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雛妓(おしゃく)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-26 7:30:08  点击:  切换到繁體中文



 以前に、こういう段階があるものだから、今もわたくしは、雛妓が氷水でも飲み終えたら、何か身の上ばなしか相談でも切り出すのかと、心待ちに待っていた。しかし雛妓にはそんな様子もなくて、頻りに家の中を見廻(みまわ)して、くくみ笑いをしながら、
洒落(しゃれ)[#「洒落(しゃれ)」は底本では「洒落(しゃれ)れ」と誤植]てるけど、案外小っちゃなお家ね」
 と言って、天井の板の柾目(まさめ)を仰いだり、裏小路に向く欄干(らんかん)に手をかけて、直ぐ向い側の小学校の夏季休暇で生徒のいない窓を眺めたりした。
 わたくしの家はまだこの時分は雌伏時代に属していた。嘗て魔界の一ときを経歴したあと、芝の白金でも、今里でも、隠逸の形を取った崖下(がけした)であるとか一樹の蔭であるとかいう位置の家を選んだ。洞窟を出た人が急に陽の目に当るときは眼を害する惧(おそ)れから、手で額上を覆っているという心理に似たものがあった。今ここの青山南町の家は、もはや、心理の上にその余翳(よえい)は除(の)けたようなものの、まだ住いを華やがす気持にはならなかった。
 それと逸作は、この数年来、わたくしを後援し出した伯母と称する遠縁の婦人と共々、諸事を詰めて、わたくしの為めに外遊費を準備して呉れつつあった。この外遊ということに就ては、わたくしが嘗て魔界の一ときの中に於て、食も絶え、親しむ人も絶え、望みも絶えながら、匍(は)い出し盛りの息子一郎を遊ばし兼ねて、神気朦朧(しんきもうろう)とした中に、謡うように言った。
「今に巴里(パリ)へ行って、マロニエの花を見ましょうねえ。シャンゼリゼーで馬車に乗りましょうねえ」
 それは自分でさえ何の意味か判らないほど切ないまぎれの譫言(うわごと)のようなものであった。頑是(がんぜ)ない息子は、それでも「あい、――あい」と聴いていた。
 この話を後に聴いて、逸作は後悔の念と共に深く心に決したものがあるようであった。「おまえと息子には屹度(きっと)、巴里(パリ)を見せてやるぞ」と言った。恩怨(おんえん)の事柄は必ず報ゆる町奴(まちやっこ)風の昔気質(むかしかたぎ)の逸作が、こう思い立った以上、いつかそれが執り行われることは明かである。だが、すべてが一家三人珠数繋(じゅずつなが)りでなければ何事にも興味が持てなくなっているわたくしたちの家の海外移動の準備は、金の事だけでも生やさしいものではなかった。それを逸作は油断なく而(しか)も事も無げに取計いつつあった。
「いつ行かれるか判らないけれど、ともかくそのための侘住居(わびずまい)よ」
 わたくしは雛妓(おしゃく)に訳をざっと説明してから家の中を見廻(みまわ)して、「ですからここは借家よ」と言った。
 すると雛妓は、
「あたしも、洋行に一緒に行き度(た)い。ぜひよ。ねえ、奥さん。先生に頼んでよ」
 と、両手でわたくしの袂(たもと)を取って、懸命に左右へ振った。
 この雛妓は、この前は真面目(まじめ)な嫁になって身の振り方をつけ度いことを望み、きょうはわたくしたちと一緒に外遊を望む。言うことが移り気で、その場限りの出来心に過ぎなく思えた。やっぱりお雛妓はお雛妓だけのものだ。もはや取るに足らない気がして、わたくしはただ笑っていた。しかし、こうして、一先ず関心を打切って、離れた目で眺める雛妓は、眼もあやに美しいものであった。
 備後表の青畳の上である。水色ちりめんのごりごりした地へもって来て、中身の肉体を圧倒するほど沢瀉(おもだか)とかんぜ[#「かんぜ」に傍点]水が墨と代赭(たいしゃ)の二色で屈強に描かれている。そしてよく見ると、それ等の模様は描くというよりは、大小無数の疋田(ひった)の鹿の子絞りで埋めてあるだけに、疋田の粒と粒とは、配し合い消し合い、衝(う)ち合って、量感のヴァイヴレーションを起している。この夏の水草と、渦巻く流れとを自然以上に生々としたものに盛り上らせている。
 あだかも、その空に飛ぶように見せて、銀地に墨くろぐろと四五ひきの蜻蛉(とんぼ)が帯の模様によって所を得させられている。
 滝の姿は見えねど、滝壺(たきつぼ)の裾(すそ)の流れの一筋として白絹の帯上げの結び目は、水沫(みなわ)の如く奔騰して、そのみなかみの※々(とうとう)の音を忍ばせ、そこに大小三つほどの水玉模様が撥(は)ねて、物憎さを感ぜしむるほど気の利いた図案である。
 こうは見て来るものの、しかし、この衣裳(いしょう)に覆われた雛妓の中身も決して衣裳に負けているものではなかった。わたくしは襟元から顔を見上げて行く。
 永遠に人目に触れずしてかつ降り、かつ消えてはまた降り積む、あの北地の奥のしら雪のように、その白さには、その果敢(はか)なさの為めに却(かえ)って弛(ゆる)めようもない究極の勁(つよ)い張りがあった。つまんだ程の顎尖(あごさき)から、丸い顔の半へかけて、人をたばかって、人は寧(むし)ろそのたばかられることを歓(よろこ)ぶような、上質の蠱惑(こわく)の影が控目にさし覗(のぞ)いている。澄していても何となく微笑の俤(おもかげ)があるのは、豊かだがういういしい朱の唇が、やや上弦の月に傾いているせいでもあろうか。それは微笑であるが、しかし、微笑以前の微笑である。
 鼻稜(びりょう)はやや顔面全体に対して負けていた。けれどもかかる小娘が今更に、女だてら、あの胸悪い権力や精力をこの人間の中心の目標物に於て象徴せずとも世は過ごして行けそうに思われる。雛妓のそれは愛くるしく親しみ深いものに見えた。
 眼よ。西欧の詩人はこれを形容して星という。東亜の詩人は青蓮に譬(たと)える。一々の諱(いみな)は汝の附くるに任せる。希(ねがわ)くばその実を逸脱せざらんことを。わたくしの観(み)る如くば、それは真夏の際の湖水である。二つが一々主峯の影を濃くひたして空もろ共に凝っている。けれども秋のように冷かではない。見よ、眄視(べんし)、流目の間に艶(あで)やかな煙霞(えんか)の気が長い睫毛(まつげ)を連ねて人に匂(にお)いかかることを。
 眉(まゆ)へ来て、わたくしは、はたと息詰まる気がする。それは左右から迫り過ぎていて、その上、型を当てて描いたもののように濃く整い過ぎている。何となく薄命を想(おも)わせる眉であった。額も美しいが狭(せば)まっていた。
 きょうは、髪の前をちょっとカールして、水髪のように捌(さば)いた洋髪に結っていた。
 心なしか、わたくしが、父の通夜明けの春の宵に不忍(しのばず)の蓮中庵ではじめて会った雛妓かの子とは、殆(ほとん)ど見違えるほど身体にしなやか[#「しなやか」に傍点]な肉の力が盛り上り、年頃近い本然の艶(いろ)めきが、坐(すわ)っているだけの物腰にも紛飾を透けて浸潤(うる)んでいる。わたくしは思う、これは商売女のいろ気ではない。雛妓はわたくしに会ってから、ふとした弾みで女の歎(なげ)きを覚え、生の憂愁を味い出したのではあるまいか。女は憂いを持つことによってのみ真のいろ気が出る。雛妓はいま将(まさ)に生娘の情に還(かえ)りつつあるのではあるまいか。わたくしは、と見こう見して、ときどきは、その美しさに四辺を忘れ、青畳ごと、雛妓とわたくしはいつの時世いずくの果とも知らず、たった二人きりで揺蕩(ようとう)と漂い歩く気持をさせられていた。
 雛妓ははじめ商売女の得意とも義務ともつかない、しらばくれた態度で姿かたちをわたくしの見検めるままに曝(さら)していたが、夏のたそがれ[#「たそがれ」に傍点]前の斜陽が小学校の板壁に当って、その屈折した光線が、この世のものならずフォーカスされて窓より入り、微妙な明るさに部屋中を充(み)たした頃から、雛妓は何となく夢幻の浸蝕を感じたらしく、態度にもだんだん鯱張(しゃちほこば)った意識を抜いて来て、持って生れた女の便りなさを現して来た。眼はうつろに斜め上方を見ながら謡うような小声で呟(つぶや)き出した。
「奥さまのかの子さーん」
 わたくしは不思議とこれを唐突な呼声とも思わず、木霊(こだま)のように答えた。
「お雛妓さんのかの子さーん」
 二三度、呼び交わしたのち、雛妓とわたくしはだんだん声を幽(ひそ)めて行った。
「かの子さーん」
「かの子さーん」
 そして、その声がわたくしの嘗(かつ)て触れられなかった心の一本の線を震わすと、わたくしは思わず雛妓の両手を執った。雛妓も同じこころらしく執られた両手を固く握り返した。手を執り合ったまま、雛妓もわたくしも今は惜しむところなく涙を流した。
「かの子さーん」
「かの子さーん」
 涙を拭(ぬぐ)い終って、息をたっぷり吐いてからわたくしは懐かし気に訊(き)いた。
「あんたのお父さんはどうしてるの。お母さんはどうしているの。そしてきょうだいは」
 すると雛妓は、胸を前へくたり[#「くたり」に傍点]と折って、袖(そで)をまさぐりながら、
「奥さま、それをどうぞ訊かないでね。どうせお雛妓なんかは、なったときから孤児なんですもの――」
 わたくしは、この答えが殆ど逸作の若いときのそれと同じものであることに思い当り、うたた悵然(ちょうぜん)とするだけであった。そしてどうしてわたくしには、こう孤独な寂しい人間ばかりが牽(ひ)かれて来るのかと、おのれの変な魅力が呪(のろ)わしくさえなった。
「いいですいいです。これからは、何でもあたしが教えたり便りになってあげますから、このうち[#「うち」に傍点]もあんたの花嫁学校のようなつもりで暇ができたら、いつでもいらっしゃいよ」
 すると雛妓は言った。
「あたくしね、正直のところは、死んでもいいから奥さまとご一緒に暮したいと思いますのよ」
 わたくしは、今はこの雛妓がまことの娘のように思われて来た。わたくしはそれに対して、わたくしの実家の系譜によるわたくしの名前の由来を語り、それによればお互の名前には女丈夫の筋があることを話して力を籠(こ)めて言った。
「心を強くしてね。きっとわたくしたちは望み通りになれますよ」
 日が陰って、そよ風が立って来た。隣の画室で逸作が昼寝から覚めた声が聞える。
「おい、一郎、起きろ。夕方になったぞ」
 父の副室を居間にして、そこで昼寝していた一郎も起き上ったらしい。
 二人は襖(ふすま)を開けて出て来て、雛妓(おしゃく)を見て、好奇の眼を瞠(みは)った。雛妓は丁寧に挨拶(あいさつ)した。
 逸作が「いい人でも出来たので、その首尾を奥さんに頼みに来たのかい」なぞと揶揄(からか)っている間に、無遠慮に雛妓の身の周りを眺め歩いた一郎は、抛(ほう)り出すように言った。
「けっ、こいつ、おかあさんを横に潰(つぶ)したような膨(は)れた顔をしてやがら」
 すると雛妓は、
「はい、はい、膨れた顔でもなんでもようございます。いまにお母さんにお願いして、坊っちゃんのお嫁さんにして頂くんですから」
 この挨拶には流石(さすが)に堅気の家の少年は一堪(ひとたま)りもなく捻(ひね)られ、少し顔を赭(あか)らめて、
「なんでい、こいつ――」
 と言っただけで、あとはもじもじするだけになった。
 雛妓は、それから長袖(ながそで)を帯の前に挟み、老婢(ろうひ)に手伝って金盥(かなだらい)の水や手拭(てぬぐい)を運んで来て、二階の架け出しの縁側で逸作と息子が顔を洗う間をまめまめしく世話を焼いた。それは再び商売女の雛妓に還(かえ)ったように見えたけれども、わたくしは最早(もは)やかの女の心底を疑うようなことはしなかった。
 暗くならないまえ、雛妓は、これから帰って急いでお風呂に行き、お夜食を済してお座敷のかかるのを待つのだと告げたので、逸作はなにがし[#「なにがし」に傍点]かの祝儀包を与え、車を呼んで乗せてやった。
 わたくしたちは、それから息子の部屋へデッサンの描きさしを見に行った。モデルに石膏(せっこう)の彫像を据えて息子は研究所の夏休みの間、自宅で美術学校の受験準備の実技の練習を継続しているのであった。電灯を捻(ひ)ねって、
「ここのところは形が違ってら、こう直せよ」
 逸作が消しパンで無雑作に画の線を消しにかかると、息子はその手に取り付いて、
「あ、あ、だめだよ、だめだよ、お父さんみたいにそう無闇(むやみ)に消しちゃ」
 消させぬと言う、消すと言う。肉親の教師と生徒の間に他愛もない腕づくの教育が始まる。
 わたくしはこれを世にも美しいものと眺めた。

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