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病院の窓(びょういんのまど)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-21 16:20:54  点击:  切换到繁體中文


どうも御苦勞、何なら家へ歸つて一つ汗でも取つて見給へ。大事にせんと良くないから。』
『ハア、それぢや今日だけ御免蒙りますからねす。』と云つて、出來るだけ元氣の無い樣に皆に挨拶して、編輯局を出た。眼をギラギラ光らして舌を出し乍ら、垢づいた首卷を卷いて居たが、階段を降りる時はまた顏を顰蹙しかめて、些と時計を見上げたなり、事務の人々には言葉もかけず戸外そとへ出て了つた。と、鈍い歩調あしどりで二三十歩、俛首うなだれて歩いて居たが、四角よつかどを右に曲つて、振顧ふりかへつてモウ社が見えない所に來ると、渠は遽かに顏を上げて、融けかかつたザクザクの雪を蹴散し乍ら、勢ひよく足を急がせて、二町の先に二階の見ゆる共立病院へ……
 解雇される心配も、血だらけな母の顏も、鈍い壓迫と共に消え去つて、勝誇つた樣ななまぐさい笑が其顏に漲つて居た

 四年以前、野村が初めて竹山を知つたのは、まだ東京に居た時分の事で、其頃渠は駿河臺のとある竹藪の崖に臨んだ、可成な下宿屋の離室はなれにゐた。
 今でも記憶おぼえて居る人があるか知れぬが、其頃竹山は詩里に居ながら、毎月二種か三種の東京の雜誌に詩を出して居て、若々しい感情を拘束もなく華やかな語に聯ねた其詩[#「詩」は底本では「誇」]――云ふ迄もなく、稚氣と模倣に富んでは居たが、當時の詩壇ではそれでも人の目を引いて、同じ道の人の間には、此年少詩人の前途に大きな星が光つてる樣に思ふ人もあつた。竹山自身も亦、押へきれぬ若い憧憬に胸をそゝのかされて、十九の秋に東京へ出た。渠が初めて選んだ宿は、かの竹藪の崖に臨んだ駿河臺の下宿であつた。
 某新聞の文界片信は、詩人竹山靜雨が上京して駿河臺に居を卜したが、近々其第一詩集を編輯するさうだと報じた。
 此新聞が縁になつて、野村は或日同縣出の竹山が自分と同じ宿に居る事を知つた。で、渠は早速名刺を女中に持たしてやつて、竹山に交際を求めた。最初の會見は、縁側近く四つ五つ實を持つた橙の樹のある、竹山の室で遂げられた。
 野村は或學校で支那語を修めたと云ふ事であつた。其頃も神田のある私塾で支那語の教師をして居て、よく、皺くちやになつたフロックコートを、朝から晩まで着て居た。外出する時は屹度中山高を冠つて、象牙の犬の頭のついた洋杖ステッキを、大輪に振つて歩くのが癖。
 其頃、一體が不氣味な顏であるけれども、まだ前科者に見せる程でもなく、ギラギラする眼にも若い光が殘つて居て、言語も今の樣にぞんざいでなく、國訛りの「ねす」を語尾につける事も無かつた。
 半月許りして其下宿屋は潰れた。公然の營業は罷めて、牛込は神樂坂裏の、或る閑靜な所に移つて素人下宿をやるといふ事になつて、五十人近い止宿人の中、願はれて、又願つて、一緒に移つたのが八人あつた。野村も竹山も其中に居た。
 野村は其頃頻りに催眠術に熱中して居て、何とか云ふ有名な術者に二ケ月もついて習つたとさへ云つて居た。竹山も時々不思議な實驗を見せられた。或時は其爲に野村に對して、一種の恐怖を抱いた事もあつた。
 渠は又、或教會に籍を置く基督信者クリスチャンで、新教を奉じて居ながらも、時々舊教の方が詩的で可いと云つて居た。竹山は、無論渠を眞摯な信仰のある人とも思はなかつたが、それでも机の上には常に讚美歌の本が載つて居て、(歌ふのは一度も聞かなかつたが、)皺くちやのフロックコートには、小形の聖書が何日でも衣嚢ポケットに入れてあつた。同じ教會の信者だといふハイカラな女學生が四五人、時々野村を訪ねて來た。其中の一人、背の低い、鼻まで覆被おつかぶさる程庇髮ひさしがみをつき出したのが、或時朝早く野村の室から出て便所へ行つた。「信者たる所以は彼處あそこだ!」と竹山は考へた事があつた。
 渠は又、時々短かい七五調の詩を作つて竹山に見せた。讚美歌まがひの、些とも新らしい所のないものであつたが、それでも時として、一句二句、錐の樣に胸を刺す所があつた。韻文にはかぬから小説を書いてみようと思ふと云ふのが渠の癖で、或時其書かうとして居る小説の結構を竹山に話した事もあつた。題も梗概も忘れて了つたが、肉と靈、實際と理想と、其四辻に立つて居る男だから、主人公の名は辻某とすると云つた事だけ竹山は記憶して居た。無論小説は、渠の胸の中で書かれて、胸の中で出版されて、胸の中で非常な好評を博して、到頭胸の中で忘られたのだ。一體が、机の前に坐る事のない男であつた。
 小説に書かうとした許りでなく、其詩に好んで題材とし、又其眞摯なる時によく話題に選ぶのは、常に「肉と靈との爭鬪あらそひ」と云ふ事であつた。肉と靈! 渠は何日いつでも次の樣な事を云つて居た。曰く、「最初の二人が罪を得て樂園を追放された爲に、人間が苦痛の郷、涙の谷に住むと云ふのは可いが、そんなら何故神は、人間をして更に幾多の罪惡を犯さしめる機關、即ち肉と云ふものを人間に與へたのだらう?」又或時渠は、不意に竹山の室の障子を開けて、恐ろしいものに襲はれた樣に、凄い位眼を光らして、顏一體を波立つ程苛々いら/\させ乍ら、「肉の叫び! 肉の叫び!」と云つて入つて來た事があつた。其頃の渠の顏は、今の樣に四六時中しよつちう痙攣ひきつけを起してる事は稀であつた。
 渠は大抵の時は煙草代にも窮してる樣であつた。が、時として非常な贅澤をした。日曜に教會へ行くと云つて出て行つて、夜になるとグデングデンに醉拂つて歸る事もあつた。
 竹山は毎日の樣に野村と顏を會せて居たに不拘、怎したものか餘り親しくはなかつた。却つて、駿河臺では野村と同じ室に居て、牛込へは時々遊びに來た渠の從弟といふ青年に心を許して居たが、其青年は、頗る率直な、眞摯な、冐險心に富んで、何日でもニコニコ笑つてる男であつたけれど、談一度野村の事に移ると、急に顏を曇らせて、「從兄には弱つて了ひます。」と云つて居た。
 渠は又時々、郷里にある自分の財産を親類が怎とかしたと云つて、其訴訟の手續を同宿の法學生に訊いて居た事があつた。それから、或時宿の女中の十二位なのに催眠術をけて、自分の室に閉鎖とぢこめて、半時間許りも何か小聲で頻りに訊ねて居た事があつた。隣室の人の洩れ聞いたんでは、何でも其財産問題に關した事であつたさうな。渠は平生、催眠術によつて過去の事は勿論、未來の事も豫言させる事が出來ると云つて居た。
 竹山の親しく見た野村良吉は、大略前述の樣のものであつたが、渠は同宿の人の間に頗る不信用であつた。野村は女學生をたらして弄んで、おまけに金を捲上げて居るとか、牧師の細君と怪しい關係を結んでるさうだとか、好からぬ噂のみ多い中に、お定と云つて豐橋在から來た、些と美しい女中が時々渠の室に泊るという事と、宿の主婦――三十二三で、細面の、眼の表情しほ滿干さしひきの烈しい、※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)どんな急がしい日でも髮をテカテカさして居る主婦おかみと、餘程前から通じて居るといふ事は、人々の間に殆んど確信されて居た。それから、其お定といふのが、或朝竹山の室の掃除に來て居て、二つ三つ戲談を云つてから、※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)こんな話をした事があつた。
『野村さんて、餘程面白い方ねえ。』
どうして?』
どうしてツて、ホホヽヽヽヽ。』
可笑をかしい事があるんか?』
『あのね、……駿河臺に居る頃は隨分だつたわ。』
『何が?』
『何がツて、時々淫賣なんか伴れ込んで泊めたのよ。』
※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)そんな事をしたのか、野村君は?』
『默つてらつしやいよ、貴方あなた。』と云つたが、『だけど、云つちや惡いわね。』
『マア云つて見るさ。口出しをして止すツて事があるもんか。』
何時いつだつたか、あの方が九時頃に醉拂つて歸つたのよ、お竹さんて人伴れて。え、其人は其時初めてよ。それも可いけど、突然いきなり、一緒に居た政男さん(從弟)に怒鳴りつけるんですもの、政男さんだつておこりますわねえ。恰度空いた室があつたから、其晩だけ政男さんは其方へおやすみになつたんですけど、朝になつたら面白いのよ。』
『馬鹿な、怎したい?』
『野村さんがお金を出したら、らないつて云ふんですつて、其お竹さんと云ふ人が。そしたらね、それぢやまた來いツて其儘歸したんですとさ。』
可笑をかしくもないぢやないか。』
『マお聞きなさいよ。そしたら其晩また來ましたの。野村さんは洋服なんか着込んでらつしやるから、見込をつけたらしいのよ。私其時取次に出たから明細すつかり見てやつたんですが、これ(と頭に手をやつて、)よりもモット前髮を大きく取つた銀杏返しに結つて、衣服きものは洗晒しだつたけど、可愛い顏してたのよ。尤も少し青かつたけど。』
『酷い奴だ。また泊めたのか?』
『默つてらつしやいよ、貴方あなた。そしたら野村さんが、鎌倉へ行つたから二三日歸らないツて云へと云ふんでせう。私可笑しくなつたから默つて上げてやらうかと思つたんですけどね。※(「口+云」、第3水準1-14-87)いひつかつた通り云ふとおとなしく歸つたのよ。それから主婦さんと私と二人で散々揶揄からかつてやつたら、マア野村さん酷い事云つたの。』と竹山の顏を見たが、『あの女は息が臭いから駄目なんですツて。』と云ふなり、疊に突伏して轉げ※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)つて笑つた。
 牛込に移つてから二月許り後の事、恰度師走上旬であつたが、野村は小石川の何とか云ふ町の坂の下の家とかを、月十五圓の家賃で借りて、「東京心理療院」と云ふ看板を出した。そして催眠術療法の效能を述立てた印刷物を二千枚とか市中に撒いたさうな。其後二度許り竹山を訪ねて來たが、一度はモウ節季近い凩の吹き荒れて、灰色の雲が低く軒を掠めて飛ぶ不快いやな日で、野村は「患者が一人も來ない。」と云つて悄氣しよげ返つて居た。其日は服裝も見すぼらしかつたし、云ふ事も「清い」とか「美しい」とか云ふ詞澤山の、神經質な厭世詩人みたいな事許りであつたが、珍らしくも小半日落着いて話した末、一緒に夕飯を食つて、歸りに些と許りの借りた金の申譯をして行つた。一番最後に來たのは、年が新らしくなつた四日目か五日目の事で、呂律の※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)らぬ程醉つて居たが、本郷に居ると許りで、詳しく住所を云はなかつた。歸りは雨が降り出したので竹山の傘を借りて行つたきり、それなりに二人は四年の間殆んど思出す事もなかつたのだ。が、唯一度、それから二月か三月以後の事だが、或日巡査が來て野村の事を詳しく調べて行つたと、下宿の主婦が話して居た事があつた。
 其四年間の渠の閲歴は知る由もない。渠自身も常に※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)そんな話をする事を避けて居たが、それでもチョイチョイ口に出るもので、四年前の渠が知つてなかった筈の土地の事が、何かの機會に話頭に上る。靜岡にも居た事があるらしく、雨の糸の木隱こがくれに白い日に金閣寺を見たといふから、京都にも行つたのであらう。石井孤兒院長に逢つた事があると云つて非常に敬服して居たから、岡山へも行つたらしい。取わけ竹山に想像を費さしたのは、横濱の棧橋に毎日行つて居た事があるといふ事と、其處の海員周旋屋の内幕に通曉して居た事であつた。鹿角群の鑛山は尾去澤も小坂もよく知つて居た。釧路へは船で來たんださうで、札幌小樽の事は知らなかつたが、此處で一月許りも、眞砂町の或蕎麥屋の出前持をして居たと云ふ事は、町で大抵の人が知つて居た。無論これは方々に職業を求めて求め兼ねた末の事であるが、或日曜日の事、不圖思附いて木下主筆を其自宅に訪問した。初めは人相の惡い奴だと思つたが、黒木綿の大分汚なくなつた袴を穿いて居たのが、蕎麥屋の出前持をする男には珍らしいと云ふので、偏狹者ひねくれものの主筆が買つてやつたのだと云ふ。
 主筆は時々、「野村君は支那語を知つてる癖に何故北海道あたりへ來たんだ?」と云ふが、其度渠は「支那人は臭くて可けません。」と云つた樣な答をして居た。

 北國の二月は暮れるに早い。四時半にはモウ共立病院の室々に洋燈ランプの光が華やぎ出して、上履うはぐつの辷る程拭込んだ廊下には食事の報知しらせの拍子木が輕い反響を起して響き渡つた。
 と、右側の或室から、さらでだに前屈みの身體を一層屈まして、垢着いた首卷に頤を埋めた野村が飛び出して來た。廣い玄關には洋燈ランプの光のみ眩しく照つて、人影も無い。渠は自暴糞やけくそに足を下駄に突懸けたが、下駄は飜筋斗もんどりを打つて三尺許り彼方に轉んだ。
 以前の室から、また二人廊下に現れた。洋服を着た男は悠然と彼方へ歩いて行つたが、モ一人は白い兎の跳る樣に驅けて來ながら、
『野村さん/\、先刻お約束したの忘れないでよ。』と甲高い聲で云つて玄關まで來たが、渠の顏を仰ぐ樣にして笑ひ乍ら、『今度だましたら承知しませんよ。眞實ほんとですよ、ねえ野村さん。』と念を推した。これは此病院で評判の梅野といふ看護婦であつた。
 渠は唯唸る樣な聲を出しただけで、チラと女の顏を見たつきり、凄じい勢ひで戸外そとへ出て了つた。落着かない眼が一層恐ろしくギラギラして、赤黒く脂ぎつた顏が例の烈しい痙攣ひきつけを起して居る。少なからず醉つて居るので、吐く呼氣いきは酒臭い。
 戸外はモウ人顏も定かならぬ程暗くなつて居た。ザクザクと融けた雪が上面だけ凍りかかつて、夥しく歩き惡い街路を、野村は寒さも知らぬ如く、自暴に昂奮した調子で歩き出した。
「何を約束したつたらう?」と考へる。何かしら持つて來て貸すと云つた! 本? 否俺は本など一册も持つて居ない。だが、確かに本の事だつた筈だ。何の本? 何の本だつて俺は持つて居ない。馬鹿な、マアどうでも可いさと口に出して呟いたが、何故なぜ※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)あんな事云つたらうとた考へる。
 渠は二時間の間此病院で過した。煙草を喫みたくなつた時、酒を飮みたくなつた時、若い女の華やいだ聲を聞きたくなつた時、渠は何日いつでも此病院へ行く。調劑室にも、醫員の室にも、煙草が常に卓子の上に備へてある。渠が、横山――左の蟀谷こめかみの上に二錢銅貨位な禿があつて、好んで新體詩の話などをする、二十五六のハイカラな調劑助手に強請ねだつて、赤酒の一杯二杯を美味うまさうに飮んで居ると、屹度誰か醫者が來て、私室へ伴れて行つて酒を出す。七人の看護婦の中、青ざめた看護婦長一人を除いては、皆、美しくないまでも、若かつた。若くないまでも、少くとも若々しい態度やうすをして居た。人間の手や足を切斷したり、脇腹を切開したりするのを、平氣で手傳つて二の腕まで血だらけにして居るやからであるから、何れも皆男といふ者を怖れて居ない。怖れて居ない許りか、好んで敗けず劣らず無駄口を叩く。中にも梅野といふのは、一番美しくて、一番お轉婆で、そして一番ハイカラで、實際は二十二だといふけれど、打見には十八位にしか見えなかつた。野村は一日として此三つの慾望に餓ゑて居ない日は無いので、一日として此病院を訪れぬ日はなかつた。
 渠が先づ入るのは、玄關の直ぐ右の明るい調劑室であつた。此室に居る時は、平生と打つて變つて渠は常に元氣づいて居る。新聞の材料は總て自分が供給する樣な話をする。如何なる事件にしろ、記事になるとならぬは唯自分一箇の手加減である樣な話をする。同僚の噂でも出ると、フフンと云つた調子で取合はぬ。渠は今日また頻りに※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)そんな話をして居たが、不圖小宮洋服店の事を思出した。が、渠はどうしたものか、それを胸の中で壓潰して了つて考へぬ樣にした。横山助手は、まだ半分しか出來ぬと云ふ『野菫』と題した新體詩を出して見せた。渠はズッとそれに目を通して、唯「成程」と云つたが、今自分が或非常な長篇の詩を書き始めて居ると云ふ事を話し出した。そして、それが少くとも六ケ月位かかる見込だが、首尾克く脱稿したら是非東京へ行つて出版する。僕の運命の試金石はそれです、と熱心に語つた。梅野は無論其傍に居た。彼女は調劑の方に※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)されて居るので。
 それから渠は小野山といふ醫者の室に伴れて行かれて、正宗とビールを出された。醫者は日本酒を飮まぬといふので、正宗の一本は殆ど野村一人で空にした。梅野とモ一人の看護婦が來て、林檎をたり、するめを燒いたりして呉れたが、小野山は院長から呼びに來て出て行くとモ一人の方の看護婦も立つた。渠は遽かに膝を立直して腕組をしたが、※(「りっしんべん+「夢」の「タ」に代えて「目」」、第4水準2-12-81)ぼうつとした頭腦を何かしら頻りに突つく。暫し無言で居た梅野が、「お酌をしませうか。」と云つて白い手を動かした時、野村の頭腦に火の樣な風が起つた。「オヤ、モウからになつてよ。」と女は瓶を倒した。野村は醉つて居たのである。
 少し話したい事があるから、と渠が云つた時、女は「さうですか。」と平氣な態度で立つた。二人は人の居ない診察所に入つた。
 煖爐ストーブは冷くなつて居た。うそ寒い冬の黄昏が白い窓掛カーテンの外に迫つて居て、モウ薄暗くなりかけた室の中に、種々器械の金具が侘し氣に光つて居る。人氣なき廣間に籠る藥の香に、梅野は先ず身慄ひを感じた。
『梅野さん、僕を、醉つてると思ひますか、醉はないで居ると思ひますか?』と云つて、野村は矢庭に女の腕を握つた。其聲は、恰も地震の間際に聞えるゴウと云ふ地鳴ぢなりに似て、低い、つやのない聲ではあつたが、恐ろしい力が籠つて居た。女は眼を圓くして渠を仰いだが、何とも云はぬ。
『僕の胸の中を察して下さい。』と、さも情に迫つた樣な聲を出して、堅く握つた女の腕を力委せに引寄せたと思ふと、酒臭い息が女の顏に亂れて、一方の手が肩に掛る。梅野は敏捷すばやく其手を擦り拔けて卓子テーブルの彼方へ逃げた。
 二人は小さい卓子テーブルを相隔てゝ向ひ合つた。渠は、右から、左から、再び女を捉へようと焦慮あせるけれど、女は其度男と反對の方へ動く、妙に落着拂つた其顏が、着て居る職服きものと見分けがつかぬ程眞白に見えて、明確さだかならぬ顏立の中に、瞬きもせぬ一双の眼だけが遠い空の星の樣。其顏と柔かな肩の辷りが廓然くつきりと白い輪廓を作つて、仄暗い藥の香の中に浮んで、右に左に動くのは、女でもない、人でもない、影でもなければ、幻でもない。若樹の櫻が時ならぬ雪の衣を着て、雪の重みに堪へかねて、ユラリユラリと搖れるのだ、ユラリユラリと動くのだ。が、野村の眼からは、唯モウ抱けば温かな柔かな、梅野でも誰でもない、推せば火が出る樣な女の肉體だけが見える。
 何分經つたか記憶が無い。その間に渠の頭腦は、表面だけ益々苛立いらだつて來て、底の底の方が段々空虚になつて來る樣な氣分になつた。それでも一生懸命女を捉へようと悶躁もがいて居たが、身體はブルブル顫へて居て、左の手をかけた卓子の上の、硝子瓶が二つ三つ、相觸れてカチカチと音を立てて居た。
 ガタリと扉が開いて、小野山が顏を出した。
『此處でしたか、何處へ行つたと思つたら。』
と、極りが惡さうにした顏に一寸眼を光らして、ヅカヅカ入つて來た。
どうしたんです。』と梅野へ。
『アッハハハ。』と、女は底拔な高い聲を出して笑つたが、モウ安心と云ふ樣に溜息を一つ吐いて、『野村さんが面白い事仰しやるもんですからね、私逃げて來たの。』
『何です、野村さん?』醫者は妙に笑つて野村を見た。野村は氣が拔けた樣に、石像の如く立つて、目には女を見た儘、身動みじろぎもせぬ。
『また催眠術をかけて呉れるからツて仰しやるの。』と女は引取つた。『そしたら私の行きたい所は何處へでも伴れてつて見せるし、逢ひたい人には誰にでも逢はせて下さるんですツて。だけど私、過日このあひだでモウ皆に笑はれて、懲々こり/\してるんですもの。ぢやけて下さいつて、だまして逃げて來たもんだから、野村さんに追驅けられたのよ』
さううでしたか』
 野村は、發作的に右の手を一寸前に出したが、
『アハハハ。ぢや此次にしませう、此次に、此次には屹度ですよ、屹度かけまよ。』と變に硬張こはゞつた聲で云つて、物凄く「アッハハ。」と笑つたが、何時持つて來たとも知れぬ卓子テーブルの上の首卷と帽子を取つて、首に捲くが早いか飛び出して來たのであつた。

 脈といふ脈を、アルコールが驅け※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)つて、血の循環がたぎり立つ程早い。さらでだに苛立勝いらだちがちの心が、タスカローラの底の泥まで濁らせる樣な大時化しけを喰つて、唯モウ無暗に神經が昂奮たかぶつて居る。野村は頤を深く首卷に埋めて、何處といふ目的もなく街から街へ※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)り歩いて居た。
 女は渠の意に隨はなかつた! 然し乍ら渠は、此侮辱を左程にいきどほつては居なんだ。醫者の小野山! 彼奴が惡い、失敬だ、人を馬鹿にしてる。何故アノ時顏を出しやがつたか。馬鹿な。俺に酒を飮ました。酒を飮ますのが何だ。失敬だ、不埒だ。用も無いのに俺を探す。默つて自分の室に居れば可いぢやないか。默つて看護婦長と乳繰合つて居れば可いぢやないか。看護婦? イヤ不圖したら、アノ、モ一人の奴が小野山に知らしたのぢやないか、と疑つたが、看護婦は矢張女で、小野山は男であつた。渠は如何なる時でも女を自分の味方と思つてる。如何なる女でも、時と處を得さへすれば、自分に抱かれる事を拒まぬものと思つて居る。且夫れ、よしや知らしたのは看護婦であるにしても、アノ時アノ室に突然入つて來て、自分の計畫を全然打壞したのは醫者の小野山に違ひない。小野山が不埒だ、小野山が失敬だ。彼奴は俺を馬鹿にしてる。……

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