您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 岡本 かの子 >> 正文

みちのく(みちのく)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-26 8:14:11  点击:  切换到繁體中文

底本: ちくま日本文学全集 岡本かの子
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1992(平成4)年2月20日


底本の親本: 岡本かの子全集
出版社: 冬樹社

 

きりの花のく時分であった。私は東北のSという城下町の表通りから二側目ふたかわめ町並まちなみを歩いていた。案内する人は土地の有志三四名と宿屋の番頭であった。一行はいま私が講演した会場の寺院の山門を出て、町の名所となっている大河に臨み城跡しろあとの山へ向うところである。その山は青葉に包まれて昼も杜鵑ほととぎすが鳴くという話である。
 私はいつも講演のあとで覚える、もっと話し続けたいような、また一役済ましてほっとしたような――緊張きんちょうけ切らぬ気持で人々に混って行った。青くこごってんだ東北特有の初夏の空の下に町家はくろずんで、不揃ふぞろいにならんでいた。ひさしを長く突出つきだした低いがっしりした二階家では窓から座敷ざしきに積まれているらしいまゆの山のさきが白くのぞかれた。
「近在で春蚕はるごのあがったのを買集めているところです」
 有志の一人は説明した。どこからかそら豆をゆでる青いにおいがした。古風な紅白の棒の看板を立てた理髪店りはつてんがある。妖艶ようえんやなぎが地上にとどくまで枝垂しだれている。それから五六けん置いてさびちた洋館作りの写真館が在る。のきにちょっとした装飾そうしょくをつけた陳列窓ちんれつまどが私の足を引きとめた。
 緊張の気分もやっとれた私は、どこの土地へ行っても起るその土地の好みの服装ふくそうとか美人とかいうのはどういう風のものであろうかと、いつもの好奇心こうきしんいて来た。
 窓の中の写真は、都会風を模した、土地の上流階級の夫人、髯自慢ひげじまんらしい老紳士ろうしんし、あやしい洋装ようそうをした芸妓げいぎ、ぎごちない新婚しんこん夫妻の記念写真、手をつないでいる女学生――大体、こういう地方の町の写真館で見るものと大差はないが、切れ目のはっきりしたすずしいつきだけはうつされている男女に共通のものがあってこの土地の人の風貌ふうぼうを特色づけていた。
 だが、私が異様に思ったのは、それらに囲まれて中央にってある少年の大きな写真である。写真それ自体がかなり旧式のものをさらに年ふるしたせいもあるだろうが、それにしても少年の大ようで豊かでそして何か異様なものが写真面に表われているのに心がうたれた。
 少年はいい絹ものらしい着物を無造作に着て、眼鼻立めはなだちの揃った顔を自然に放置していた。いくら写真を撮し慣れた人でも、これくらい写真機に対して自然に撮させた顔もすくなかろう。
 私が思わず硝子ガラス近く寄って、つくづくながめ入るのを見て、有志の一人はそばに来て言った。
「それは、東北地方では有名だった四郎馬鹿しろうばかの写真です」
白痴はくちなのですか、これが」私はたずね返した。
「白痴ですが、普通ふつうの馬鹿とは大分変っておりまして、みんなに、とても大事にされました」
 そして、これも遠来の講演者に対する馳走ちそうとでも思ったように四郎馬鹿について話してくれた。

 汽車の係員たちまでがこの白痴の少年には好意を寄せて無賃で乗車さす任意のあつかいが出来たというから東北の鉄道も私設時代の明治四十年以前であろう。この町に忽然こつぜんとして姿の見すぼらしい少年が現われた。
 少年は、見当り次第の商家の前に来て、その辺にあるほうきを持って店先をくのである。その必要のある季節には綺麗きれいに水をくのである。そうしたあと、少年はにこにこして店の前に立って何かを待つ様子である。
 始めは何事かわからなかった店の者は余計なことをすると思って、少年の所作を途中とちゅうさまたげたり、店先に立つ段になるとしかって追い放ったりした。少年は情ない顔をしてげ去る。ときどきは心ない下男に打たれて泣きわめきながら走ったりした。
 けれども少年はしばらくすると機嫌きげんを取直す。というよりもごみを永くめてはおけない流水のように、新鮮しんせんで晴やかな顔がすぐ後から生れ出て晴やかな顔つきになる。そしてもう別の店の前を掃くのであった。
「性質のいい乞食こじきなのだ。一飯いっぱんめぐみにあずかりたいのだ」
 そう受取るようになった店々のものは、掃除そうじをしたあとで立つ少年を台所の片隅かたすみに導いて食事をさせた。少年はなぜこれが早く判らなかったのだろうという顔つきをして、うれしそうにはしを取り上げる。
 少年には卑屈ひくつの態度は少しも見えなかった。
 食事の態度は行儀ぎょうぎよくつつましかった。少年はたっぷり食べた。「お雑作でがんした」礼もちゃんと言った。店のいそがしいときや、面倒めんどうなときに、家のものは飯をにぎり飯にしたり、または紙にせて店先からあたえようとした。すると少年は苦痛な顔をして受取りもせず、きびすを返してすごすごと他の店先へ掃きに行った。すわってぜんに向うのでなければ少年は食事と思わなかった。
 少年は銭も受取らなかった。銭はもらったこともあるが大概たいがい忘れて紛失ふんしつするのでりたらしい。
「あれは、どこか素性すじょうのいい家に生れた白痴なのだ」
「そう言えば、上品だ」
 町の人は、少年自身がわずかに記憶きおくしている四郎という名を聞き取って四郎馬鹿と言ったが、四郎馬鹿さんと愛称をもって呼ぶようになった。

「四郎馬鹿さんに見舞みまわれた店はどうも繁昌はんじょうするようだ」
 東北の町々にこういう風評が立った。だいぶ以前から四郎は、最初出現したS――の城下町にもいて、五六里へだたった新興の市へ遊びに行った。だれか物好きに荷馬車にでも乗せて連れて行ったらしい。それから少年は町から町へ漂泊ひょうはくすることを覚えた。汽車にも乗せた人があるらしい。奥羽おうう、北国の町にもかれ放浪ほうろう範囲はんいは拡張された。それらの町々でも少年の所作に変りはなかった。店先の掃除そうじをして一飯の雑作に有りついた。誤解や面倒がる関門を乗りして四郎の明澄性めいちょうせいはそれらの町々の人の心をもとらえた。
「四郎馬鹿さんに見舞われた店は、どうも繁昌するようだ」
 それには多分に迷信性と流行性があったかも知れない。しかし少年の一点のひがみも屈託くったくもない顔つきと行雲流水のような行動とは人々の心に何か気分を転換てんかんさせ、生活に張気を起させる容易なものがあったらしい。マスコットというものはそうしたものである。
 町々の人は少年を歓迎かんげいし始めた。少年の姿を見ると目出度めでたいと言って急いで羽織袴はおりはかまうやうやしく出迎でむかえるような商家の主人もあった。華々はなばなしい行列で停車場へ送ったりした。少年の姿は絹物の美々しいものになった。町の有力者は言った。
「あの白痴を呼んで来るのは町の景気引立策にもいいですなあ」

 北国寄りのF――町の表通りに、さまで大きくはないがしっかりした呉服店ごふくてん老舗しにせがあった。おらんというむすめがあった。四郎はこの娘が好きでF――町へ来ると、きっとこの呉服店へ立寄った。四郎はお蘭のそばにいるだけで満足した。お蘭の針仕事をしている傍にひざをゆるめて坐って、あどけないことをたずねたり単純な遊びごとをしたりした。小春日和こはるびよりの暖かい日にはうとうと居眠いねむりをした。ときに眼を覚まして、そこにお蘭のいるのを確めると、また安心してまぶたをゆるめた。
 お蘭は、世の中の雑音には極めておびやすただ一人、自分だけ静な安らかなひとみを見せる野禽のどりのような四郎をいじらしく思った。彼女かのじょはこの人並でないものに何かといたわりの心を配ってやった。それは母か姉のような気持だった。こうしているうちに一つの懸念けねんがお蘭の心にうかんだ。あるとき彼女は四郎にこういた。
「もし、あたしがおよめに行くとき、四郎さはどうする」
 四郎は躊躇ちゅうちょなく答えた。
「おらも行くだ、一緒いっしょに」
 お蘭は転げるように笑った。
「そんなこと出来ないわ。人を連れて嫁に行くなんて」
 四郎には判らなかった。
「どうしてだ」
「お嫁に行くということは私が向うの人のものになってしまうのだから、その人が承知してくれないじゃ、一緒に行けないのよ」
「お蘭さが誰かのものになるというだかね」
「そうよ」
「ふーむ」

[1] [2] 下一页  尾页


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作家:

  • 下一篇作家:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    没有任何图片作家

    广告

    广告