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柳営秘録かつえ蔵(りゅうえいひろくかつえぐら)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-3 7:46:21  点击:  切换到繁體中文



 江戸へ「夫婦めおと斬り」の始まったのは、実にその夜が最初であった。あえて夫婦とは限らない。男女二人で連れ立って、夜更けた町を通って行くと、深編笠の侍が出て、斬って捨るということであった。江戸の人心は恟々とした。夜間よるの通行が途絶え勝ちになった。

 さて一方お杉の身の上には、来べきことが来ることになった。将軍家斉いえなりの眼に止まり、つぼねれられることになった。秋海棠が後苑に咲き、松虫が籠の中で歌う季節、七夕月のある日のこと、葵紋付の女駕籠で、お杉は千代田城へ迎えられた。お杉の局と命名され、寵を一身に集めることになった。もうこうなっては仕方がなかった。下様の眼から見る時は、将軍といえば神様であった。神様の覚し召しとあるからは、厭も応も無いはずであった。
 で、お杉は奉仕した。しかし心では初恋の人を、前にも増して恋い慕った。逢うことも話すことも出来ないと思えば、その恋しさは増すばかりであった。まことに彼女の境遇は、女としては栄華の絶頂、夢のようでもあれば極楽のようでもあった。もし彼女に三之丞という、忘られぬ人がなかったなら、満足したに相違ない。恋の九分九厘は黄金こがねの前には、もろくも挫けるものであった。しかし、後の一厘の恋は、いわゆる選ばれた恋であって、どんな物にも挫けない。選ばれた人の運命は、大方悲劇に終るものであった。それは浮世の俗流に対して、覚醒の鼓を鳴らすからで、たとえば遠い小亜細亜の、猶太ユダヤに産れた基督キリストが、大きな真理まことを説いたため、十字架の犠牲になったように。……で、お杉と三之丞との恋は、選ばれた人の恋であった。そらすことの出来ない恋であった。
 将軍家斉は風流人、情界の機微に精通した、サッパリとした人物であった。お杉に三之丞がなかったなら、恋さないでは居られなかったろう。
 後宮の佳麗三千人、これは支那流の形容詞、しかし家斉将軍には事実五十人の愛妾があった。いずれもソツのない美人揃い、眼を驚かすに足るものがあったが、しかしお杉に比べては、その美しさが及ばなかった。で、家斉は溺愛した。しかるに日を経るにしたがって、家斉はお杉の心の中に、秘密のあることに感付くようになった。相手を愛するということは、相手を占有することであった。愛は完全を要求もとめる点で、ほぼ芸術と同じであった。占有出来ないということは、愛する人の身にとって、堪え難いほどの苦痛であった。で、家斉はどうがなして、お杉の秘密を知ろうとした。
 ある日お杉は偶然ゆくりなく、宿下りをした召使の口から、市中の恐ろしい噂を聞いた。それは「夫婦めおと斬り」の噂であった。
「人を殺したその後で、その辻斬りの侍は、さも恋しさに堪えないように『お杉様!』と呼ぶそうでございます」
「お杉様と呼ぶ? お杉様と?」
 お杉は思わず鸚鵡おうむ返した。
 彼女には辻斬りの侍の、何者であるかが直覚された。
「三之丞様に相違ない」
 彼女は固くこう思った。恋する女の敏感が、そういう事を感じさせたのであった。お杉様と呼ばれる若い女は、この世に無数にあるだろう。お杉様と呼ぶ侍も、この世に無数にあるだろう。しかしお杉はその「お杉様」が、自分であることを固く信じた。そうしてそう呼ぶ侍が、三之丞であることを固く信じた。
「気の毒なお方。……三之丞様。……そうまで兇暴になられたのか。……妾にはわかる、お心持が。……では妾も覚悟しよう。……妾はかつえ蔵へ入ることにしよう。……あのお方のために。……三之丞様のために」



 浅草の夜は更けていた。馬道二丁目の辻から出て、吾妻橋の方へ行く者があった。子供かと思えば大人に見え、大人かと思えば子供に見える、変に気味の悪い人間であった。
 と一人の侍が、吾妻橋の方からやって来た。深編笠を冠っていた。憂いありそうに俯向いていた。まさに二人は擦れ違おうとした。
「待て」と侍は声を掛けた。
「何でえ」と小男は足を止めた。
「連れはないか? 女の連れは?」
「いらざるお世話だ、こん畜生」
 小男は勇敢に毒吐いた。
「片眼で傴僂せむしのこの俺を、馬鹿にしようって云うんだな。誰だと思う鬼小僧だ!」
「何、鬼小僧? それは何だ?」
「うん、昔は手品師さ。だが今じゃア形学けいがく者だ! 紙鳶堂しえんどう主人平賀源内これが俺らのお師匠さんだ。手前なんかにゃア解るめえが、形学と云うなア形而かたちの学問だ! 一名科学って云うやつだ。阿蘭陀オランダ仕込みの西洋手品! 世間の奴らはこんなように云う。もっと馬鹿な奴は吉利支丹キリシタンだと云う。ふん、みんな違ってらい! 本草学にエレキテル、機械学に解剖学、物理に化学に地理天文、人事百般から森羅万象、宇宙をきわめる学問だア! もっとも馬鹿野郎の眼から見たら、手品吉利支丹に見えるかもしれねえ。……おお、さむれえそれはそうと、お前さん一体何者だね?」
 深編笠の侍は、それには返辞をしなかった。彼は懐中ふところへ手をやった。取り出したのは小判であった。
「これをくれる持って行け。なるほどお前の風貌かおかたちなら、美しい女に恋されもしまい。気の毒だな、同情する。俺はそういう人間へ、充分同情の出来る者だ。恋などするな、恋は苦しい。……さあ遠慮なく金を取れ。そうして酒でも飲んでくれ」
「馬鹿にするない! 乞食じゃアねえ」
 鬼小僧はすっかり怒ってしまった。
「だが、おかしな侍だなあ。どう考えてもおかしな野郎だ。ははあ失恋で気がふれたな。……せっかくの好意だが受けられねえ」
「そう云わず取ってくれ。俺はそういう人間なのだ。女連れと見ると斬りたくなる。若い男が一人通ると、俺は金をやりたくなる」
 これを聞くと鬼小僧は、後ろへピョンと飛び退いた。
「それじゃア手前は『夫婦めおと斬り』だな! こいつアい所で邂逅ぶつかった。逢いてえ逢いてえと思っていたのだ。ヤイ侍よく聞きねえ。俺はな、今から十日前まで、紙鳶堂先生のおそばに仕え、形学の奥義を究めていたものだ。印可となってお側を去り、これから長崎へ行くところだ。そこでもっと修行するのよ。ところで久しぶりでまちへ出てみると、夫婦斬り噂で大騒ぎだ。そこで俺は決心したのだ。よくよくそういう無慈悲の奴は、俺の形学で退治てやろうとな。で今夜も探していたのさ。ここで逢ったが百年目、さあ野郎観念しろ!」
 云い捨て懐中へ手を入れると一尺ほどの円管つつを出した。キリキリと螺施ねじを捲く音がした。と、円管先から一道の火光が、煌々然と閃めき出た。
「眼が眩んだか、いい気味だ! エレキで作った無煙の火、アッハハハ驚いたか! 古風に云やア火遁かとんの術、このまま姿を隠したら、絶対に目つかる物じゃアねえ。……や、刀を抜きゃアがったな! さあ切って来い、来られめえ! おっ、浮雲あぶねえ!」と鬼小僧は、突然円管先の光を消した。
 光の後の二倍の闇、闇に紛れて逃げたものか、鬼小僧の姿は見えなかった。

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