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玉藻の前(たまものまえ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-27 10:33:34  点击:  切换到繁體中文


    二

 玉藻のゆくえは無論に判らなかった。おそらく彼女は熊武を引っ掴んで虚空(こくう)遥かに飛び去ったのであろう。いずれにしても魔女は姿を隠したのであるから、頼長の一党は勝鬨をあげて祝った。安倍泰親は妖魔を退散せしめた稀代の功によって従三位(じゅさんみ)に叙せられた。
「泰親もこれで務めを果たしたわ」
 彼は初めて鏡にむかって、俄に鬢鬚(びんひげ)の白くなったのに驚いた。しかも彼に取っては一代の面目、末代の名誉である。今まで閉じられた屋敷の門は、そのあしたから大きく開かれて、祝儀の人びとが門前に群がって来た。
 その賑(にぎ)にぎしい屋敷の内に只ひとり打ち沈んでいる若い男があった。それは千枝太郎泰清である。彼は当日の朝から俄に胸苦しいのを努めて、祈祷の供に加わった。祈祷が終わると、彼はもう魂がぬけたように疲れ果ててしまった。あくる日もやはり胸がいっぱいに塞がっているようで、湯も喉へは通らなかった。
「張りつめた気がゆるんだせいじゃ。おちついて少し休息せい」と、兄弟子の泰忠が親切にいたわってくれた。
 張り詰めた気がゆるむ――どうもそればかりではないらしく、彼自身には思われてならなかった。
 悪魔が形を消した――それは勿論、喜ばしいことに相違なかったが、それと同時に藻(みくず)という美しい女の形がこの世界から全く消え失せてしまったということが、千枝太郎には悲しく思われた。こうなると、たとい悪魔の精を宿しているにもせよ、藻という女の姿をもう少しこの世にとどめて置きたかった。彼は俄に藻が恋しくなった。世の禍いを鎮めるためとはいいながら、彼は古塚の秘密をみだりに兄弟子に口走ったのを今さら悔むような気にもなった。それは愚かであると知りながらも、彼はやはり藻が恋しかった。その形を仮りていた玉藻が恋しかった。
 この埒(らち)もない心の悩みを癒すために、彼は三浦の娘をたずねようと思い立った。祈祷から三日目の午(ひる)すぎに、千枝太郎は七条へ忍んで行って三浦の宿所の門前に立つと、彼は小源二から思いも寄らない報告をうけ取った。
「お身はまだ知らぬか。衣笠どのはおとといの夜にむなしくなられた」
「衣笠どのが亡(う)せられた……」
 千枝太郎は声も出ないほどに驚いた。小源二の話によると、祈祷の夜の亥(い)の刻ごろ、泰親がかの黒髪を火に燃やしたと恰(あたか)もおなじ頃に、彼女はにわかにこの世を去ったというのであった。屋敷じゅうの男どもはみな主人の供をして山科郷へと向かっていた留守であるから、詳しいことは確かにわからないが、そのときかの怪しい上臈が再び庭さきに姿をあらわしたと侍女(こしもと)どもはささやいていた。
「じゃによって、われらが案ずるには、かの玉藻めが殿様のお留守を窺って、衣笠殿に祟ったのではあるまいか。彼女(かれ)めが正体をあらわして飛び去るときに、憎いと思うものをとり殺していく。それはさもありげなことじゃが、なぜそれほどに衣笠どのに執念(しゅうね)く禍いするか、それが判らぬ。殿様以(も)ってのほかの御愁傷で、よその見る目もおいたわしい。こうと知らば大切の孫娘をわざわざ都までは連れまいものをとのお悔みも、さらさら御無理とも思われぬよ」と、小源二もさすがに鼻をつまらせて語った。
 千枝太郎は新しい悲しみに囚(とら)われた。玉藻がなぜ衣笠の命を奪って行ったか、それは誰にも判ろう筈はないが、彼には思い当たることがないでもなかった。玉藻のおそろしい妬み――それが禍いのもとであるらしく思われてならなかった。三浦介が孫娘を連れて来たのを悔むとは又違った意味で、彼は三浦の宿所へ出入りしたのをしきりに悔んだ。彼は祈祷の前夜の怪しい夢を今更のように思い出した。
「思えばほんにおいたわしいことじゃ」と、千枝太郎もうるんだ眼瞼(まぶた)をしばたたいた。「方がたの御心中もお察し申す。われらがお悔み申し上ぐると、三浦の殿にもよろしゅうお取次ぎ下され」
 小源二にわかれて、彼は暗い心持で土御門の屋敷に帰った。それでも日を経るにしたがって、彼の元気もだんだんに回復して来た。師匠やほかの弟子たちの晴れやかな顔を見ていると、彼の結ぼれたような胸もおのずと開けて来た。
 十日ほどの後に、彼は師匠の許しを得て山科へゆくと、叔父も叔母も彼の手柄を喜んでくれた。それと同時に、彼はここでも思いも寄らない話を聞かされた。
「お前の久しい馴染みであった陶器師(すえものつくり)の翁(おきな)が俄に死んだよ」と、叔父は気の毒そうにささやいた。
「おお、あの翁が死んだかよ」と、千枝太郎はまた驚かされた。
「丁度あの祈祷の明くる朝であった。いつも早起きのあの翁が日の高うなるまで戸をあけぬのを不審がって、近所のものが隙きまからそっと覗いてみたら、翁は紙衾(かみぶすま)から半身這い出して、両手に空(くう)をつかんだままで……。ああ、善(い)い人であったがのう」
「ほんに善い人であったがのう」と、千枝太郎はおおむ返しに言って、深い溜息をついた。
 古塚へ夜まいりの女をみたという弥五六は、何物にか喉を食い裂かれて死んだ。それを千枝太郎に教えた陶器師の翁も三浦の孫娘とおなじ夜に死んだ。それらを一いち思いあわせると、彼は一種の強い恐怖におそわれた。玉藻という女を中心にして、いろいろの悲哀と恐怖とが再び千枝太郎の胸に重い石を置いた。彼は翁の墓にひと束の草花をそなえて帰った。
 あくる月のはじめである。
 野州(やしゅう)の那須の住人那須八郎宗重(むねしげ)から早馬で都へ注進して来た。それは九月のなかばから白面(はくめん)金毛(きんもう)九尾(きゅうび)の狐が那須の篠原(しのはら)にあらわれて、往来の旅びとを取り啖(くら)うは勿論、あたりの在家(ざいけ)をおびやかして見あたり次第に人畜を屠(ほふ)り尽くすので、宗重は早速に自分の人数を駆りあつめて幾たびか狐狩りを催したが、神通自在の妖獣はここに隠れかしこに現われて、どうしても彼らの手には負えないので、結局それを上聞(じょうぶん)に達するというのであった。頼長はすぐに泰親を召して占わせると、その金毛九尾の妖獣はまさしく玉藻の姿であることが判った。玉藻は東国へ飛び去って、那須野(なすの)ケ原をその隠れ家としているのであった。
「おそらく宗重一人の力では及び申すまい。それがしは都にあって再び調伏をこころみ申す間、源平両家の武士のうちより然るべき者どもを東国へ下され、宗重に力をあわせて悪獣退治のおん計らい然るびょう存じまする」と、泰親は申し上げた。
 玉藻の正体があらわれてから、関白忠通は世間に面目を失った。大納言師道も病気と申し立てて官職を辞した。殊に忠通は魔性の者にたぶらかされて、彼女を采女に申し勧めたのであるから、その責任はいよいよ重大であった。彼も関白の職を去って桂の里の山荘に引き籠ることになった。
 したがって当時の殿上は頼長の支配である。頼長は泰親の意見を容(い)れて、源平両家の武士のうちから然るべきものをすぐり出そうとしていると、それを洩れ聞いて、第一に願い出たのは三浦介義明であった。
 三浦は東国の生まれである。老年ではあるが、弓矢のわざにも長(た)けている。殊に彼は最愛の孫娘を悪魔の手に奪われている。それらの事情をかんがえて、殿上の議論も彼を選むことに一致した。頼長は彼一人に命ずるつもりであったが、源平両家がならび立っている以上、源氏の三浦に対して平家からも相当の武士一人を選み出さなければ権衡をうしなうという議論が勝ちを占めて、平家からは上総介広常を選むことになった。広常はまだ二十九歳で、これも東国の生まれであった。
 三浦、上総の両介はすぐに支度を整えて東国に走(は)せ下った。泰親はかさねて屋敷のうちに調伏の壇をしつらえた。泰忠その他の弟子たちも壇にのぼる人になった。千枝太郎も無論その一人に加えられたが、彼は不思議に魂がゆるんで、どうしても今までのような張り詰めた気分になれなかった。彼は日々のおごそかな祈祷に倦(う)んで来た。
 十月もやがて終わりに近い日である。
 都には今年の冬が俄に押し寄せたように、陰った底寒い日が幾日もつづいて、けさはめずらしく青々とした空をみせたかと思うと、どこからか忽ちにしぐれ雲を運び出して、大粒の霰(あられ)がはらはらと落ちて来た。那須の篠原に狩り暮らしている三浦、上総の籠手(こて)の上にも、こうした霰がたばしっているかと千枝太郎は遠く思いやった。そうして、やがては彼らの矢じりに貫かれなければならない玉藻の運命をも思いやった。こうした考えに心を迷わせている間に、彼の祈祷はおのずとおろそかになった。その怠りがすぐに師匠の眼についた。
「千枝太郎。きょうは大事の日じゃ。おのれはならぬ。さがれ」
 泰親は激しく彼を叱りつけて、祈祷の壇から追い落とした。そうして泰藤という他の弟子に代らせた。
 その日の未(ひつじ)の刻(午後二時)である。泰親は四人の弟子たちから青、黄、赤、黒の幣(へい)を取りあつめ、自分の持っていた白い幣と一つにたばねて、壇を降って縁さきに出た。折りから音を立てて降って来た霰のなかに、彼は東国の空を仰いで五色の幣を一度に投げあげると、四つの幣は宙を舞って元の庭に落ちたが、唯ひとつの白い幣はさながら白い鳥の飛ぶように、高い空をどこまでも走って行った。
 泰親は跳りあがってそのゆくえを見送った。
「あの幣の落つるところに妖魔は確かに封じられた」
 あたかもこの日のこの時刻である。三浦と上総とは霰のなかで那須の篠原を狩り立てて、金毛の狐を射倒したのであった。三浦の黒い矢は狐の頸筋を射た。上総の白い矢は狐の脇腹を射た。その注進はわずかに五日の後、早馬を以って都に伝えられた。
 播磨守泰親は再び面目を施した。しかし重ねがさねの心労で、彼はその後十日(とおか)ばかりは病いの床についた。その間のある夕に、千枝太郎は看病の枕もとをぬけ出して行くえが知れなかった。病いが癒えてから泰親はそれを知って、溜息をつきながら弟子たちに言い聞かせた。
「彼はおそらく那須野へさまよって行ったのであろう。所詮かれの面(おもて)にあやかしの相は消えぬ。救おうとしても救われまい。これも逃れぬ宿世(すくせ)の業(ごう)じゃ」
 弟子たちももう彼のゆくえを探そうとはしなかった。

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