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血曼陀羅紙帳武士(ちまんだらしちょうぶし)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-3 6:56:46  点击:  切换到繁體中文


    血蜘蛛の紙帳

 それを聞くと、角右衛門は笑ったが、
「貴殿方は、どの親分のもとへ参らるる気かな。拙者は、松戸の五郎蔵殿のもとへ参るつもりじゃ。関東には鼻を突くほど、立派な親分衆がござるが、五郎蔵殿ほど、我々のような浪人者を、いたわってくださる仁はござらぬ」
「それも、五郎蔵殿が、武士あがりだからでございましょうよ」
 酔った頬を、夜風に嬲(なぶ)られる快さからか、四人の者は、雨戸の間(あい)に、目白のように押し並び、しばらくは雑談に耽ったが、やがて部屋の中へはいった。とたんに、
「やッ、腰の物が見えぬ!」と、角右衛門が、狼狽したように叫んだ。
 皿や小鉢や燗徳利の取り散らされてある座敷に突っ立ったまま、四人は、また顔を見合わせた。わずかな時間(あいだ)に、四人の刀が、四本ながら紛失しているではないか。
「盗まれたのじゃ」
「家の者を呼んで……」
「いやいやそれ前に、一応あたりを調べて……」と、年嵩(かさ)だけに、角右衛門は云い、燭台をひっさげると、次の間へ出た。次の間にも刀はなかった。その次の間へ行った。そこにも刀はなかった。そこを出ると廊下で、鉤の手に曲がっていた。その角にあたる向こう側の襖をあけるや、角右衛門は、
「おお、これは!」と云って、突っ立った。
 続いた三人の武士も、角右衛門の肩ごしに部屋の中を覗いたが、「おお、これは!」と、突っ立った。
 その部屋は十畳ほどの広さであったが、その中央(なかほど)に、紙帳(しちょう)が釣ってあり、燈火(ともしび)が、紙帳の中に引き込まれてあるかして、紙帳は、内側から橙黄色(だいだいいろ)に明るんで見え、一個(ひとつ)の人影が、その面(おもて)に、朦朧(もうろう)と映っていた。総髪で、髷を太く結んでいるらしい。鼻は高いらしい。全身は痩せているらしい。そういう武士が、刀を鑑定(み)ているらしく、刀身が、武士の膝の辺(あた)りから、斜めに眼の辺りへまで差し出されていた。――そういう人影が映っているのであった。それだけでも、四人の武士たちにとっては、意外のことだったのに、紙帳の面(おもて)に、あるいは蜒々(えんえん)と、あるいはベットリと、あるいは斑々と、または飛沫(しぶき)のように、何物か描かれてあった。その色の気味悪さというものは! 黒に似て黒でなく、褐色に似て褐色でなく、人間の血が、月日によって古びた色! それに相違なかった。描かれてある模様は? 少なくも毛筆(ふで)で描かれた物ではなかった。もし空想を許されるなら、何者か紙帳の中で屠腹(とふく)し、腸(はらわた)を掴み出し、投げ付けたのが紙帳へ中(あた)り、それが蜒(うね)り、それが飛び、瞬時にして描出したような模様であった。一所にベットリと、大きく、楕円形に、血痕が附いている。巨大な蜘蛛(くも)の胴体(どう)と見れば見られる。まずあそこへ、腸を叩き付けたのであろう。瞬間に腸が千切れ、四方へ開いた。蜘蛛の胴体から、脚のように、八本の線が延びているのがそれだ。蜘蛛の周囲を巡って、微細(こまか)い血痕が、霧のように飛び散っている。張り渡した蜘蛛の網と見れば見られる。ところどころに、耳ほどの形の血痕が附いている。網にかかって命を取られた、蝶や蝉の屍(なきがら)と見れば見られる。血描きの女郎蜘蛛! これが紙帳に現われている模様であった。では、その蜘蛛を背の辺りに負い、網の中ほどに坐っている紙帳の中の武士は、何んといったらよいだろう? 蜘蛛の網にかかって、命を取られる、不幸な犠牲というべきであろうか? それとも、その反対に、蜘蛛を使い、生物の命を取る、貪婪(どんらん)、残忍の、吸血鬼というべきであろうか? と、紙帳に映っていた武士の姿が崩れた。斜めに映っていた刀の影が消え、やがて鍔音がした。鞘に納めたらしい。横を向いていた武士の顔が、廊下に突っ立っている、四人の浪人の方へ向いた。
「鈍刀(なまくら)じゃ、四本とも悉(ことごと)く鈍刀じゃ。お返し申す」
 四本の刀が、すぐに、紙帳の裾から四人の方へ抛(ほう)り出された。この時まで息を呑み、唾を溜めて、紙帳を見詰めていた四人の浪人は、不覚にも狼狽した声をあげながら、刀へ飛びかかり、ひっ掴み、腰へ差した。その時はじめて怒りが込み上げて来たらしく、
「これ、そこな武士、無礼といおうか、不埓(ふらち)といおうか、無断で我らの腰の物を持ち去るとは何事じゃ! 出て来い! 出て来て謝罪いたせ!」と、角右衛門が怒鳴った。
 すると、それに続いて、南京豆のような顔をした紋太郎が、
「出て来い! 出て来て謝罪いたせ!」と鸚鵡(おうむ)返しのように叫び、「それに何んぞや鈍刀とは! 我らの刀を鈍刀とは!」
「何者じゃ! 名を宣(なの)れ! 身分を明かせ!」
 とさらに角右衛門が怒鳴った。
 すると、紙帳の中の武士は、少し嗄(しわが)れた、錆(さび)のある声で、「拙者の名は、五味左門と申す、浪人じゃ。当家が浪人を厚遇いたすと聞き、昨夜遅く訪ねて参り、一泊いたしたものじゃ。疲労(つか)れていたがゆえに、この部屋へ早く寝た。しかるにさっきから、遠くの部屋から、賑やかな、面白そうな話し声が聞こえて来た。一眠りして、疲労(つかれ)の癒えた拙者、眼が冴えて眠れそうもない。会話(はなし)の仲間へはいり、暇を潰そうと声をしるべに尋ねて行ったところ、広い部屋へ出た。酒肴が出ておる。悪くないなと思ったぞ。が、見れば、四本の刀が投げ出してあり、刀の主らしい四人の者が、廊下に立って、夜景色を見ておる。長閑(のどか)の風景だったぞ。そこでわしの心が変った。貴殿方と話す代りに、貴殿方の腰の物を拝見しようとな。悪気からではない。わしの趣味(このみ)からじゃ。そこでわしは貴殿方の腰の物をひとまとめにして持って参り、今までかかって鑑定いたした。さあ見てくれといわぬばかりに投げ出してあった刀、四本のうち一本ぐらい、筋の通った銘刀(もの)があるかと思ったところ、なかったぞ。フ、フ、フッ、揃いも揃って、関の数打ち物ばかりであったよ」

    蜘蛛の犠牲(にえ)

「チェッ」と舌打ちをしたのは、短気らしい山口という武士で、やにわに刀を抜くと、「他人(ひと)の腰の物を無断で見るさえあるに、悪口するとは何事じゃ。出て来い! 斬ってくれる!」
「斬られに行く酔狂者はない。出て行かぬよ。用があらば、そっちから紙帳の中へはいって参れ。ただし、断わっておくが、紙帳の中へはいったが最後、男なら命を女なら……」
「黙れ!」と、山口という武士は、紙帳に映っている影を目掛け、諸手(もろて)突きに突いた。
 瞬間に、紙帳の中の燈火(ともしび)が消え、紙帳は、経帷子(きょうかたびら)のような色となり、蜘蛛の姿も――内側から描かれていたものと見え、燈火が消えると共に消えてしまった。そうして、突かれた紙帳は、穏(おとな)しく内側へ萎み、裾が、ワングリと開き、鉄漿(おはぐろ)をつけた妖怪の口のような形となり、細い白い手が出た。
「!」
 悲鳴と共に、山口という武士はのけぞり、片足を宙へ上げ、それで紙帳を蹴った。しかし、すぐに、武士は、足から先に、紙帳の中へ引き込まれ、忽ち、断末魔の声が起こり、バーッと、血飛沫(ちしぶき)が、紙帳へかかる音がしたが、やがて、森然(しん)と静まってしまった。角右衛門は、持っていた燭台を抛り出すと、真っ先に逃げ出し、つづいて、紋太郎が逃げ出した。
 しかし片岡という武士は、さすがに、同宿の誼(よし)みある浪人の悲運を、見殺しに出来ないと思ったか、夢中のように、紙帳へ斬り付けた。とたんに、紙帳の裾が翻(ひるがえ)り、内部(うち)から掬(すく)うように斬り上げた刀が、廊下にころがったままで燃えている、燭台の燈に一瞬間輝いた。
「わ、わ、わーッ」と、苦痛の声が、片足を股から斬り取られ、四つ這いになって、廊下を這い廻っている武士の口から迸(ほとばし)った。紙帳の中はひっそりとしていた。

 こういう間も、キリキリという、轍(わだち)でも軋るような音は、屋敷の周囲(まわり)を巡って、中庭の方へ移って行った。
(何んの音だろう?)と、四人の浪人が不審を打ったように、その音に不審を打ったのは、中庭に近い部屋に寝ていた、伊東頼母(たのも)であった。
 頼母は、この屋敷へ来るや、まず朝飯のご馳走になった。給仕をしてくれた娘の口から聞いたことは、この屋敷が、飯塚薪左衛門という郷士の屋敷であることや、娘は、その薪左衛門の一人娘で、栞(しおり)という名だということや、今、この屋敷には、頼母の他に五人の浪人が泊まっているということや、父、薪左衛門は、都合があって、どなたにもお眼にかかれないが、皆様がお泊まりくだされたことを、大変喜んでいるということなどであった。
「どうぞ、幾日でもご逗留くださりませ」と栞は附け加えた。
 頼母は、忝けなく礼を云ったが、こんな不思議な厚遇を受けたことは、復讐の旅へ出て一年になるが、かつて一度もなかったと思った。
 彼は下総(しもうさ)の国、佐倉の郷士、伊東忠右衛門の忰(せがれ)であった。伊東の家柄は、足利時代に、下総、常陸(ひたち)等を領していた、管領千葉家の重臣の遺流(ながれ)だったので、現在(いま)の領主、堀田備中守(ほったびっちゅうのかみ)も粗末に出来ず、客分の扱いをしていた。しかるに、同一(おなじ)家柄の郷士に、五味左衛門という者があり、忠右衛門と不和であった。理由は、二人ながら、国学者で、尊王家であったが、忠右衛門は、本居宣長の流れを汲む者であり、左衛門は、平田篤胤(あつたね)の門下をもって任じている者であり、二人ながら
「大日本は神国なり。天祖始めて基(もと)いを開き、日神長く統を伝え給う。我が国のみこの事あり。異朝にはその類なし。このゆえに神国というなり」という、日本の国体に関する根本思想については、全然同一意見であったが、その他の、学問上の、瑣末の解釈については、意見を異にし、互いに詈言(そしりあ)い、不和となったのであった。もちろん、性格の相違もその因をなしていた。忠右衛門は、穏和で寛宏であったが、左衛門は精悍(せいかん)で狷介(けんかい)であった。

    敵討ちの原因

 ところが、去年の春のことであったが、忠右衛門と左衛門とは、備中守殿によって、観桜の宴に招かれた。その席で二人の者は、国学の話については、遠慮し、大事を取り、云い争わなかったが、刀剣の話になった時、とうとう云い争いをはじめてしまった。忠右衛門が、天国(あまくに)という古代の刀工などは、事実は存在しなかったもので、したがって鍛えた刀などはないと云ったのに対し、左衛門は、いや天国は決して伝説中の人物ではなく、実在した人物であり、その鍛えた刀も残っておる、平家の重宝小烏丸(こがらすまる)などはそれであり、我が家にもかつて一振り保存したことがあったと主張し、激論の果て、左衛門は「水掛け論は無用、この上は貴殿と拙者、この場において試合をし、勝った方の説を、正論と致そう」と、その精悍の気象から暴論を持ち掛けた。忠右衛門は迷惑とは思ったが、引くに引かれず承知をし、試合をしたところ、剣技(うで)は左衛門の方が上ではあったが、長年肺を患(わずら)っていて、寒気を厭(いと)い、紙帳の中で生活しているという身の上で、体力において忠右衛門の敵でなく、忠右衛門のために打ち挫(ひし)がれ、自分から仕掛けた試合に負け、これを悲憤し、自宅へ帰るや、紙帳の中で屠腹(とふく)し、腸を紙帳へ叩き付けて死んだ。しかるに左衛門には、左門という忰があって、「父上を自害させたのは忠右衛門である」と云い、遊学先の江戸から馳せ帰り、一夜、忠右衛門を往来(みち)に要して討ち取り、行衛(ゆくえ)を眩(くら)ました。こうなってみると、伊東家においても、安閑としてはいられなくなり、
「頼母、そち、左門を探し出し、討って取り、父上の妄執を晴らせ」
 ということになり、さてこそ頼母は、復讐の旅へ出たのであったが、困ったことには、彼は討って取るべき、左門という人間を知らなかった。と云うのは、この時代の風習として、家庭(いえ)にいないで、江戸へ出、学問に精進していたからである。そう、頼母も左門も、幼少の頃から江戸に遊学し、頼母は、宣長の門人伴信友の門に入り、国学を修め、左門は、平田塾に入って、同じく国学を究める傍(かたわ)ら、戸ヶ崎熊太郎の道場に通い、神道無念流を学び、二人は互いにその面影を知らないのであった。
 キリキリという、轍の軋るような音を聞き、頼母は、枕から顔を放し、耳を聳(そばだ)てた。
(何んの音だろう?)
 音は、中庭まで来たようであった。
 頼母は、夜具から脱け出し、枕もとの刀を握ると、立ち上がった。彼の眼は、すっかり覚めていた。彼は、朝飯を食べるや、すぐに床を取って貰い、ぐっすりと眠り、疲労(つかれ)を癒(なお)し、今は元気を恢復してもいるのであった。有り明けの燈に、刀の鞘を照らしながら、頼母は部屋を出、廊下を右の方へ歩き、それが、さらに右の方へ曲がっている角の雨戸を、そっと開けて見た。海の底かのように、庭は薄蒼く月光に浸っていた。庭は、まことに広く、荒廃(あ)れていた。庭の一所に、頼母の眼を疑がわせるような、物象(もののかたち)が出来ていた。古塚のような形の、巨大な岩が、碑(いしぶみ)と小松とをその頂きに持って、瘤(こぶ)のように立っているのであった。それはまったく、頼母が、紙帳から出て来た武士によって、気絶させられた地点に――そこに出来ていた、野中の道了様そっくりのものであった。酷似(そっくり)といえば、塚の左手、遙か離れた所に、植え込みが立っていて、それが雑木林に見えるのも、あの場所の景色とそっくりであった。
(紙帳が釣ってはあるまいか?)ゾッとするような気持ちで、頼母は、植え込みを見た。しかし紙帳は釣ってはなかった。あの場所の景色と異(ちが)うところは、あそこでは、塚と林との彼方(むこう)が、広々と展開(ひら)けた野原だったのに、ここでは、土塀が、灰白(はいじろ)く横に延びているだけであった。
(碑には、髭題目が刻(ほ)られてあるに相違ない)こう思って、頼母は、縁から下り、塚の方へ歩いて行き、碑を仰いで見た。碑は、鉛めいた色に仄(ほの)見えていたが、はたして、南無妙法蓮華経という、七字の名号が、鯰(なまず)の髭のような書体で、刻られてあった。(不思議だなあ)と呟きながら、頼母は、少し湿ってはいるが、枯れ草が、氈(かも)のように軟らかく敷かれている地に佇(たたず)み、(道了様の塚を、何んのために、中庭などへ作ったのであろう?)
 急に彼は地へ寝た。

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