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母子叙情(ぼしじょじょう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-26 8:12:25  点击:  切换到繁體中文

底本: 昭和文学全集 第5巻
出版社: 小学館
初版発行日: 1986(昭和61)年12月1日


底本の親本: 岡本かの子全集
出版社: 冬樹社
初版発行日: 1974(昭和49)年~1978(昭和53)年

 

かの女は、一足さきに玄関まえの庭に出て、主人逸作の出て来るのを待ち受けていた。
 夕食ごろから静まりかけていた春のならいの激しい風は、もうぴったり納まって、ところどころ屑(くず)や葉を吹き溜(た)めた箇所だけに、狼藉(ろうぜき)の痕(あと)を残している。十坪程の表庭の草木は、硝子箱(ガラスばこ)の中の標本のように、くっきり茎目(くきめ)立って、一きわ明るい日暮れ前の光線に、形を截(き)り出されている。
「まるで真空のような夕方だ」
 それは夜の九時過ぎまでも明るい欧州の夏の夕暮に似ていると、かの女はあたりを珍しがりながら、見廻(みまわ)している。
 逸作は、なかなか出て来ない。外套(がいとう)を着て、帽子を冠(かぶ)ってから、あらためて厠(かわや)へ行き直したり、忘れた持物を探しはじめたりするのが、彼の癖である。
 洋行中でも変りはなかった。また例のが始まったと、彼女は苦笑しながら、靴の踵(かかと)の踏み加減を試すために、御影石(みかげいし)の敷石の上に踵を立てて、こちこち表門の方へ、五六歩あゆみ寄った。
 門扉は、閂(かんぬき)がかけてある。そして、その閂の上までも一面に、蜘蛛手形(くもでがた)に蔦(つた)の枝が匍(は)っている。扉は全面に陰っているので、今までは判(わか)らなかったが、今かの女が近寄ってみると、ぽちぽちと紅色(べにいろ)の新芽が、無数に蔦の蔓(つる)から生えていた。それは爬虫類(はちゅうるい)の掌のようでもあれば、吹きつけた火の粉のようでもある。
 かの女は「まあ!」といって、身体は臆(おく)してうしろへ退いたが、眼は鋭く見詰め寄った。微妙なもの等の野性的な集団を見ることは、女の感覚には、気味の悪いところもあったが、しかし、芽というものが持つ小さい逞(たくま)しいいのちは、かの女の愛感を牽(ひ)いた。
「こんな腐った髪の毛のような蔓からも、やっぱり春になると、ちゃんと芽を出すのね」
 かの女は、こんな当りまえのことを考えながら、思い切って指を出し、蔦の小さい芽の一つに触れると、どういうものか、すぐ、むす子のことを連想して、胸にくっくと込み上げる感情が、意識された。
 かの女は、潜(くぐ)り門に近い洋館のポーチに片肘(かたひじ)を凭(もた)せて、そのままむす子にかかわる問題を反芻(はんすう)する切ない楽しみに浸り込んだ。
 洋画家志望のかの女のむす子は、もう、五年も巴里(パリ)に行っている。五年前かの女が、主人逸作と洋行するとき、一緒に連れて行って、帰国の時そのまま残して来たものだ。
 今日の昼も、かの女は、賢夫人で評判のある社交家の訪問を受け、話の序(ついで)に、いろいろむす子の、巴里滞在について質問をうけた。「おちいさいのに一人で巴里へおのこしになって……厳しい立派なおしこみですねえ。それに、為替がたいへん廉(やす)いというではありませんか。大概な金持の子も引き上げさしてしまうというのに、よくもねえ、さぞ、お骨が折れましょう。その代り、いまに大した御出世をなさいましょう。おたのしみで御座いますねえ」
 その中年夫人は黙っているかの女に、なおも子供の事業のため犠牲になって貢ぐ賢母である、というふうな讃辞(さんじ)をしきりに投げかけた。
 事実、かの女自身も、むす子に送る学資のため、そうとう自身を切り詰めている。また、甘い家庭に長女として育てられて来たかの女は、人に褒められることその事自体に就(つ)いては、決して嫌いではない。で、面会中はかなり好い気持にもなって、讃(ほ)めそやされていた。
 だが、その賢夫人が帰って、独りになってみると、反対に、にがにがしさを持て剰(あま)した。つまり夫人がかの女を、世間普通の賢母と同列に置いた見当違いが、かの女を焦立(いらだ)たせた。それは遠い昔、たった一つしたかの女のいのちがけの、辛(つら)い悲しい恋物語を、ふざけた浮気筋や、出世の近道の男釣りの経歴と一緒に噂(うわさ)される心外な不愉快さに同じだった。
 なるほど、かの女とても、むす子が偉くなるに越した事はないと思う。偉くなればそれだけ、世の中から便利を授かって暮して行ける。この意味からなら願っても、むす子に偉くなって貰いたい。しかし、親の身の誇りや満足のためなら、決してむす子はその道具になるには及ばない。実をいうとかの女も主人逸作と共に、時代の運に乗せられて、多少、知名の紳士淑女の仲間入りをしている。そして、自身嘗(な)めた経験からみたそういう世の中というものに、親身(しんみ)のむす子をあてはめるため、叱(しか)ったり、気苦労さすのは引合わないような気がする。
「では、なぜ?」とかの女はその夫人には明さなかったむす子を巴里(パリ)へ留学させて置く気持の真実を久し振りに、自問自答してみた。まえにはいろいろと、その理由が立派な趣意書のように、心に泛(うか)んだものだが、もうそんな理屈臭いことは考えたくなかった。かの女は悩ましそうに、帽子の鍔(つば)の反りを直して、吐き出すように自分に云った。
「つまりむす子も親もあの都会に取り憑(つか)れているのだ」
 やっと、逸作が玄関から出てきた。画描きらしく、眼を細めて空の色調を眺め取りながら、
「見ろ、夕月。いい宵だな」
といって、かの女を急(せ)き立てるように、先へ潜(くぐ)り門を出た。

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