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玉藻の前(たまものまえ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-27 10:33:34  点击:  切换到繁體中文


    二

 小源二から聴かされた不思議な話を、千枝太郎は途(みち)みち考えながら歩いた。衣笠に逢えなかったという失望もあった。その怪しい上臈が何者であろうかという疑いもあった。疑いはまずかの玉藻の上に置かれた。
 三浦の門前で出逢った牛車(ぎっしゃ)のぬしは、どうも玉藻であるらしく思われた。たとい玉藻であるとしても、往来で人に逢うのは不思議でない。しかしそれが偶然のめぐりあいではないように千枝太郎には疑われた。その疑いをだんだん押し拡げていくと、ゆうべ衣笠をおびやかした怪しい上臈も、もしや玉藻ではないかという結論に到着した。
 それにしても、玉藻はなぜ三浦の娘をおびやかそうとしたのか。しかも小源二の物語から想像すると、彼女の振舞いはどうしても尋常(ただ)の人間ではないらしい。彼はさきの夜、犬の群れに取り囲まれた時の玉藻のおそろしい顔を思い出した。きのうの朝、陶器師の翁から聴かされた古塚参詣の怪しい女の姿を思い泛(う)かべた。これらの事実を綜合してかんがえると、かの古塚のあたりにさまよっている女も、三浦の屋敷に入り込んだ女も、すべて玉藻ではあるまいかとも思われた。彼はその実否(じっぷ)を確かめるために、今夜こそは小町の水の近所へ忍んで、怪しい光りを放っていく女の正体を見定めようと決心した。
 きょうも思わしいあきないもなしに、彼はいつもより早く帰った。そうして、夜の更けるのを待って、かの古い塚をつつんだ大きい杉の森の近所へ忍んで行った。雨気を含んだ暗い夜で、低い空の闇を破って啼いていく五位鷺(ごいさぎ)の声がどこやらで聞こえた。彼はふた※(とき)ほどもそこに立ち迷って、自分の眼をさえぎる何物かのあらわれるのを待っていたが、その夜はなんの獲物(えもの)もなしに帰った。
 あくる日、彼はかさねて京へ出て、三浦の屋敷の門前に立った。衣笠がその後の様子を知りたいので、彼は根(こん)よく門前にさまよっていると、顔を知っている家来の一人が出て来た。よび止めてそっと訊くと、その後には何の怪異(あやかし)もない。衣笠も無事である。三浦介はそのあやかしを鎮めるために蟇目(ひきめ)の法を行なっているとのことであった。それを聞いて千枝太郎はすこし安心したが、衣笠に逢えないで帰るのがやはり心さびしかった。彼は何物にか引き止められるような心持で、門前に暫くたたずんでいた。
 思い切ってそこを立ち去った彼は、さらに土御門の方角へ足を向けた。きのうの小源二の話で、師の泰親の無事であることが判ると共に、彼は俄に師匠がなつかしくなって、直きじきの対面は許されずとも、せめてよそながら屋敷の姿を窺って来たいと思い立ったのである。彼は屋敷の前に近づいて、忍ぶように内を覗くと、軒に張り渡された注連縄(しめなわ)が秋風に寂しくゆらいで、見おぼえのある大きい桐の葉が蝕(むし)ばんだように枯れて乾いて、折りおりにかさこそ[#「かさこそ」に傍点]と鳴っていた。それを仰いでいるうちに、言い知れない悲しさと懐かしさとが胸いっぱいになって、彼の眼はおのずとうるんできた。彼は思わず土にひざまずいて、よそながら師匠に無沙汰の罪を詫びていると、その頭の上で不意に彼の名を呼ぶ者があった。おどろいて振り仰ぐと、それは兄弟子の泰忠(やすただ)であった。
「お身がもとの烏帽子折りになったということは、よそながら聴いていた。どうじゃ、変わることはないか」
 久し振りで兄弟子の優しい声を聴いて、千枝太郎はいよいよ悲しくなった。彼はにじみ出す涙を両袖で拭きながら答えた。
「お身も変わることが無うて何よりじゃ。御勘当の身では何をすべきようもないので、よんどころなしに旧(もと)のなりわい、むかしの朋輩(ほうばい)に顔を見らるるも恥ずかしい。して、お師匠さまはどうしてござる」
「その後も悪魔の調伏に心を砕(くだ)いて、夜も碌々にお眠りなさらぬ」と、泰忠も声をくもらせて言った。「それに付けても口惜しいのは、悪魔のいよいよはびこることじゃ。お身はまだ知らぬか、玉藻はいよいよ采女(うねめ)に召さるるというぞ」
 さきごろ関白忠通から正式に玉藻を采女に推薦した。それに対して、頼長は相変わらず強硬に反対したが、忠通は頑として肯(き)かなかった。何分にもこの前とは違って玉藻は雨乞いの奇特(きどく)を世に示して、その名はもう雲の上までも聞こえている。相手にはそういう強味がある上に、頼長が唯一(ゆいいつ)の味方と頼む信西入道がなぜか今度は不得要領で、木にも付かず草にも付かぬというあいまいの態度を取っているので、味方はいよいよ影が薄い。蔭では兄の文弱を日ごろ罵り卑しめている頼長も、さすがに殿上で顔を向き合わせては、有る甲斐なしに兄を言い破るわけにもいかない。もうひとつには、玉藻の三井寺詣でを待ち受けて、遠矢に掛けようとした事も忠通に知られている。そういう事情がいろいろからんでいるので、彼は肚(はら)の中では苛(いら)いらしながらも、正面の論戦ではどうも思うように闘うことが出来ない。かたがた殿上の形勢は相手方の勝利にかたむいて、玉藻はいよいよ采女に召さるることに決まるらしいと、泰忠は残念そうに話した。
「もうこの上はお師匠さまの力一つじゃと、左大臣どのも仰せらるる。お師匠さまも昼夜の祈祷に、やがて精も根も尽き果てらりょうかと案じらるるほどじゃ。我らとても同様の苦労、察しておくりゃれ」と、泰忠は蒼ざめた唇をゆがめながら言った。
「そりゃ容易ならぬことじゃ」と、千枝太郎もはらわたから絞り出すような溜息をついた。「それに就いてわしも思い当たることがある。子細はこうじゃ」
 彼は兄弟子の耳に口をよせて、かの古塚のことや三浦の屋敷のことをささやくと、泰忠は眼をみはりながら聴いていた。
「むむ、よいことを教えてくれた。三浦のことはお師匠さまもわれわれも承知じゃが、古塚の怪異(あやかし)はまだ聞かぬ。よい、よい、きっとお師匠さまに申し上ぐる。お身もこれを功に御勘当が赦(ゆる)さりょうも知れぬ。この上にも心をつけて働いておくりゃれ。頼んだぞ」
 兄弟子から鋭(するど)く励まされて、千枝太郎のしおれた魂も俄に勇んだ。彼はきっとその怪異を探り出すことを泰忠に誓って別れた。彼はもう悠々と京の町などをうろついてはいられないので、山科の家へ急いで帰った。
「きょうもくたびれ儲けか」と、なんにも知らない叔母は笑っていた。「したが、そのうちにはおのずとなりわいの道も覚えて来る。必ず倦きてはならぬぞよ」
 気のよい叔母は彼の不働きを責めようともしないので、千枝太郎は幾らか気安く思った。そうして今夜こそは自分の務めを果たさなければならないと、張りつめた心を抱えて夜の更(ふ)けるのを待っていたが、どうも落ち着いてはいられないので、彼はゆうべよりも早く家を出て、陶器師の翁をたずねた。
翁(おきな)よ。少し頼みがある。わしを小町の水の森へ案内してくれぬか。身内から光りを放った女が通り過ぎたというのはどのあたりか、案内して教えてくれ」
 途方もないと言うように、翁はしばらく黙って相手の顔を見つめていたが、やがて思い出したようにその手をゆるく振った。
「ならぬことじゃ。くどくもいう通り、塚の祟りがおそろしいとは思わぬか」
「いや、それを見とどけたらわしも出世する。翁にも莫大の御褒美を貰うてやる。どうじゃ、それでも頼まれてくれぬか」
「はて、出世も御褒美も命があっての上のことじゃ。ましてわしも人づてに聞いたばかりで、詳しいことはなんにも知らねば、いくら頼まれてもその案内が出来ようぞ。どんな出世になるか知らぬが、お身もやめい。あのような所へは行くものではないぞ」
 いくら強請(せが)んでも動きそうもないので、千枝太郎もあきらめてそこを出た。今夜は薄い月が行く手を照らして、もう木枯らしとでもいいそうな寒い風が時どきに木の葉を吹きまいて通った。千枝太郎はその風にさからって森の方へ急いで行った。大きい杉のかげに身を寄せて、彼はゆうべと同じようにふた※(とき)ほども待ち暮らしたが、折りおりに落葉のころげてゆく音ばかりで、土の上には犬一匹も通らなかった。
「今夜も無駄か」
 彼は失望してもう引っ返そうかと思っている時に、京の方角から牛車の軋(きし)る音がぎいぎいと遠くきこえた。木蔭からそっと首をのばして窺うと、牛飼いもない一輌(りょう)の大きい車が牛のひくままにこちらへ徐(しず)かにきしって来た。薄い月は高い車蓋(やかた)を斜めにぼんやりと照らしているばかりで、低く這って来る牛の影も、月に背いた車の片側も、遠くからはっきりとは見えないので、さながら牛のない片輪車が自然に揺らめいて来るかとも怪しまれた。千枝太郎は身を固くして、この怪しい車の音に耳を澄ましていた。
 車はだんだんに近づいて、棟の金物(かなもの)の薄くきらめくのも見えるほどになった時に、もう待ち切れなくなった千枝太郎は木のうしろから衝(つ)とあらわれて、覚束ない月の光りでその車の正体を見届けようとすると、不思議に車の轅(ながえ)は向きをかえた。かれを追う牛飼いもないのに、牛はおとなしく向き直って、元来た京の方へのろのろと歩んで行くのであった。千枝太郎はおどろいた。驚くと共に彼の疑いはいよいよ募って、なんの分別もなしに車のあとを追った。歩みの遅い牛の尻へ彼はすぐに追い付いて、右の轅に取り付きながら前すだれを無遠慮にさっと引きめくると、薄い月は車のなかへ夢のように流れ込んで、床(とこ)にすわっている女の顔を微かに照らした。
 その顔をひと目見て千枝太郎は立ちすくんだ。車のぬしは三浦の孫娘の衣笠であった。衣笠が今頃ただ一人でどうしてこんな所へ来たのか。千枝太郎は自分の眼を疑うように、呆れてしばらく眺めていると、すだれはおのずからさらりと落ちて、車は再びゆるぎ出した。
「わらわに恋するなど及ばぬことじゃ。思い切れ。思い切らぬと命がないぞ」
 すだれのなかでは朗(ほがら)かな声で言った。

    三

 なんの祈願(ねがい)か、なんの呪詛(のろい)か。殊に外出を封じられている衣笠が、この夜ふけに一人の供をも連れないで何処(いずこ)へ行くつもりであったろう。千枝太郎にはとてもその想像が付かなかった。さらに不思議なのは、その車が彼の姿をみると俄に向きを変えてしまったことである。もう一つ彼をおびやかしたのは、すだれのうちから響いた女の声であった。
 わらわに恋するなど及ばぬこと――それが強い意味を含んで千枝太郎の胸にこたえた。恋か何か知らないが、彼は初めて衣笠の名を聞いたときから――初めて衣笠の顔を見た時から――彼の心はその方へ怪しく引き寄せられてゆくように思われた。彼の心は知らずしらずに妖麗の玉藻を離れて、端麗の衣笠の方へ移っていった。その秘密、彼自身すらもまだはっきりとは意識していない内心の秘密を車のぬしはとうに見破っているらしい。一種の羞恥心と恐怖心とがひとつになって、千枝太郎はもうその車を追いかける勇気を失った。彼は石のように突っ立って、だんだんに遠ざかっていく車の黒い影をいたずらに見送っていた。
 車のぬしは確かに衣笠であろうか。あるいは自分の見損じで、彼女はやはり玉藻ではあるまいか。衣笠の顔と玉藻の顔と、衣笠の声と玉藻の声と、それが一つにこぐらかって、混乱した千枝太郎の頭にはもうその区別が付かなくなってきた。どう考えても衣笠が今頃ここへ来る筈がない。それがやはり玉藻であるらしく思われてきたので、彼はもう一度その正体を見極めたくなって、大胆に再びそのあとを追おうとすると、彼の踏み出した足はたちまち引き戻された。何者にか、その袖をしっかりと掴まれているのであった。
「千枝太郎、待ちゃれ」
 それが師匠の声であることは、この場合にもすぐに覚えられたので、彼はあわてて捻じ向くと、自分の袖を掴んでいるのは兄弟子の泰忠であった。そのそばには播磨守泰親も立っていた。
「千枝太郎。あっぱれの働きをしてくれた」と、泰親は自分の足もとにひざまずいている弟子をみおろしながら言った。「もう追うには及ばぬ。正体はたしかに見とどけた。お身の訴えを泰忠から聴いて、泰親自身で様子を探りにまいった。よう教えてくれた。かたじけないぞ。これで正体もみな判った」
 師匠はひどく満足したらしい口吻(くちぶり)であるが、弟子にはそれがよく判らなかった。千枝太郎は怖るおそる訊いた。
「して、あの車のぬしは何者でござりましょう」
「お身の眼にはなんと見えた。あれは紛(まぎ)れもない玉藻じゃ」
「玉藻でござりましょうか」
彼女(かれ)でのうて誰と見た。三浦の娘などと思うたら大きな僻目(ひがめ)じゃ」と、泰親は意味ありげにほほえんだ。
 千枝太郎は再びおびやかされた。師匠も自分の胸の奥を見透かしているらしいので、彼は重い石に圧(お)し付けられたように、頭をたれたまま小さくうずくまっていた。
「もう夜が更(ふ)けた」と、泰親は陰った月の陰を仰いだ。「わしはすぐに屋敷へ帰る。千枝太郎も一緒に来やれ」
 改めてなんの言い渡しはなくとも、これで彼の勘当はゆるされたのである。千枝太郎はよみがえったように喜んで、泰忠と一緒に師匠の供をして京へ帰った。帰るとすぐに、泰親はこの二人のほかに優れた弟子の二人を奥へ呼び入れた。いずれも河原の祈祷に幣(へい)をささげた者どもである。師匠は四人の弟子たちに言い聞かせた。
「千枝太郎の訴えで何もかもよく判った。かの古塚へ夜な夜な詣る怪しの女はまさしく玉藻に極わまった。察するところ、かの古塚のぬしが藻(みくず)という乙女(おとめ)の体内に宿って、世に禍いをなすのであろう。就いては泰親の存ずる旨あれば、夜があけたら宇治の左大臣殿にその旨を申し立て、かの古塚のまわりに調伏の壇を築いて、かさねて降魔の祈祷を試むるであろう。鳥を逐わんとすればまずその巣を灼(や)くというのはこの事じゃ。今度こそは大事の祈祷であるぞ。ゆめゆめ油断すまいぞ」
 有明けのともしびに照らされた師匠の顔は、物凄いほどに神々(こうごう)しいものであった。昼夜を分かたぬ連日の祈祷に痩せ衰えた彼の顔も、今度は輝くばかりに光っていた。四人の弟子も感激して師匠の前を引き退がったが、泰親の居間には明るい灯があかつきまで消えなかった。
 弟子たちは自分の部屋へ戻ってうとうとしたかと思うと、忽ちに師匠の声がきこえた。
「もう夜が明けたぞ。泰忠は早く支度して宇治へまいれ。早う行け」
「心得ました」
 泰忠はすぐに跳ね起きて屋敷を出て行った。いつもならばこの使いは自分に言い付けられるものをと、千枝太郎は羨ましいような心持で門(かど)まで見送って出た。東がすこし白んだばかりで、深い霧の影が大地を埋めているなかを、泰忠が力強く踏みしめて歩んでいくのが、いかにも勇ましく頼もしく思われて、千枝太郎も一種の緊張した気分になった。
 この時代の人が京から宇治まで徒歩(かち)で往き戻りするのであるから、帰りの遅いのは判り切っているので、千枝太郎は彼の戻って来るまで山科へ一度帰りたいと思った。
「ゆうべ出たぎりで、叔父や叔母も定めて案じておりましょう。昼のうちに立ち帰って、この次第を語り聞かせとう存じまするが……」と、彼は師匠の前に出て願った。
「もっとものことじゃ。叔父叔母にもよう断わってまいれ」
 師匠の許しをうけて、千枝太郎は土御門の屋敷を出た。その途中で彼は又、あらぬ迷いが湧いて来た。自分もいったんはそう疑い、師匠は確かにそう言い切ったのであるが、車のぬしは果たしてかの玉藻であろうか。自分の見た女の顔はどうも衣笠に似ているらしく、殊にその身内からはなんの光りも放っていなかった。勿論、この場合には、自分の目よりも師匠の明らかな眼を信じなければならないと思いながらも、彼はまだ消えやらない疑いを解くために、その足を七条の方角へ向けた。
 三浦の屋敷へ行って、家来に逢ってきくと、やはりきのうと同じ返事で、その後なんにも変わったことはないと言った。
「娘御はゆうべ何処(いずこ)へかお忍びではござりませぬか」と、千枝太郎はそれとなく探りを入れてみた。
「なんの、お慎みの折柄じゃ。まして夜陰(やいん)にどこへお越しなさりょうぞ」と、家来は初めから問題にもしないように答えた。
 これを聞いて千枝太郎も安心した。もう疑うまでもない。車のぬしを衣笠と見たのは自分の僻目(ひがめ)で、彼女はやはり玉藻であったに相違ない。それにしては、わらわに恋するなど及ばぬこと――この一句の意味がよく判らなかった。玉藻は自分の方から一度首尾して逢うてくれとたびたび迫り寄って来るのでないか。それがまことの恋であるかないかは別問題として、思い切らねば命を取るとまで言い放すのは余りにおそろしい。千枝太郎はいろいろにその問題をかんがえた。
 三浦の屋敷にあらわれた怪しい上臈は、衣笠にむかって早く故郷へ帰れと言った。ゆうべの怪しい女は、自分にむかって恋を思い切れと言った。それとこれを綴りあわせて考えると、玉藻は自分の心が衣笠の方へひかれていくのを妬んで、いろいろの手だてを以って彼女を嚇(おど)し、あわせて自分を嚇そうとするのであろう。ゆうべも衣笠の姿を自分に見せて、衣笠の口真似をして自分を嚇したのであろう。
 こうだんだんに煎じつめて来ると、玉藻はどう考えても魔性の者である。もう寸分も疑う余地はないのである。千枝太郎はあらん限りの勇気を奮い起こして、師匠と共におそろしい悪魔をほろぼさなければならないと決心した。彼は男らしい眉をあげて、高く晴れた大空を仰ぎながら、けさの泰忠と同じように大地を力強く踏みしめながら歩いた。
 叔父はあきないに出て留守であった。叔母に逢って、勘当の赦(ゆ)りたわけを手短かに話して、千枝太郎はすぐに京へ引っ返して来た。土御門の屋敷へ帰ると、泰忠はもう先きに戻っていた。彼は宇治へゆく途中の頼長に逢って、ひとつ牛車に乗せられて来たのであった。
「いよいよあすはかの古塚にむかって最後の祈祷を行なうことに決めた。左大臣殿は塚を発(あば)けと申さるる。それもよかろう。いずれにしてもあすは大事じゃ。怠るな」と、泰親はかさねておごそかに言い渡した。「千枝太郎、お身は今度の功によって、祈祷の数に加えてやるぞ」
 千枝太郎は涙にむせんで師匠の恩を感謝した。その夜なかに彼は怪しい夢を見た。
 場所はどこだか判らないが、彼は三浦の孫娘と連れ立って広い草原をあるいていた。そこには野菊や桔梗(ききょう)が咲き乱れて、秋の蝶がひらひらと舞っていた。二人は手を把(と)って睦まじくあるいて来ると、草の中には陥穽(おとしあな)でもあったらしい。衣笠のすがたは忽ち消えるように沈んでしまった。と思うと、入れ替わって玉藻の形がありありと現われた。
「三浦の娘に心を移そうとしてもそれは成らぬ。おまえと藻(みくず)とは前(さき)の世からの約束がある。いかにわたしを仇(かたき)にしようと思うても、所詮(しょせん)むすび付いた羈絆(きずな)は離れぬ。今別れても再びめぐりあう時節があろう。これを覚えていてくだされ」
 彼女は草の奥にある大きい怪しい形の石を指さして消えた。千枝太郎の夢もさめた。夜があけると、彼は急に胸苦しくなって、湯も米も喉へは通らないように思われた。しかしきょうは大事の日であるので、彼は努めて早く起きて、ほかの弟子たちと一緒にきょうの祈祷の仕度に取りかかった。謹慎(つつしみ)の身である泰親が、白昼(まひる)の京の町を押し歩くということは憚りがあるので、彼は頼長から差し廻された牛車に乗って、四方のすだれを垂れて忍びやかに屋敷を出た。ほかの弟子たちは笠を深くしてそのあとについて行った。
 頼長の指図をうけて、源氏の侍どもはかの森のまわりを厳重に取り囲んでいた。そのなかには三浦介義明も木蘭地(もくらんじ)の直垂(ひたたれ)に紺糸の下腹巻をして、中黒藤(なかぐろとう)の弓を持って控えていた。三浦の党は上洛以来きょうが初めての勤めであるので、彼も家来どもも勇気が満ちていた。千枝太郎に折らせた新しい烏帽子の緒を固く引きしめて、小源二も大きい長巻(ながまき)を引きそばめていた。
 この物々しい警固のなかを分けて、泰親の群れは昼でも薄暗い森の奥へはいった。邪魔になる立ち木は武士どもに伐り倒されて、そこには祈祷の壇が築かれた。陰った秋の空は低くたれて、森には鳥一羽の鳴く声もきこえなかった。
 壇に登ったのは河原の祈祷とおなじように四人であった。彼らはやはり五色(ごしき)に象(かたど)った浄衣(じょうえ)をつけていた。泰親の姿は白かった。落葉に埋められた円い古塚を前にして、祈祷は午(うま)の刻(正午十二時)から始められたが、それが息もつかずに夜まで続いたので、そこらには篝火(かがりび)が焚かれた。木の間へ忍び込む夜風にその火がゆれなびいて、五色の影を時どきに暗く隠すかと思うと、又明かるく浮き出させるのも物凄かった。警固の人びとも草も木も息をひそめて、このすさまじい祈祷の結果をうかがっているらしかったが、夜の亥(い)の刻(午後十時)を過ぎた頃に、梢をゆする夜風がひとしきり烈しく吹いて通ったかと思うと、今まで黙っていた古塚が地震(ないふる)ようにゆらゆらと揺るぎ出した。
 この時である。壇のまん中に坐っていた泰親は忽ち起(た)ち上がって、ひたいにかざしていた白い幣を高くささげながら、塚を目がけて礑(はた)と投げつけると、大きい塚はひと揺れ烈しくゆれて、柘榴(ざくろ)を截(た)ち割ったように真っ二つに裂けた。

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