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文芸的な、余りに文芸的な(ぶんげいてきな、あまりにぶんげいてきな)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-17 14:56:50  点击:  切换到繁體中文



     二十二 近松門左衛門

 僕は谷崎潤一郎、佐藤春夫の両氏と一しよに久しぶりに人形芝居を見物した。人形は役者よりも美しい。ことに動かずにゐる時は綺麗きれいである。が、人形を使つてゐる黒ん坊と云ふものは薄気味悪い。現にゴヤは人物の後に度たびああ云ふものをつけ加へた。僕等も或はああ云ふものに、――無気味な運命にられてゐるのであらう。……
 けれども僕の言ひたいのは人形よりも近松門左衛門である。僕は小春こはる治兵衛ぢへゑを見てゐるうちに今更のやうに近松を考へ出した。近松は写実主義者西鶴に対し、理想主義者の名を博してゐる。僕は近松の人生観を知らない。近松は或は天を仰いで僕等の小を歎いてゐたであらう。或は又天気模様を考へては明日の入りを気遣つてゐたであらう。しかしそれは今日では誰も知らないことは確かである。唯近松の浄瑠璃じやうるりを見れば、近松は決して理想主義者ではない。理想主義者では――理想主義者とは一体何であらう? 西鶴は文芸上の写実主義者である。同時に又人生観上の現実主義者である。(少くとも作品によれば)しかし文芸上の写実主義者は必ずしも人生観上の現実主義者ではない。いや、「マダム・ボヴアリイ」を書いた作家は文芸上にも又ロマン主義者だつた。若し夢を求めることをロマン主義と呼ぶとすれば、近松も亦ロマン主義者であらう。しかし又一面にはやはりたくましい写実主義者である。「小春治兵衛」の河内屋かはちやから鴈治郎がんぢらうの姿を抹殺せよ。(この為には文楽を見ることである。)そのあとに残るものは何でもない、人生の隅々へ目の届いた写実主義的戯曲である。成程そこには元禄時代の抒情詩もまじつてゐるのに違ひない。が、この抒情詩を持つてゐるものをロマン主義者と呼ぶとすれば、――ド・リイル・ラダンの言葉に偽りはない。僕等は阿呆でないとすれば、いづれもロマン主義者になる訣である。
 元禄時代の戯曲的手法は今日よりも多少自然ではない。しかし元禄時代以後の戯曲的手法よりもはるかに小細工を用ひないものである。かう云ふ手法にわづらはされないとすれば、「小春治兵衛」は心理描写の上には決して写実主義を離れてゐない。近松は彼等の官能主義やイゴイズムにも目を注いでゐる。いや、彼等の中にある何か不思議なものにも目につけてゐる。彼等を死に導いたものは必ずしも太兵衛たへゑの悪意ではない。おさん親子の善意も亦やはり彼等を苦しませてゐる。
 近松は度々日本のシエクスピイアに比せられてゐる。それは在来の諸家の説よりも或は一層シエクスピイア的かも知れない。第一に近松はシエクスピイアのやうに殆ど理智を超越してゐる。(ラテン人種の戯曲家モリエエルの理智を想起せよ。)それから又戯曲の中に美しい一行をき散らしてゐる。最後に悲劇の唯中にも喜劇的場景を点出してゐる。僕は炬燵こたつの場の乞食坊主を見ながら、何度も名高い「マクベス」の中の酔つ払ひの姿を思ひ出した。
 近松の世話ものは高山樗牛以来、時代ものの上に置かれてゐる。が、近松は時代ものの中にもロマン主義者に終始したのではない。これも亦多少シエクスピイア的である。シエクスピイアは羅馬ロオマの都に時計を置いて顧みなかつた。近松も時代を無視してゐることはシエクスピイア以上である。のみならず神代かみよの世界さへことごとく元禄時代の世界にした。それ等の人物も心理描写の上には存外しばしば写実主義的である。たとへば「日本振袖始にほんふりそではじめ」さへ、巨旦こたん蘇旦そたん兄弟の争ひは全然世話もの中の一場景と変りはない。しかも巨旦の妻の気もちや父を殺した後の巨旦の気もちは恐らくは現世にも通用するであらう。まして素戔嗚すさのをみことの恋愛などは恐れながら有史以来少しも変らない××である。
 近松の時代ものは世話ものよりも勿論荒唐無稽くわうたうむけいである。しかしその為に世話ものにない「美しさ」のあつたことは争はれない。たとへば日本の南部の海岸に偶然漂つて来た船の中に支那美人のゐる場景を想像せよ。(国姓爺合戦こくせんやかつせん)それは僕等自身の異国趣味にも未だに或満足を与へるであらう。
 高山樗牛は不幸にもこれ等の特色を無視してゐる。近松の時代ものは世話ものよりも必しも下にあるものではない。唯僕等は封建時代の市井しせいを比較的身近に感じてゐる。元禄時代の河庄かはしやうは明治時代の小待合に近い。小春は、――殊に役者の扮する小春は明治時代の芸者に似たものである。かう云ふ事実は近松の世話ものに如実によじつと云ふ感じを与へ易い。しかし何百年か過ぎ去つた後、――即ち封建時代の市井さへ夢の中の夢に変つた後、近松の浄瑠璃をふり返つて見れば、僕等は時代ものの必ずしも下にゐないことを見出すであらう。のみならず時代ものは一面にはやはり世話ものと同時代の大名の生活を描いてゐる。しかもその世話ものほど如実と云ふ感じを与へないのは封建時代の社会制度の僕等を大名の生活とは縁の遠いものにしてゐる為である。九重ここのへの雲の中にいらせられる御一人さへ不思議にも近松の浄瑠璃じやうるりを愛読し給うた。それは近松の出身によるか、或は又市井の出来事に好奇心を持たれた為かも知れない。しかし近松の時代ものに元禄時代の上流階級を感じられなかつたとも限らないのである。
 僕は人形芝居を見物しながら、こんなことを考へてゐた。人形芝居は衰へてゐるらしい。のみならず浄瑠璃も原作通りに語つてゐないと云ふことである。しかし僕には芝居よりもはるかに興味の深いものだつた。

     二十三 模倣

 紅毛人は日本人の模倣に長じてゐることを軽蔑してゐる。のみならず日本人の風俗や習慣(或は道徳)の滑稽であることを軽蔑してゐる。僕は堀口九万一くまいち氏の紹介した「雪さん」と云ふフランス小説の梗概かうがいを読み、(「女性」三月号所載)今更のやうにこの事実を考へ出した。
 日本人は模倣に長じてゐる。僕等の作品も紅毛人の作品の模倣であることは争はれない。しかし彼等も僕等のやうにやはり模倣に長じてゐる。ホイツスラアは油画の上に浮世画を模倣をしなかつたか? いや、彼等は彼等同志もやはり模倣し合つてゐる。更に又過去にさかのぼれば、大いなる支那は彼等の為にどの位先例を示したであらう? 彼等は或は彼等の模倣は「消化」であると云ふかも知れない。若し「消化」であると云ふならば、僕等の模倣も亦「消化」である。同じ水墨すゐぼくを以てしても、日本の南画は支那の南画ではない。のみならず僕等は往来の露店に言葉通り豚カツを消化してゐる。
 しかも模倣を便宜とすれば、模倣するのに勝ることはない。僕等は先祖伝来の名刀をふるひながら、彼等のタンクや毒瓦斯ガスと戦ふ必要を認めないものである。しかも物質的文明はたとひ必要のない時にさへ、おのづから模倣をひずには措かない。現に古代には軽羅けいらをまとつた希臘ギリシヤ羅馬ロオマ等の暖国の民さへ、今では北狄ほくてきの考案した、寒気に堪へるのに都合の善い洋服と云ふものを用ひてゐる。
 僕等の風俗や習慣の彼等に滑稽に見えるのもやはり少しも不思議ではない。彼等は僕等の美術には――殊に工芸美術にはとうに多少の賞讃をしてゐる。それは唯のあたりに見ることの出来る為と言はなければならぬ。僕等の感情や思想などは、必ずしも容易に見えるものではない。江戸末期の英吉利イギリス公使だつた Sir Rutherford Alcock はきうゑてゐる子供を見、如何に僕等は迷信の為にみづから苦めてゐるかと嘲笑した。僕等の風俗や習慣の中に潜んだ感情や思想は今日でも、――小泉八雲やぐもを出した今日でもやはり彼等には不可解である。彼等は僕等の風俗や習慣を勿論笑はずにはゐられないであらう。同時に又彼等の風俗や習慣もやはり僕等には可笑をかしいのである。たとへばエドガア・ポオは酒飲みだつた為に(或は酒飲みだつたかどうかと云ふ為に)永年死後の名声を落してゐた。「李白りはく一斗詩百篇」を誇る日本ではかう云ふことは可笑しいと云ふ外はない。この互に軽蔑し合ふことは避け難い事実とは云ふものの、やはり悲しむべき事実である。のみならず僕等は僕等自身の中にもかう云ふ悲劇を感じないことはない。いや、僕等の精神的生活は大抵は古い僕等に対する新しい僕等の戦ひである。
 しかし僕等は彼等よりも幾分か彼等を了解してゐる。(これは或は僕等にはむしろ不名誉なことかも知れない。)彼等は僕等に一顧いつこも与へてゐない。僕等は彼等には未開人である。しかも日本に住んでゐる彼等は必ずしも彼等を代表するものではない。恐らくは世界を支配する彼等のサムプルとするにも足りないものであらう。が、僕等は丸善のある為に多少彼等の魂を知つてゐることは確かである。
 なほ又次手ついでにつけ加へれば、彼等も亦本質的にはやはり僕等と異つてゐない。僕等は(彼等も一しよにした)皆世界と云ふ箱船に乗つた人間獣の一群である。しかもこの箱船の中は決して明るいものではない。殊に僕等日本人の船室はたびたび大地震に見舞はれるのである。
 堀口九万一氏の紹介は生憎あいにくまだ完結してゐない。のみならず氏の加へる筈の批評も載つてゐないのである。が、僕はそれだけにも、ふとこんなことを考へた為にとりあへずペンを走らせることにした。

     二十四 代作の弁護

「古代の画家は少からず傑出した弟子を持つてゐる。が、近代の画家は持つてゐない。それは彼等の金の為に、或は高遠な理想の為に弟子を教へる為である。古代の画家の弟子を教へたのは代作をさせるつもりだつた。従つて彼等の技巧上の秘密もことごとく弟子に伝へたのである。弟子の傑出したのも不思議ではない。」――かう云ふサミユエル・バツトラアの言葉は一面には真実を語つてゐる。天賦の才はその為にばかり勿論生まれて来るものではない。しかし又その為に促されることも多いであらう。僕はこの頃フロオベエルのモオパスサンを教へるのにどの位深切をつくしたかを知つた。(彼はモオパスサンの原稿を読んでやる時、連続した二つの文章の同じ構造であるのさへやかましく言つた。)しかしそれは何びとにも望むことの出来るものではない。(弟子に才能のある場合にしても)
 今日の日本は芸術さへ大量生産を要求してゐる。のみならず作家自身にしても、大量生産をしない限り、衣食することも容易ではない。しかし量的向上は大抵質的低下である。すると古人の行つたやうに弟子に代作させることも或は幾多の才人を生ずることになるかも知れない。封建時代の戯作者げさくしやは勿論、明治時代の新聞小説家も全然この便法を用ひなかつたのではなかつた。美術家は、――たとへばロダンはやはり部分的には彼の作品を弟子に作らせてゐたのである。
 かう云ふ伝統を持つた代作は或は今後は行はれるかも知れない。のみならずそれは必ずしも一時代の芸術を俗悪にするとも限らないのである。弟子はテクニイクををさめた後、勿論独立しても差支ない。が、或は二代目、三代目と襲名しふめいすることも出来るであらう。
 僕はまだ不幸にも代作して貰ふ機会を持つてゐない。が、他人の作品を代作出来る自信は持つてゐる。唯一つむづかしいことには他人の作品を代作するのは自作するよりも手間どるに違ひない。

     二十五 川柳

川柳せんりう」は日本の諷刺詩である。しかし「川柳」の軽視せられるのは何も諷刺詩である為ではない。寧ろ「川柳」と云ふ名前の余りに江戸趣味を帯びてゐる為に何か文芸と云ふよりも他のものに見られる為である。古い川柳の発句ほつくに近いことは或は誰も知つてゐるかも知れない。のみならず発句も一面には川柳に近いものを含んでゐる。その最も著しい例は「鶉衣うづらごろも」(?)の初板にある横井也有やいうの連句であらう。あの連句はポルノグラフイツクな川柳集――「末摘花すゑつむはな」と選ぶ所はない。

安どもらひの蓮のあけぼの

 かう云ふ川柳の発句に近いことは誰でも認めずにゐられないであらう。(蓮は勿論造花の蓮である。)のみならず後代の川柳も全部俗悪と云ふことは出来ない。それ等も亦封建時代の町人の心を――彼等の歓びや悲しみを諧謔かいぎやくの中に現してゐる。若しそれ等を俗悪と云ふならば、現世の小説や戯曲も亦同様に俗悪と云はなければならぬ。
 小島政二郎氏は前に川柳の中の官能的描写を指摘した。後代は或は川柳の中の社会的苦悶くもんを指摘するかも知れない。僕は川柳には門外漢である。が、川柳も抒情詩や叙事詩のやうにいつかフアウストの前を通るであらう、尤も江戸伝来の夏羽織か何かひつかけながら。

心より詩人わが
喜ばむことを君知るや。
一人だに聞くことを
願はぬことばを歌はしめよ。


     二十六 詩形

 お伽噺とぎばなしの王女は城の中に何年も静かに眠つてゐる。短歌や俳句を除いた日本の詩形もやはりお伽噺の王女と変りはない。万葉集の長歌はしばらく問はず、催馬楽さいばらも、平家物語も、謡曲も、浄瑠璃も韻文ゐんぶんである。そこには必ず幾多の詩形が眠つてゐるのに違ひない。唯別行に書いただけでも、謡曲はおのづから今日の詩に近い形を現はすのである。そこには必ず僕等の言葉に必然な韻律のあることであらう。(今日の民謡と称するものは少くとも大部分は詩形上都々逸どどいつと変りはない。)この眠つてゐる王女を見出すだけでも既に興味の多い仕事である。まして王女を目醒めざませることをや。
 尤も今日の詩は――更に古風な言葉を使へば、新体詩はおのづからかう云ふ道に歩みを運んでゐるかも知れない。又今日の感情を盛るのに昨日の詩形は役立たないであらう。しかし僕は過去の詩形を必ずしも踏襲たふしふしろと言ふのではない。唯それ等の詩形の中に何か命のあるものを感ずるのである。同時に又その何かを今よりも意識的につかめと言ひたいのである。
 僕等は皆どう云ふ点でも烈しい過渡時代に生をけてゐる。従つて矛盾に矛盾を重ねてゐる。光は――少くとも日本では東よりも西から来るかも知れない。が、過去からも来るわけである。アポリネエルたちの連作体の詩は元禄時代の連句に近いものである。のみならず数等完成しないものである。この王女を目醒まさせることは勿論誰にも出来ることではない。が、一人のスウインバアンさへ出れば――と云ふよりも更に大力量の一人の「片歌の道守り」さへ出れば……
 日本の過去の詩の中には緑いろのものが何か動いてゐる。何か互に響き合ふものが――僕はその何かを捉へることは勿論、その何かを生かすことも出来ないものの一人であらう。しかしその何かを感じてゐることは必ずしも人後に落ちないつもりである。こんなことは文芸上或は末の末のことかも知れない。唯僕はその何かに――ぼんやりした緑いろの何かに不思議にも心をかれるのである。

     二十七 プロレタリア文芸

 僕等は時代を超越することは出来ない。のみならず階級を超越することも出来ない。トルストイは女の話をする時には少しも猥褻わいせつを嫌はなかつた。それは又ゴルキイを辟易へきえきさせるのに足るものだつた。ゴルキイはフランク・ハリスとの問答の中に「わたしはトルストイよりも礼儀を重んじてゐる。若しトルストイを学んだとしたらば、彼等はそれをわたしの素性すじやうの為と――百姓育ちの為と解釈するであらう」と正直に衷情ちゆうじやうを話してゐる。ハリスは又その言葉に「ゴルキイの未だに百姓であることはこの点に――即ち百姓育ちをぢる点に露はれてゐる」と註してゐる。
 中産階級の革命家を何人も生んでゐるのは確かである。彼等は理論や実行の上に彼等の思想を表現した。が、彼等の魂は果して中産階級を超越してゐたであらうか? ルツテルは羅馬加特力ロオマカトリツク教に反逆した。しかも彼の仕事を妨げる悪魔の姿を目撃した。彼の理智は新しかつたであらう。しかし彼の魂はやはり羅馬加特力教の地獄を見ずにはゐられなかつたのである。これは宗教の上ばかりではない。社会制度の上でも同じことである。
 僕等は僕等の魂に階級の刻印を打たれてゐる。のみならず僕等を拘束するものは必ずしも階級ばかりではない。地理的にも大は日本から小は一市一村に至る僕等の出生地も拘束してゐる。その他遺伝や境遇等も考へれば、僕等は僕等自身の複雑であることに驚嘆せずにはゐられないであらう。(しかも僕等を造つてゐるものはいづれも僕の意識の中に登つて来るとは限らないのである。)
 カアル・マルクスは暫らく問はず、古来の女子参政権論者はいづれも良妻を伴つてゐた。科学上の産物さへかう云ふ条件を示してゐるとすれば、芸術上の作品は――殊に文芸上の作品はあらゆる条件を示してゐるわけである。僕等はそれぞれ異つた天気の下やそれぞれ異つた土の上に芽を出した草と変りはない。同時に又僕等の作品も無数の条件を具へた草の実である。若し神の目に見るとすれば、僕等の作品の一篇に僕等の全生涯を示してゐるのであらう。
 プロレタリア文芸は――プロレタリア文芸とは何であらう? 勿論第一に考へられるのはプロレタリア文明の中に花を開いた文芸である。これは今日の日本にはない。それから次に考へられるものはプロレタリアの為に闘ふ文芸である。これは日本にもないことはない。(若しスウイツルでも隣国だつたとすれば、或はもつと生まれたであらう。)第三に考へられるはコムミユニズムやアナアキズムの主義を持つてゐないにもせよ、プロレタリア的魂を根柢にした文芸である。第二のプロレタリア文芸は勿論第三のプロレタリア文芸と必ずしも両立しないものではない。しかし若し多少でも新しい文芸を生ずるとすれば、それはこのプロレタリア的魂の生んだ文芸でなければならぬ。
 僕は隅田川の川口に立ち、帆前船ほまへせん達磨船だるませんの集まつたのを見ながら今更のやうに今日の日本に何の表現も受けてゐない「生活の詩」を感じずにはゐられなかつた。かう云ふ「生活の詩」をうたひ上げることはかう云ふ生活者を待たなければならぬ。少くともかう云ふ生活者にずつと同伴してゐなければならぬ筈である。コムミユニズムやアナアキズムの思想を作品の中に加へることは必ずしもむづかしいことではない。が、その作品の中に石炭のやうに黒光りのする詩的荘厳を与へるものは畢竟ひつきやうプロレタリア的魂だけである。年少で死んだフイリツプは正にかう云ふ魂の持ち主だつた。
 フロオベエルは「マダム・ボヴアリイ」にブウルジヨアの悲劇を描き尽した。しかしブウルジヨアに対するフロオベエルの軽蔑は「マダム・ボヴアリイ」を不滅にしない。「マダム・ボヴアリイ」を不滅にするものは唯フロオベエルの手腕だけである。フイリツプはプロレタリア的魂の外にもきたへこんだ手腕を具へてゐる。するとどう云ふ芸術家も完成を目ざして進まなければならぬ。あらゆる完成した作品は方解石のやうに結晶したまま、僕等の子孫の遺産になるのである。たとひ風化作用を受けるにしても。

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