您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 国枝 史郎 >> 正文

名人地獄(めいじんじごく)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-3 7:41:17  点击:  切换到繁體中文


    その後の観世銀之丞

「父はこの世にはおりません」やがてお艶が咽ぶようにいった。「父さえ活きておりましたら。……中風で斃れたのでございます。……つづいて母が死にました。そうしてそれ前に可愛い弟の六蔵が死んでしまいました。心臓で死んだのでございます。そうして母の死んだのは、悲しみ死になのでございます。……名にうたわれた赤格子も、わたし一人を後に残し、死に絶えてしまったのでございます。永い年月苦心に苦心し、ようやく出来あがった黒船へも、乗ることが出来ずに死にましたので。……それはそうとあなた様は、平手造酒さまでございましょうね?」
 図星を指されて平手造酒は、思わず大きく眼を見開いた。
「お驚きになるには及びません」お艶は微笑を含んだが、「観世さまからこの日頃、お噂を承まわっておりました。それとそっくりでございます。それに鞘文さやぶみをご覧になり、この『主知らずの別荘』へ、すぐに踏み込み遊ばすような、そういう勇気のあるお方は、平手様以外にはございません。……それはとにかく観世さまは、只今はご無事でございます。そうして現在は黒船の上に、妾達一統の頭領として、君臨しておられるのでございます。……いえいえ嘘ではございません。どうぞお聞きくださいまし。みんなお話し致しましょう。でも時間がございません。出帆しなければなりませんので。妾の行衛ゆくえが知れないので、騒いでいることでございましょう。……それではほんの簡単に、申し上げることに致しましょう。……今年の秋の初め頃、妾達はこの地へ参りました。妾達の本当の国土といえば、南洋なのでございます。そうして妾はその南洋で成長したものでございます。ボルネオ、パプア、フィリッピン諸島に、とりまかれているセレベス海に、妾達の国土はございますので。どうして日本に参りましたかというに、父の財産がそっくりそのまま日本に残してございましたからで。それを南洋へ移したいために、やって参ったのでございます。……この地へ参ったその日のうちに、妾はあの観世様を愛するようになりました。どうぞおさげすみくださいますな。妾のような異国育ちのものは、愛とか恋とかいうようなことを、憚からず申すものでございますから。……するとある晩観世様が、別荘へ迷って参られました。そうして父と逢いました。そうして父の依頼をかれ、この別荘へお止どまりくだされ、妾達を狙うある敵から、妾達を守ってくださるように、お約束が出来たのでございます。……どんなに妾が喜んだか、どうぞご推察くださいますよう。妾達二人はその時から、大変幸福になりました。妾達は恋の旨酒うまざけに酔いしれたのでございます。けれどそういう幸福には、きっとわざわいがつきやすいもので、一人の恋仇が現われました。あの丑松でございます。丑松は父にざんをかまえ、観世様を地の底の、造船工場へ追いやりました。――妾達の秘密を観世様が、探り知ったという罪条でね。で、それからの観世様は、多くの大工と同じように、暗い寒い空洞内で、働かなければなりませんでした。するとそのうち丑松は、また父にこんなことを申しました。それは観世様が二葉の図面を――ご禁制船の図面なので、それを妾達は地下の空洞で、拵えていたのでございますが、それをこっそり奪い取り、刀の鞘へ封じ込み、外海へ流したというのです。そうしてこれは事実でした。ほんとに観世様は二葉の地図を、海へ流したのでございます。幕臣である観世様としては、無理のないことと存じます。ご禁制船の建造は、謀反罪なのでございますもの。それをあばいて官に知らせるのは、当然なことなのでございますもの。でもそれは妾達にとり、特に父にとりましては、大打撃なのでございます。うっちゃって置くことはできません。処分しなければなりません。それでとうとう観世様を、妾達仲間の掟通りに、空洞内の土牢へ入れ、飢え死にさせることにいたしました。けれど観世様は死にませんでした。妾が毎日こっそりと、食物を差し入れたからでございます。……そのうちに船が出来上がり、つづいて父が死にました。そうして妾は申し上げましたように、一人ぼっちとなりました。するとそこへ付け込んで、丑松が口説くのでございます。妾は途方にくれました。その結果妾は観世様へお縋りしたのでございます。妾をお助けくださいまし。妾はあなたを愛しております。どうぞどうぞ丑松から、妾をお助けくださいまし。そうしてどうぞ妾達のために、頭領となってくださいまし。そうしてどうぞ妾達と一緒に、南洋へおいでくださいまし。美しい島でございます。椰子やし橄欖かんらん、パプラ、バナナ、いちじくなどの珍らしい木々、獅子ししだの虎だの麒麟きりんだのの、見事な動物も住んでおります。妾の領地でございます。経営の手を待っております。男子一生の仕事として、これほど愉快で華々はなばなしいことは、他にあろうとは思われません。そこへ君臨してくださいましと。……すると最初観世様は、妾の恋をお疑いなされ、信じようとはなさいませんでした。でもとうとうお信じくだされ、やがてこのように仰せられました。『よし、お艶、俺は信じる。お前と一緒にその島へ行こう。俺は前から望んでいたのだ! 牢屋へはいるか海外へ行くか、この二つを選びたいとな! 俺は退屈で仕方なかったのだ。その退屈は慰められよう。さあ俺を牢から出せ。俺はお前達の大将となろう。そうしてお前を妻にしよう』――で、あの方は只今では、妾の良人おっとでございます。南洋へ参るのでございます」
 この時別荘の四方にあたって、鬨の声がドッと上がった。秋山要介の軍勢が、赤格子征めに取りかかったのであった。

    堂々浮かび出た赤格子の巨船

 お艶はニコヤカに微笑したが、
「あれは敵でございます。妾達の敵でございます。あの人達の征めて来ることは、解っていたのでございます。父が活きてさえおりましたら、蹴散らしてしまうでございましょう。妾は嫌いでございます。血を見るのが嫌いなので。そうして妾の恋しいお方も、お嫌いなのでございます。で、別荘はあの人達に明け渡してやるつもりでございます。決して逃げるのではございません。大きなものへ向かうために、小さいものを見棄てますので。あの人達にも神様のめぐみが、どうぞどうぞありますよう。そうして、あなた、平手様には、さらにさらにもっともっと、神様のおめぐみがございますように! 妾はクリスチャンでございます。そうして只今は観世様も。――あなたの厚いご友情は、観世様へ伝えるでございましょう。どんなにかお喜びでございましょう。……もう行かなければなりません。待ちかねていることでございましょう。……ごめんください平手さま! さようならでございます。神の恩寵おんちょうあなたにありますよう。……一間ほどお下がりくださいまし。それではあぶのうございます。……ああそれからもう一つ、船出をご覧遊ばしたいなら、別荘の北、海の岸、象ヶ鼻へお駈けつけくださいまし。岩は人工でございます。開閉自由でございます。大きな湾がありますので。この別荘は湾の上に、造られてあるのでございます。父が造ったのでございます。父は科学者でございました。どんなことでも出来ましたので。……いよいよお別れでございます」
 再びドッと鬨の声! 館へ乱入する足の音! 石壁を破壊するかけやの音!
「さようならよ! さようならよ!」
 叫びながらお艶は手を上げて、石壁の一点へ指を触れた。と、お艶の足の下、一間四方の石床が、音もなくスーと下へ下がった。今日のエレベーター、そういう仕掛けがあったのであった。その時洞然と音を立てて、さすが堅固の石壁も、かけやに砕かれて飛び散った。ムラムラと込み入る賊の群、それと引き違いに飛び出した造酒、敵と間違えて追い縋る賊を、刀を抜いて切り払い、象ヶ鼻へ走って行った。

 ここは絶壁象ヶ鼻、太平洋の荒浪が、岩にぶつかり逆巻いていた。と、ゴーゴーと音がした。蝶つがいで出来た大扉が、あたかも左右にひらくように、今、岩がなみを分け、グ――と左右へ口をあけた。と、濛々もうもうたる黒煙り。つづいて黒船の大船首。胴が悠々と現われた。一本煙突チムニイ二本マスト、和船洋風取りまぜた、それは山のような巨船であった。船首にかがりが燃えていた。その横手に一人の武士が、牀几に端然と腰かけていた。他ならぬ観世銀之丞であった。その傍らにお艶がいた。と、象ヶ鼻の岩上から、
「観世!」と呼ぶ声が聞こえて来た。平手造酒の声であった。闇にまぎれて立っているのだ。銀之丞は牀几から立ち上がった。
「おお平手!」と彼はいった。「おさらばだ、機嫌よく暮らせ!」
「航海の無事を祈るばかりだ!」
「有難う! お礼をいう! 遠く別れても友情は変らぬ!」「お互い愉快に活きようではないか!」
「新天地! 新天地! それが俺を迎えている! 生活は力だ! 俺は知った!」「ふさぎの虫など起こすなよ!」「過去の亡霊! 大丈夫!」「おさらばだ! おさらばだ!」
「平手様、さようなら!」お艶の声が聞こえて来た。
「お艶どの、さようなら!」
 船は沖へはしって行った。
 間もなく大砲の音がした。森田屋の賊船が襲ったのであった。それを二発の大砲で、苦もなく追っ払ってしまったのであった。
 恋の船、新生活の船、銀之丞とお艶の黒船は、明けなんとする暁近あけちかい海を、地平線下へ消えて行った。

    因果応報悪人の死

 物語りは三月経過する。
 桜の花が咲き出した。春が江戸へ訪ずれて来た。この物語りの最初の日から、ちょうど一年が過ぎ去った。「今の世や猫も杓子しゃくしも花見笠」の、そういう麗かの陽気となった。隅田川には都鳥みやこどりが浮かび、梅若塚には菜の花が手向たむけられ、竹屋の渡しでは船頭が、酔っぱらいながらさおさしていた。
 一閑斎の小梅の寮へは、相変らず人が寄って来た。ある日久しぶりで訪ねて来たのは、玻璃窓の郡上平八であった。
「これはこれは珍しい。それでも生きていたのかえ」「裾を見な、足があるから。へ、これでも幽霊じゃないのさ」皮肉な二老人は逢うと早々、双方で皮肉をいい合うのであった。「一局かこもうかね、一年ぶりだ」「心得た。負かしてやろう」「きつい鼻息だ、悲鳴をあげるなよ」
 パチリパチリと打ち出した。最初の一局は一閑斎が勝ち、次の一局は平八が勝った。で一ぷくということになった。
「そこでちょっとおききするが、もう鼓賊はお手に入れたかな?」ニヤニヤ笑いながら一閑斎は訊いた。もちろんいやがらせの意味であった。
「うむ」といったが平八は、不快な顔もしなかった。「さよう実は捕えたがな、捕えてみれば我が子なり。……恩愛の糸がからまっていて、どうにもならなかったという訳さ」「へえ、本当に捕えたのか? ふうむ、どこで捕えたな?」「銚子だよ、去年の冬」「で、鼓賊の素性はえ?」「それだ」いうと平八は、会心の笑みを浮かべたが、「わしの眼力は狂わなかった。鼠小僧と同一人だった」「ふうん、そいつあほんとかね?」一閑斎は眼を見張った。
「嘘をいってなんになる。ほんとだよ、信じていい。……だがどうしてもショビケなかったのさ。しかしその時約束した。『天運尽きたと知った時は、わしの手から自首しろ』とな。『あっしの娑婆も永かあねえ。その時はきっと旦那の手で、送られることに致しましょう』こうあいつもいったものだ。それでおれは待ってるのさ。……ところでどうだこの二、三ヵ月、鼓賊の噂を聞かないだろうな?」「さようさよう、ちっとも聞かない」「それは鼓がこわれてしまって、もう用に立たないからだ。投げた拍子にこわれたのさ。そうしてそのためこのわしは、命びろいをしたというものさ。いや全く世の中は、なにが幸いになるか解りゃしない」感慨深そうに平八はいった。もちろんそれがどういう意味だか、一閑斎にはわからなかった。しかし平八は日頃から、嘘をいわない人物であった。で一閑斎は平八の言葉を、是認せざるを得なかった。
 そこへ下男の八蔵が、眼の色を変えて飛んで来た。「旦那様、大変でございますよ。あの綺麗な浪人の内儀が、しごきをはりへ引っかけて、くびれているじゃありませんか」
「おっ、ほんとか、そりゃあ大変だ!」一閑斎は仰天した。
「郡上氏、行ってみましょう」あわてて庭下駄を突っかけた。二人がその家へ行った時には、見物が黒山のようにたかっていた。みほうけても美しい。油屋お北の死骸なきがらは、赤いしごきを首にまとい、なるほどはりから下がっていた。
 壁に無数の落書きがあった。「ゆるしてください。恐ろしい」「馬子甚三」「信濃追分」「南無幽霊頓証菩提」「もう、わたしは生きてはいられない」「あの人、あの人、あの人、あの人」
 意味のわからない落書きであった。
 検死の結果は自害となった。乱心して死んだということになった。ただしどうして乱心したかは、誰も知ることは出来なかった。
「春になると自殺者が多い」平八は憮然として呟いた。
「いい女だったのに惜しいことをした」こういって一閑斎は苦笑したが、「亭主の浪人はどうしたかな?」
 その浪人は殺されていた。それの解ったのは翌朝のことで、隅田堤の桜の幹へ、五寸釘の手裏剣で、両眼と咽喉のどとを縫いつけられていた。
 奇抜といおうか惨酷といおうか、その不思議な殺され方は、江戸市中の評判となった。
「いったい誰が殺したのだろう?」人々はこういって噂した。
 もちろん甚内が殺したのであった。兄の敵の富士甚内を、浅間甚内が殺したのであった。

    浅間甚内復讐を語る

 どんな具合に巡り会い、どんな塩梅あんばいに立ち合って、兄の敵を討ったかについては、彼は恩師たる千葉周作へ、次のように話したということである。
「……とうとう本望をとげました。先生のお蔭でございます。一生忘れはいたしません。兄もどんなにか草葉の蔭で、喜んでいることでございましょう。おそらく修羅しゅら妄執もうしゅうも、これで晴れたことでございましょう。……では、どうして敵と出会い、どんな具合に討ち止めたか、お話しすることに致します。なかばは偶然でございました。そうして後の半分は妹のおかげでございます。……追分をうたい、市中を流し、敵を目付けておりますうち、ふと隅田の片ほとり、小梅の里のみすぼらしい家に、お北によく似た若い女を、見掛けたことがございました。でもそれはたった一度だけで、後はいつもその家は、雨戸がしまっておりましたので、見かけることは出来ませんでした。それでも気になるところから、毎夜のようにそのあたりを、彷徨さまよったものでございます。そのうち秋が冬となり、年が明けて春となり、昨夜となったのでございますが、いつもの通りお霜を連れて、信濃追分をうたいながら、隅田の方へ参りました。そうしてその家の前に立ち、しばらく様子をうかがってから、堤を歩いて行きました。と、ご承知のようによい月夜で、おりから桜は満開ではあり、つい私はよい気持ちになり、次々にうたいながら歩いて行きますと、後の方から何者か、つけて来るではございませんか。ふと振り返って見ましたが、それらしい人の影もない。不思議なことと思いながら、また歩いて行きますと、やっぱり足音が致します。春の月夜にうかれ出た。狐か狸のいたずらであろうと、そのまま歩いて参りますと、ピタピタピタピタと足音が、近付いて来るではございませんか。で、振り返ってみましたところ、山岡頭巾で顔を包んだ、一人の武士が一間の背後うしろに、追い逼っているではございませんか。ハッと思ったものでございます。と、いうのはその武士が、刀の柄をシッカリと、握っていたからでございます」

    光風霽月大団円

「『ははあこいつが噂に高い、辻斬り強盗の張本だな』と、私は突嗟とっさに思いましたが、よい気持ちはいたしませんでした。で、自然と右の手が、懐中へ忍ばせた手裏剣へ、つと走ったものでございます。すると突然妹のお霜が、千切れるような声を上げ、私の袖をグイグイと、三度引くではございませんか! 『うん』と私は呻きました。合図だったからでございます。……富士甚内を目っけたら、三度袖を引くようにと、教え込んで置いたからでございます。素早すばやくこいつが敵かと、躍り立った一刹那せつな『亡霊追分、正体見た! 二つになれ!』とその武士が、サッと斬り込んで参りました。その太刀風の物凄さ、なんで私に避けられましょう。真っ二つにされた筈でございます。ワッ、やられた! と叫びながら、足もとを見ると妹のお霜が、こうから胸板まで、切り割られて仆れておりました。身代りになったのでございます。私をかばう一心から、飛び込んで来たのでございます。可哀そうなことをいたしました。でも妹はああいう片輪かたわ、なまじ活きておりますより、死んだ方がよかったかもしれません。いえいえそんなことはございません。やっぱり活きておりましたら、何彼なにかにつけて頼みにもなり、嬉しいことも楽しいことも、分け合うことが出来ますのに。……可哀そうなことをいたしました。もう取り返しがつきません。でも妹が死んでくれたため、私はかたきの第一の太刀を、避けることが出来ました。そうして敵が第二の太刀を、私に向けて来ました時には、もう私は二間のあなたに、飛びしさっていたのでございます。もうこうなればこっちのもの、ビューッと繰り出した釘手裏剣、狙いたがわず敵の右眼へ、叩き込んだものでございます。これは全く敵にとっては、予期しなかったことでございましょう。アッと叫ぶとヨロヨロと、桜の老木へ寄りかかりました。そこを狙ってもう一本、左眼へぶち込んだものでございます。これで勝負はつきました。敵は盲目めくらになりましたので。そこで初めて私は、なのりを上げたものでございます。『富士甚内よっく聞け、俺はおのれに殺された馬方甚三の実の弟、追分産まれの浅間甚内だ! 兄の敵妹の仇、思い知ったかこん畜生め! 口惜しくば立ち上がってかかって来い! どうだどうだ富士甚内!』……敵は身顫いをいたしました。動くことは出来ません。そこで私は止どめとして三本目の釘を投げつけて、咽喉のどを貫いたのでございます。それから妹を肩へかけ、帰って参ったのでございます。……聞けばお北もあの家で、首をくくったと申すこと。因果応報なのでございましょう。恨みはこれで晴れました。ああいい気持ちでございます。でも寂しゅうございます。一人ぼっちでございますもの。……お手数恐縮ではございますが、どうか私を召し連れて、おかみへお訴えくださいますよう。人殺しをしたのでございます。兄の敵とはいいながら、武士を殺したのでございます。おしおきになりとうございます」
 周作が甚内を召し連れて、西町奉行[#「西町奉行」はママ]へ訴えたのは、その翌日のことであった。
 そこで奉行は取り調べた。敵討かたきうちに相違なく、それに相手の富士甚内は、辻斬りの張本というところから、甚内はかえって賞美され、なんのお咎めも蒙らなかった。
 喜んだのは周作で、甚内を屋敷へ引き取るや、今後の方針を訊ねてみた。
「追分へ帰りとう存じます。故郷はよい所でございます。兄の墓場もございますし、妹お霜も同じ土地へ、葬ってやりとう存じます。そうして私は追分で、兄の代りに馬を追い、馬子で暮らしとう存じます」
 これが甚内の意志であった。
 そこで周作もそれに同じ、諸方から集まった同情金へ、さらに周作が金を足し、門弟達にも餞別を出させ、三百両の大金とし、これを甚内へ送ることにした。
 江戸でもとめた馬の前輪まえわへ、妹お霜の骨をつけ、

信州出た時ゃ涙で出たが
今じゃ信州の風もいや

 それとは反対の心持ち――その信州の風を慕い、江戸を立ってふるさとの、追分宿へ向かったのは、それから一月の後であった。
 こうして江戸の人々は、信州本場の追分を、永久聞くことが出来なくなったが、その代り恐ろしい辻斬りからは、首尾よくがれることが出来た。で、私の物語りも、この辺で幕を下ろすことにしよう。





底本:「名人地獄」国枝史郎伝奇文庫7、講談社
   1976(昭和51)年5月20日第1刷発行
初出:「サンデー毎日」
   1925(大正14)年7月5日~10月25日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「鬨」と「閧」の混在は、底本通りです。
入力:阿和泉拓
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年2月21日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
  • [#…]は、入力者による注を表す記号です。
  • 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
  • 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。
  • この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。

    「白+光」    204-4

 << 上一页  [11] [12] [13] [14]  尾页


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作家:

  • 下一篇作家:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    没有任何图片作家

    广告

    广告