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神鷺之巻(しんろのまき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 16:27:06  点击:  切换到繁體中文



       二

「――何だ、薙刀なぎなたというのは、――絵馬の――これか。」
 あの、爺い。口さきで人を薙刀に掛けたな。銑吉は御堂の格子を入って、床の右横の破欄間やれらんまにかかった、絵馬をて、ほっと息をきつつ微笑ほほえんだ。
 しかし、一口に絵馬とはいうが、入念じゅねん彩色さいしき、塗柄の蒔絵まきえに唐草さえある。もっとも年数のほども分らず、おさめぬしの文字などは見分けがつかない。けれども、塗柄を受けた服紗ふくさのようなものは、紗綾さやか、緞子どんすか、濃い紫をその細工ものに縫込んだ。
 武器は武器でも、念流、一刀流などの猛者もさの手を経たものではない。流儀の名の、しずかも優しい、婦人の奉納に違いない。
 眉も胸もなごやかになった。が、ここへ来てたたずむまで、銑吉は実は瞳を据え、唇をめて、驚破すわといわばの気構きがまえをしたのである。何より聞怯ききおじをした事は、いささかたりとも神慮に背くと、静流しずかりゅうがひらめくとともに、鼻をがるる、というのである。
 これは、生命いのちより可恐おそろしい。むかし、悪性あくしょう唐瘡とうがさを煩ったものが、かわやから出て、くしゃみをした拍子に、鼻が飛んで、鉢前をちょろちょろと這った、二十三夜講の、さきの話を思出す。――その鼻の飛んだ時、キャッと叫ぶと、顔の真中まんなかへ舌が出て、もげた鼻を追掛おっかけたというのである。鳥博士のは凍傷と聞いたが、結果はおなじい。
 鼻をそがれて、顔の真中へ舌が出たのでは、二度と東京が見られない。第一汽車に乗せなかろう。
 草生くさおいの坂を上る時は、日中ひなか三時さがり、やや暑さを覚えながら、幾度も単衣ひとえの襟を正した。

 銑吉は、寺を出る時、羽織を、観世音の御堂に脱いで、着流しで扇を持った。この形は、さんげ、さんげ、金剛杖こうごうづえで、お山に昇る力もなく、登山靴で、たけを征服するとかいう偉さもない。明神の青葉のとりでへ、見すぼらしく降参をするに似た。が、謹んでその方が無事でいい。
 石段もところどころ崩れ損じた、控綱のほしいほど急ではないが、段の数は、累々と畳まって、半身を、夏の雲にいた、と思うほど、そびえていた。
 ここに、思掛けなかったのは――不断ほとんど詣ずるもののない、無人むにんの境だと聞いただけに、蛇類のおそれ、雑草が伸茂って、道をおおうていそうだったのが、敷石が一筋、すっと正面の階段まで、常磐樹ときわぎの落葉さえ、五枚六枚数うるばかり、草をなびかして滑かに通った事であった。
 やがて近づく、御手洗みたらしの水は乾いたが、雪の白山はくさんの、故郷ふるさとの、氏神を念じて、御堂の姫の影を幻に描いた。
 すぐその御手洗のそばに、三抱みかかえほどなる大榎おおえのきの枝が茂って、檜皮葺ひわだぶきの屋根を、森々しんしんと暗いまで緑に包んだ、棟の鰹木かつおぎを見れば、まがうべくもない女神じょしんである。根上りの根の、たとえば黒い珊瑚碓さんごしょうのごとく、うずたかく築いて、青く白く、立浪たつなみを砕くように床の縁下へわだかまったのが、三間四面の御堂を、組桟敷のごとく、さながら枝の上に支えていて、下蔭はたちまち、ぞくりと寒い、根の空洞うつろに、清水があって、翠珠すいしゅたたえてくのが見える。
 銑吉はそこで手をきよめた。
 階段をしずかに――むしろそっと上りつつ、ハタと胸をいたのは、途中までは爺さんが一所に来るはずだった。鍵を、もし、じょうがささっていれば、扉はかない、と思ったのに、格子は押附けてはあるが、合せ目が浮いていた。なかの薄暗いのは、上の大樹の茂りであろう。及腰およびごしながら差覗さしのぞくと、廻縁まわりえんの板戸は、三方とも一二枚ずつとざしてない。
 手を扉にかけた。
 うちの、その真上に、薙刀なぎなたがかかっている筈である。
 そこで、銑吉がどんな可笑おかしふうをしたかは、およそ読者の想像さるる通りである。
「お通しを願います、失礼。」
 と云った。
 片扉、とって引くと、床も青く澄んでほがらか。

 絵馬を見て、たたずんで、いま、その心易さに莞爾にっこりとしたのである。
 思いも掛けず、袖を射て、稲妻が飛んだ。桔梗ききょう、萩、女郎花おみなえし一幅いっぷくの花野が水とともに床に流れ、露を縫った銀糸の照る、いろある女帯が目を打つと同時に、銑吉は宙を飛んで、階段を下へね落ちた。再びすそひるがえるのは、柄長き薙刀の刃尖はさきである。その稲妻が、雨のごとき冷汗をとおして、再び光った。
 次の瞬間、銑吉の身は、ほとんど本能的に大榎おおえのきの幹を小盾こだてに取っていた。
 どうも人間より蝉に似ている。堂の屋根うらを飛んで、樹へげたその形が。――そうして、少時しばらくして、青い顔の目ばかり樹の幹から出した処は、いよいよ似ている。
 柳の影を素膚すはだまとうたのでは、よもあるまい。よく似た模様をすらすらと肩もすそへ、腰には、淡紅ときの伊達巻ばかり。いまの花野の帯は、黒格子をほのかに、端がなびいて、婦人おんなは、頬のかかり頸脚えりあしの白く透通る、黒髪のうしろ向きに、ずり落ちたつまを薄く引き、ほとんど白脛しらはぎに消ゆるに近い薄紅の蹴出けだしを、ただなよなよとさばきながら、堂の縁の三方を、そのうしろ向きのまま、するするとき、よろよろとかえって、きつ戻りつしている。その取乱したふりの、あわただしいうちにも、なまめかしさは、姿の見えかくれる榎の根の荘厳に感じらるるのさえ、かえって露草の根の糸の、細く、やさしくそよもつれるように思わせつつ、堂の縁を往来ゆききした。が、後姿のままで、やがて、片扉開いた格子に、ひたと額をつけて、じっと留まると、華奢きゃしゃな肩で激しく息をした。髪がかもじのごとくさらさらと揺れた。その立って、踏みぐくめつつも乱れたすそに、細く白々と鳥の羽のような軽い白足袋の爪尖つまさきが震えたが、半身を扉に持たせ、半ばを取縋とりすがって、柄を高くついた、その薙刀がさかさまで……刃尖はさきが爪先を切ろうとしている。
 いくさは、銑吉が勝らしい。由来いかなる戦史、軍記にも、薙刀をさかさまについた方は負である。同時に、その刃尖が肉を削り、鮮血なまちかかとを染めて伝わりそうで、見る目も危い。
 青い蝉が、かなかなのような調子はずれの声を、
貴女あなた、貴女、誰方どなたにしましても、何事にしましても、危い、それは危い。怪我をします。怪我をします。気をおつけなさらないと。」
 髪を分けた頬を白く、手首とともに、一層扉に押当てて、
「あああ」
 とやさしい、うら若い、あどけないほどの、うけこたえとまでもない溜息を深くすると、
「小県さん――」
 えて、澄み、すこしかすれた細い声。が、これには銑吉が幹の支えを失って、手をはずして落ちようとした。堂の縁の女でなく、大榎のこずえから化鳥けちょうが呼んだように聞えたのである。
「……小県さん、ほんとうの小県さんですか。」
 この場合、声はまた心持れたようだが、やっぱり澄んで、はっきりした。
 夏はすだれ、冬はふすまを隔てた、ものごしは、人を思うには一段、ゆかしく懐しい。……聞覚えた以上であるが、それだけに、思掛けなさも、余りに激しい。――
 まだ人間に返り切れぬ。薙刀おびえの蝉は、少々震声ふるえごえして、
「小県ですよ、ほんとう以上の小県銑吉です、私です。――ここに居ますがね。……築地の、東京の築地の、お誓さん、きみこそ、いや、あなたこそ、ほんとうのお誓さんですか。」
「ええ、誓ですの、誓ですの、誓の身のはてなんですの。」
「あ、危い。」
 長刀なぎなた朽縁くちえんに倒れた。その刃のひらに、雪のたなそこを置くばかり、たよたよと崩折くずおれて、顔に片袖をおおうて泣いた。身の果と言う……身の果か。かくては、一城の姫か、うつくしい腰元の――敗軍には違いない――落人おちゅうどとなって、辻堂に※(「彳+淌のつくり」、第3水準1-84-33)※(「彳+羊」、第3水準1-84-32)さまよった伝説をのあたり、見るものの目に、幽窈ゆうよう玄麗げんれいの趣があって、娑婆しゃば近い事のようには思われぬ。
 話は別にある。今それを言うべき場合でない。築地の料理店梅水の娘分で、店はこの美人のためににぎわった。早くから銑吉の恋人である。勿論、その恋を得たのでもなければ、意を通ずるほどの事さえも果さないうちに、昨年の夏、梅水が富士の裾野へ暑中の出店をして、避暑かたがた、お誓がその店を預ったのを知っただけで、この時まで、その消息を知らなかった次第なのである。……
 その暑中の出店が、日光、軽井沢などだったら、雲のゆききのゆかりもあろう。ここは、関屋を五里六里、山路やまみち、野道を分入った僻村へきそんであるものを。――
 ――実は、銑吉は、これより先き、ふもとの西明寺の庫裡くりの棚では、大木魚の下に敷かれた、女持の提紙入ハンドバックを見たし、続いて、准胝観音じゅんでいかんのん御廚子みずしの前に、菩薩が求児擁護ぐうじようご結縁けちえんに、紅白の腹帯を据えた三方に、置忘れた紫の女扇子おうぎ銀砂子ぎんすなごはしに、「せい」としたのを見て、ぞっとした時さえ、ただはるかにその人の面影をしのんだばかりであったのに。
 かえって、木魚にされた提紙入には、美女の古寺の凌辱りょうじょくあやぶみ、三方の女扇子には、姙娠の婦人おんな生死しょうしを懸念して、別に爺さんに、うら問いもしたのであったが、爺さんは、耳をそらし、口を避けて、色ある二品ふたしなのいわれに触れるのさえいとうらしいので、そのまま黙した事実があった。
 ただ、あだには見過しがたい、その二品に対する心ゆかしと、帰路かえりには必ず立寄るべき心のしるしに、羽織を脱いで、寺にさし置いた事だけを――言い添えよう。
 いずれにしても、ここで、そのお誓に逢おうなどとは……たとえにこまった……間に合わせに、されば、箱根で田沢湖を見たようなものである。

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