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食魔(しょくま)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-26 7:49:55  点击:  切换到繁體中文


 頼めば何でも間に合わしてれる。こんな調法人をどこで歓迎しないところがあろうか。
 彼は紛れるともなく、その日その日の憂さを忘れて渡り歩るいた。母は鼈四郎が勉強のため世間に知識をあさっていて今に何かつかんで来るものと思い込んでるので呑込のみこみ顔で放って置いたし、拓本職人の老爺ろうやは仕事の手が欠けたのをこぼしこぼし、しかし叱言こごとというほどの叱言はいわなかった。
 師匠連や有力な弟子たちは彼を取巻のようにして瓢亭・俵やをはじめ市中の名料理へ飲食に連れて行った。彼は美食に事欠かぬのみならず、天稟てんぴんから、料理の秘奥を感取った。
 そうしているうち、ふと鼈四郎に気が付いて来たことがあった。このように諸方で歓迎されながら彼は未だかつて尊敬というものをされたことがない。大寺に生れ、幼時だけにしろ、総領息子という格に立てられた経験のある、旧舗しにせの娘として母の持てる気位を伝えているらしい彼の持前は頭の高い男なのであった。それがただ調法の与四郎で扱い済されるだけでは口惜しいものがあった。彼の心の底に伏っていつも焦々する怒ろしい想いもどうやら一半はそこから起るらしく思われて来た。どうかして先生と呼ばれてみたい。
 人中にまれておくごころはほとんど除かれている彼に、この衷心から頭をもたげて来た新しい慾望は、更に積極へと彼に拍車をかけた。彼は高飛車に人をこなし付ける手を覚え、軽蔑けいべつして鼻であしろう手を覚えた。何事にも批判を加えて己れを表示するすべも覚えた。彼はなりの恰好かっこうさえ肩肘かたひじを張ることを心掛けた。彼は手鏡を取出してつくづく自分を見る。そこに映り出る青年があまりに若く美しくして先生と呼ばれるに相応ふさわしい老成した貫禄が無いことを嘆いた。彼はせめて言葉附だけでもいかつく、ませたものにしようと骨を折った。彼の取って付けたような豹変ひょうへんの態度に、弱いものはおびえて敬遠し出した。強いものは反撥はんぱつしてののしった。「なんだ石刷り職人の癖に」そして先生といって呉れるものは料理人だけだった。
「与四郎は変った」「おかしゅうならはった」というのが風雅社会の一般の評であった。彼の心地に宿った露草の花のようないじらしい恋人もあったのだけれども、このうわさもろくも破れて、実を得結ばずに失せた。
 若者であって一度この威猛高いたけだかな誇張の態度に身を任せたものは二度と沈潜して肌質きめをこまかくするのは余程難しかった。鼈四郎べつしろうはこの目的外れの評判が自分のどこの辺から来るものか自分自身に向って知らないとはいい徹せなかった。「学問が無いからだ」この事実は彼に取って最も痛くていまいましい反省だった。そして今更に、悲運な境遇から上の学校へも行けず、秩序立った勉強の課程も踏めなかった自分をあわれむのであった。しかしこれを恨みとして、その恨みの根を何処へ持って行くのかとなると、それはまたあまりに多岐にわたり複雑過ぎて当時の彼には考え切れなかった。嘆くよりおくせでもひそかに学んで追い付くより仕方がない。彼はしきりに書物を読もうと努めた。だが才気とカンと苦労で世間のあらましは、すでに結論だけを摘み取ってしまっている彼のような人間にとって、その過程を煩わしくくどく記述してある書物というものを、どうして迂遠うえん悪丁寧わるていねいとより以外のものに思いされようぞ。彼はページを開くとすぐ眠くなった。それは努めて読んで行くとその索寞さくばくさに頭が痛くなって、しきりに喉頭こうとうへ味なるものが恋い慕われた。彼は美味な食物をあさりに立上ってしまった。
 結局、彼はり慣れた眼学問、耳学問を長じさせて行くより仕方なかった。そしていま迄、下手したで謙遜けんそんに学び取っていた仕方は今度からは、争い食ってかかる紛擾ふんじょうの間に相手から※(「てへん+宛」、第3水準1-84-80)ぎ取る仕方に方法を替えたに過ぎなかった。それほどまでにして彼は尊敬なるものをち得たかったのであろうか。しかり。彼は彼が食味に於て意識的に人生の息抜きを見出す以前は、実に先生といわれる敬称は彼に取って恋人以上の魅力を持っていたのだった。彼はこの仕方によって数多の旧知己をば失ったが、わずかばかりの変りものの知遇者を得た。世間にはいがみ合うどらねじり合う※(「金+祓のつくり」、第3水準1-93-6)にょうばちのような騒々しいものを混えることに於て、かえって知音や友情が通じられる支那楽のような交際も無いことはない。鼈四郎が向きはまって行ったのはそういう苦労胼胝たこで心の感膜が厚くなっている年長の連中であった。
 その頃、京極でモダンな洋食店のメーゾン檜垣の主人もその一人であった。このアメリカ帰りの料理人は、妙に芸術や芸術家の生活に渇仰をもっていて、店の監督の暇には油画を描いていた。寝泊りする自分の室は画室のようにしていた。彼は客の誰彼をつかまえてはニューヨークの文士村グリンウィッチビレージの話をした。巴里パリの芸術街を真似まねようとするこの街はアメリカ人気質と、憧憬による誇張によって異様で刺激的なものがあった。主人はそれを語るのに使徒のような情熱をもってした。店の施設にもできるだけ応用した。酒神バッカスの祭の夕。青蝋燭あおろうそくの部屋、新しいものにかれる青年や、若い芸術家がこの店に集ったことは見易き道理である。この古都には若い人々の肺には重苦しくて寂寥せきりょうだけの空気があった。これをき壊すには極端な反撥はんぱつが要った。それ故、一般に東京のモダンより、上方のモダンの方が調子外れで薬が強いとされていた。
 鼈四郎はこの店に入浸るようになった。お互いに基礎知識を欠く弱味を見透すが故に、お互いに吐き合う気焔きえんも圧迫感を伴わなかった。飄々ひょうひょうカンのまま雲に上り空に架することができた。立会いに相手を傲慢ごうまんんでかかってから軽蔑けいべつの歯を剥出むきだして、意見をみ合わす無遠慮な談敵を得て、彼等は渾身こんしんの力が出し切れるように思った。その間にずるさを働かして耳学問を盗み合い、椀ぎ取る利益も彼等にはよろこびであった。鼈四郎が東洋趣味の幽玄を高嘯こうしょうするに対し、檜垣の主人は西洋趣味の生々なまなましさを誇った。かかるうち知識は交換されて互いの薬籠中やくろうちゅうに収められていた。
 いつでも意見が一致するのは、芸術至上主義の態度であった。誤って下層階級に生い立たせられたところから自恃じじに相応わしい位置にまで自分を取戻すにはカンじ登れる芸術と称するもの以外には彼等は無いと感じた。彼等は鑑識の高さや広さを誇った。この点ではお互いに許し合った。琴棋書画、それから女、芝居、陶器、食もの、思想にわたるものまでも、分けへだてなく味い批評できる彼等をお互いに褒め合った。「僕らは、天才じゃね」「天才じゃねえ」
 檜垣の主人は、胸の病持ちであった。彼が独身生活を続けるのも、そこから来るのであったが、情慾は強いかして彼の描く茫漠ぼうばくとした油絵にも、雑多にあつめられる蒐集品しゅうしゅうひんにも何かエロチックのにおいがあった。せて青黒いくまの多い長身の肉体は内部から慾求するものをみたし得ない悩みにいつもあえいでいた。それにくらべると中背ではあるが異常に強壮な身体を持っている鼈四郎はあらゆる官能慾をむさぼるに堪えた。ある種の嗜慾しよく以外は、貪りあとう飽和点を味い締められるが故にかえって恬淡てんたんになれた。
 檜垣の主人は、鼈四郎を連れて、鴨川の夕涼みのゆかから、宮川町辺の赤黒い行灯あんどんのかげに至るまで、上品や下品の遊びに連れて歩るいた。そこでも、味いあますがゆえにいつも暗鬱あんうつな未練を残している人間と、飽和に達するがゆえに明色の恬淡にさえる人間とは極端な対象を做した。鼈四郎は檜垣の主人の暗鬱な未練に対し、本能の浅間しさと共に本能の深さを感じ、檜垣の主人は鼈四郎の肉体に対して嫉妬しっとと驚異を感じた。二人は心秘こころひそかに「あいつ偉い奴じゃ」と互いに舌を巻いた。
 起伏表裏がありながら、また最後に認め合うものを持つ二人の交際は、縄のようにからみ合い段々その結ぼれを深めた。正常な教養を持つ世間の知識階級に対し、脅威を感ずるが故に、睥睨へいげいしようとする職人上りで頭が高い壮年者と青年は自らの孤独な階級に立籠たてこもって脅威し来るものをののしる快を貪るには一あって二無き相手だった。彼等は毎日のように会わないでは寂しいようになった。
 鼈四郎は檜垣の主人に対しては対蹠的たいしょてきに、いつも東洋芸術の幽邃高遠ゆうすいこうえんを主張して立向う立場に立つのだが、反噬はんぜいして来る檜垣の主人の西洋芸術なるものを、その範とするところの名品の複写などで味わされる場合に、躊躇ちゅうちょなく感得されるものがあった。檜垣の主人が持ち帰ったのは主にフランス近代の巨匠のものだったが、本能を許し、官能を許し、享受を許し、肉情さえ許したもののあることは東洋のしつけと道徳の間から僅にそれ等を垣間かいま見させられていたものに取っては驚きの外無かった。恥も外聞も無いき出しで、きまりが悪いほどだった。「こいつ等は、まるで素人じゃねえ、」鼈四郎は檜垣の主人に向ってはこうも押えた口を利くようなものの、彼の肉体的感覚は発言者を得たように喝采かっさいした。
 彼はこの店へ出入りをして食べ増した洋食もうまかったし、主人によっていろいろ話して聴かされた西洋の文化的生活の様式も、便利で新鮮に思われた。
 鼈四郎はこれ等の感得と知識をもって、彼の育ちの職場に引返して行った。彼は書画に携るやからに向ってはデッサンを説き、ゴッホとかセザンヌとかの名を口にした。茶の湯生花の行われるちまたに向っては、ティパーティの催しを説き、アペリチーフの功徳を説き、コンポジションとかニュアンスとかいう洋名の術語を口にした。
 東洋の諸芸術にも実践上の必需から来る自らなるそれ等にあって、ただ名前と伝統が違っているだけだった。それゆえ、鼈四郎のいうことはこれ等に携る人々にもほぼ察しはつき、心ある者は、なんだ西洋とてそんなものかとたかくくらせはしたが当時モダンの名に於て新味と時代適応性を西洋的なものから採入れようとする一般の風潮は彼の後姿に向っては「葵祭あおいまつりの竹の欄干てすりで」青くれてなはると蔭口を利きながら、この古都の風雅の社会は、彼の前にまわっては刺激と思い付を求めねばならなかった。彼の人気は恢復かいふくした。三曲の演奏にアンコールを許したり、裸体彫像に生花を配したり、ずいぶん突飛なことも彼によって示唆されたが、椅子いすテーブルの点茶式や、洋食を緩和して懐石の献立中に含めることや、そのときまで、一部の間にしか企てられていなかった方法を一般に流布せしめるえんの下の力持とはなった。彼は、ところどころで「先生」と呼ばれるようになった。
 彼はこの勢を駆って、メーゾン檜垣に集る若い芸術家の仲間に割り込んだ。彼の高飛車と粗雑はさすがに、神経のこまかいインテリ青年たちと肌合いの合わないものがあった。彼は彼等を吹きなびけ、煙に巻いたつもりでも最後に、沈黙の中で拒まれているコツンとしたものを感じた。それは何とも説明し難いものではあるが彼をして現代の青年の仲間入りしようとする勇気を無雑作に取拉とりひしぐ薄気味悪い力を持っていた。彼は考えざるを得なかった。
 春の宵であった。檜垣の二階に、歓迎会の集りがあった。女流歌人で仏教家の夫人がこの古都のある宗派の女学校へ講演に頼まれて来たのを幸、招いて会食するものであった。画家の良人おっとも一しょに来ていた。テーブルスピーチのようなこともあっさり切上がり、内輪でくつろいだ会に見えた。しかし鼈四郎べつしろうにとってこの夫人に対する気構えは兼々雑誌などで見て、納らぬものがあった。芸術をやるものが宗教にとらわれるなんて――、夫人が仏教を提唱することは、自分に幼時から辛い目を見せた寺や、境遇の肩を持つもののようにも感じられた。とうとう彼は雑談の環の中から声を皮肉にしてなじった。夫人が童女のままで大きくなったような容貌ようぼうも苦労なしに見えて、何やらいじめ付けたかった。
 夫人はちょっと無礼なといった面持をしたが、怒りはみ込んでしまって答えた、「いいえ、だから、わたくしは、何も必要のない方にやれとは申上ちゃおりません」鼈四郎はかさにかかって食ってかかったが、夫人は「そういう聞き方をなさる方には申上られません」と繰返すばかりであった。世間知らずの少女が意地を張り出したように鼈四郎にはとれた。
 一時白けた雰囲気の空虚も、すぐまわりから歓談で埋められ、苦り切り腕組をして、不満を示している彼の存在なぞは誰も気付かぬようになった。彼の怒りは縮れた長髪の先にまでもみなぎったかと思われた。その上、彼をこじらすためのように、夫人は勧められて「京の四季」かなにかを、みんなの余興の中に加ってうたった。低めて唄ったもののそれはのびやかで楽しそうだった。良人の画家も列座と一しょに手をたたいている。
 すべてが自分に対する侮蔑ぶべつに感じられてならない鼈四郎は、どんな手段を採ってもこの夫人を圧服し、自分を認めさそうと決心した。彼は、檜垣の主人を語って、この画家夫妻の帰りを待ち捉え、主人の部屋の画室へ、作品を見に寄ってれるよう懇請した。その部屋には鼈四郎の制作したものも数々置いてあった。
 彼はへりくだる態度を装い、強いて夫人に向って批評を求めた。そこには額仕立ての書画や篆額てんがくがあった。夫人はこういうものは好きらしく、親し気に見入って行ったが、良人を顧みていった。「ねえ、パパ、美しくできてるけど、少し味に傾いてやしない?」良人は気の毒そうにいった。「そうだなあ、味だな」鼈四郎は哄笑こうしょうして、去り気ない様子を示したが、始めて人に肺腑はいふかれた気持がした。良人の画家に「大陸的」とめをつけられてよいのか悪いのかわからないが、気に入った批評として笑窪えくぼに入った檜垣の主人まで「そういえば、なるほど、君の芸術は味だな」と相槌あいづちを打つ苦々しさ。
 鼈四郎は肺腑を衝かれながら、しかしもう一度執拗しつように夫人へ反撃を密謀した。まだ五六日この古都に滞在して春のゆく方を見巡みめぐって帰るという夫妻を手料理の昼食に招いた。自分の作品を無雑作に味と片付けてしまうこの夫人が、一体、どのくらいその味なるものに鑑識を持っているのだろう。食もので試してやるのが早手廻はやてまわしだ。どうせ有閑夫人の手に成る家庭料理か、料理屋の形式的な食品以外、真のうまいものは食ってやしまい。もし彼女に鑑識が無いのが判ったなら彼女の自分の作品に対する批評も、おそれるに及ばないし、もし鑑識あるものとしたなら、恐らく自分の料理の技倆ぎりょうに頭を下げて感心するだろう。さすればこの方で夫人は征服でき、夫人をして自分を認め返さすものである。
 幸に、夫妻は招待に応じて来た。
 席は加茂川の堤下の知れる家元の茶室を借り受けたものであった。彼は呼び寄せてある指導下の助手の料理人や、給仕の娘たちを指揮して、夫妻の饗宴きょうえんにかかった。
 彼はさきの夜、檜垣の歓迎会の晩餐ばんさんにて、食事のコース中、夫人が何を選み、何を好み食べたか、すっかり見て取っていた。ときどき聞きもした。それは努めてしたのではないが、人の嗜慾しよくに対し間諜犬かんちょうけんのような嗅覚きゅうかくを持つ彼の本能は自ずと働いていた。夫人の食品の好みは専門的に見て、素人なのだか玄人なのだか判らなかった。しかし嗜求する虫の性質はほぼ判った。
 鼈四郎は、献立の定慣や和漢洋の種別に関係なく、夫人のこの虫に向って満足さす料理の仕方をした。ああ、そのとき、何という人間に対する哀愛の気持が胸の底からき出たことだろう。そこにはもう勝負の気もなかった。征服慾も、もちろんない。

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