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ゴンゴラ総指揮官は、遂に白紙命令書百枚を金博士に手交して、博士の手腕に大いに期待するところがあった。
ところが、それから一週間たっても、二週間たっても、金博士が一向動きだしたという知らせに接しないのであった。
将軍のところへ出入する情報局蒐集官たちは、決って、将軍から同じ趣旨の質問を受けるのだった。
「おい、金博士の動静についてのニュースはないのか。すくなくとも一巻のニュース映画になるくらいのものは持って来い」
将軍は、金博士の行動のニュースに飢えているのであった。
情報蒐集官たちは、残念ながら、博士についてのニュース材料の持ち合わせがなかった。それで次回から、せいぜい気をつけることにして、金博士の身辺を猟犬の如く、或いはダニの如く、或いは空気の如く搦みついて、何を博士が実行に移しているかを調べたのであった。
その結果は、毎日毎夜それぞれの情報蒐集官から、ゴンゴラ総指揮官のところへ集ってきた。
「金博士は、本日午前十時、セバスチァン料理店に現れ、午後二時まで四時間に亘り昼酒をやり、大いに酩酊せり」
「ふん、大いにやっとるな」
と、ゴンゴラ将軍は次の報告書を取上げる。
「金博士は、本日午後二時十五分より、カセイ・ホテルに現れ、飲酒三時間に及べり。午後五時三十分、退出す」
「よく飲むなあ。身体をこわさなきゃいいが……」
次の報告書には、こう書いてあった。
「金博士は、本日午後五時四十五分、ピカデリー街に於て、数名の東洋人に襲撃せられ……」
「おや、これはニュースらしいニュースだ」
と、総指揮官は、思わず前に乗りだして、さてその次を読むと、
「……街上に於て、ウィスキーのラッパ呑みを強要されしが、それより博士の提案により、会場をコルコット街裏通りのバー、ホーンに於て一同揃って痛飲会が開催せられることとなり、同夜午後十一時まで、通計五時間……」
将軍は、苦り切って、その報告で洟をちんとかむと、紙屑籠へ投げこんだ。
「金博士は、地酒窟ランタンに現れ、午後十一時十五分……」
どこまで読んでいっても、金博士が酒を飲む報告書ばかりであった。将軍は、うんざりしてしまった。
気をつけていると、毎日毎夜、集ってくるどの報告書も、飲酒の実績報告ばかりであって、その中に只の一枚も、「金博士は、机に向い、設計用紙を前にして、計算尺をひねりつつあり」とか「金博士、只今、バーミンガムの特殊鋼工場へ、マンガン鋼五十トンの注文を発せり」などという工作関係のニュースは入っていなかったのである。ゴンゴラ総指揮官は、飛行機にのって特殊飛行をやってみたい衝動に駆られて、弱った。
ついにゴンゴラ総指揮官の勘忍袋の緒が切れ、警衛隊に命令して、金博士をオムスク酒場から引き立て、官邸へ連れて来させたのであった。そのとき金博士は、へべれけに大酩酊のていたらくであった。
「うーい。こら、こんな面白くない酒場へ引張って来やがって。こーら、そこにいる大将。早くジンカクを持ちこい」
ゴンゴラ大将は、仁王様がせんぶりの粉を嘗めたような顔をして博士のぐにゃぐにゃした肩を鷲づかみにした。
「これ、金博士。いかに酒好きとはいえ、酒ばかり呑んで、吾輩との約束を無にするとは遺憾である」
総指揮官は、極力腹の虫を殺して、春の海のように穏かに云った。
「おお、お主はゴンゴン独楽のゴン将軍じゃったな。今聞いてりゃ、聞いちゃいられねえことを余に向っていったな」
「吾輩は、三週間、いらいらして暮した。その間博士は酒ばかり飲んで暮した。例の仕事には、すこしも手がついていないではないか」
「あっはっはっはっ」と博士は笑って、「お主は、そのことを心配しているのか。余はイギリス人のように、やるといって置いてやらん人間とは違う。疑うなら、見せてやるものがある。さあ、余の右足をもって、力一杯引張れ。おい、早くやれ。酒を飲む時間が少くなる。なにしろイギリス製ウィスキーとも、間もなくお別れだからな。おい、引張れ」
ゴンゴラ総指揮官は、博士に催促されて、床に膝をつき、博士の右足をつかんで、えいと引いた。すると、すぽんと音がして、博士の右脚が、太腿のあたりから抜けた
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