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名人地獄(めいじんじごく)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-3 7:41:17  点击:  切换到繁體中文


    玻璃窓の平八江戸を離れる

「聞きてえものだ。教えてくだせえ」
「どこかで大船おおぶねを造っているのさ」
「へへえ、ナーンだ、そんなことですかい」
「なんだとはなんだ。なんだではないよ」
「だがね、旦那、少しおかしいや。なにも大船を造るのに、大工を攫わなくてもよさそうなものだ」
「いやいや、それがそうでない。造り主が大変者たいへんものなのだ」
「大変者って、何者なので?」
 松五郎はいくらか熱心になった。
「一口にいうと日蔭者ひかげものだ」
「どうもわっちには解らねえ」
 すると平八は声を落としたが、
「教えてやろう。海賊だ」
「ははあ、海賊? ナール、日蔭者だ」
「しかも一通りの海賊ではない。やはりこれは赤格子だ。そうでなければその余党だ。そいつがどこかでご禁制の船を、建造しているに相違ない」
 益※(二の字点、1-2-22)声を落としたが、
「小松屋、そこで頼みがある。あすかないしはあさって頃、船脚が遅くて小さな船で、そうして金目かねめを積み込んでいる、つまり海賊に襲われそうな船が、どこかの問屋から出はしないか、そいつを調べて来て貰いたい」
「変なご注文でございますね」
「是非今夜中に知りたいのだ」
「ようございます。すぐ行って来ましょう」
 松五郎はとつかわ出て行ったが、真夜中になって戻って来た。
「旦那、一隻みつかりました」
「それはご苦労。どこの船だな」
「へい、淀屋の八幡丸わたまるで」
「あ、そうか、それは有難い。……いいから帰って休んでくれ」
 松五郎が帰ると平八は、すぐに変装にとりかかった。髯を剃り、髪を結い変え、紺の腹がけに同じ股引ももひき、その上へ革の羽織を着たが、まさに一カドの棟梁であった。
 夜のひきあけに家を出ると、深川の淀屋まで歩いて行った。
「許せ」
 と声だけは武士のイキで、
「俺はな、南町奉行所吟味与力の石本だ、仔細あって犬吠へ行く。ついては八幡丸へ乗せてくれ」
「よろしい段ではございません。ご苦労様に存じます」
 淀屋では異議なく承知した。

 こうして名探索玻璃窓は、江戸から足を抜いたのであった。

    阪東米八と和泉屋次郎吉

 ここは両国の芝居小屋、阪東米八の楽屋であった。
 午後のが窓からさしていた。あけ荷、衣桁いこう、衣裳、かつら、丸型朱塗りの大鏡台、赤を白く抜いた大入り袋、南京繻子なんきんじゅすの大座布団、ひらいたままの草双紙、こういった物が取り乱されてあったが、女太夫の部屋だけに、ひときわ光景がなまめかしい。
「ねえ、お前さん、ねえ吉っあん、ほんとに気色が悪いじゃないか。わたしアつくづく厭になったよ」
 燃え立つばかりの緋縮緬ひぢりめん、その長襦袢ながじゅばんをダラリと引っかけ、その上へ部屋着の丹前を重ね、鏡台の前へだらしなく坐り、胸を開けて乳房を見せ、そこへ大きな牡丹刷毛で、ヤケに白粉おしろいを叩きつけているのは、座頭ざがしら阪東米八であった。年はおおかた二十五、六、あぶらの乗った年増盛り、大柄で肉付きよく、それでいて姿のぼやけないのは、踊りで体を鍛えたからであろう。肉太の高い鼻、少し大きいかと思われたが、それがかえって役者らしい。べにをさした玉虫色の口、それから剃り落とした青い眉、顔の造作は見事であったが、とりわけ眼立つのはその眼であって、上瞼うわまぶたが弓形をなし、下瞼が一文字を作った、びっくりするほど切れ長の眼は、妖艶婀娜あだたるものであった。※々こうこう[#「白+光」、204-4]という形容詞が、そっくりそのままあてはまるような、光沢を持った純白な肌は、見る人の眼をクラクラさせた。
「妾アつくづく厭になったよ」くり返して彼女はこういった。
「いや俺も驚いた」
 こう合い槌を打ったのは、彼女にとっては旦那でもあり、且つは嬉しい恋人でもある、魚屋の和泉屋いずみや次郎吉であった。唐棧とうざんずくめの小粋ななり、色の浅黒い眼の鋭い、口もとのしまった好男子で、年はそちこち四十でもあろうか、小作りの体は敏捷らしく、五分の隙もない人品であったが、座布団の上へ腹這いになり、たばこをプカプカ吹かしていた。
「つぶてでなし手裏剣でなし、なんでいったいぶち抜いたものかな。看板と板壁とを突き通すなんて、ほんとにこいつ素晴らしい芸だ」
「そんなことどうでもよござんすよ。それより、妾しゃくにさわるのは、りに選って妾の顔へ、あんな大きな穴をあけて……」
「ナーニそれとていわくはないのさ。あんまりお前が綺麗なので、それでいたずらをしたってやつさ」
「ヘン、おっしゃいよ、おためごかしを」
 米八は横目で睨む真似をした。
「そうはいうものの惜しいことをした。あれは俺から五渡亭とていに頼んで、わざわざ描かせた看板だからな」
「そんなことどうでもよござんすよ」まだ米八は機嫌が悪い。「それに妾にはこの芝居、なんだか小気味が悪くってね」
「へえ、どうしてだい、おかしいね。いりだってこんなにあるじゃないか」今度は次郎吉が不満そうにした。
「だって、あんまりなまなましいんですもの」
「なまなましいって? どうしてかい?」
「だってお前さんそうじゃないか。泥棒芝居の鼓賊伝、ところで主人公の鼓賊ときては、現在江戸を荒し廻っていて、お上に迷惑をかけてるんでしょう」
「うん、そうさ、だからいいのさ。つまり何んだ、はしりだからな。そうとも素敵もねえ際物きわものだからな。……もっとも他にも筋はある」
「ええ、そりゃありますとも。追分唄いの甚三馬子だの、宿場女郎のお北だの、あくどい色悪いろあくの富士甚内だの。……」
「それから肝腎の探索がいらあ」
「ええ、見透しの平七老人」
「で、素晴らしくいい芝居さ」次郎吉はツルリとあごを撫でたが、にわかにズンと声を落とし、「実はおいらの道楽から行くと、その『見透しの平七』を『玻璃窓の平八』にしたかったのさ。だが、それじゃあんまりだからな。で、平七に負けてやったやつさ」
「おや変ですね、玻璃窓といえば、郡上の旦那じゃありませんか」米八は不思議そうに見返った。
「うん、そうさ、その旦那さ。あけすけにいえばこの芝居はだ、その玻璃窓に見せたいばっかりに、おいら筋立てをしたんだからな」

    深い怨みの敵討ち

「その玻璃窓の旦那なら、おとついに来たじゃありませんか」
「百も承知だ。待っていたんだからな。そこで早速秀郎の野郎に例の鼓を打たせたのさ。アッハハハ、いい気味だった。あの鼓を聞いた時の玻璃窓のだんなの顔といったら、今思い出しても腹がよじれる。いいみせしめっていうやつさな」さもおかしいというように、り上げ揺り上げ笑ったものである。
 米八には意味がわからなかった。
「でもどうして玻璃窓の旦那に、こんどの芝居を見せたいんでしょう?」
「それか、それには訳がある。……ひらったくいうとまずこうだ。彼奴きゃつ、としよりの冷水ひやみずで、鼓賊を追っかけているんだよ。ところがさすがの名探索も、こんどばかりは荷が勝って、後手ばかり食らっているやつさ。それを俺は知ってるんだ。うん、そうさ、ある理由からな。ところで俺はあのじじいに五年前から怨みがあるんだ。で、そこで敵討ちよ。つまり彼奴きゃつのトンマぶりを、そっくり芝居に仕組んだあげく、彼奴きゃつの眼の前にブラ下げたって訳さ。胸にこたえる五寸釘! そいつがこれだ。『名人地獄』だ!」
「どんな怨みだか知らないけれど、つまらない事をしたものね」米八は浮かない顔をした。
「それはそうと、ねえお前さん、秀郎さんの鼓賊のつくり、何から何までお前さんじゃないか」
「俺が注文したからよ」次郎吉はそこでニタリとした。
「どうしてだろう? ねえお前さん」
「それも玻璃窓に見せたかったからさ」
「なんだかわたしにゃあ解らない」きまずそうに眉をひそめ、「とにかく妾にゃあこの芝居は、気になることばかりで面白くないよ」
「それじゃ明日から芸題げだい替えだ」次郎吉は煙管きせるのホコを払い、「もう玻璃窓に見せたんだから、俺の目的はとげられたってものさ。いつ替えたって惜しかあねえ」
「アラそう、それじゃ替えようかしら」
「それがいい、つき替えねえ」
 米八はいくらか愁眉をひらき、チラリと鏡を覗いてから、次郎吉の方へ膝を向けた。
「まだあるのよ、気になることが」
「文句の多いたておやまさね」次郎吉はちょっとウンザリしたが、「おおせられましょう、お姫様、とこう一つ行くとするか」
「真面目にお聞きよ、心配なんだからね」
「おい、どうするんだ、邪慳じゃけんだなあ。煙管きせるならそっちにあるじゃねえか」
「お前さんの煙管でのみたいのさ」
「へん、安手やすでな殺し文句だ」
「でも、まんざらでもないでしょうよ」
「こんどは押し売りと来やがったな。あッ、熱い! なにをしやがる!」
 左の頬を抑えたのは、雁首がんくびの先をおっつけられたからで。
「いい気味いい気味、セイセイしたよ」
「地震の後はどうせ火事だ。諦めているからどうともしなよ」
 ゴロリと次郎吉はあおむけになった。
節穴ふしあなの多い天井だなあ。暇にまかせて数えてやるか。七ツ八ツ九ツ十」
莫迦ばかにしているよ、呆れもしない」
「そのまた莫迦が恋しくて、離れられないというやつさ」
「いい気なものさ、しょってるよ」
「あっ、畜生、五十八もあらあ」
 とうとうみんな数えたらしい。

    腑に落ちない色々の事

「ほんとにそうだよ」と米八は、何をにわかに考え出したものか、しみじみとしていい出した。
「どこがよくって惚れたのか、妾にゃまるっきり見当がつかない」
「オヤ、今度は恩にかけるのかい」
 次郎吉はもっけな顔をした。
「なあに、そうじゃないけれどね、お前さんのためにゃほんとにほんとに、髪まで切られているんだからね」
「おっと、そいつアいいっこなしだ」
 こうはいったが次郎吉も、これには多少こたえたらしい。
「どうだ、それでもすこしは伸びたか?」
「三月や半年で女の髪が、なんでそうそう伸びますかよ」米八は額で睨むようにした。
「あれは一生の失敗だった」むしろ次郎吉は慨然がいぜんと、「厭がるお前を無理にすすめ、一幕うったほどでもねえ、たいした儲けもなかったんだからな」
「罪もない観世様をそそのかし、色仕掛けで巻き上げたまでは、まあまあ我慢をするとして、ご親友だとかいう平手さんに、駕籠から雪の中へ引き出され、鼓を取られたあげくのはてに、ブッツリ髷を切られたんだもの、悪い役ったらありゃしない」
「あんまり来ようが遅いので、心配をして迎えに出たら、アッハハハ、あの活劇さ」
「助けにも来ず、薄情者! 思い出すと腹が立つよ」
「そっと仕舞しまって置くことさな。だが全くあの時は、見ていた俺さえ冷汗ひやあせをかいた」
「今こそ笑って話すけれど、あの時わたしは殺されるかと思った」
「だがな、あんな時俺が出たら、騒ぎは大きくなるばかりさ。そこでゆっくり拝見し駕籠が来たので付き添って、茶屋へ行ってからは思う存分、可愛がってやったからいいじゃねえか」
「だがね」と米八は探るように、「どうしてお前さんはあの鼓を、そうまで苦心して欲しがったのだろう?」
「なに、そんなことはどうでもいい」
 次郎吉はヒョイと横を向いた。
「妾ア気がかりでならないんだよ」
「ふふん」というと舌なめずりをした。
「そうかと思うと今年の夏中、フイと姿を消したりしてさ」
「旅へ行ったのさ、信州の方へな」
「その旅から帰ったかと思うと、例の鼓を持っているんだもの」
「ナーニ、そいつあ観世さんから、相談ずくで譲って貰ったのさ」
「そりゃあそうだろうとは思うけれど、それから間もなく起こったのが、鼓泥棒の鼓賊なんだもの……」
「ふん、それがどうしたんだい?」
 次郎吉はギロリと眼をむいた。
「だから気が気でないんだよ」
 その時チョンチョンと二丁が鳴った。
「おやもう幕が開くんだよ。それじゃ妾は行かなけりゃならない」
「では俺もおいとまとしよう」
 次郎吉はポンと立ち上がった。
「オイ、はねたら飲みに行こうぜ」
「ええ」
 というと部屋を出た。
 チェッと次郎吉は舌打ちをしたが、
「あぶねえものだ、火がつきそうだ」
 ちょっとあたりを見廻してから、部屋を出ると廊下へかかり、裏梯子うらばしごを下りると裏口から、雪のたまっている往来へ出た。
 プーッと風が吹いて来た。
「寒い寒い、ヤケに寒い」
 チンと一つ鼻をかみ、
「さあて、どっちへ行ったものかな」
 あてなしにブラブラ歩き出した。がその眼には油断がない。絶えず前後へ気をくばっていた。

    バッタリ遭ったは河内山

「おお和泉屋、和泉屋ではないか!」
 こう背後うしろから呼ぶ者があるので、次郎吉はヒョイと振り返って見た。剃り立て頭に頭巾をかむり、無地の衣裳にお納戸色なんどいろの十徳、色の白い鼻の高い、眼のギョロリとした凄味すごみのある坊主、一見すると典医であるが、実は本丸のお数寄屋すきや坊主、河内山宗俊こうちやまそうしゅんが立っていた。
「おや、これは河内山の旦那で」
 こうはいったが和泉屋次郎吉、たいして嬉しそうな顔もしない。むしろ酸っぱい顔をした。
「どこへ行くな、え、和泉屋」
 黒塗りの足駄で薄雪を踏み、手は両方とも懐中手ふところで大跨おおまたにノシノシ近寄って来たが、
「穴ッぱいりか、え、和泉屋、羨ましいな、おごれ奢れ」
「えッヘッヘッヘッ、どう致しまして。ちょっとそこまで野暮用で」
「冗談だろう、嘘をいえ。野暮用というなりではない。ここは浅草雷門、隅田を越すと両国盛り場。聞いたぞ聞いたぞその両国に、新しい穴を目つけたそうだな。羨ましいな一緒に行こう」
 始末につかない坊主であった。
「それはそうと、オイ和泉屋、近来ちっとも顔を出さないな」
「へえ、ちょっと、稼業の方が……」
「ナニ稼業? そんなものがあるのか」そらっとぼけてやり込めた。
「やりきれねえなあ、魚屋で」
「いや、それなら知ってるよ。だが、そいつあ表向き、お上をあざむく手段じゃねえのか」
「とんでもないこと、どう致しまして」次郎吉はいやアな顔をした。
「ほんとに魚を売るのかえ」
「売る段じゃございません」
「塩引きの鮭でも売るのだろう」
「ピンピン生きてるたいこちをね」
「おお、そうだったか、それは気の毒。アッハハハ、面白いなあ」
 益※(二の字点、1-2-22)厭味に出ようとした。
「なにの、俺は、お前の稼業は、こいつだろうと思っていたのさ」壺を振るような手付きをし、
「ソーレどうだ、袁彦道えんげんどう!」
「そいつあ道楽でございますよ」
「ふふん、なるほど、道楽だったのか。それはそれはご結構なことじゃ。……それにしても思い切ったものだ。ちっとも賭場とばへ顔を出さないな」
「なあにそうでもございませんよ」気がなさそうに笑ったが、「やっぱりチョクチョク出かけているので」
「それにしては逢わないな」
「駆け違うのでございましょうよ」
「ちげえねえ、そうだろう。……だが細川へは行くまいな」こういうと宗俊はニヤリとした。これには意味があるのであった。
 はたして次郎吉は厭な顔をしたが、
「七里けっぱいでございますよ」
「ハッハッハッハッ、そうだろうて。……そこでいいことを聞かせてやる。気に入ったらテラを出せ」
「へえ、何んでございましょう?」
「玻璃窓の平八がいなくなったのさ」
「おっ、そりゃあほんとですかい?」思わず次郎吉は首を伸ばした。
「どうして旦那、ご存知で?」
「碩翁様からお聞きしたのさ」
「ははあなるほど、さようでございますか」
「どうだどうだ、いい耳だろう。十両でいい、十両貸せ」
「お安いご用でございますがね、……ようございます、では十両」
 紙に包んで差し出した。
「安いものさ、滅法めっぽう安い」チョロリと袖へ掻き込んだが、「オイ和泉屋、羽根が伸ばせるなあ」
 しかし次郎吉は返事をしない。
「お前にとっては苦手の玻璃窓、そいつが江戸から消えたとあっては、ふふん、全く書き入れ時だ。盆と正月が来たようなものだ。なあ和泉屋、そんなものじゃねえか」
 宗俊はネチネチみしみしとやった。

    鼓賊と鼠小僧は同一人

「旦那」と次郎吉は探るように、「いったいどこへいったんですい?」
「え、誰が? 玻璃窓か?」
「あの好かねえじじく玉で」
「どうやら大分気になるらしいな。聞かせてやろうか、え、和泉屋」
「ききてえものだ。聞かせておくんなせえ」
「が、只じゃあるめえな」
「十両あげたじゃありませんか」
「これか、こいつあさっきの分だ。一話十両といこうじゃねえか」
「厭なことだ、ご免こうむりましょう」
「よかろう、それじゃ話さねえまでだ」
「旦那も随分あくどいねえ」とうとう次郎吉は憤然とした。「悪党のわりに垢抜けねえや」
「お互い様さ、不思議はねえ」
 宗俊はノコノコ歩き出した。
「旦那旦那待っておくんなさい」
 未練らしく呼び止めた。
「何か用か、え、和泉屋、止まるにも只じゃ止まらねえよ」
「出しますよ、ハイ十両」
「感心感心、思い切ったな」
「で、どこへ行ったんですい?」
「海へ行ったということだ」
「え、海へ? どこの海へ?」
「そいつはどうもいわれねえ」
「へえ、それじゃそれだけで、わっちから二十両お取んなすったので?」
「悪いかな、え、和泉屋、悪いようなら、ソレ返すよ」
「ナーニ、それにゃ及ばねえ。それにしても阿漕あこぎだなあ。……ようごす、旦那、もう十両だ、詳しく話しておくんなさい」
莫迦ばかをいえ」と宗俊は、苦笑いをして首を振り、「いかに俺があくどいにしろ、そうそうお前から取る気はねえ。……詳しく話してやりたいが、実はこれだけしか知らねえのさ。いかに中野碩翁様が、おいらの親分であろうとも、秘密は秘密、お堅いものだ。実はこれだけ聞き出すにも、たいてい苦労をしたことじゃねえ。……だが、この俺の考えでは、お前もとうから聞いていよう、ひんぴんと起こる海賊沙汰、それと関係があるらしいな」
「へへえ、なるほど、海賊にね。いや有難うございました。そこでついでにもう一つ、いつ江戸をたったので?」
「今朝のことだよ。あけがたにな」
「いつ頃帰って参りましょう」
「仕事の都合さ、俺には解らねえ」
「それはそうでございましょうな」
 次郎吉はじっと考え込んだ。
「オイ和泉屋」と宗俊は、にわかにマジメな顔をしたが、「気をつけろよ気をつけろよ。あいつのことだ、じき帰って来よう。そうしたらやっぱりこれまで通り、お前をつけて廻そうぜ。あの細川の下屋敷以来、お前は睨まれているんだからな」
「ほんとに迷惑というものだ」次郎吉は変に薄笑いをしたが、「人もあろうにわっちのことを、鼠小僧だっていうんですからね」
「そいつあどうともいわれねえ」宗俊も変に薄笑いをし、「鼠小僧だっていいじゃねえか。俺ア鼠小僧が大好きだ。腐るほど持っている金持ちの金を、ふんだくるなあ悪かあねえよ」
「ほんとに迷惑というものだ」パチリと頬を叩いたが、「この片頬の切り傷だって、あのじじいに付けられたんでさあ」
「あれはたしか五年前だったな」
「ほんとに迷惑というものだ」
「ところがことしの秋口から、鼠小僧は影をかくし、代りに出たのが評判の鼓賊、オイ和泉屋、玻璃窓はな、その鼓賊と鼠小僧を、同じ人間だといってるぜ」
「ふふん、どうだって構うものか。わっちの知ったことじゃねえ」
「おおそうか、それもいいだろう。が宗俊は苦労人だ。よしんばお前がなんであろうと、洗い立てるような野暮はしねえ。だからそいつあ安心しねえ。……長い立ち話をしたものさ。どれ、そろそろ行こうかい。和泉屋、それじゃまた逢おう」
 宗俊はノシノシ行ってしまった。
 後を見送った和泉屋次郎吉、
「ふん、あれでもお直参か」吐き出すように呟いたが、「だがマアそれでもいいことを聞いた。鬼のいぬ間の洗濯だ。あばれて、あばれて、あばれ廻ってやろう」

 その夜、江戸の到る所で、鼓の音を聞くことが出来た。そうして市内十ヵ所に渡って、大きな窃盗が行われた。

    気味の悪い不思議な武士

 品川を出た帆船で、銚子港へ行こうとするには、ざっと次のような順序を経て、航海しなければならなかった。
 千葉、木更津きさらづ[#ルビの「きさらづ」は底本では「きさらず」]富津ふっつ上総かずさ安房あわへはいった保田ほた那古なご洲崎すさき。野島ヶ岬をグルリと廻り、最初に着くは江見えみの港。それから前原港を経、上総へはいって勝浦、御宿おんじゅく。その御宿からは世に名高い、九十九里の荒海で、かこ泣かせの難場であった。首尾よく越せば犬吠崎。それからようやく銚子となり、みちのりにして百五十里、風のない時には港へ寄って、風待ちをしなければならなかった。
 で、玻璃窓の平八の乗った、淀屋の持ち船八幡丸も、この航路から行くことにした。海上風波の難もなく、那古の港まで来た時であったが、一人の武士が乗船した。
 本来八幡丸は貨物船で、客を乗せる船ではないのであったが、やはり裏には裏があり、特に船頭と親しいような者は、こっそり乗ることを許されていた。
 武士の年齢は四十五、六、総髪の大たぶさ、見上げるばかりの長身であったが、肉付きはむしろ貧しい方で、そのかわりピンと引き締まっていた。着ている衣裳は黒羽二重。しかし大分年代もので、紋の白味が黄ばんでいた。横たえている大小も、紺の柄絲つかいとあぶらじみ、鞘の蝋色は剥落はくらくし、中身の良否はともかくも、うち見たところ立派ではない。それにもかかわらずその人品が、高朗としてうち上がり、人をしてれしめない威厳のあるのは、学か剣か宗教か、一流に秀でた人物らしい。
 船尾ともの積み荷の蔭に坐り、ぼんやりあたりを見廻していた、郡上平八のそばまで来ると、ふとその武士は足を止めた。
「職人職人よい天気だな」声をかけたものである。
「へい、よい天気でございます」平八はちょっと驚きながらも、こう慇懃いんぎんに挨拶をした。
「どこへ行くな? え、職人?」ひどくきさくな調子であった。
「へい、銚子まで参ります」
「うん、そうか、銚子までな」こういうと武士は坐り込んだが、それからじっと平八を眺め、「なんに行くな、え、銚子へ?」
「へい、いえちょっと、仕事の方で。……それはそうとお武家様も、やはり銚子でございますかな?」
「いやおれはすこし違う」武士は変に笑ったが、「ところでお前は何商売だな?」
「へい、船大工でございます」こうはいったが平八は、気味が悪くてならなかった。
「なに船大工? 嘘をいえ」武士はいよいよ変に笑い、「これ、大工というものはな、物を見るのに上から見る。ところがお前は下から見上げる。アッハハハ、これだけでもちがう。どうだ、これでも大工というか?」
 これを聞くと平八は「あっ、しまった」と胸の中でいった。武士の言葉に嘘はない。すべて大工というものは、むね出来栄できばえへまず眼をつけ、それからずっと柱づたいに、土台の仕組みまで見下ろすものであり、それが万事に習慣づけられ、人を見る時には頭から眺め、足に及ぼすものなのであった。これに反して与力、同心、岡っ引きなどというようなものは、何より先に足もとを見、その運びに狂いがないかを、吟味するのに慣らされていた。しかるに平八は思うところあって棟梁とうりょう風にやつしてはいたが、ついうっかりとその点へまで、心を配ることをうち忘れ、武士を見る時にも与力風に、まず足から見たものであった。
「それにしてもこの侍、いったいどういう人物であろう?」改めて平八はつくづくと、武士を見守ったものである。
 その混乱した平八の様子が、武士にはひどく面白いと見え、奥歯をかむようにして笑ったが、
「どうだ、これでも船大工かな」
「へい、大工でございますとも、だってそうじゃございませんか、旦那に嘘を申し上げたところで、百も儲かりゃあしませんからね」いわゆるヤケクソというやつで、こう平八はつっぱねた。

    たたみ込んだ船問答

「おお、そうか、これは面白い、ではお前へ訊くことがある。どうだ、返辞が出来るかな」
「へい、わっちの知っていることなら、なんでもお答えいたしますよ」「知ってることとも、知ってることだよ、お前がほんとに船大工なら、いやでも知らなければならないことだ」
 こういうと武士は懐中から、一葉の紙を取り出した。見れば絵図が描かれてあった。船体横断の図面であった。
「さあ、これだ、よく見るがいい」武士は一点を指差したが、「ここの名称は何というな?」
「へい、腰当梁こしあてでございましょうが」平八は笑って即座にいった。己が姿を船大工にやつし、敵地へ乗り込もうというのであるから、忙しいうちにも平八は、一通り船のことは調べて置いた。
「それならここだ、ここは何というな?」「へい、赤間梁あわちと申しやす」「うん、よろしい、ではここは?」「三間梁のまでございますよ」「感心感心よく知っている。ではここは? さあいえさあいえ」「下閂したかんぬきでございまさあ」「ほほう、いよいよ感心だな。ここはなんという? え、ここは?」
「なんでもないこと、小間こまの牛で」「いかにもそうだ、さあここは?」「へい、横山梁よこやまにございます」「うん、そうだ、さあここは?」「ヘッヘッヘッヘッ、蹴転けころでさあ」「ではここは? さあわかるまい?」「どいがえじゃございませんか。それからこいつが轆轤座ろくろざ切梁きりはり、ええと、こいつが甲板のしん、こいつがやといでこいつが床梁とこ、それからこいつが笠木かさぎ、結び、以上は横材でございます」
 ポンポンポンといい上げてしまった。
「ふうむ、感心、よく知っている。さては多少しらべて来たな。……よし今度は細工で行こう。……縦縁たてべり固着はどうするな?」
「まずかんなで削りやす。それからピッタリ食っつけ合わせ、その間へのこぎりを入れ、引き合わせをしたその後で、充分に釘を打ち込みやす。漏水のおそれはございませんな」
「上棚中棚の固着法は?」
「用いる釘は通り釘、接合の内側へうるしを塗る。こんなものでようがしょう」
「釘の種類は? さあどうだ?」
たたき釘に打ち込み釘、木釘に竹の釘に螺旋らせん釘、ざっとこんなものでございます」
「螺旋釘の別名は?」
じ込み釘に捩じ止め釘」
船首ともの材には何を使うな?」
「第一等が槻材けやきざい
「それから何だな? 何を使うな?」
「つづいてよいのは檜材ひのきざい、それから松を使います」
「よし」というと侍は、またも懐中へ手を入れたが、取り出したのは精妙を極めた、同じ船体の縦断面であった。
「さあここだ、なんというな?」
 かわらと呼ばれる敷木しきの上へ、ピッタリ指先を押しあてた。
「なんでもないこと、それは航で」「いかにも航だ。ではここは?」「へい、つるでございます。そうしてその下が中入れで、そうしてその上が弦押しで」「ぎ付きというのはどのへんだな?」
「弦押しの上部、ここでございます」「では、ここにある一文字は?」「船の眼目、すなわち船梁ふなばり
「もうよろしい」といったかと思うと、武士は図面を巻き納めた。と、居住居いずまいを正したが、にわかに声を低目にし、「正直にいえ、職人ではあるまい」
「くどいお方でございますな」平八は多少ムッとしたが「なにを証拠にそんなことを。……わっちは船大工でございますよ」
「そうか」というとその武士は、平八の右手をムズと掴んだ。
「これは乱暴、なにをなされます」

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