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二つの手紙(ふたつのてがみ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-17 14:48:52  点击:  切换到繁體中文

底本: 芥川龍之介全集1
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1986(昭和61)年9月24日
入力に使用: 1995(平成7)年10月5日第13刷
校正に使用: 1997(平成9)年4月15日第14刷


底本の親本: 筑摩全集類聚版芥川龍之介全集
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月

 

ある機会で、しもに掲げる二つの手紙を手に入れた。一つは本年二月中旬、もう一つは三月上旬、――警察署長の許へ、郵税先払さきばらいで送られたものである。それをここへ掲げる理由は、手紙自身が説明するであろう。

     第一の手紙

 ――警察署長閣下かっか
 先ず何よりも先に、閣下はわたくし正気しょうきだと云う事を御信じ下さい。これ私があらゆる神聖なものに誓って、保証致します。ですから、どうか私の精神に異常がないと云う事を、御信じ下さい。さもないと、私がこの手紙を閣下に差上げる事が、全く無意味になるおそれがあるのでございます。そのくらいなら、私は何を苦しんで、こんな長い手紙を書きましょう。
 閣下、私はこれを書く前に、ずいぶん躊躇ちゅうちょ致しました。何故なにゆえかと申しますと、これを書く以上、私は私一家の秘密をも、閣下の前に暴露しなければならないからでございます。勿論それは、私の名誉にとって、かなり大きな損害に相違ございません。しかし事情はこれを書かなければ、もう一刻の存在も苦痛なほど、切迫して参りました。ここで私は、ついに断乎たる処置を執る事に、致したのでございます。
 そう云う必要に迫られて、これを書いた私が、どうして、狂人扱いをされて、黙って居られましょう。私はもう一度、ここに改めてお願い致します。閣下、どうか私の正気だと云う事を御信用下さい。そうして、この手紙を御面倒ながら、御一読下さい。これは私が、私と私の妻との名誉をして、書いたものでございますから。
 かような事を、くどく書きつづけるのは、繁忙な職務を御鞅掌ごおうしょうになる閣下にとって、余りに御迷惑を顧みない仕方かも知れません。しかし、私のしもに申上げようとする事実の性質上、閣下が私の正気だと云う事を御信用になるのは、どうしても必要でございます。さもなければ、どうしてこの超自然な事実を、御承認になる事が出来ましょう。どうして、この創造的精力の奇怪な作用を、可能視なさる事が出来ましょう。それほど、私が閣下の御留意を請いたいと思う事実には不可思議な性質が加わっているのでございます。ですから、私は以上のお願いを敢て致しました。なおこれから書く事も、あるいは冗漫じょうまんそしりを免れないものかも知れません。しかし、これは一方では私の精神に異状がないと云う事を証明すると同時に、また一方ではこう云う事実も古来決して絶無ではなかったと云う事をお耳に入れるために、幾分の必要がありはしないかと、思われるのでございます。
 歴史上、最も著名な実例の一つは、恐らくカテリナ女帝に現われたものでございましょう。それからまた、ゲエテに現れた現象も、やはりそれに劣らず著名なものでございます。が、これらは、余り人口に膾炙かいしゃしすぎて居りますから、ここにはわざと申上げません。私は、それより二三の権威ある実例によって、出来るだけ手短てみじかに、この神秘の事実の性質を御説明申したいと思います。まず Dr. Werner の与えている実例から、始めましょう。彼によりますと、ルウドウィッヒスブルクの Ratzel と云う宝石商は、ある夜まちの角をまがる拍子に、自分と寸分もちがわない男と、ばったり顔を合せたそうでございます。その男は、のち間もなく、木樵きこりが※(「木+解」、第3水準1-86-22)の木を伐り倒すのに手を借して、その木の下に圧されて歿くなりました。これによく似ているのは、ロストックで数学の教授をしていた Becker に起った実例でございましょう。ベッカアはある夜五六人の友人と、神学上の議論をして、引用書が必要になったものでございますから、それをとりに独りで自分の書斎へ参りました。すると、彼以外の彼自身が、いつも彼のかける椅子いすに腰をかけて、何か本を読んでいるではございませんか。ベッカアは驚きながら、その人物の肩ごしに、読んでいる本を一瞥いちべつ致しました。本はバイブルで、その人物の右手の指は「なんじの墓を用意せよ。爾は死すべければなり」と云う章を指さして居ります。ベッカアは友人のいる部屋へ帰って来て、一同に自分の死の近づいた事を話しました。そうして、そのことば通り、翌日の午後六時に、静に息をひきとりました。
 これで見ると、Doppelgaenger の出現は、死を予告するように思われます。が、必ずしもそうばかりとは限りません。Dr. Werner は、ディレニウス夫人と云う女が、六歳になる自分の息子と夫の妹と三人で、黒い着物を着た第二の彼女自身を見た時に、何も変事の起らなかった事を記録しています。これはまた、そう云う現象が、第三者の眼にも映じると云う、実例になりましょう。Stilling 教授が挙げているトリップリンと云うワイマアルの役人の実例や、彼の知っているなにがしM夫人の実例も、やはり、この部類に属すべきものではございませんか。
 更に進んで、第三者のみに現れたドッペルゲンゲルの例を尋ねますと、これもまた決してまれではございません。現に Dr. Werner 自身もその下女が二重人格を見たそうでございます。次いで、ウルムの高等裁判所長の Pflzer と申す男は、その友人の官吏が、ゲッティンゲンにいる息子の姿を、自分の書斎で見たと云う事実に、確かな証明を与えて居ります。そのほか、「幽霊の性質に関する探究」の著者が挙げて居りますカムパアランドのカアクリントン教会区で、七歳の少女がその父の二重人格を見たと云う実例や「自然の暗黒面」の著者が挙げて居りますHぼうと云う科学者で芸術家だった男が、千七百九十二年三月十二日の夜、その叔父の二重人格を見たと云う実例などを数えましたら、恐らくそれは、おびただしいすうに上る事でございましょう。
 私はさし当り、これ以上実例を列挙して、貴重なる閣下の時間を浪費おさせ申そうとは致しますまい。ただ、閣下は、これらが皆疑うべからざる事実だと云う事を、御承知下さればよろしゅうございます。さもないと、あるいは私の申上げようとする事が、全然とりとめのない、馬鹿げた事のように思召おぼしめすかも知れません。何故なにゆえかと申しますと、私も、私自身のドッペルゲンゲルに苦しまされているものだからでございます。そうして、その事に関して、いささか閣下にお願いの筋があるからでございます。
 私は私自身のドッペルゲンゲルと書きました。が、詳しく云えば、私及私の妻のドッペルゲンゲルと申さなくてはなりません。私は当区――町――丁目――番地居住、佐々木信一郎ささきしんいちろうと申すものでございます。年齢は三十五歳、職業は東京帝国文科大学哲学科卒業後、引続き今日まで、私立――大学の倫理及英語の教師を致して居ります。妻ふさ子は、丁度四年以前に、私と結婚致しました。当年二十七歳になりますが、子供はまだ一人ひとりもございません。ここで私が特に閣下の御注意を促したいのは、妻にヒステリカルな素質があると云う事でございます。これは結婚前後が最もはなはだしく、一時は私とさえほとんどことばを交えないほど、憂鬱になった事もございましたが、近年は発作ほっさも極めて稀になり、気象も以前に比べれば、余程快活になって参りました。所が、昨年の秋からまた精神に何か動揺が起ったらしく、この頃では何かと異常な言動を発して、私をくるしめる事も少くはございません。ただ、私が何故なにゆえ妻のヒステリイを力説するか、それはこの奇怪な現象に対する私自身の説明と、ある関係があるからで、その説明については、いずれ後で詳しく申上る事に致しましょう。
 さて、私及私の妻に現れたドッペルゲンゲルの事実は、どんなものかと申しますと、大体においてこれまでに三度ございました。今それを一つずつ私の日記を参考として、出来るだけ正確に、ここへ記載して御覧に入れましょう。
 第一は、昨年十一月七日、時刻はほぼ午後九時と九時三十分との間でございます。当日私は妻と二人で、有楽座の慈善演芸会へ参りました。打明けた御話をすれば、その会の切符は、それを売りつけられた私の友人夫婦が何かの都合で行かれなくなったために、私たちの方へ親切にもまわしてくれたのです。演芸会そのものの事は、別にくだくだしく申上げる必要はございません。また実際音曲おんぎょくにも踊にも興味のない私は、云わば妻のために行ったようなものでございますから、プログラムの大半はいたずらに私の退屈を増させるばかりでございました。従って、申上げようと思ったと致しましても、全然その材料を欠いているような始末でございます。ただ、私の記憶によりますと、仲入りの前は、寛永かんえい御前仕合ごぜんしあいと申す講談でございました。当時の私の思量に、異常な何ものかを期待する、準備的な心もちがありはしないかと云う懸念けねんは、寛永御前仕合の講談を聞いたと云うこの一事でも一掃されは致しますまいか。
 私は、仲入りに廊下ろうかへ出ると、すぐに妻を一人残して、小用こようを足しに参りました。申上げるまでもなく、その時分には、もう廻りの狭い廊下が、人で一ぱいになって居ります。私はその人の間を縫いながら、便所から帰って参りましたが、あの弧状になっている廊下が、玄関の前へ出る所で、予期した通り私の視線は、向うの廊下の壁によりかかるようにして立っている、妻の姿に落ちました。妻は、明い電燈の光がまぶしいように、つつましく伏眼ふしめになりながら、私の方へ横顔を向けて、静に立っているのでございます。が、それに別に不思議はございません。私が私の視覚の、同時にまた私の理性の主権しゅけんを、ほとんど刹那に粉砕しようとする恐ろしい瞬間にぶつかったのは、私の視線が、偶然――と申すよりは、人間の知力を超越した、ある隠微な原因によって、その妻のかたわらに、こちらをうしろにして立っている、一人の男の姿に注がれた時でございました。

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