主(ざす)や仁和寺(にんなじ)の僧正(そうじょう)も、現人神(あらひとがみ)のような摩利信乃法師に、胆(きも)を御挫(くじ)かれになったのでございましょう。供養の庭はしばらくの間、竜舟(りゅうしゅう)の音楽も声を絶って、造り花の蓮華にふる日の光の音さえ聞えたくらい、しんと静まり返ってしまいました。
 沙門はそれにまた一層力を得たのでございましょう。例の十文字の護符をさしかざして、天狗(てんぐ)のように嘲笑(あざわら)いますと、
「これはまた笑止千万な。南都北嶺とやらの聖(ひじり)僧たちも少からぬように見うけたが、一人(ひとり)としてこの摩利信乃法師と法力を較べようずものも現れぬは、さては天上皇帝を始め奉り、諸天童子の御神光(ごしんこう)に恐れをなして、貴賤老若(ろうにゃく)の嫌いなく、吾が摩利の法門に帰依し奉ったものと見える。さらば此場において、先ず山の座主(ざす)から一人一人灌頂(かんちょう)の儀式を行うてとらせようか。」と、威丈高(いたけだか)に罵りました。
 所がその声がまだ終らない中に、西の廊からただ一人、悠然と庭へ御下りになった、尊げな御僧(ごそう)がございます。金襴(きんらん)の袈裟(けさ)、水晶の念珠(ねんず)、それから白い双の眉毛――一目見ただけでも、天(あめ)が下(した)に功徳無量(くどくむりょう)の名を轟かせた、横川(よかわ)の僧都(そうず)だと申す事は疑おうようもございません。僧都は年こそとられましたが、たぶたぶと肥え太った体を徐(おもむろ)に運びながら、摩利信乃法師の眼の前へ、おごそかに歩みを止めますと、
「こりゃ下郎(げろう)。ただ今もその方が申す如く、この御堂(みどう)供養の庭には、法界(ほっかい)の竜象(りゅうぞう)数を知らず並み居られるには相違ない。が、鼠に抛(なげう)つにも器物(うつわもの)を忌(い)むの慣い、誰かその方如き下郎(げろう)づれと、法力の高下を競わりょうぞ。さればその方は先ず己を恥じて、※(「勹<夕」、第3水準1-14-76)々(そうそう)この宝前を退散す可き分際ながら、推して神通(じんずう)を較べようなどは、近頃以て奇怪至極(きっかいしごく)じゃ。思うにその方は何処(いずこ)かにて金剛邪禅(こんごうじゃぜん)の法を修した外道(げどう)の沙門と心得る。じゃによって一つは三宝の霊験(れいげん)を示さんため、一つはその方の魔縁に惹(ひ)かれて、無間地獄(むげんじごく)に堕ちようず衆生(しゅじょう)を救うてとらさんため、老衲(ろうのう)自らその方と法験(ほうげん)を較べに罷(まか)り出(いで)た。たといその方の幻術がよく鬼神を駆り使うとも、護法の加護ある老衲には一指を触るる事すらよも出来まい。されば仏力(ぶつりき)の奇特(きどく)を見て、その方こそ受戒致してよかろう。」と、大獅子孔(だいししく)を浴せかけ、たちまち印(いん)を結ばれました。

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