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不思議な島(ふしぎなしま)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-17 14:47:39  点击:  切换到繁體中文

底本: 芥川龍之介全集5
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1987(昭和62)年2月24日
入力に使用: 1995(平成7)年4月10日第6刷
校正に使用: 1996(平成8)年7月15日第7刷


底本の親本: 筑摩全集類聚版芥川龍之介全集
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月

 

僕は籐(とう)の長椅子(ながいす)にぼんやり横になっている。目の前に欄干(らんかん)のあるところをみると、どうも船の甲板(かんぱん)らしい。欄干の向うには灰色の浪(なみ)に飛び魚か何か閃(ひらめ)いている。が、何のために船へ乗ったか、不思議にもそれは覚えていない。つれがあるのか、一人なのか、その辺(へん)も同じように曖昧(あいまい)である。
 曖昧と云えば浪の向うも靄(もや)のおりているせいか、甚だ曖昧を極めている。僕は長椅子に寝ころんだまま、その朦朧(もうろう)と煙(けぶ)った奥に何があるのか見たいと思った。すると念力(ねんりき)の通じたように、見る見る島の影が浮び出した。中央に一座の山の聳えた、円錐(えんすい)に近い島の影である。しかし大体の輪郭(りんかく)のほかは生憎(あいにく)何もはっきりとは見えない。僕は前に味をしめていたから、もう一度見たいと念じて見た。けれども薄い島の影は依然として薄いばかりである。念力も今度は無効だったらしい。
 この時僕は右隣(みぎどなり)にたちまち誰かの笑うのを聞いた。
「はははははは、駄目(だめ)ですね。今度は念力もきかないようですね。はははははは。」
 右隣の籐椅子(とういす)に坐っているのは英吉利(イギリス)人らしい老人である。顔は皺(しわ)こそ多いものの、まず好男子と評しても好(い)い。しかし服装はホオガスの画(え)にみた十八世紀の流行である。Cocked hat と云うのであろう。銀の縁(ふち)のある帽子(ぼうし)をかぶり、刺繍(ぬいとり)のある胴衣(チョッキ)を着、膝ぎりしかないズボンをはいている。おまけに肩へ垂れているのは天然(てんねん)自然の髪の毛ではない。何か妙な粉(こな)をふりかけた麻色(あさいろ)の縮(ちぢ)れ毛の鬘(かずら)である。僕は呆気(あっけ)にとられながら、返事をすることも忘れていた。
「わたしの望遠鏡(ぼうえんきょう)をお使いなさい。これを覗(のぞ)けばはっきり見えます。」
 老人は人の悪い笑い顔をしたまま、僕の手に古い望遠鏡を渡した。いつかどこかの博物館に並んでいたような望遠鏡である。
「オオ、サンクス。」
 僕は思わず英吉利(イギリス)語を使った。しかし老人は無頓着(むとんじゃく)に島の影を指さしながら、巧みに日本語をしゃべりつづけた。その指さした袖(そで)の先にも泡のようにレエスがはみ出している。
「あの島はサッサンラップと云うのですがね。綴りですか? 綴りはSUSSANRAPです。一見(いっけん)の価値のある島ですよ。この船も五六日は碇泊(ていはく)しますから、ぜひ見物にお出かけなさい。大学もあれば伽藍(がらん)もあります。殊に市(いち)の立つ日は壮観ですよ。何しろ近海の島々から無数の人々が集まりますからね。……」
 僕は老人のしゃべっている間(あいだ)に望遠鏡を覗いて見た。ちょうど鏡面(きょうめん)に映(うつ)っているのはこの島の海岸の市街(まち)であろう。小綺麗(こぎれい)な家々の並んだのが見える。並木の梢(こずえ)に風のあるのが見える。伽藍(がらん)の塔の聳えたのが見える。靄(もや)などは少しもかかっていない。何もかもことごとくはっきりと見える。僕は大いに感心しながら、市街(まち)の上へ望遠鏡を移した。と同時に僕の口はあっと云う声を洩らしそうになった。
 鏡面には雲一つ見えない空に不二(ふじ)に似た山が聳えている。それは不思議でも何でもない。けれどもその山は見上げる限り、一面に野菜に蔽(おお)われている。玉菜(たまな)、赤茄子(あかなす)、葱(ねぎ)、玉葱(たまねぎ)、大根(だいこん)、蕪(かぶ)、人参(にんじん)、牛蒡(ごぼう)、南瓜(かぼちゃ)、冬瓜(とうがん)、胡瓜(きゅうり)、馬鈴薯(ばれいしょ)、蓮根(れんこん)、慈姑(くわい)、生姜(しょうが)、三つ葉――あらゆる野菜に蔽われている。蔽われている? 蔽わ――そうではない。これは野菜を積み上げたのである。驚くべき野菜のピラミッドである。
「あれは――あれはどうしたのです?」
 僕は望遠鏡を手にしたまま、右隣の老人をふり返った。が、老人はもうそこにいない。ただ籐の長椅子の上に新聞が一枚抛(ほう)り出してある。僕はあっと思った拍子(ひょうし)に脳貧血か何か起したのであろう。いつかまた妙に息苦しい無意識の中に沈んでしまった。

       ×          ×          ×

「どうです、見物はすみましたか?」
 老人は気味の悪い微笑をしながら、僕の側へ腰をおろした。
 ここはホテルのサロンであろう。セセッション式の家具を並べた、妙にだだっ広い西洋室である。が、人影(ひとかげ)はどこにも見えない。ずっと奥に見えるリフトも昇(のぼ)ったり降(くだ)ったりしている癖に、一人も客は出て来ないようである。よくよくはやらないホテルらしい。
 僕はこのサロンの隅の長椅子に上等のハヴァナを啣(くわ)えている。頭の上に蔓(つる)を垂らしているのは鉢植えの南瓜(かぼちゃ)に違いない。広い葉の鉢を隠したかげに黄いろい花の開いたのも見える。
「ええ、ざっと見物しました。――どうです、葉巻は?」
 しかし老人は子供のようにちょいと首を振ったなり、古風な象牙(ぞうげ)の嗅煙草(かぎたばこ)入れを出した。これもどこかの博物館に並んでいたのを見た通りである。こう云う老人は日本は勿論(もちろん)、西洋にも今は一人もあるまい。佐藤春夫(さとうはるお)にでも紹介してやったら、さぞ珍重(ちんちょう)することであろう。僕は老人に話しかけた。
「町のそとへ一足(ひとあし)出ると、見渡す限りの野菜畑ですね。」
「サッサンラップ島の住民は大部分野菜を作るのです。男でも女でも野菜を作るのです。」
「そんなに需要があるものでしょうか?」
「近海の島々へ売れるのです。が、勿論売れ残らずにはいません。売れ残ったのはやむを得ず積み上げて置くのです。船の上から見えたでしょう、ざっと二万呎(フィイト)も積み上っているのが?」
「あれがみんな売れ残ったのですか? あの野菜のピラミッドが?」
 僕は老人の顔を見たり、目ばかりぱちぱちやるほかはなかった。が、老人は不相変(あいかわらず)面白そうにひとり微笑している。
「ええ、みんな売れ残ったのです。しかもたった三年の間にあれだけの嵩(かさ)になるのですからね。古来の売れ残りを集めたとしたら、太平洋も野菜に埋(うず)まるくらいですよ。しかしサッサンラップ島の住民は未だに野菜を作っているのです。昼も夜も作っているのです。はははははは、我々のこうして話している間(あいだ)も一生懸命に作っているのです。はははははは、はははははは。」
 老人は苦しそうに笑い笑い、茉莉花(まつりか)の匂(におい)のするハンカチイフを出した。これはただの笑いではない。人間の愚(ぐ)を嘲弄(ちょうろう)する悪魔の笑いに似たものである。僕は顔をしかめながら、新しい話題を持ち出すことにした。
 僕「市(いち)はいつ立つのですか?」
 老人「毎月必ず月はじめに立ちます。しかしそれは普通の市ですね。臨時の大市(おおいち)は一年に三度、――一月と四月と九月とに立ちます。殊に一月は書入れの市ですよ。」
 僕「じゃ大市の前は大騒ぎですね?」
 老人「大騒ぎですとも。誰でも大市に間(ま)に合うように思い思いの野菜を育てるのですからね。燐酸肥料(りんさんひりょう)をやる、油滓(あぶらかす)をやる、温室へ入れる、電流を通じる、――とてもお話にはなりません。中にはまた一刻も早く育てようとあせった挙句(あげく)、せっかく大事にしている野菜を枯らしてしまうものもあるくらいです。」
 僕「ああ、そう云えば野菜畑にきょうも痩(や)せた男が一人、気違いのような顔をしたまま、『間(ま)に合わない、間に合わない』と駈けまわっていました。」
 老人「それはさもありそうですね。新年の大市も直(じき)ですから。――町にいる商人も一人(ひとり)残らず血眼(ちまなこ)になっているでしょう。」
 僕「町にいる商人と云うと?」
 老人「野菜の売買をする商人です。商人は田舎(いなか)の男女の育てた野菜畑の野菜を買う、近海の島々から来た男女はそのまた商人の野菜を買う、――と云う順序になっているのです。」
 僕「なるほど、その商人でしょう、これは肥(ふと)った男が一人、黒い鞄(かばん)をかかえながら、『困る、困る』と云っているのを見ました。――じゃ一番売れるのはどう云う種類の野菜ですか?」
 老人「それは神の意志ですね。どう云うものとも云われません。年々(ねんねん)少しずつ違うようですし、またその違う訣(わけ)もわからないようです。」
 僕「しかし善いものならば売れるでしょう?」
 老人「さあ、それもどうですかね。一体野菜の善悪は片輪(かたわ)のきめることになっているのですが、……」
 僕「どうしてまた片輪などがきめるのです?」
 老人「片輪は野菜畑へ出られないでしょう。従ってまた野菜も作れない、それだけに野菜の善悪を見る目は自他の別を超越(ちょうえつ)する、公平の態度をとることが出来る、――つまり日本の諺(ことわざ)を使えば岡目八目(おかめはちもく)になる訣(わけ)ですね。」
 僕「ああ、その片輪の一人ですね。さっき髯(ひげ)の生えた盲(めくら)が一人、泥だらけの八(や)つ頭(がしら)を撫(な)でまわしながら、『この野菜の色は何とも云われない。薔薇(ばら)の花の色と大空の色とを一つにしたようだ』と云っていましたよ。」

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