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ロンドンの地下ホテルの大広間で、国防晩餐会が催されている。
その大広間は、一見ひろびろとしていた。ただ真中のところに、一つの卓子と、それを取囲む十三の椅子とが、まるで盆の真中に釦が落ちているような恰好で、集っていた。そして卓上には、贅沢な料理が、大きな鉢に、山の如く盛り合わされ、そしてレッテルを見ただけで酔っぱらいそうな古いウィスキーやコニャックが、林のように並んでいた。
そのとき、広間の北側の扉が、さっと左右に開いて、金ぴかの将軍が十二人と、それから肘のぬけそうな黒繻子の中国服を着た金博士とが、ぞろぞろと立ち現れて、その設けの席についた。
「さあ、ぼつぼつ始めましょう」
「各自、お好きなように、セルフ・サーヴィスをして頂きましょう」
ボーイたちは、完全にこの大広間から追い出されていた。しかもこの料理は、五百パーセントの闇値段で集められた豪華な料理であって、これ全て、遠来の金博士――いや、イギリス政府及び軍部が今は命の綱と頼む新兵器発明王の金博士に対する最高の饗応であったのである。
「さて、早速ではあるが、金博士に相談にのっていただくことにする」
と、座長格の世界戦争軍総指揮官ゴンゴラ大将が口を開いた。
「なるべくなら、この御馳走を全部頂戴してののちに願いたいものじゃが」
金博士は残念そうにいう。
「いや、事が事とて、ぐずぐずして居れないのです」
と、総指揮官ゴンゴラ大将は、かまわず話をすすめる。
「これは今夜はじめて諸君にかぎり発表する最高の機密であるが、実は、わがイギリス軍は、最早如何ともすべからざる頽勢を一挙に輓回せんがために、ここに極秘の作戦を研究しようとしている。それは如何なる作戦であるか」
と、ゴンゴラ大将は、そこで大いに気を持たせて、一座を見廻した。
(おや、十三の座席は、縁起でもない)
将軍は、ちょっと顔を曇らせたが、胸の前で十字を切って、
「それは外でもない。十三――いや、諸君、愕いてはいけない。吾輩は、ここに極秘の独本土上陸作戦を樹立しようと思う者である」
一座は、俄かにざわめいた。将軍のなかには愕いて、手にしていた盃を取落とす者もあり、嚥み下ろしかけていた若鶏の肉を気管の方へ送りこんで目を白黒する者もあった。ただ平然として色を変えず、飲み且つ喰う手を休めなかったのは金博士ばかりだった。
「独本土上陸作戦、それは英本土上陸作戦の誤植――いや誤言ではないか」
「否、断じて、独本土上陸作戦である」
「ほほっ、ゴンゴラ総指揮官の精神状態を医師に鑑定せしめる必要ありと思うが、如何に」
「いや、もう一つその前に、全国の空軍基地に対し、単座戦闘機にゴンゴラ将軍を搭乗せしめざるよう厳重命令すべきである」
「その必要はあるまい。なぜといって、ゴンゴラ将軍は、幸いにして飛行機の操縦が出来ないから、安心してよろしい」
ゴンゴラ総指揮官は、頬をトマトのように赧くして、卓を叩いた。
「何人が何といおうと、独本土上陸作戦を決行する吾輩の決意には、最早変りはない。ドイツを屈服せしめる途は只一つ、それより外に残されていないのである」
一座は、尚も喧々囂々、納まりがつかなくなった。あちこちで、同志討までが始まる。
「なにも、そんな危い芸当をやらないでも、もっと確実に、しかも安全にドイツをやっつける方法があるんだ」
「そんなことはないでしょう。自分は総指揮官の作戦に同意する」
「それは愚劣きわまる。よろしいか。わしの考え出した作戦というのは、至極簡単明瞭である。それは、ドイツに対して『わがイギリスは貴国を援助するぞ』と申入れれば、それでよろしいのじゃ」
「なんだ、それは。敵国ドイツを助ければ、わがイギリスはいよいよ負けるばかりだ」
「それだから貴公は、駄目だというんだ。ちと歴史を勉強しなされ、歴史を。今度の世界戦争以来、わがイギリスが援助をすると申入れた先の国で、滅びなかった国があるかね。ベルギーを見よ、和蘭を見よ、チェッコを見よ、ポーランドを見よ、それからユーゴを見よ。ギリシヤを見よ、蒋介石を見よ。だから、われわれイギリスが、『ドイツよ、お前を助ける』と申入れただけで、ドイツも亦、滅びざるを得ないであろう。これ、歴史上の事実から帰納した最も正確にして且つ安全な作戦じゃ」
仲々一座の納りがつかないので、ゴンゴラ総指揮官は、席を立って、金博士のところへやって来た。
「金博士。吾輩の切なるお願いである。新奇なる兵器を作って、わがイギリスの沿岸から発し、独本土へ上陸せしめられたい」
このとき、金博士は、ようやく卓上の料理を悉く胃の腑に送り終った。博士は、ナップキンで、ねちゃねちゃする両手と口とを拭いながら、
「ああ余は遠く来た甲斐があったよ。ほう、美味満腹だ。はて、何といわれたかね」
と、取り済ました顔である。
「おお金博士。今も申すとおり、吾輩の切なるお願いである。新奇なる兵器を作り、わがイギリスの沿岸より発し、独本土へ兵を上陸せしめられたい」
ゴンゴラ総指揮官は、声涙共に下って、この東洋の碩学に頼みこんだ。すると博士は、
「ああ、それくらいのことなら、至極簡単にやって見せるよ」
「えっ、本当に出来る見込みがありますか」
「ありますとも。そんなことは、人造人間戦車の設計などに較べれば訳なしじゃ」
「おお、それが真実なれば、吾輩は天にものぼる悦び――いや、とにかく大きな悦びです」
「しかしのう、ゴンゴラ大将。それについて、余は、篤と貴公と打合わせをしたいのじゃが、この席ではなあ。つまり、こう沢山の人々の耳に入れては、それスパイに買収せられた耳も交っているかもしれない。二人切りになれないものかな」
「ああ、そのことなら、吾輩としても、願ってもないことです。よろしい。では他の将軍たちを退場させましょう。おい諸君。君たちは一時別室へ遠慮せよ」
さすがに総指揮官の一声で、他の将軍たちは、ぶつぶつがやがやいいながら、ゴンゴラ大将と金博士をそこに残して、元来た扉から出ていってしまった。
「さあ、もう一杯、いきましょう」
「すこし廻りすぎたが、もう一杯頂戴するか」
あとは二人が水入らずで向い合った。
金博士は、そのとき顔を将軍に近づけていった。
「今誓約したことは、必ずやります。しかし一体、独本土へ上陸といって、どこへ上陸すればいいのかな。ブレーメンかキール軍港のあたりまで行かなければ満足しないのか、それともドイツの占領地帯で、お手近かのドーヴァ海峡を越えて旧フランス領のカレーあたりへ上陸しただけでも差支えないのか、一体どっちを望むのかね」
金博士に大きく出られて、ゴンゴラ総指揮官は、碧い目玉をぐりぐり廻わし、
「どっちでも結構ですが、一つ早いところ上陸して貰いたいですねえ。ドイツ兵のいる陸地へ、こっちからいって上陸したということになれば、そのニュースは、ビッグ・ニュースとして全世界を震駭し、奮わざること久しきイギリス軍も勇気百倍、狂喜乱舞いたしますよ」
「狂喜乱舞するかな。それはどうかと思う」
「いや、狂喜乱舞することは請合いです」
「そうかね。そこのところは、余にはよく呑みこめないが、とにかく、上陸作戦をやるについて、予め種々、貰うものは貰って置きたい」
「ああ、これは申し遅れて失礼をしました。成功の暁は、博士の測り知られざるその勲功に対し、いかなる褒賞でも上奏いたしましょう。いかなる勲章がお望みかな。ダイヤモンド十字章はいかがですな。また、何もイギリスの勲章に限ったことはない。和蘭の勲章はいかが、それともポーランドの勲章は。エチオピヤの勲章でもいいですぞ。それともフランスの勲章にしますか」
「勲章など貰っても、持って帰るのに面倒だから、いやじゃ。それよりも、当国逗留中は、イギリス製のウィスキーを思う存分呑ませてくれればそれでよろしい。今のうちに呑んでおかないと、きっとドイツ兵に呑まれてしまうからね」
「縁起でもありませんよ」
「しかしのう、ゴンゴラ将軍。さっき余が、貰うものは貰って置きたいといったのは、そんなものではないのじゃ」
「え、勲章の話ではなかったのですか」
「東洋人というものは、お主のように、左様に貪慾ではない。余の欲しいのは、白紙命令書だ。それを百枚ばかり貰いたい」
博士は妙なことをいいだした。白紙命令書というのは、まだ命令の文句が書いてない命令書のことであった。
「白紙命令書百枚もよろしいが、何にお使いですかな」
と、ゴンゴラ将軍は腑に落ちない顔。
「知れたことじゃ。お主から頼まれた一件を果すためには、万事極秘でやらにゃならん。だから余だけが計画内容を知っているということにするには、白紙命令書を貰ったのが便宜なのじゃ。尚その命令書には『追テ後日何等カノ命令アルマデハ本件ニ関シ総指揮官部へ報告ニ及バズ』と但書を書くから、予め諒承ありたい」
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