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小熊秀雄全集(おぐまひでおぜんしゅう)-16

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-29 7:05:35  点击:  切换到繁體中文


小倉遊亀論


 画壇でも、文壇でもさうであるが、女流作家は、男の作家に較べて、いくつかの特ママをもつといはれてゐる。『女なるが故に?』といふ点のつけられ方の甘さなどもその特点の一つであらうか、この特点は必ずしもその女流作家のための都合のよい特点とはかぎらないこともある。逆に女なるが故に、男子に劣らぬ努力を払つてゐても、その評価に於いて黙殺的な場合も、また少なからずある、考へても見よ、女性作家に甘い点をつけるものは、男達であつて、決して同じ女同志ではないといふことに注意をする必要があらう。
 女同志の批判は決して甘くないばかりか、場合によつては嫉視的なトゲをさへ加へてゐることがあるので、結局女なるが故にといふ甘い点をつけるものは、男許りであるといふことに到達する。わが小倉遊亀氏は幸なことには、さうした女流作家の特点といふものに決して恵まれてゐる作家だとはいへないやうだ。彼女は特に男達から甘い点をつけられることもなく、彼女自身も、またその女の特点を、善用も悪用もしなかつたやうである。
 それを証拠だてるものとしては、作家に雌伏時代といふものがあるとすれば、彼女の雌伏時代は決して短かい期間ではなかつたことを想つてみたらいゝ、小倉氏がそれでは優れた作品を描かなかつたのであらうか、否、決してさうではない。それは氏の仕事のすべての状態が、氏の作品を理解する条件に恵まれてゐなかつただけのことである。
 この辺で筆者が小倉遊亀論をやるといふことは、甚だもつて興味の深い時期にぶつかつたといふことができよう。しかも現在小倉論をやるといふことは非常に困難な状態に際会してゐる。それは頭ママなしに批評したり、賞めてをくことに間違なくていふ批評をするのであつたら、さうした困難さが伴はないのである。さうした場合ではなく、小倉氏の現在を一つの転換期としてみるといふ場合には、勢ひその批評もデリケートにならざるを得ないではないか――、小倉遊亀氏が何故に評判の作家であるかといふことに就いては、各人各様の見方があるであらう、しかしその各種の批評を貫ぬいて、小倉氏自身の実力的なものが如何なるものであるかといふ吟味は案外に行はれてゐない。
 しかし最近に於いては、これまで女なるが故にも甘やかされてゐなかつた小倉氏が、こゝへ来て、女なるが故に――甘やかされるといふ現象がボツボツと見えてきたといふことは、注目すべき珍現象であらう。『遊亀氏の作品には何ともいへない品のよいデリカシーがある。そしてそれは到底男の作家では及び得ないやうなものだ――』といつた批評も見えてゐる。小倉氏の作品には全くデリカシーがありそれが気品を伴つてゐる。しかしこの批評家のやうに、男の作家では及び得ないやうなものだ――などといふ批評は、矢張り『女なるが故に――』甘やかされた批評の一種と見るべきであらう。芸術的な創作物は、あくまでその評価を具体的な状態で解明していかなければならないものであつて、男であるからとか、女であるからとかいふ『性別』の問題を表面にとりあげるといふ法はないのである。女性作家にとつては、その種の女なるが故にといふ批評の内容的なものを想ひ、抗議的であつていゝ位である。また批評家としても、男の作家では出来ないやうな仕事を小倉女史が為し遂げたといふ批評の仕方は、女の作家を軽蔑したことにも、男の作家を卑屈にみたことにもなるのである。芸術作品に対するお世辞の使ひ方も、性別を加へたお世辞であれば、鼻もちのならない卑しいものに堕することも少くないであらう。
 小倉遊亀氏の人気の基本的な線は、決して最近の現象ばかりをもつてそれを論じられない。しかもその最近の仕事をもつて小倉氏の評価を決定的なものに考へることは、小倉氏、またそれを評する者、何れにとつても危険この上ないことである。
『浴女』『浴後』が彼女を画壇上に浮彫りにしたといふことは事実である。
『溝上遊亀といふ画家がゐましたね、いま評判の『浴女』といふ画を描いた小倉遊亀といふ人とは、どういふ関係があるのですか――』と訊ねられるといふことも考へられる。それをもつ筆ママ者が画壇事情に通じない人に訊ねられたとしたら、何とか答へないわけにはいかない。溝上を、小倉に名前を変へたといふ画の話以外の人事関係などを語らなければならないなどといふことは、全くもつて世話が焼けるし、面倒臭い話でもある。
 小倉氏の作品に就いて、語ることは好ましいことではあるが、人事を論ずることは避けたいのである。しかし改名の件に就いて他人が理由を質ねたとき、それに対してその理由を芸術論的に答へる方法がないかどうかといふことを工夫してみると、その方法があるのである。それには『溝上遊亀といふ人と、小倉遊亀といふ人とは同一人です、溝上時代には草花の類を描いてゐましたが、今度小倉と改名してから人物画を主として描いてゐるやうです――』と答へよう。溝上時代にも人物画を描かなかつたといふことではなく描いてもゐるし、その画中の人物たちは大味ではないが、それぞれ何かしら特長的な味を出したものを発表してゐる。
 こゝで溝上時代を草花時代といふ風に、劃然と分けたことは、溝上時代から小倉時代に到達した遊亀女史の画壇的な系列の中で是非共、溝上時代の草花時代に批評的留意が行はれなければ、小倉遊亀論は成立しないといふことを、特に筆者が強調したいばかりに、さうしたのである。
 小倉遊亀氏の草花を描いた作に対する批評は、とかく『つゝましやかな小品である――』といつた批評が多いやうだが、その批評は常識論といふことができる。最近の人物も悪くはない。この最近の人物画は、とにかく『観る者の心をそそる』種類の絵が多い。しかし小倉遊亀氏の作風殊に絵画上の技術問題を解く鍵は、小品でつつましやかで、さりげなく描いた、草花果実の類に、多くの問題が隠れてゐるといふことができよう。
 殊に草花の場合に、簇生的な花を描くことに特異な手腕を示してゐる。構図的には、花束のやうに中心をまとめ、色彩上の陰影を加へることには特殊な技術をもつてゐるのである。氏の作品を明朗主義に批評した人があつたがそれは確かにその感を与へる、然しその明朗主義は、最近の人物画に於いて殊にさうした状態をみせてゐるのであつて、草花、果実の類には、さういつた種類の明朗主義は認められない。そこでは小倉氏の写実家であるといふ全貌を、発見することができるのである。二十一回の院展の『花』二題も好評のやうであつた。しかしその作品を小品扱ひにして、決して女史の本質的技術の点に作品を通じて論ずる者はまた少ないのである。『浴女』や『浴後』は一言でいへば一般観衆にとつて取つ付き易い絵なのである。殊に『浴女』の場合は、批評をする人間が、小倉氏の絵の批評ではなく、あの絵がつくりだす温泉的な雰囲気にひたるのには、全くもつて都合がいゝその批評家は、ゆらゆらと立ち昇る湯気の中で、ほんとうに温泉にでもひたつたやうな気持になることができる。そのことは小倉氏の絵がうまかつたからである。しかし小倉氏の絵がうまいといふことと、批評家がその絵をみて、ほんとうの温泉に入つたやうな気分になるといふことは別なのであらう。批評家は絵の実感に溶けこんでわるいといふのではないが、描かれた湯の絵と、真個ほんとうの湯との現実性を区分する力を全く失つてしまふといふことは小倉遊亀ファンとしてはいゝが、批評家としては匂ばしくないことなのである。一番関心をもつことができるのは、小倉氏の絵画上の技術問題なのであらう。この技術の様態を解かなければならないのである。然も小倉氏の技術の状態を解くもつとも本質的な画題のものは、むしろ人物よりも、草花果実にありと見る意見と、草花よりも、人物にありとするといふ意見は一応対立しても構はない。
 それでは草花を配した人物、さうした氏の作品は完璧であるかどうか、しかし草花と人物との技術的一致といふものはまだ現はれてゐないやうだ。立派に草花を描くテクニックをもちながら、それを人物に添へてはゐないのである。
 由来画壇にせよ、他の芸術壇にせよ。ジャアナリズムに乗ずるといふことに就いては、単純な理由でこれを見ることはできない。
 小倉遊亀氏が『浴女』を描いて発表したことに就いて、何か世間では得たりかしこしとそれを名作として賞讃したやうな傾きもある。作家の敏感がそれを招くやうにつとめて得られたのか、或はさうした計画が全くないのに世間で突然騒ぎ出したのか、その間の事情も解いてみる必要があらう。小倉氏の浴女に対して、当時色々の批評が下されたが、そのうちで横川毅一郎氏の『浴女』評が最も当つてゐたやうである。氏は曰く『会場主義と芸術主義との全き調和の中に作家の芸術的意図が豊かに遂げられてゐた――』といふことは、図星しを指したものであらう。更に氏は『浴女』と同様に前田青邨氏の『大同石仏』が共に、同じやうな効果を挙げてゐるといつてゐる前田氏の作品に触れることは次に譲らう。
 小倉氏の『浴女』は横川氏の評の如く、全くあれ以上に会場主義と芸術主義との全く調和を遂げることが不可能だと思はれるほどに、その意味での完璧性を見せた作品であらう。ジャアナリズムがそれを見落す筈がないのである。小倉氏は『静思』などといふ作品もあつて、婦人が端然と坐つて、右の手を机の上におき、左り手を袖の下にをいた作品があるが、かういふ形態のもつ計画的な良さは、一般に理解されることがなくして通りすぎたのである。いま端然と坐つてゐる女が、衣服を脱いで湯船にひたるとき、横川氏の批評ではその作品は『観者の感覚や情緒を揺り動かし、多くの人々にはこの作品の前で甘美な優れた音楽を聴いた時に、経験する高度な感情の喚起を経験したに違ひない――』といはせ小倉氏を指して『近代的な明朗主義』であると断じてゐるのである。
 こゝに小倉遊亀氏の古くからの観賞者がゐたとして、彼は女史の草花の写実的な描き方の中に、『高度な感情の喚起』を感じてゐたとせよ。またさうした草花ものを、小倉遊亀氏の実際的な真個うの仕事と観察し、そこにまた彼女の実力も潜伏してゐたと感じてゐたところが、突然、草花が『浴女』の上では裸となり、『浴後』ではちよつと許りつゝましく肌ぬぎになるといふ、テーマの作品を見せられたとしたら、その観賞者は『浴女』『浴後』から『高度な感情の喚起』を呼び起すどころか、冷水を浴びせられたやうに、驚ろくに違ひない。
 然も作風的にも、かなりに正統的なリアリストの描く『花』類を見せてくれて、しかも日本画家があまり手がけたがらない、西洋草花類をも、美しく描ききつてゐる。花の抒情詩人としての小倉氏は、姓名もかはつた許りか画題上の相貌を変へて立ち窺はれたといふことは、相当に驚異的な変り方であらう。『浴女』に於ける浴槽の中の湯のゆたりゆたりと揺曳する状態の描写は、たしかに彼女の写実家として神経をうちこんだ描き方であつた。そのために観賞者は、絵をみてゐるよりも、湯に入つた気分にさへ捉はれたのである。
 湯槽の中の湯の揺曳を線をもつて現はすには、不正な線、つまり歪めた線を有効に配列しなければならないのであるが、湯や水の揺曳、或は湖水の面や河水の面の揺曳といふものは、これまで日本画家はかなりの数色々の形式で取扱つてきてゐるのである。その効果の出し方は、特にその作家が高い意図計画をもつて描かない限り、水の底や、水面をゆらゆらさせるといふやり方は、甚だ通俗的なやり方でさへあり、通俗的な割りに効果を挙げることに成功する方法なのである。
 しかし小倉遊亀氏は何といふ賢こい作家であらう。その後の『浴後』に於いては、前の『浴女』と全くちがつた作画態度をみせてゐる。しかし世間は正直なのである。『浴後』は『浴女』との連作であらうといつた簡単な批評で押しつけようとしたのであるが連作故に批評を避けることはあるまい。また少くとも温泉気分の嫌ひな批評家があると仮定すれば、『浴後』の方の人物達は、着物をもう着てしまつてゐるし、作者である遊亀氏自身その作品で、湯船の上気を拭ひ去つた、冷静さで描いてゐるために、むしろ『浴後』の方に多くの問題を保留してゐると言ふ意味合から、『浴後』により好感をもつであらうと思ふ。
 小倉女史を賢こいといつた意味は、極端に言へば彼女の技術は『詐術的状態』といつてもいゝほどに隠れたテクニックをもつてゐる画家なのである。こゝに批評家がゐて、小倉氏の草花の描写に非常にこの作家の本質と美をみいだして、それを支持しても既に小倉氏は草花画家として今度の画生活を進めようなどとは思つてはゐないだらう。人物をあれほどに効果的に描き得れば、本人もまたそれにも増して世間も、彼女を人物画家として祭り上げようとするにちがひない。
『浴後』のタイル張りの正確な図式的な配列、それによつて、曾つて『浴女』の湯の中の揺曳で効果をあげたと等しい効果を、そつと誰にも知らさぬやうに効果づけてゐる手腕は末怖ろしいものがある。ただ一言小倉女史に苦言を呈し得ることは芸術的効果は、なるべくその通俗的意図から離れて、それでゐて高い一般性を与へる効果を選ぶべきであるといふ一言だけである。
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菊池契月論


 作家的な人気といふものを、確固とした、不動なものとするといふことは、非常に難かしいことに違ひない。それはその画家が、若いころ所謂世にいふところの出世作を発表してから、それからながい間の創作発表によつても、その実力的位置が少くも変らない、変らないばかりか、年毎に佳作を世に出して、世評が高まつてゆくことは、その影にその画家の人知れぬ血の滲むやうな努力が隠れて居るであらう、ところで年毎に鰻上りに、仕事が良くなつてゆくといふことは、ひとつの驚異であるが、それほど眼だつた上達がなくても、人気といふものを、或る一定の基準にぴたりと押へつけて、膝の下にでもこの気儘に暴れまはる『人気』といふ怪獣を押へつけてをくといふ力も、これまた一つの作家の力なのである。人気の上り下りに、いちいち心臓をどきどきさせてゐては、それは小娘の心臓といふものであらう、世にはこの種の小娘の心臓である画家が少くない、人気がちよつと下り気味になると、中にはその下降線をすぐれた絵を描いて発表して、停めるといふのではない、一種の政治的な手当てをやるのである。なかには酷いのは美術記者に金をつかますなどといふやりかたもある、この種の手当ては、ほんの当座の手当であつて、決してその作家の心理の状態を平衡な平安な状態にをくことのできない、膏薬張り的な人気調節法なのである。
 いま菊池契月といふ作家の人気の状態といふものを診断してみる、ある人は斯うその性格と仕事ぶりを評してゐる『契月は才気煥発ではないが――』と、その作品をみると、その穏和な、無理のない仕事ぶりは、この人柄、つまり性格としても才気煥発でもなければ、仕事、つまり制作手段に於いても才気煥発でもないと――思はれる。しかし菊池契月氏を指して、才気煥発でないなどといつた人の顔をみたいのである。また思はず微笑も湧くのである。
 決してその人の言つた言葉が誤りだといふのではない。契月は才気は煥発してゐない、しかし翻つてその人は契月の絵を系統的に見たかといふことと、その作品の本質を吟味したかといふこと芸術上の才気とはどんなものかもつと皮肉な言ひ方をすれば菊池契月氏の作品は才気が煥発しないで描ける絵であるかどうかといふことになつてくる。それはその人と私との『才気煥発』なるものの解釈見解の相違なのである。しかしその才気煥発か、否かといふことを吟味するには、契月を俎上にあげることはいちばん適当なやうである。菊池契月氏こそ真個ほんとうの意味での、才気煥発と呼ばれるべきものではないかと、私は考へられるのだ。瞬間的な燃焼力で華美な仕事をのこした人も多い。しかし永い画壇生活の中にあつて、自己の仕事を貫徹するといふ方法の樹てかたをきめながらその制約の中で、仕事を押さへ、押さへ進めてくるといふことも、これまた非常な『人間の力』を必要とする。それは人間といふものの感情といふものは、物理的形容に置き換へてみると甚だ『圧力的』なもので、悟性の容積の中では、とかく爆発したがるものである。それを自己の定めた一定量の容れ物の中にいつも充満させながら、この容れ物の中のものを過不足なくしてをくといふこともこれまた一つの技術なのであらう。
 菊池契月氏は、さうした意味の強い自己制御があると見るべきだらう。しかもこの自己制御は、それを自己に於いてうけとるといふ、人間的謙遜さがある。その意味は一口でいへば『他人に当り散らさない――』といふ態度である。読者諸君は思ひ当るであらうが、画の制作が順調にすすまないと武者苦者腹で、強引に画面を強調して、それで観衆の感情に押しつけてしまふ態の絵は、展覧会になどはなかなか多いのだ。かうした絵を作者が『他人に当り散らした絵』と私は呼んでゐるのである。我々には何の悪いこともないのに、まるで『これでも感心せんのか――』と叱りつけてゐるやうな押しつけがましい絵がまことに多いのである。さう私が説明してくれば菊池契月氏の画が、ただの一度も諸君を叱りつけたやうなのがあつたかどうか、何時も素朴な状態に於いて、眺めさせるといふ絵が多いのではなかつたか。従つてその世評はまた別だ。だから小説家宇野浩二氏が『麦拒』を評して『実によく書けてゐるといふ。といふ以外に言ひやうのない作品である――』と正直に告白させるやうなものである。宇野氏は契月は二十年一日のやうに。『朱唇』『夕至』等の作品に現はれる女たちの顔と殆んど同じ顔をした女が『麦拒』の場合でもママをふるつてゐるといつてゐる。
 その宇野氏の批評は当つてゐるにちがひない。契月といふ作家は、二十年も三十年も、さまざまな化け方を知つてゐる一匹の化物を飼つてゐるにちがひない。それは人物の顔はいつも同じでそして着てゐるものが変つてゐるだけといふことは、さういふことになるのではないか、この化け物は『朱唇』では処女らしく手を膝の上に揃へてアドケなく化け、『麦拒』ではモンペ姿で働く農婦に化けてゐる。しかしこの化けかたをもつと仔細に吟味してみよう。それは契月氏が芸術を解する狐狸の類を飼つてゐて、それに意匠を替へてさまざまな画題として飛びまはさせてゐるわけではあるまい。何故ならこの作家位これまで、その仕事の上で尻尾を出したことのない作家は珍らしいからである。大家と世間で認められてゐる人の中でも、ときどき思はぬ尻尾を出すことがある。しかし[#「しかし」は底本では「ひかし」]契月氏の場合は、尻尾を出さぬばかりか、その片鱗さへみせないのである。そこで化けかたの点で、もつと驚ろくべき作品がある。それは婦人の肖像の表情の相似性どころではない。『鹿』であらう。この作品では全く動物の顔ではない。動物にこれほど人間的な感情をうちこんで、そして人間的表情に接近させた作品は誰も描いてゐないのである。『鹿』はみればみるほど人間的な表情であり、その作品をみるときは、人物画ばかりではなく、動物画に於いてもあくまで契月の『化け方』がその表情にあるといふことが発見される。そのことは菊池契月氏が化物を飼つて、それを画壇に放すといふことではなく、菊池契月氏その人が化け物だといふことは結論づけられる。それは鹿を描いて、その表情に人間的なものを打ちこむといふこと、古い形容でいふ『対象に乗り移る――』といふことは、飼育してゐる化物位ではやれる仕事ではない。描く人その人が化けるよりは仕方があるまい。契月氏描くところの武者絵の表情を、較べてみたらいい。何といふ契月氏自身の顔によく似てゐることか、つまり契月氏は武者絵に於いては、自画像を描いてゐるのである。
 そして婦人画に於いては、彼は『永遠の女性』を探し出さうとしてゐるにちがひない。契月氏の武者絵の人物の顔が、作者自身の顔に似てゐて、美人画に於いては、ある共通的な美しさを当てはめてゐるといふことは、然もそのことで決して絵がマンネリズムにも陥らず、作品が決して類型的に堕さしめないといふところに、契月氏の隠れた実力があるのであり、人に知れない謙遜な勉強の仕方もあるのである。
 才能といふものを、出し惜しみや、小出しにするといふケチな方法でなく長い画壇生活の間大切に保つといふことは少しはその才能の用ひ方に工夫といふものも要するではないだらうか。すぐれた才能のひらめきを示しながら、その才能を無惨に短かい期間にすりへらす作家もある大家と呼ばれる人でも、その才能を危かしい状態で、磨滅させてゐる人もある。契月氏はよく自己の才能といふものを知つてゐて、その才能の機能にもさまざまの種類があり、自分はかういふ才能のはたらきの仕方をさせることが、自己の立場だといふ自覚がある。今世間の一部では契月の武者絵は、何となく弱い感じだといふ批評もある。
 成程さういはれてみれば『清水』でも『八幡太郎』にしても、なにかしら弱々しい武者を描いてゐる。その弱さの感じから言へば、鎧を着てゐたり、弓をもつてゐたりしてゐても、まるで非戦闘員のやうな弱々しい。むしろ女性的な武者を描いてゐる。だから毛脛だらけの雲助のやうな美術記者や、美術批評家などには気に入る筈がない。しかし契月の武者の『薄弱さ』こそ批評の中心的なのである。
 何も契月が弱々しい武者より描けないわけはない筈だ。また過去には『垓下別離』のやうな髯ツラの武人も描いてゐる。武者絵の場合その人物の手が、たつたいま血を洗ひ落してきたといつた描き方許りを指して、武者絵の定石的なものだといふ解釈の仕方のなかには、少しも画論的意味は成り立たないのである。契月はその大体ならば、血で洗れた手を描くことを常識的な手法といはれてゐるものを、『交歓』に於いて、互に武人同志、握らせてゐるのである。この『交歓』といふ武者絵ほど、武者絵の解釈に新生面をひらいたものはちよつとあるまい、武人といふものは、今も昔も戦争をすることをもつて職業としてゐることは変りはないであらう。しかしこの人達は、のべつまくなしに戦争をしたり、殺し合ひをしてゐるわけでもあるまい。菊池契月氏の顔の中には、戦争をしてゐる武人よりも、戦争をしてゐない武人の方が、より多く占めてゐるやうである。もつと強い言ひ方をすれば彼は戦争をしない武人が好きにちがひない。また我々の日本の過去の歴史のある期間には、たしかに戦争をしない武人の時代も存在したのである。彼は武人画で画中の人物を、時に戦はさうとする本能が働くことがあるにちがひないが、彼のもつてゐる精神的なものがそれをさせない。そこで戦ひの後の武人が、その疲れを清水で医し、交歓しまた鎧の修繕をやつてゐる武人の絵にしてしまふのである。『ゆふべ』とか『南波照間』といつた傾向の作には、造形的な意図がはつきりみえてゐるため、半分の人間性と、半分の絵画性とがあつて、絵の出来は完璧であるに拘はらず、綜合的な感動をみるものに与へない。言ひかへれば、絵かきの絵らしさといふものが、ひとつの夾雑物として邪魔をする。しかし美人画や武者絵の場合は、かなり線の簡略化の方法も洗練の度のすぎたものが、あるに拘はらず、自然に無理がなくうつたへるものが多いのである。契月は『平穏の作者』であつて、決して見るものの心を過度に刺戟することをしない。それは人柄が絵を穏やかにしてゐるのではない。むしろその反対なものがある。作画上ではかなりに強烈なヱゴイストなのである。その自我の強さが、作品を穏和に制約する力量を示し。また力量を貯蓄し、決して作品の、芸術的基準を下げないといふ力量を示してゐるのである。なにか穏やかな平安な作品に対しては、作者の人柄がさうであるからだ――といつた批評をみかける。作品を直ちに人格に結びつけて、具合よく作品論を避けて人格に結びつけてしまふといふことは、現下の美術評論壇には、まことに多いのである。しかしそのことが決して作者に対して礼のある批評家の態度だとはいへないのである。契月論は決して人格論であつてはいけないのである。道義的状態、或は人格的状態に於いては、芸術家は論なく、道義は正しく、人格は高潔であつて当り前のことなのである。すでにそのことは作品以前のことである。つまり作品が現はれない前に於いて、既に人格的にさうなければならない筈のものである。
 作品がすぐれてゐると評し、それはこの作者の人格が生んだものである――といふ評に至つては、後の人格のせいにすることはオマケにもならない。蛇足にすぎない作品の質は、既に作者の人格がその決定権をもつてゐると思つてよろしい良い作品ができてゐるのは、良い人柄がそれをさせたと考へてよい。技術がどうの、出来がどうのと論ずる場合はまた別な観点に立たなければならない。出来上つた作者に対しては、その作者の新しい方向に対しての、過程的なものとして批評する。その場合にも、この一応完成された作者の画風上の本質はあくまで認めた上での、俗にいふところの『注文』を批評家は為せばそれで足りる。もう一つの場合、新進的な、或は画学生的な作者に対しては、批評家はその指導的位置を文章の上で果すべきだらう。今我々は菊池契月氏といふ、既に出来上つた作家に対して、いかなる注文をなしたらいゝか、作品年表をみてもわかるやうに、この作家は、(旧姓細野契月)時代から、如何に活動的な作家であつたかといふことに思ひ到るときは、それは驚嘆に値する。活動的な作家なのである。然もその活動ぶりは華々しいそれといふより、かなりに粘液的なそれである。その持続力のながさ、テンポの平調さで、他の作家に比類をみないほどの着実な歩調なのである。図柄そのものは、人格論で片附けるにはもつてこいの、穏和な作品をかきつづけてきてゐる。しかし武者絵に於いては、その作風の軟弱さ、その柔弱さが目につくほどの、近来個性的作風となつてきてゐる。それに対して作者は抗していかなければならないだらう。作者の芸術的良心の性質は、あの弱々しい武士の鎧の下に隠されてゐる。契月氏の強いヒューマニズムにあり、吾人はそれを支持する必要があらう。
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