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犬神娘(いぬがみむすめ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-2 6:16:06  点击:  切换到繁體中文



        五

 ところがどうでしょうそうあつかっても、船夫たちは云うことを聞こうとはしないで、
「酒手が欲しくて云っているのではごわせん、深夜(よふけ)に坊さんを乗せるってことが……」
「船に坊主は禁物でしてね」
「それに深夜(よふけ)の坊主と来ては……」
「坊主は縁起が悪いんで」
 と、どうしたものかだんだん声高に、坊主坊主とそう叫んで、岸の上の方を見上げるのでした。
 さすがの吉之助様もこの様子を見られて、これはいけないと感じられたのでしょう、チラッと俊斎様へ眼くばせをされ、素早く刀の柄へ手をやられましたが、その時岸の上に女の姿があらわれ、
「船頭さん模様変えだよ、その人たちには用はないのさ。早く船を出しておあげ」
 と、綺麗な声で云うのが聞こえて来ました。申すまでもなく例の女なのです。ところがどうでしょうそう云われましても、
「姐(あね)ごのせっかくのお言葉ですが、あっしたちゃア姐ごに頼まれたんではなく……」
「藤兵衛の親分さんにご依頼受けたんですからねえ……」
「現在坊主が……」
 と口々に云って、船夫(かこ)たちは諾(き)こうとはしないのです。
「お黙り!」と女は癇にさわったような声で、「このお綱がいいと云ってるのだよ、そうさいいから船をお出しって……」
「しかし姐ご、現在坊主が……」
「餓鬼め!」
 とたんに女の片手が、髪の辺へ上がりました。
「ギャーッ」
 まるで獣(けだもの)の悲鳴でした。
 最初から頑強に反対していた船夫の、三十五、六の肥り肉(じし)の奴が、そう悲鳴して顔を抑えましたが、体を海老(えび)のように曲げたかと思うと、船縁(ふなべり)を越して水の中へ真っ逆様に落ち込みました。わたしの見誤りではありません、その男の左の眼から銀の線のようなものが、星の光にキラキラ光って、突き出されているのが見えたことです。小柄かそれとも銀脚の簪(かんざし)か? いまだにわたしには疑がわしいのですが。
「出せ船を!」
「出さねば汝(おのれ)ら!」
「同じ運命だぞ、命がないぞ!」
 見れば吉之助様と俊斎様と、そうして北条右門様とが、抜き身を差しつけ船夫たちを取り巻き、そう叱※(「口+它」、第3水準1-14-88)しておられました。
 グ――ッと船は中流へ出ました。

 茅渟海(ちぬのうみ)の真ん中へ出ました時、ご上人様は一首の和歌をしたため、吉之助様へお目にかけました。

難波江(なにはえ)のあしのさはりは繁くともなほ世のために身をつくしてむ

 こういう和歌でございます。上(かみ)は御大老井伊直弼様の圧迫、下(しも)は捕吏だの船夫(かこ)などの迫害、ほんとにご上人様のご一生は、さわりだらけでございました。
 さてわたしたちを乗せた小倉船は、八昼夜を海上についやしまして、事(こと)なく下関(しものせき)へ着きましたので、とりあえず薩摩の定宿の、三浦屋というのへ投じました。十月一日の午後のことでございます。その翌日でありましたが、「藩の事情を探らねばならぬ」と、このように吉之助様は仰せられ、薩摩へ向かってご発足なされました。それから幾日か経ちました時に、俊斎様はご上人様を連れられ、竹崎の地へおいでになり、同志の白石正一郎様のお家(うち)に、しばらくご滞在なさいましたが、さらに博多に移りまして、藤井良節様という勤王家のお屋敷へ、お隠匿(かくま)いなさいましてございます。そうしてご自身におかれましては、吉之助様のご返辞の遅いのを案じて、薩摩へ帰って行かれました。
 どうでしょうこの頃になりますると、ご上人様追捕の幕府の手が、いよいよ厳しくなりまして、行くところに捕吏らしい者の姿が、充ち充ちておるというありさまであり、その人相書も各地に廻されていて、これを捕えて申し出る者には、恩賞は望みに任すとまでの布令(ふれ)が、発布されておるというありさまなのでございます。それでご上人様におかれましては、博多の地に滞在しておられましても、福岡ご城下の高橋屋正助という、侠商の別荘にひそんだり、斗丈翁(とじょうおう)という有名な俳人の、五反麻(たんま)という地の庵室(あんしつ)へかくれたりして、所在をくらましておられました。

        六

 さてこの頃のことでございますが、ある日私は五反麻を出、福岡ご城下へ用達しに行きました。そうして夕暮れになりました頃、斗丈様の庵室へ帰ろうと思って、その方へ足を向けまして、ご城下はずれまで参りました。歩きつかれておりましたので、道端の石へ腰を下ろして、しばらくぼんやりしておりましたっけ。この辺は人家もたいへんまばらで、その家々も小さなもので、全体がみすぼらしく眺められましたが、私の眼の前にある家ばかりが、一軒だけ立派で宏壮でした。巡らされてある土塀も厳(いか)めしく、その内側に立っている幾棟かの建物も、やはり厳めしく立派でした。でもそのうちの一棟が、とりわけ高く他の棟から抽(ぬき)んで、しかもその屋根に千木(ちぎ)を立て、社(やしろ)めいた造りに出来ているのが、不思議に思われてなりませんでした。それにその屋敷全体が、どうやら無住の空家らしく、雨戸も窓も閉ざされていることも、何か心にかかりました。この日の最後の夕陽の光が、猩々緋のように華やかに、千木の立ててある建物の雨戸にあたって、火の燃えているように見えているのへ、わたしは無心に眼をやりながら、つかれた膝の辺を撫でていました。
「おや?」
 とわたしは思わず云いましたっけ。
 その雨戸が細目に開いて、そこから手が一本あらわれて、何かを庭へ捨てたようでしたが、すぐにまた引っ込んで、雨戸もすぐにとざされたからです。
(あの屋敷、空家ではなかったのか)この意外さもありましたが、しかしそれよりも雨戸の間から出た、白い細い上品な手――肘の上までも袖がまくれて、二ノ腕の一部をさえあらわした手が、見覚えあるように思われたことが、わたしに「おや」と云わせたのです。
(ご上人様のお手に相違ないんだがなア)
 女にもなければ男にもない、何んともいえず綺麗で上品で、勿体(もったい)ないほど優美のご上人様のお手を、たとえ遠くから瞥見したにしろ、わたしとして見違えることがあるものですか。
(あれはたしかにご上人様のお手だ。……でもしかしご上人様があんなところにおられる筈はない)
 この疑惑に苦しんで、わたしはしばらく途方にくれていました。と、その時わたしの背後(うしろ)から、咳をする声が聞こえて来ました。
 ふり返って見ますると五十歳ぐらいの、墨染めの法衣(ころも)に黒の頭巾をかむった、気高いような尼僧(あま)様が数珠をつまぐりながら、しずかに歩いておるのでした。
「尼僧(あま)様」とわたしは声をかけました。「突然失礼ではございますが、あれに見えます土塀のかかったお屋敷は、どなた様のお屋敷でございましょうか?」
 すると尼僧様はわたしを見、それから屋敷の方へ眼をやりましたが、
「あああのお屋敷でございますか、あれは世間普通のお方とは、交際(つきあい)もしなければ交際(つきあ)ってもくれない、特別の人のお屋敷なのですよ」
 と、大変清らかな沈着なお声で、そうお答えくださいました。
「世間普通のお方と交際(つきあ)わない、特別のお方とおっしゃいますのは?」
「それはねえこうなのです。そのお方が何かを欲しいと思って、それを持っている人を見詰めた時、その人がそれを与えればよし、与えない時にはその人の身の上に、恐ろしい災難が落ちて来るという……」
「ああではとっつきなのでございますね」
「そう、ある土地ではとっつきと云い、あるところでは犬神(いぬがみ)ともいいます」
「犬神※(感嘆符疑問符、1-8-78)」とわたしは思わず叫びました。「あの女も犬神だった!」
 竹田街道の立場茶屋や、土佐堀の岸で逢った例の女のことを、忽然思い出したからでございます。
「でもあの屋敷はずっと長い間、空家になっているのですよ」
 と、そう尼僧(あま)様が云いましたので、わたしは尼僧様の方へ眼をやりました。尼僧様は歩き出しておりました。
「いえ、ところが、雨戸が開いて、たった今綺麗な手が出たのです」と、私は云い云い腰を上げました。
 でも尼僧様は何んにも云わないで、わたしのことなど忘れたかのように、少し足早に五反麻の方へ、歩いて行っておしまいになりました。
 それでもわたしはなお未練らしく、眼の前の屋敷を見ていました。すると土塀の正面の辺に、頑丈な大門がありまして、その横に定式(おきまり)の潜門(くぐり)がありましたが、その潜門(くぐり)が内側(なか)から開きまして、一人の男が出て来ました。
(やはり空家ではなかったのだな)こう思いながらわたしはその男へ近寄り、
「ちょっと物をおたずねいたします」と、こう声をかけました。
「何んですかい?」とその男は云いましたが、わたしの顔をすかすようにして眺め、変に気味悪く笑いました。

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