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縷紅新草(るこうしんそう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-23 11:02:24  点击:  切换到繁體中文

底本: 泉鏡花集成9
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1996(平成8)年6月24日
入力に使用: 1996(平成8)年6月24日第1刷
校正に使用: 1996(平成8)年6月24日第1刷


底本の親本: 鏡花全集 第二十四巻
出版社: 岩波書店
初版発行日: 1940(昭和15)年6月30日

 

   一

あれあれ見たか、
  あれ見たか。
二つ蜻蛉とんぼが草の葉に、
かやつり草に宿をかり、
人目しのぶと思えども、
羽はうすものかくされぬ、
すきや明石あかしぢりめん、
肌のしろさも浅ましや、
白い絹地の赤蜻蛉。
雪にもみじとあざむけど、
世間稲妻、目が光る。
  あれあれ見たか、
    あれ見たか。


「おじさん――その提灯ちょうちん……」
「ああ、提灯……」
 唯今ただいま、午後二時半ごろ。
「私が持ちましょう、いしだん打撞ぶつかりますわ。」
 一肩上に立った、その肩もすそも、しなやかな三十ばかりの女房が、白い手を差向けた。
 お米といって、これはそのおじさん、辻町糸七――の従姉いとこで、一昨年おととし世を去ったお京の娘で、土地に老鋪しにせ塗師屋ぬしやなにがしの妻女である。
 でつけの水々しく利いた、おとなしい、しずか円髷まるまげで、頸脚えりあしがすっきりしている。雪国の冬だけれども、天気はし、小春日和だから、コオトも着ないで、着衣きもののおめしで包むも惜しい、色の清く白いのが、片手に、お京――その母の墓へ手向ける、小菊の黄菊と白菊と、あれはわびしくて、こちこちと寂しいが、土地がら、今時はおさだまりの俗にとなうる坊さん花、あざみやわらかいような樺紫かばむらさき小鶏頭こげいとうを、一束にして添えたのと、ちょっと色紙の二本たばねの線香、一銭蝋燭いちもんろうそくを添えて持った、片手を伸べて、「その提灯を」といったのである。
 山門を仰いで見る、処々、え崩れて、草も尾花もむら生えの高い磴を登りかかった、お米の実家の檀那寺だんなでら――仙晶寺というのである。が、燈籠寺とうろうでらといった方がこの大城下によく通る。
 さんぬる……いやいや、いつの年も、盂蘭盆うらぼんに墓地へ燈籠を供えて、心ばかり小さなあかりともすのは、このあたりすべてかわりなく、親類一門、それぞれ知己ちかづきの新仏へ志のやりとりをするから、十三日、迎火をからは、寺々の卵塔は申すまでもない、野に山に、標石しめいし奥津城おくつきのある処、昔を今に思い出したような無縁墓、古塚までも、かすかなしめっぽいこけの花が、ちらちらと切燈籠きりこに咲いて、つちの下の、仄白ほのじろい寂しい亡霊もうれいの道が、草がくれの葉がくれに、暗夜やみにはしるく、月にはかすけく、冥々めいめいとしてあらわれる。中でも裏山の峰に近い、この寺の墓場の丘の頂に、一樹、えのきの大木がそびえて、そのこずえに掛ける高燈籠が、市街の広場、辻、小路。池、沼のほとり、大川べり。一里西に遠い荒海の上からも、望めば、仰げば、たたずめば、みな空に、面影に立って見えるので、名に呼んで知られている。
 この燈籠寺に対して、辻町糸七の外套がいとうの袖から半間はんまつらを出した昼間の提灯は、松風にさっと誘われて、いま二葉三葉散りかかる、折からの緋葉もみじともれず、ぽかぽかと暖い磴の小草こぐさの日だまりに、あだ白けて、のびれば欠伸あくび、縮むと、くしゃみをしそうで可笑おかしい。
 辻町は、欠伸と嚔をえたような掛声で、
「ああ、提灯。いや、どっこい。」
 と一段踏む。
「いや、どっこい。」
 お米が莞爾にっこり
「ほほほ、そんな掛声が出るようでは、おじさん。」
「何、くたびれやしない。くたびれたといったって、こんな、提灯の一つぐらい。……もっとも持重りがしたり、邪魔になるようなら、ちょっと、ここいらのすすきの穂へ引掛ひっかけて置いても差支えはないんだがね。」
「それはね、誰も居ない、人通りの少い処だし、お寺ですもの。そこに置いといたって、人がどうもしはしませんけれど。……持ちましょうというのに持たさないで、おじさん、自分の手で…」
「自分の手で。」
「あんな、知らない顔をして、自分の手からお手向けなさりたいのでしょう。ここへ置いて行っては、お志が通らないではありませんか、悪いわ。」
「お叱言こごとで恐入るがね、自分から手向けるって、一体誰だい。」
「それは誰方どなただか、ほほほ。」
 また莞爾にっこり
「せいせい、そんな息をして……ここがいい、ちょっとお休みなさいよ、さあ。」
 ちょうど段々中継なかつぎの一土間、向桟敷むこうさじきと云った処、さかりに緋葉した樹の根に寄った方で、うつむきなりに片袖をさしむけたのは、すがれ、手を取ろう身構えで、腰を靡娜なよやかに振向いた。踏掛けて塗下駄に、模様の雪輪が冷くかかって、淡紅とき長襦袢ながじゅばんがはらりとこぼれる。
 なまめかしさ、というといえども、お米はおじさんの介添のみ、心にも留めなそうだが、人妻なればはばかられる。そこで、くだんの昼提灯を持直すと、柄の方を向うへ出した。黒塗の柄を引取ったお米の手は、なお白くて優しい。
 憚られもしようもの。磴たるや、山賊の構えたいわおとりで火見ひのみ階子はしごと云ってもいい、縦横町条たてよこまちすじごとの屋根、辻の柳、遠近おちこちの森に隠顕しても、十町三方、城下を往来の人々が目をそばだつれば皆見える、見たその容子ようすは、中空の手摺てすりにかけた色小袖に外套の熊蝉が留ったにそのままだろう。
 蝉はひとりでジジと笑って、緋葉もみじの影へ飜然ひらりと飛移った。
 いや、飜然となんぞ、そんな器用にくものか。
「ありがとう……提灯の柄のお力添に、片手を縋って、一方に洋杖ステッキだ。こいつがまた素人が拾ったかいのようで、うまく調子が取れないで、だらしなく袖へ掻込かいこんだ処はなさけない、まるで両杖りょうづえの形だな。」
「いやですよ。」
「意気地はない、が、止むを得ない。お言葉に従って一休みして行こうか。ちょうどおあつらえ、苔滑こけなめらか……というと冷いが、日当りで暖い所がある。さてと、ご苦労を掛けた提灯を、これへ置くか。樹下石上というと豪勢だが、こうした処は、地蔵盆にむしろを敷いてかねをカンカンとたたく、はっち坊主そのままだね。」
「そんなに、せっかちに腰を掛けてさ、泥がつきますよ。」
「構わない。れ麻だよ。たかが墨染にて候だよ。」
「墨染でも、喜撰でも、所作舞台ではありません、よごれますわ。」
「どうも、これは。きれいなその手巾ハンケチで。」
「散っているもみじの方が、きれいです、払っては澄まないような、こんな手巾。」
「何色というんだい。お志で、石へ月影までして来た。ああ、いい景色だ。いつもここは、といううちにも、今日はまた格別です。あいかわらず、海も見える、城も見える。」
 といった。
 就中なかんずく公孫樹いちょうは黄なり、紅樹、青林、見渡す森は、みな錦葉もみじを含み、散残った柳の緑を、うすくしゃ綾取あやどった中に、層々たる城の天守が、遠山の雪のいただきいてそびえる。そこからななめに濃いあいの一線をいて、青い空と一刷ひとはけに同じ色を連ねたのは、いう迄もなく田野と市街と城下を巻いた海である。荒海ながら、日和の穏かさに、なぎさの浪は白菊の花を敷流す……この友禅をうちかけて、雪国の町は薄霧をとおして青白い。その袖と思う一端に、周囲三里ときく湖は、昼の月の、半円なるかとながめられる。
「お米坊。」
 おじさんは、目を移して、
「景色もいいが、容子ようすがいいな。――提灯屋の親仁おやじ見惚みとれたのを知ってるかい。
(その提灯を一つ、いくらです。)といったら、
(どうぞ早や、お持ちなされまして……お代はおついでの時、)……はどうだい。そのかわり、遠国他郷のおじさんに、売りものを新聞づつみ、紙づつみにしようともしないんだぜ。あにそれ見惚れたりと言わざるを得んやだ、親仁。」
「おっしゃい。」
 と銚子ちょうしのかわりをたしなめるような口振で、
「旅の人だか何だか、草鞋わらじ穿かないで、今時そんな、見たばかりで分りますか。それだし、この土地では、まだ半季勘定がございます。……でなくってもさ、当寺おてらへお参りをする時、ゆきかえり通るんですもの。あの提灯屋さん、母に手をかれた時分から馴染なじみです。……いやね、そんなからお世辞をいって、沢山。……おじさんお参りをするのにきまりが悪いもんだから、おだてごかしに、はぐらかして。」
「待った、待った。――お京さん――お米坊、お前さんのおっかさんの名だ。」
「はじめまして伺います、ほほほ。」
「ご挨拶、恐入った。が、何々院――信女でなく、ごめんを被ろう。その、お母さんの墓へお参りをするのに、何だって、私がきまりが悪いんだろう。第一そのために来たんじゃないか。」
「……それはご遠慮は申しませんの。母のとこへお参りをして下さいますのは分っていますけれどもね、そのさきに――誰かさん――」
「誰かさん、誰かさん……分らない。米ちゃん、一体その誰かさんは?」
「母が、いつもそういっていましたわ。おじさんは、(極りわるがり屋)という(長い屋)さんだから。」
「どうせ、長屋住居ずまいだよ。」
「ごめんなさい、そんなんじゃありません。だからっても、何も私に――それとも、思い出さない、忘れたのなら、それはひどいわ、あんまりだわ。誰かさんに、悪いわ、済まないわ、薄情よ。」
「しばらく、しばらく、まあ、待っておくれ。これは思いも寄らない。唐突の儀を承る。弱ったな、何だろう、といっちゃなお悪いかな、誰だろう。」
「ほんとに忘れたんですか。それでいんですか。嘘でしょう。それだとあんまりじゃありませんか。いっそちゃんと言いますよ、私から。――そういっても釣出しにかかって私の方が極りが悪いかも知れませんけれども。……おじさん、おじさんが、むかし心中をしようとした、婦人おんなのかた。」
「…………」
 やぶから棒をくらって膨らんだ外套の、黒い胸を、辻町は手でおさえる真似して、目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはると、
「もう堪忍してあげましょう。あんまり知らないふりをなさるからちょっとおどかしてあげたんだけれど、それでも、もうお分りになったでしょう。――いつかの、その時、花のさかりの真夜中に。――あの、お城の門のまわり、暗い堀の上を行ったり、来たり……」
 お米の指が、行ったり来たり、ちらちらと細く動くと、その動くのが、魔法を使ったように、向うはるかな城の森の下くぐりに、小さな男が、とぼんと出て、羽織も着ない、しょぼけた形をあらわすとともに、手をこまぬき、こうべを垂れて、とぼとぼと歩行あるくのがおぼろに見える。それ、糧に飢えて死のうとした。それがその夜の辻町である。
 同時に、もう一つ。寂しい、美しい女が、花の雲から下りたように、すっとかげって、おなじ堀を垂々だらだらりに、町へ続く長い坂を、胸をやわらかに袖を合せ、肩をほっそりとすそを浮かせて、宙にただようばかり。さし俯向うつむいたえりのほんのり白い後姿で、さばつまゆらぐと見えない、もの静かな品のさで、夜はただ黒し、花明り、土のいかだに流るるように、満開の桜の咲蔽さきおおうその長坂を下りる姿が目に映った。
 ――指を包め、袖を引け、お米坊。頸の白さ、肩のしなやかさ、余りその姿に似てならない。――
 今、のあたり、坂をひとは、あれは、二十はたちばかりにして、その夜、(烏をいう)千羽ヶふちで自殺してしまったのである。身を投げたのは潔い。
 卑怯ひきょうな、未練な、おなじ処をとぼついた男の影は、のめのめと活きて、ここに仙晶寺のいしだんの中途に、腰を掛けているのであった。

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